第105話 下級吸血鬼と孤児院院長
「さて、本人の許可は取ったことだし、あとは孤児院の管理者の許可を得れば問題ないな。その、リリアン、という方が孤児院長ということでいいか?」
ロレーヌがアリゼにそう尋ねる。
アリゼはもちろん、孤児院の子供であるため、その身の振り方については保護者である孤児院長の許可が本来必要だ。
ある程度の自由は認められているが、流石に将来まで関わってくるような話になると、何の許可も得ずに話を進めると言うのは、出来なくはないがやめておいた方が望ましいことである。
買い物をしたり、冒険者組合で報酬の低い依頼をするくらいなら問題ないのだが……。
ロレーヌが言ったのはそういう意味である。
アリゼはロレーヌの言葉に頷いて答える。
「ええ、リリアン様はこの孤児院の院長先生で、東天教の僧侶様です。今は病気で臥せっていますけど、もう少ししたらお薬が届くので……」
「あぁ、以前、レントが受けた依頼だな……となると、会うことは難しいか? あまり調子がよろしくないようであれば、また後日伺うが」
ロレーヌがいつもは見せない大人の対応を見せるが、アリゼは首を振って、
「いいえ、リリアン様はいつも、お客様が来たらお通しするように、とおっしゃっておられるので……大丈夫です。どうぞ、こちらへ」
そう言って立ち上がった。
おそらくは、この間通してくれた部屋へと案内してくれるつもりなのだろう。
立ち上がるのも難しいくらいであるのは変わっていないようで、それならまた、病気が治ってから別の日に来ても良かったのだが本人がそう希望するのなら断るのも難しい。
俺とロレーヌは顔を見合わせ、立ち上がり、アリゼについていった。
◇◆◇◆◇
「リリアン様、失礼します」
アリゼが扉を叩き、そう言うと、少し遅れて「お入り」という声が返ってくる。
あまり健康そうな声ではないが、しかし以前より若干明るいもののような気がするのは、今日は調子がいいからかもしれない。
アリゼが薬について話しているかどうかは分からないが、リリアンの病気が治ると知っているから俺にはそう聞こえるのかもしれない。
扉を開くと、中には前と同じように一人の中年女性がベッドに横になっていた。
「あら、貴方はこの間の……レントさんですね。聞いております。地下室の魔物を倒してくれたそうで……」
俺の顔と言うか格好と言うか、怪しげな全体像を見て、見覚えがあることにすぐに気づいたようで、そう話し始めた。
確かに、俺はそういう名目でここに来たんだったっけかな。
実際に孤児院の地下室の魔物についてもどうにかはした。
が、倒したかと言われると……。
仲間にしてしまったので何とも言えない。
ちなみに、エーデルは今日、俺よりも先にここに来て、手下たちと遊んでいる。
基本的に迷宮なんかに行く時以外は奴は自由行動だ。
……自由行動を許可しているのではなく、勝手に行動するのだ。
まぁ、別に普段はエーデルの手がなくても問題ないし、あいつが役に立つのは基本的には戦闘時なのだからそれでいいのだが、一応俺の眷属なんだからもう少し忠誠心が欲しいなと思わないでもない。
ちなみに、あいつも俺が存在進化した影響を受けてか色々と変化していたが、それは後でいいだろう。
ともかく、
「大したことはしていない……孤児院が平和になって良かったと思っている」
そう言うと、リリアンは、
「そんなことはありませんよ。小さな魔物でも、長く放置していると強大な存在になることもありますから。いたのは小鼠だったと聞きましたが、あれも数が増えると厄介ですから……」
彼女の言っていることは非常に正しい。
小鼠はとても舐められている矮小な魔物の一つだが、それでも危険とされている場合があり、それは彼らが街一つを覆うほどの群れを作り出した場合である。
稀に、小鼠の中に強力な個体が現れ、何年何十年とかけて、静かに街の地下や下水に巣食う同族たちを支配下においていき、最終的には手の付けられない大集団となってしまうのだ。
……なんだかどこかで聞いた話だな、と一瞬思ったが忘れることにした。
エーデルがそうなっていくとは考えない。
そもそも、かなり時間がかかるものだし……まぁ、仮にそうなったところで、俺の眷属なのだからいいだろう。
「数はそれほどいなかったからな。それに、一匹はアリゼが倒したことだし」
そう言うと、リリアンは驚いた顔で、
「アリゼが? 本当ですか」
と俺とアリゼに尋ねてきた。
アリゼは若干バツの悪そうな顔で、
「……はい」
と言ったので、まずいことをやらせたのかと思い、俺はフォローする。
「もしもの時に、自衛出来るくらいの経験はあった方がいいかと思ってやらせたんだ。余計だったか?」
「いえ……そういうわけではありません。アリゼ、そういうことがあったのなら、ちゃんと報告なさいな」
リリアンはあまり厳しくはなく、しかし忠告した。
アリゼは、
「申し訳ありません……あまりリリアン様に心労をかけたくなくて」
「もう、大丈夫だと言ってますのに……」
どうやらお互いに気を遣ってのことだったらしく、不穏な事態になったわけではなさそうで安心した。
「そうでした……それで、そちらの方は?」
リリアンはロレーヌの顔を見て気になったらしく、そう尋ねてきた。
ロレーヌは答える。
「私はロレーヌ・ヴィヴィエ。学者兼冒険者です。このレントとは友人かつ腐れ縁ですね」
「そうでしたか……私はこの孤児院の管理をしております、東天教の僧侶のリリアン・ジュネと申します。どうぞ、よろしくお願いします。それで、お二人のご用件は……」
リリアンがそう尋ねたところで、部屋の扉が叩かれた。
そして、直後扉の向こうから、
「アリゼお姉ちゃん! ウンベルトさんとノーマンさんが来てるよ!」
と小さな子供の声がした。
孤児院の子供なのだろう。
来客についてはいつもアリゼが対応しているようだが、今はここにいるので他の者がしているというわけだ。
聞こえてきた名前は確か、以前会った治癒術師と薬師のもので、おそらく、《竜血花》を使った薬を持ってきたものと思われる。
アリゼはその名を聞いて、そわそわとし、それから、
「あの、申し訳ないのですが、行って来てもよろしいでしょうか? 私以外に対応できる者が……」
いないこともないはずなのは、もっと年かさの人間が以前、孤児院にいるのを俺は見ているのでなんとなく想像がついたが、どうしてもアリゼは行きたいのだろう。
リリアンもそれは理解していたようだが、仕方なさそうに笑って、
「私は構いませんが、こちらのお二人をおいていくのは……」
と若干の難色を示す。
しかし、俺もロレーヌも別に、行って来てもらって構わないので、
「いや、俺たちのことは気にしないでいい」
「そうだな……少しリリアン殿と話したいこともある。アリゼは行ってくるといいぞ」
と二人で返答した。
リリアンはその言葉に少し首を傾げたが、本人が別にいいと言っているのだから、と思ったようである。
「……ご厚意に甘えて、行ってきなさい。出来る限り早く戻ってくるように」
と少し厳しく言った。
アリゼはそれに、
「はい。お二人とも、申し訳ありません。では……」
そう言って頭を下げ、部屋を出ていった。
それからリリアンは、
「慌ただしい子で、申し訳ありません。あまりしっかり教育が出来ずに……」
と謝って来たが、とんでもない話だ。
ロレーヌが、
「いいえ、そのようなことはありません。アリゼはあの年にしては十分すぎるほどしっかりしていますし、礼儀も出来ている。そして、才能も」
と言った。
これにリリアンは首を傾げて、
「――才能?」
そう尋ねた。