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【完結済】異世界薬局(EP4)/【連載中】世界薬局(EP4.1)  作者: 高山 理図
Chapitre 7 新大陸の伝承  Légende du nouveau continent(1148年)
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7章8話 探検隊の上陸

 ファルマはマーセイルから帝都に戻り、怒涛の慌ただしさの中を何とか日々やりすごしていた。

 ブリュノが神聖国に滞在し、霊薬体系を研究し始めてから一ヶ月が経った。

 大学の春休みが終わり、ナタリー・ブロンデルの腫瘍の再発がないことを確認し、エレンとパッレが些細なことから恒例の果たし合いをし、ロッテが聖帝の肖像画の制作依頼を受け、マーセイル領にバイオマスプールの建設計画が承認されてから一週間。

 テオドールが最後に倒れて四日。

 パッレが無詠唱神術を使えるようになって三日。


 ファルマは今日も、薬局に通常出勤していた。


「ファルマ様、電信がきたみたいですよ」


 いつも伝書鳩のメッセージを届けてくれたロッテは、ここ最近は電信の記録用紙を持ってきた。

 その状況に至った経緯だが、通信技術の発展は目覚ましく、異世界薬局には帝都各地からの無線通信が入りはじめていた。帝国技術局に無線通信が登録されるや、帝都と近隣都市間では無線通信が整備されようとしていた。また、それを指をくわえて見ていた他国も、サン・フルーヴへ許可と特許使用料を支払って利用を目論んでいる。


 ファルマは先んじて、混信を避けるため国家が使用する帯域を協定で決めた。

 また、サン・フルーヴ医薬大と異世界薬局間の電信も開通した。

 通信室は、薬局の三階の一部を改装して通信設備のある小部屋を作った。

 営業時間中は専属の通信士が詰めて送受信を行っている。

 薬局に詰めていた屋上の伝書鳩はお役御免とはならなかったが、多少はリストラされた。

 彼らは元の鳩舎に戻され、昼は放鳥されて仕事もなくえさをついばみ、優雅に暮らしている。専属メッセンジャーのトムも、医薬大まで走る頻度は減った。

 しかし彼は失業することはなく、民家や各薬店、薬師らとの緊密な連絡を担ってくれている。


 通信技術の発展の帰結として、ファルマの業務量は莫大に増えた。

 異世界薬局には無線で処方相談が舞い込むわ、処方箋が来るなどしている。 

 その忙しいさなか、テオドールが「図や反応式を送りたい。郵便や伝書鳩では遅い」と言い出したので、図表を送る方法を、ファルマは主に二つ提案した。

 最初に提案したのは、描画するマスを定義し、その座標を指定して送るというものだった。

 しかし、電力や描画するマンパワーの節約から、データの圧縮が必要となる。

 面倒を嫌った無線技術師によって符号化が試みられ、連長圧縮(ランレングス圧縮)などを用いた。

 白と黒を0と1で定義し、白白白白黒黒白白などは、00001100と表されるところを、更に短縮して422という具合に表す。

 通信できるデータ量は多くなったが、データ量の増加に伴い復号係のミスが頻発した。

 そこで、自動にできないものかとのユーザーからの相談がファルマのもとに舞い込んできた。

 コンピュータの出番かとも思われたが、コンピュータ開発に手を広げるにはファルマも忙しすぎた。

 急場しのぎとして、ファルマは振り子の先に電極をつけ、その往復を利用してわん曲した銅板の表面を走らせ原稿を読み取らせて遠隔地に送達するパンテレグラフ(Pantelegrafo)という、ファクシミリの原型となる原理を技術局に登録した。

 驚いたことに、それを契機に画像送達技術が次々と発明されはじめた。

 とある技術者が、振り子ではなく円筒に絵や図を全周貼り付けて、回転させながら絵を読み取ったほうが効率がよいと考え、受信側は円筒の回転速度と針の動きを同調させることによって絵の受信を成功させた。

 それを受けて、事前に技術局に登録されていた光電管を用いて光の強さを信号に変えシグナル化して読み取らせ発信し、受信側は信号の強さをインク濃度へ変換し記述するという仕組みを考えたものもいた。

 映画フィルムができる一歩手前、そんなムーブメントがきている。

 誰かが思いつくのも時間の問題だろう。


 技術局には、実名つきで多種多様な送信技術が登録されはじめた。

 ファルマは匿名を貫いていたので、ファルマ以外の技術者や実業家の実名登録が始まったということになる。

 特許を実名登録をすると、技術局から報奨金や特許料が得られるため、競争のようになってゆく。技術者や学者らの井戸端会議が繰り広げられはじめた。登録書類の執筆を代行する特許事務所のような商売を始めたものもいた。

 技術局には新技術を利用しようと毎日出勤している者があり、また、登録しに来るものもあり、技術開発によって活況を呈した。


 そのうち彼らが意気投合して組織化し、それまで工業系ギルドの専門学校であったサン・フルーヴ帝国技術学校を改称して、官民合同の電気通信技術なども包括したサン・フルーヴ工科大学創設の動きが出てきた。個々で競い合うのもよいが、技術者一丸となって全体で帝国の技術力を底上げしてゆこうという流れである。

 聖帝のお墨付きを得て、来春にも新規開校すべく準備を整えていると聞いた。

 大いに結構だとファルマは思う。

 現代の通信技術や工業技術とは異なる技術が発明されれば、それはそれで面白い。


 この流れから当然、頻繁に登録受け付けにやってくるファルマは、帝都の技術者らにマークされはじめた。ファルマは技術局から出てくると、待ち伏せていた技術者らに囲まれ根掘り葉掘り聞かれるようになってしまったので、技術を登録する際は代理人としてセドリックを派遣することにした。

 ファルマの依頼を受けて特許局へ出入りしていたセドリックは、詐欺的な内容での登録が現れ始めたことに気づく。そこで法律に明るい彼は悪徳業者が参入しないよう事前に手を打ち、利用制限や登録制限をかけた条項の盛り込みを技術局に打診した。

 そこで、「技術局に登録したものは、技術の妥当性があるかどうか事前審査し、悪質なものは実名・社名公表のうえ厳重に処罰する」というお触れが出た。


 ファルマはジャンたちの動向を気にかけつつ、テオドールと緊密にやりとりをし、指示を送っていた。ファルマが過労死を警戒して余りにも労務管理にうるさいからか、テオドールは自宅にラボを作り始めたという情報を得て頭が痛い。自宅にラボなんて作ってしまうと、実質24時間働けてしまうのが辛いところだ。

 かたやラボが自宅勢のエメリッヒに関しては、ファルマの目が届くということもあって労働管理はきちんとしている。エメリッヒは叙爵されたことで暮らしに余裕がでてきたようで、生活のための薬師バイトはもうしておらず、さらに研究に専念している。


「テオドールさん、また高熱が出たのに出勤したのか」


 ファルマが悩ましく思っていると、セルストが接客を終えて薬歴を書きながら弟を気遣う。

 セルストは、度重なる悪霊の襲撃で有事に対応できるよう異世界薬局の近くに引っ越してきたため、子供たちがよく薬局に遊びにくるようになった。


「弟は錬金術師として天職を見つけたようで張り切っているのでしょう。しかしその状況で出勤してはいけないと、わからないのでしょうか。ほかの労働者にうつすことになります」

「言っても言っても言っても言っても懲りてないみたいです」

「ふふ、私も昔はよく体を悪くしていたのですが、この薬局に勤め始めてから全く発熱や風邪というものをひかなくなりました」


 それは言うまでもなくファルマの展開しているパッシブスキル「聖域」のたまものだったのだが、ファルマは愛想笑いをする。


「そういえば昔、弟は研究室にこもりっきりで、私が部屋をたずねたら鍋を火にかけたまま密室で二日間倒れていたということがありました」

「密室で火をかけたまま……一酸化炭素中毒かな」

「危うく死ぬところだったという笑い話ですけどね」

「それは本当に笑い話にはならないところでしたよ」


 ファルマが真顔になる。

 テオドール率いるマーセイル錬金術師らが突っ走って、やらかさないよう祈るばかりだった。

 水属性神術使いの錬金術師は火を使わず薬効成分を抽出しポーションにするのが得意だが、火属性神術使いのやることといえば乾留・蒸留・煮沸・融解・燃焼などなど、炎や熱を使う過程ばかりである。必然的に事故も多い。もちろん、火属性神術使いは炎に対する防御力も強いのだが、機材や設備なども一緒に焼けたり吹き飛んでしまう。


(現代でさえ、研究室での爆発や機材の破裂なんてざらにあるんだからな)


 たまに大学で爆発を起こしてニュースを賑わせる。

 思いつきで色々とやらないでほしい、とファルマは心配だ。

 実験計画を必ず電話や電報で提出してもらうようにしているが、心配はつきない。


「有機・無機化学および専門科目の座学と安全講習はしたんですが」

「防炎、防爆神術陣を施した服装にしてもらうとかどうです?」


 レベッカが提案する。


「そうしたほうがいいでしょうね。ついでに保護メガネも改良しましょう」


 ファルマはさっそく受け入れることにした。


「ところでレベッカちゃん、なんか最近顔色が黄色くない? 脅かすわけじゃないけど、肝臓とか大丈夫かな?」


 レベッカに話題が及んだ流れで、セルストが微妙なタイミングで指摘する。

 黄疸ではないかと疑っているようだ。ファルマはそうではないと思ったので、フォローする。


「なんか緑黄色野菜か柑橘系の果物をとりすぎてない?」

「きゃーっ! 栄養剤を飲みました! 柑皮症ですー!」


 レベッカは顔を真っ赤にした。

 この夏、一級薬師の試験を受けるために夜間勉強で寝不足らしく、家に近い支店で薬局の栄養ドリンクを買いまくっていたのが原因だ。そんなこんなで、暗記内容が口からスムーズに出てくるレベッカだった。

 今年から、一級薬師の試験問題の内容は現代医薬品も加わり、難易度も上がっている。


「そんだけ勉強してたら受かるでしょ」

「いえてる」

  

 ファルマがレベッカと笑っていると、ちょっとちょっと、とエレンがカウンセリングブースから顔を出している。人目を憚る話だと察したファルマが、エレンと対面してカーテンを閉め、ブースに座る。


「どしたの?」

「ねえ、ファルマくん。つかぬことを聞くんだけど、診眼を使ったあとってしばらく目が見えないことってある?」

「いや、ないよ」


 エレンは深刻そうではないが、見逃すこともできないといった様子だった。


「診眼を長く使えるように頑張ってるんだけど……。使ったほうの目が、しばらく眩しく感じるの」

「痛みとかは?」

「ないわ。うーん……なんだろう。疲れ目かしら」

「集中しすぎてるんじゃないか?」


 日常的に診眼を使わないほうがいいのかもしれないよ、とファルマはアドバイスした。

 エレンが一度診眼を使うたびに、一日分の神力を使ってしまうことにはかわりない。工夫してごく短時間での透視を試みているようだが、それでも二人が限度というとことだった。


「エレンが診眼を使うの、やっぱり体に負担なんじゃないかな」


 ファルマは考え込む。

 ファルマだって、診眼はここぞというときにしか使っていない。人外の能力を、エレンのような「人間」が使って害がないという保証もなかった。ファルマはエレンの目を覗き込むが、炎症を起こしている様子はない。眼球そのものにも異常はみあたらなかった。ファルマに凝視されて、エレンが若干照れる。


「や、やあね。そんなに凝視して。てか、ファルマ君なんか大きくなったわよね」

「心配してるんだから、茶化さないでよ」


 ファルマの心配をよそに、エレンは軽く笑って席を立ち、勢いよくブースのカーテンを開いた。


「ふふ、深刻に考えすぎよ。神力を枯渇させてもいけないし、診眼を使うのは控えることにするわ。ありがとう」

「また、変な症状が出たら教えてよ。気になるからさ」

「わかったわ。ありがとう。やっぱり、ファルマ君みたいにしようと思うとガタがくるのね」

「エレンが手伝ってくれるのはすごく助かってるけど、症状が続くようならやめたほうがいい。無理しないで」


 ファルマはエレンを気遣うが、何となく引っかかるものを感じた。

 診眼を使って目がくらんだようなことは、一度もなかったからだ。

 すぐさまエレンを診眼で見てみたが、エレンの左目には青い光がともっている。青ならば、治るということだ。

 一時的に目がくらんだのだろうな、とファルマは納得した。



「1148年4月16日、新大陸への二度目の上陸じゃぞい」


 ジャン提督が陸地へと一歩を踏み出すと、甲板に出た船員たちの拍手がどっとわきおこった。

 出航からわずか22日、ギャバン大陸探検隊二百名の乗組員は、最速航海でギャバン大陸へ到達した。

 上陸したのは、大陸東海岸の南部地方。

 真っ白な砂のビーチの広がる砂浜の奥には、豊かな森林地帯と植生が広がっている。まさに新天地といった趣だ。


「ここがギャバン大陸ですね……本当に着いたんですよね……」


 低血圧で干物のようになったクララが、何とか船べりにひっかかったまま尋ねる。


「着いたのは間違いないが、その呼び方はよさんか」

「でも、そういう名前がついてしまいました」


 航海士もそっけなく返事する。ジャン提督は居心地が悪そうな顔で、


「まあいい、今夜、大陸へ電信を打ってくれ。皆心配しとるじゃろうで」

「はい。聖下もさぞやお喜びになるでしょう」

「さすがはジャン提督です。まさかここまで速い到着とは思いませんで」

「提督が指揮される船団でしたら、大船に乗った気持ちでいられます」


 船員たちはジャン提督の航海の手腕をほめそやす。

 ジャン提督への信頼が厚いのは、それなりの理由があった。

 彼は若い時分は帝国から東イドンへの最短航路をはじめて見出し、航海士としての名声を不動のものにした。新航路の開拓で帝国に莫大な利益をもたらし、東イドン会社を組織してからは植民地を狙う海賊を退け、数々の海戦にも勝利した伝説の船乗りだ。

 海賊を撃退しただけではなく、海域を荒らす大悪霊をも追い払ったという尾ひれのついた称賛はとどまるところを知らない。

 過剰な持ち上げに困った提督は、ひとまずその場にいないファルマに功績をなすりつけることにした。


「今回はなぜか魔の海域でも悪霊と遭遇せんかったし、店主さんがいろいろと立ち回ってくれたおかげもあるじゃろう」

「確かに、驚くほど直進できましたね。前回は悪霊がのさばっていたのに、好天にも恵まれましたし」

「帰りもうまくいくといいんじゃが……」


 ジャン提督はのんびりとあくびだ。

 クララも疲れた顔で上陸し、荷下ろしがはじまった。

 船団は次々に到着し、海辺には安全確保のための神術陣が敷かれ、本格的な船外活動が開始する。クララも嬉しそうにビーチに突っ伏して、砂浜で平泳ぎのような動きをした。


「はあーやっぱり陸地は最高です。砂! あー砂! これでやっと酔い止めを飲まなくてもすみますー!」

「はは、お嬢ちゃんはそれが一番じゃの!」

「帰りもあるかと思うと吐きそうですけど。おええ……」

「今日は吐かんでよかろう」


 航海の途中、無人島などにも立ち寄ることがあったが、先を急ぐあまり滞在期間は数時間という日々が続いていた。

 航海の全期間は短期間で済んだとはいえ、クララは陸地が恋しくなっていたところだ。


「じゃあ一言念押ししとかんといかんじゃろうのう」


 背の低いジャン提督は、荷箱の上によっこいしょと登ってブリーフィングを始めた。


「諸君ら、わかっておると思うが今回の旅の目的は拠点の確保、次に探検と地図作製のための測量じゃ。船上でも今後の段取りは一通り説明したが、野生動物や悪霊とは、やむを得ない場合をのぞき極力戦うでないぞ。どこに悪霊の巣窟があるかわからんからな」


 船員たちは神妙な顔をして聞いている。

 手に負えない悪霊と遭遇して、海上まで追ってこられては一巻の終わりだ。逃げ切れない。

 クララの予言では船団の全滅はない、死者は出ないといっていたが、その予言も無事を約束するものではなく、いつ瀕死の状況に陥るともしれないのだ。


「野生動物はまだしも、新大陸にはどんな悪霊がおるかわからんからの。食糧・資源探索隊、測量部隊、神術陣敷設・基地建設隊の三隊にわける。滞在期間は最大一か月じゃ、積んできた食糧だけじゃ、もたんからのう。滞在分の食糧と補給が尽きたら帰るとする。なんか質問はあるか?」

「提督!」

「はいそこっ」


 ジャン提督はあごをしゃくった。別の船の指揮官が杖を挙げていた。


「新大陸の果物や水、獣などは食べてはいけないのでしょうか。食糧を増やすことができれば滞在期間が伸ばせます」

「ばっかもーん! 出発前研修で異世界薬局の店主さんからさんざん言われとったじゃろう! 口にしていいのは本国から持ってきた食糧、神術使いの出した水、これだけじゃ! その、あーあれじゃ。未知の病原体に汚染? されとるかもしれんし? 病原体はなくとも重金属かなんかに汚染されとるかもしれんから? 難しい話はようわからん! とにかくダメなもんはダメじゃーっ!」


 ジャン提督はファルマの説明を半分ほどわかっていなかったが、現地のものは何も食べるな、と部下に指示し、ファルマの言いつけを死守するつもりだ。

 不測の事態で食料が尽きて、最終手段としての「食べられる食物の見分け方」、「飲み水の作り方マニュアル」も渡されているが、これは本当に最終手段で、基本的には絶対に飲むな食べるなと言われていた。

 毒物検出の神術が使える神術使いも同行しているが、旧大陸での神術を、新大陸でも通用するものと過信してはならないということで禁じられている。

 体を張った調査はいらない。珍しい植物や果実があれば、写真を撮り、採集して持ち帰る。

 野生動物の調査も、無理のない範囲で行う。

 ロッテが餞別に渡した火炎神術陣などを調査拠点に敷設し、最も近い水場までの測量を行う。宝石や黄金の探索も気になるが欲張りすぎてはいけない。功名心は命取りだ。


「たとえ未知のものでも、連れてきた犬に食わせてみれば毒かどうかぐらいわかるんじゃね? それより領地確保にいこうぜ。うかうかしてると、他国が来るかもしれねーぞ」


 こう言うのは、凖騎士であり、かつては女帝の小姓を務めていたノア・ル・ノートル(Noah Le Nôtre)だ。彼は偽名で乗り込んでいたが、出航して五日目ぐらいにクララに「ノートル様ですよね? 社交界でお会いしたことありますん」と即バレした。有名貴族の公子であるノアが何故危険な船旅にまぎれ込んでいるのかというと、聖帝エリザベスの密命だ。彼は秘密の任務を与えられて潜入していた。


「だーっ、話を聞いとったのか! 遅効性の毒もあるんじゃぞ。食料は、植えたものが育つまで待つんじゃ! 領地もへったくれもあるか、お前は新天地をなめとる!」

「帝国の旗を立てて、測量した場所が領土になんだろ? 急がないと先をこされるぞ」

「断言してもええが、新大陸に到達したのはわしら以外にはおらん! そんな航海技術を持つ国なんてありゃあせんのじゃ」

「わっかんねーだろうがよ!」


 ジャン提督とお互いに言い合っていたが、最後は舌戦に疲れてノアが折れた。

 それでも船員たちは平地を見繕って地道に開墾し、土壌の確認をし、神術陣で囲いを作って畑とし、本国から持ってきたマメ、カブ、マクワウリ、ミカン、りんご、オレンジなどいくつかの作物の種と苗を植えた。


「”大地の実り”」


 土属性神術使いが協力して促成栽培神術をかける。

 これらの作物を育てている間に一度本国に帰り、育ちはじめた頃に戻って安全な食料供給を賄うのだ。現地の果物は、持ち帰って研究し、毒性がないことを確認してから、次回から食べてもよい。

 ここはぐっと我慢だ。


 その夜の帝国との定期通信で、ギャバン大陸上陸の報が華々しくもたらされた。今回ばかりはモールスではなく音声通信だ。聖帝からのねぎらいの玉音を受け取った船員らは感極まっていた。

 船員たちは夜は安全のため、また悪霊との遭遇を避けるためにも、船に戻り一夜を明かす。

 夜間、船への侵入者を警戒して、すべての船室には鍵と神術陣がかけられ、交代で見張りを行った。


 翌朝は、早くから大陸の探索活動が始まった。

 そして午前中、探索開始後数時間ほどして、基地はにわかに慌ただしくなった。


「湖だ! 透明で真水の湖があったぞー!」


 探索隊が一キロほど内陸に、大きな湖を見つけて帰ってきた。

 水場があれば集落などが作れると喜んでいる。


「水場を見つけたら、発見者が名前をつけていいっていう決まりでしたよね?」


 そこで、ギャバン湖(Lac de Gabin)と命名された。


「なーんーでーそこで何でわしの名前をつけるんじゃ」

「到達地の地名はギャバン揃えにしたいと思いまして」

「揃えんでええわい!」


 しゃあしゃあとした返答に軽く嘆いていたジャン提督は、ひげをいじり回しながらあることに気づいた。


「ん? その真水っちゅーのはどーやって確認したんじゃ? まさか飲んだんじゃあるまいの?」

「えーとその、し、しぶきが口に入りまして」


 船員は苦しい言い訳を繰り出した。


「ちょっと体を洗いたくて……で、でも水浴びはいいじゃないですか!」

「その湖には危険生物はおらんのかの?」

「クロコディルが日光浴をしていましたが、神術結界で向こうへ追いやっておきました」


 大型肉食動物との遭遇に動じないあたり、頼もしい。


「人食い魚がおるかもしれん」

「水の透明度が高いので湖底までよく見えますが、クロコディル以外の大型生物はいませんでしたよ」


 護衛の神術使いが報告する。

 平民船員ならクロコダイルとの遭遇は大問題だが、神術使いが同行しているため、簡単に退けることができた。ジャン提督は押される。


「むー……水浴をするときには、容器に水をはってその中に何やら薬を入れろと書いてあるでのう。湖や川を泳ぐのは想定外じゃ」


 ジャンは眼鏡を上げ下げして、金科玉条としているファルマの「絶対順守!」メモを確認する。

 それを聞いていた随行薬師、マジョレーヌ・ポアンカレ(Marjolaine Poincaré)も口をそろえる。彼女はブリュノの高弟で、錬金術師と一級薬師の二つの資格を持っている臨床家だ。ファルマの渡航前研修を受け、ブリュノの命令で随行していた。


「ファルマ・ド・メディシス師からは、やむをえず現地の原水を利用するときは、水質検査と微生物調査が必須と言われています。浄化神術では不十分とのことで。水質検査には時間がかかります」


 しかし船員たちはマジョレーヌの話には聞く耳持たずだ。


「そんな大げさな」

「水質検査、何時間かかるんですか。待ってられません、日が暮れちまう」

「本国でだって、湖や川で泳ぐのは当たり前だ。いったい何が危険なんだ」

「毒物や重金属が含まれていたり、感染症のおそれがあります」


 なにしろ船員としての細かい規則や、締め付けが山ほどある船旅である。

 ストレス生活中の船員たちの我慢は限界に達したようだった。

 マジョレーヌは圧倒されてしどろもどろになる。 


「や、急いで検査しますから……お待ちを……」

「あーじれったい、水を飲まなければいいんだろ! 水底に真っ青な魚がたくさんいるぞ! 魚がいるってことは、安全じゃないか」

「せめて水質を調べてから!」


 船員たちはマジョレーヌの言葉も聞かず思い切り水浴びを始めた。

 おおはしゃぎで水を掛け合って白熱する船員たちは、もう止まらない。

 透明度の高く乱反射する水は、人を虜にする美しさがあり、潮風と汗でべたついた体を清めたい者も多かった。

 あわわわ、とマジョレーヌが両手を前に突き出したまま顔面蒼白になっている。

 そんな彼女に向かって、料理人は、黄金色の殻をもつ巻貝を手にしてにっこりしていた。


「見て、水底にきれいな貝がたくさんいますよ。これ、おいしいのかなあ」

「そんな素手で!」

「薬師様がたは潔癖すぎますよー。火を通せば安全! スパイスと油で炒めたら絶品ですよきっと」


 その様子を見たクララもそこはかとなく嫌な予感がして、おずおずと忠告する。


「あのそれ、触らないほうが……すごく嫌な予感がします、私の守護神がそう言っています」

「またまたー気にしすぎですよー」

「そうかなぁ……」

 

 クララと随行薬師マジョレーヌは押しが弱く、お互いに顔を見合わせて一言ずつ述べた。


「私はどうしても嫌な予感が」

「私は衛生的観点から危険だと申し上げているのに」

「もし、何かあったら」

「感染症にかかったとしても、しばらくは持ちこたえられるだけの薬は装備していますが……全員が同じ病気になることは想定されていません」


 マジョレーヌは「常備医薬品・衛生用品手帳」というものを取り出して見せた。

 クララとマジョレーヌの懸念もよそに、その日、船員たちの身に何も起こらなかった。

 大急ぎで実施した水質検査も、細菌検査も問題はなかった。


「濁度、色度、細菌の個数、水素指数、全般的に問題ありません。ファルマ師の水質指標をクリアしています」


 飲用には適さないが、生活用水としては間に合う。フィルターろ過を行えば、飲用もできる。

 マジョレーヌはすっかり安心したようだった。

 翌日も、何も起こらなかった。それどころか大っぴらに泳いでいるものも増えた。こっそりと魚を焼いて食べ始めた者も出た。ジャン提督も、「火をしっかりと通したものなら」と認めざるをえなかった。緊張の糸が切れた、そんな空気が漂う。

 誰から言い出すともなく、この湖は安全だということになりつつあった。


「この青い魚、焼いたらウロコがパリパリしてうまいですよ」

「さっ、魚は苦手ですの」


「クララさんも水浴びぐらいしたら」

「私は水属性神術で間に合ってますん」


「クララさん、クロコディルのテリーヌですよ」

「遠慮しておきますん」


 クララは頑なに断った。

 付き合いの悪いやつ、と思われようが、嫌な予感がするときは全員が同じ行動をしないほうがいい。それがクララのサバイバル術だった。

 それから一週間で、ギャバン大陸探検隊は、上陸地から南北に数キロの安全な生活圏を確保した。

 ギャバン山、ギャバン渓谷、ギャバン川、ギャバンという地名をつけまくった。

 野生動物も、発生する悪霊も、歴戦の神術使いの活躍で退けた。

 ノアはめぼしい土地を見繕っているようだった。

 着々と測量も進み、真新しい地図ができてゆく。順風満帆、船員たちも活気にみなぎっていた。

 ……たったひとりを除いて。


「守護神様の神託……外れたのかなあ……」


 日中も動悸が止まらず、旅神に祈りをささげつつ、なかなか寝つけもしなかったクララである。クララの日課といえば、「今日の運勢を占い、ジャン提督にアドバイスをする」という立派(?)な仕事だ。

 占いの効果もあってか、船員全員、さしたる怪我や病気にも見舞われていない。

 それなのにあまりにもクララが沈んでいるので、船医からは「ストレスですよ」と断定され、「だいじょうぶ? 眠れないなら睡眠薬とか抗不安薬飲む?」とマジョレーヌにそんなことも言われたが、クララは薬で解決する問題ではないとはっきり感じていた。


「ふえぇ、絶対なんかあるよう……早く帰りましょうよう……」


 クララは目じりに涙をぶら下げていた。

 とにかく、何事もなく帝都に戻りたいばかりだった。

 クララが悪夢を見て飛び起きた朝、早番で上陸した船員たちが、悲鳴を上げながら逃げ帰ってきた。


「基地に敷設していた神術陣と結界が……すべて破壊されています! 基地内にも何者かが侵入したあとが。資材が破壊されていました」

「何じゃと!」


 朝の紅茶を飲んでいたジャン提督が紅茶を吹いた。


「神術陣を退けるほどの悪霊が来たのか……⁉」


 探検隊は騒然となった。なにしろ、近くに悪霊の住処となりそうな場所はなかったし、大型の野生動物もいない、神術使いたちも特に反応を示してはいなかった。


「いや、でも悪霊ならば昼間は安全だ。神力を消費するがやむをえん、もっと強力な神術陣を展開し、基地の荷物を船に戻せ」


 ジャン提督の指示が飛んだ。随行神官、神術使いたちは結界と神術陣を張り直した。


「妙ですね。神術陣を破るほどの悪霊のはずが、気配がまったく残っていません」


 神官が首をかしげる。


「提督!」


 作業が終わりに近づいたころ、マジョレーヌが震えながら近づいてきた。捧げもった布の上に何かを載せてジャン提督に見せる。


「なんじゃ? わしゃ老眼で」

「基地の床に髪の毛が落ちていました。よくみてください」

「船員のじゃないんか?」

「真っ黒の、長い直毛です。この髪の持ち主は、我々の船にはいません……そして、動物の毛とは違う構造……人毛です」


 一同に戦慄が走った。


「ほらみろ、やっぱり他国が先回りしてんだろうがよ。どこだ? スパインか?」

 

 ノアがマジョレーヌに詰め寄るが、マジョレーヌは首を振る。

 そう、黒髪の船員は存在しないばかりか、大陸にも、どの国にも、植民地にすらも存在しない。それを説明されたとき、誰もが黙りこくるしかなかった。


「私たちが分かるのはただひとつ、犯人は悪霊ではなく、この大陸の人間だということです」


 クララはじめ船員らは震えあがった。

 ジャン提督は船員たちの動揺をよそに、きびきびと副官に指示をする。


「本国に電信を飛ばせ、人がいるとな」

「しかし、昼間は大陸間での電波が安定していません」

「今すぐだ! そして、その毛を持たせて伝書海鳥を飛ばせ。店主さんに見せるんじゃ」

「無理です、一番飛ぶ鳥を使っても、これほど遠くからは戻れません」

「できるかできんかは聞いとらん。やれ!」

「かしこまりました(Je suis à vas ordres .)」


「諸君、武器の準備を怠るな。大砲を全門、岸に向けろ。話が単純でいい。人間とやりあうに、杖はいらん」


 ジャン提督はなおも動じる様子もなく、肌身離さず持っていた腰のピストルに手をかけ、コートを羽織った。


「われら泣く子も黙る無敵艦隊。陸あれ海あれ、戦争とくりゃお手のものよ」


【謝辞】

本項の無線技術の部分は、下記の専門家にご指導、ご提案いただきました。順不同

アマチュア無線技士 アルタリウス先生

でちでち先生

工学修士・アマチュア無線技士 HODA先生

生命科学修士 坂下 明 先生

放射線治療医 不観樹 露生 先生

アマチュア無線技士 丸山 修 先生

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