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【完結済】異世界薬局(EP4)/【連載中】世界薬局(EP4.1)  作者: 高山 理図
Chapitre 7 新大陸の伝承  Légende du nouveau continent(1148年)
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7章6話 未知への出航

 1148年3月末。

 聖帝エリザベスはエンランド王国へ使者を送り、大神官が代替わりをしたことと、要請があれば悪霊の除霊に協力するという旨を伝達させた。

 しかし、悪霊の襲来危機のさなかにあるエンランド国の国王は予想通りの反応を見せた。

 神聖国とは長く敵対関係にあり、代々の大神官はエンランド王国を支配下に置こうとして幾度となく襲撃をかけてきた。時にはだまし討ちもあった。援軍とて信用はならない。

 なんとまあ、上位神官の予想したままの答えが返ってきた。

 このため、神聖国としても派兵できず静観するしかない状況になっている。

 エリザベスは前任者による風評被害だと不貞腐れたが、こればかりは仕方がない。


 とはいえエンランド王国は武力国家だが、非神術国家であるので、悪霊からの攻撃にすこぶる弱い。

 援軍を断ったエンランド王族や軍人はともかく非武装住民が心配だが、ファルマがひそかにエンランド王国の数か所に残してきた結界周辺には悪霊が発生しないことに気づいて夜間はそこへ避難しているようだったので、ファルマはせめて無防備な住民を悪霊から守るため、闇に紛れて時折結界を追加しに行ったりもした。

 

 もし、このままエンランド王国と神聖国の間で膠着状態になり身動きがとれなくなるようであれば、ファルマがエンランド国王の夢枕にでも現れて派兵を受け入れるよう囁くしかないか、とも考えている。

 幸いといってよいのか、エンランド王国も神聖国と同じ守護神を起源に持つ神話体系を信仰してはいるようで、”守護神の天啓”は奥の手として使えそうだった。

 人の信仰心につけこんで積極的に騙しに行くのは、もちろん気乗りはしなかったが。


 そんなこんなの状況に頭を悩ませつつ、療養中のナタリー・ブロンデルの近況も把握しつつ、ファルマたちがやってきたのはド・メディシス尊爵領マーセイル港、目的は出航式への参列だ。

 融解紋からすっかり解放され、ますます英気みなぎる聖帝エリザベスの勅令を受け、ジャン・アラン・ギャバン提督は予定通りギャバン大陸を目指し出航することとなった。

 二百名の乗組員で五隻の戦列艦を率い、新航路へ繰り出す。

 その名も、ギャバン大陸探検隊。

 今回は通商貿易目的ではないため帝国東イドン会社の出資ではなく、出資者はサン・フルーヴ帝国で、神聖国も支援に回り、海軍が全面に出てきている。


 ファルマらは、マーセイル領主であるブリュノらとともに出航式に参加し、船団と乗組員たちを見送ろうとしていた。神聖国で研究漬けの毎日を送っているブリュノも、この時ばかりは領主としての務めを果たすべく、神聖国からマーセイルにやってきた。

 出航式では楽団の演奏や、エリザベス聖帝の勅命状の読み上げ、ブリュノの激励、ジャン提督のあいさつなどがあった。


 ファルマは、航海中の栄養状態の改善や、水や食物の長期保管に関する技術提供、船医、薬師の教育など、この日までに全面的な支援を行っていた。

 特に感染症治療や創傷の治療に対する教育は念入りに行った。 

 異世界薬局のロングセラー商品でありジャン提督お気に入りのビタミンC配合の船乗りの飴も、ジャン提督の要請で全員に支給される予定である。これは、地球史における大航海時代、船員たちの主な死因となった壊血病を完全に予防する。


 出航式が終わったあと、顔見知りの船員たちがファルマらを囲んだ。船員たちはソワソワしている様子だ。それもそのはず、


「あれが楽しみで、早く出航したいんです」

「あれですか」

「あれ、航海中じゃなくて市販してくださいよ」


 ファルマから男性船員たちにプレゼントがあった。長期航海中にどうしても性欲を持て余すということで、男性船員から何か薬局で性欲解消グッズを作ってくれないかとせがまれていたのだが、内部にローションを充填した使い捨てで衛生的なカップを開発して、必要な人には支給することになった。このため、彼らからは大変喜ばれている。


 ジャン提督もブリュノに挨拶をした後、ファルマに近づいてきた。彼は提督の正装のジュストコール(上衣)に身を包み、ビコルヌ(二角帽)をかぶっている。

 背筋はぴんと伸ばし、ひょうひょうと歩く。


「じゃあのう、店主さん。いろいろと相談に乗ってもらって感謝じゃ、ありがとうのう」

「ジャンさん。困難の連続かと思いますが、くれぐれもお気をつけて。新大陸で危なくなったらすぐ海上に戻ってくださいね」

「うむ。逃げ足は速いつもりじゃ! わしゃあ拙速主義じゃからのう! 探検も資源の探索を欲張らず、安全な拠点が一つ二つ確保できて、除霊神術陣を敷いて補給のための算段ができればええ。じゃあ、いってくるでのう!」

「新大陸で危なくなったら、これを置くと結界ができますから」


 ファルマの後ろに控えていたロッテは、火炎神術陣を描いた使い捨ての不燃性シート数十枚と種火の入ったプレゼントをジャン提督に贈呈する。ジャン提督はロッテのはからいが意外だったのか、満面の笑みで嬉しそうに受け取った。


「これは頼もしいのう! 上陸後は平民船員も多くて銃撃ぐらいしかできんからのう、神術陣があればしばらくは悪霊を退けられるで!」


 ジャン提督が上陸するであろう新大陸の一帯には現地住民はいないが、野生動物などと遭遇する危険もある。野生動物であればまだましで、それよりなにより悪霊に遭遇する危険も存分にあった。聖帝のはからいで航海には神官を帯同させ、さらに腕利きの神術使いが同行するが、航海経験のある神術使いが少なく、船員の二割ほどしか神術使いがいない。

 そんな状態で「船の墓場」といわれる悪霊の出現スポットも通過予定。

 前回はほとんど上陸していない新大陸には、まず間違いなく悪霊が待ち構えている。

 そういった意味でも、厳しい航海になるだろう。


 今回、ファルマは航海の安全と期間短縮もはかるため、船に劇的な改良を施すよう提案した。

 まず、帆船の風力と手漕ぎのみだった推進力に、水の神術陣を船底に、風の神術陣を帆に施し、省神力で駆動する流体整流のブースト機構を追加した。

 さらにその速度に対する船底の抵抗を減少させるため、可動式の水中翼を取り付けた。

 この改装を施した後のテスト航行の結果、航行速度は現代地球の高速船と遜色のない速度をたたきだした。

 試乗したジャン提督は、そのあまりの速度に驚き「こんなに速度が出るのなら、進路を見失ったり座礁を気にせんといかん」と面食らっていた。

 ファルマとしても、無謀な技術を押し付けたくもないので、基本的には速度ブーストは緊急時にと伝えておいた。


「ブーストのための加速は神術陣を稼働させることで行いますが、そうはいっても神力切れが心配ですので、私が晶石に神力を詰めておきました。この杖を使って船に神術をかければ、神力をセーブすることができます。まず神力切れはないでしょう」


 ファルマはあらかじめジャン提督の側近の風と水属性神術使いに一本ずつ杖を贈呈している。

 そのほかにもプレゼントはあった。

 羅針盤に代わる、どんなに船が傾いても正確に方位を知ることのできるハンドベアリングコンパス。

 ループプリズム式で、正立像を得ることのできる小型双眼鏡。

 そして、ドーム状で三つの機能が圧縮されたアナログの温度、湿度、気圧計。

 これらは、マーセイル工場で組み立てられ、市販化が検討されているものだ。

 精密なものではないが、ある程度の変化が観測できればそれで目測は立つだろう。


 彼は船舶無線通信の実装も行った。

 目指すは無線通信システムを搭載した船舶と、大陸間での洋上通信だ。

 音波や電波は、波長の2乗に反比例して減衰する。

 同じ出力であれば、長波ほど電波は遠くに届くということになる……普通はそう考えられるのだが、短波は、電波を反射する性質を持つ大気上層の電離層での反射を利用し、地平線の向こうまで届かせることができるため、長距離通信に向いている。ちなみに、この世界の大気圏に電離層があるのかないのか、先に確認は怠らなかった。

 地球史を振り返れば、1902年、ノーベル物理学賞受賞者でありイタリア人グリエルモ・マルコーニによりイギリスとアメリカ間をつなぐ大西洋大陸間横断無線通信が確立している。当時の技術としては洋上基地局をリレーして行われたらしい。


 無線通信に最低限必要なものは、送信機と電源、そして検波器と復調回路を含む受信機である。

 ファルマは電子工学の基礎的な知識を持ってはいたものの、うろ覚えでは事故につながると考え、必要な情報はネットで確認しながら作業をすすめた。

 レトロな電子工作が趣味の大人たちのおかげで、この異世界でも作れそうな送信機の回路図などは手に入れることができたし、真空管の作り方は探せばどこにでも載っていた。

 コンデンサも山ほど自作して、静電容量をはかるためのテスターは研究室から持ち出してきていたので、それで容量値を計測した。銅線の被覆も、器用なことはできないのでゴム管に銅線を通し、ゴムの保護のために布を巻いていった。見てくれはコタツ線のようである。

 真空管は割れないガラスを制作できるメロディとともに、彼女の工房で制作した。

 フィラメントやプレートの素材は物質創造で作り出せたので、それを加工する。三極真空管トライオードのヒーターに橙色の光がともるのをみて、どことなく温かく、郷愁のようなものを感じた。

 電源は、以前風力発電をしたときのノウハウを生かし、ファラデーの電磁誘導を利用し、誘導コイルを機械的に回転させることにより起電力を発生させる発電機を試作して……はみたものの、真空管を含む回路では電力消費が大きく、どうにも安定した送信をすることができなかった。


 となると、バッテリー火災や海水などが怖くもあるが、単セルあたり2V程度の鉛蓄電池を作製し、それを数台直列につないで電源として主に使用し、風力蓄電を併用することにした。こちらも電解液、正極と負極の酸化鉛と鉛などはファルマの物質創造で作ることができた。

 送信機の性能としては、あまり複雑なことは要求しておらず、最低限海難信号を送信できればいいと考えていた。

 受信機側はPCでラジオ視聴できるので、短波受信でき、なおかつ自作できるループアンテナの情報をネットで取り寄せながら作成し、短波用の同調・復調回路を作ってPCに接続する。

 と同時に、普及用としてゲルマニウムラジオも作った。これは、ファルマが物質創造で生み出せる半導体であるゲルマニウムを材料とするゲルマニウムダイオード、を用いた電源不要の構造が単純なラジオだ。

 不純物混入の許されないゲルマニウムダイオードまでせっせと無心になって作ったのだが、よく考えたらあれだけ苦労して送信機に真空管を取り付けなくても、ゲルマニウムダイオードを使えばよかったのかな、と気付くのは出発直前のことである。

 ゲルマニウムラジオは単純な回路であるため、材料さえ揃えば製作にはそれほど苦労せずに、十分少々でできた。


 苦心してできた送受信機のテストも行った。

 エレンとパッレに協力してもらって、ファルマがギャバン大陸に送信機と受信機を持って渡り、大陸間で何度かの送受信テストにも成功した。

 予想していた通り、短波を用いた通信なので、夜間のほうが感度よく通信できた。

 なにしろこの異世界で電波を使って通信をしているのがファルマたちだけという最高に贅沢な電波状況なので、周波数も帯域も使いたい放題である。

 どんな雑音でも人工的な電波の発信があればファルマ宛てだと思ってよく、救難信号が発信されればすぐ飛んで行ってよい。という、とんでもなく低いハードルをクリアした。

 エレンは「いったいどこから電波を送ってきたの?」と尋ねたが、「それなりに遠くから」と答えるにとどまった。ファルマが大陸を渡って安全確認や下見に行っているということは、誰にも話してはいなかった。

 こうして送信も受信も可能となった無線通信は、ファルマが専門に訓練した乗組員に任せることにした。受信機は、サン・フルーヴ海軍にも数台持っていてもらい、シフト制で通信を聞いていてもらうことにした。


 無線の問題はクリア。

 船は無線電波を送信でき、受信機も持っていく。

 ファルマが台風などの接近を空から観測できれば、大陸側から船に知らせることもできる。とはいえ急な天気の変化で海難事故になり、海難信号を受けてから場所を探索するにはそれなりに時間がかかる。船団全てが一斉に転覆することはないだろうが、嵐に飲み込まれればありえないとも言い切れない。

 そこで検討はしたものの、実現はしそうになかったものは天気予報だ。

 現代地球で天気予報というとスパコンでの数値予測を利用して行うもので、一週間ほどの気象予測は可能だが、ファルマにもこの世界の天気予報は出せない。

 研究室から持ち帰ってきたPCでの解析では話にならないし、そもそも計算できるだけの知識もない。現代でもスパコンで計算しているものが、各種数値を船上で観測し、そのデータに基づいたアナログ計算では、なおさらのこと予測は難しく、翌日までが限界のようである。

 しかも船の装備は、無線はあるものの、せいぜい近世の水準だ。

 それでも、気象予測ができればはるかに命を守れる可能性は高まる。

 航海士には気圧や流体力学の概念を教え、実際の海域の雲の動きなどを観測し、気圧や湿度の下降を検知して低気圧の接近を知るなど、ファルマとしては海難事故を防ぐべくできる範囲の教育をした。


 その他のサポートについてだが、魔の三角海域に棲まう悪霊は念入りに駆逐しておいたし、しばらく悪霊の発生もなさそうだ。

 上空から見える限りの座礁しそうな大きな岩礁も物質消去で削ったり消して、広範囲にわたるものは海図に追記しておいた。

 あまりの念の入れように、エレンに「お母さんじゃないんだから! 神術使いも乗船するんだし悪霊くらい何とかするでしょ」とあきれられたものである。

 エレンに笑われそうだが、それでも心配なので、ファルマが上空から時々船団の無事を見守るつもりでいる。


「何をどうしてくれたのか、完全には把握しとらんが、船員から話は聞いとる。わしがおぬしに相談を持ち掛けたばかりに、煩わせてすまんかったのう」


 ジャン提督はあまりにも手厚すぎるというか、なんなら度が過ぎるほど過保護ともいえるファルマの対策に申し訳なさそうにぽりぽりと頬をかいていた。 


「おかげさまで、という以外にないのー。子供なのに発明家とは大したもんじゃ」

「私の発明ではありませんので、先人の知恵を拝借したにすぎません」

「いやあ、そういう謙遜はなしじゃ。昔から知っとったがのう、そうやってすーぐ自分の功績を隠すんじゃ! だいたい、知識があったとしても、手を動かして形にしたのはお前さんじゃろう」

 

 ジャン提督はわかっとる、わかっとるとファルマの肩をぽんぽんとやって頷いた。


「一回行った航路じゃから、そんなに心配せんでええ」

「皆さんの命がかかっていますから、今回は念には念を入れて」


 まあ、何かあったら年寄りは死にかねんからのう、とジャン提督はブラック気味のジョークを飛ばす。


「これだけ尽力してくれたおぬしと聖下には、吉報を持って帰らんといかんのう。砂金でも出りゃいいんじゃが、まあそううまくもいかんじゃろう。期待せずまっとれ」

「何か珍しいものがあっても、あまり持って帰りすぎないでください、積み荷が多くなると転覆が心配です。検疫も必要ですし、途中の航海で感染が発生してもいけません」

「そうじゃのう、欲をかかんようにするわい!」


 ジャン提督はおおらかに笑って立ち去っていった。ファルマはロッテとともに、出発を間近に控え先ほどから出航所のベンチに座って浮かない顔でどんよりしていたクララにも声をかける。

 クララは男装に近いパンツスタイルで、船上でも動きやすい服装にしているようだ。


「クララさんも、ご気分はどうです?」

「薬師様からいただいた酔いどめのお薬があるので幾分気は楽ですわ。しかし何度予知しても波乱含みになりそうなのですん……」

「船酔い対策としては、よく寝ること、酔いそうになったら甲板に出ること、そして進行方向を見ていることですよ。それに、ジャンさんが言っていましたが、航海中に慣れて船酔いしなくなってくるようです」

「お心遣い、ありがとうございますん」


 彼女は船隊に同行する、旅神を守護神に持つ予知能力系の神術使いである。

 船酔いが深刻だというので、ファルマのほうからは、吐き気に困らないよう酔い止めを出しておいた。さらに、彼女にはもう一つ薬が出されていた。


「あちらのお薬も、助かりましたわ。毎月のあれが軽くなり、あれも少なくなりましたん」

「ああ、あの薬であれがあれになったのですね。期待通りの効果です」


 ファルマが処方したのは、低用量ピルだ。

 低用量ピルにはエストロゲンとプロゲステロンなどの女性ホルモンが含まれており、脳に、女性の体が妊娠をしていると誤認識させる。その結果、ピルを飲んでいる間は脳下垂体から卵巣に排卵を促す信号が発せられるのを抑え、子宮内膜の増殖を抑えることができ、生理を少量にし、PMS(月経前症候群)を防ぐことができるばかりか、卵巣癌、子宮体癌を防ぐ効果もある。

 クララは睡眠障害、下腹部痛、乳房の張り、抑うつなどの情緒不安定などのPMSや、子宮が収縮することによっておこる生理痛が深刻だった。

 しかしピルを飲むことにより、この不快症状がなくなり、出血も少しで済むようになったという。航海での不便が少し解消されそうだ、と彼女は喜んでいた。

 ちなみに、女性乗組員全員になのだが、長期航海で不自由しないだけの下着や生理用品も薬局からプレゼントしている。


 思い返してみれば、地球の先進国では女性の低用量ピルの使用頻度は高いものの、日本での使用率は数パーセントにとどまっている。排卵を抑制するピルには避妊効果があるため、PMSや生理痛の軽減などの治療薬、としての効果があまり知られておらず、ピルを飲むことに偏見や誤解が根強いのだが、緊急避妊薬として、性行為後72時間以内に服用する、望まない妊娠を防ぐアフターピルとは違う。

 よって、クララのような少女でも性行為などとは関係なく低用量ピルを飲むことがある。

 この点は社会の理解が必要な問題だったな、とファルマは思い起こす。

 

「ところで前は、クララさんの予言によると船員が骸骨のように見えると言っておられましたが、今は誰も骸骨のようには見えないんですよね?」

「はい、もう問題ありませんわ。航海中の問題は解決したのだと思われます」

「それはよかった。全員戻ってこれるということですよね」


 彼女に言わせれば予知の結果はあまり芳しくなさそうだが、少なくとも死者は出ないことはわかっているらしい。


「でも……こう言ってはなんですけど、大陸で薬師様ともう一度お会いしそうな予感がしますん。そんなわけありませんよね」

「いやー……どうですかね」


(俺が大陸に行くことになる……ってことは、大陸に到着した後に救助が必要になるってことかな)

 

 ファルマはクララの話を聞いて渋い顔つきになる。

 数百人規模での救助が必要となったら。船が操舵不能になったり、船が破壊されてしまったら……ファルマ一人でなんとかできるものとも思えない。薬神杖で飛翔して連れ帰ったとしても、運べるのは数人がいいところ。全員は無理だ。

 物質創造で大陸に安全なシェルターを作ったり、傷病者の治療などは現地でできるだろうが、それが限界である。

 そして、クララの予言は今のところ外れなしときている。


(救援方法を本気で考えておかないとな)


 内心胸騒ぎのするファルマだったが、まさに船出を迎えたクララを不安にさせないように微笑んだ。


「救難信号が出れば、いつでも助けに行く予定です」

「無理だとわかっていても、そう言ってもらえるだけで、嬉しいです」


 ともあれ、ファルマはすっかり出発の準備を終えた彼らを激励する。

 ロッテが応援の横断幕を作って掲げていた。


「皆さんが元気で、予定より早く戻れるように願っています」


 いよいよ出航の時間となり、満艦飾の旗(Pavois)で飾った美しい五隻の大型帆船は出港前の最後のセレモニーとして、提督の命令で乗組員はマストをかけ上り、ヤードに等間隔に並んで片手をあげ、声をそろえ別れの挨拶を述べた。


(登檣礼ってやつかな?)


 地球でいえば、乗組員をマストに引き上げることにより砲撃などの準備をしていないことを示す、帆船の最高儀礼である。

 それは壮観で、ファルマも彼らの無事を願うとともに、こみあげてくるものがあった。

 登檣礼を終えた乗組員たちは、帆走のために総帆展帆の準備を行おうとしていた。

 のだが、いよいよ出発というときになって、航海士の予想と異なり、風がだんだんと弱くなってきた。


(あれ? 俺のせいか?)


 ときに神力だまりを発生させるファルマの神力は気象や気圧に影響することもあり、風の読みが外れたのだろうと思われる。

 気圧配置にもよるが、基本的には、晴れ男というか、天気がよくなる傾向にある。


「まあ、しょうがないのう」


 ジャン提督の顔が曇り始めたとき、責任を感じたファルマが声をかける。


「ジャンさん、針路を見せて下さい」

「ん? 何をするんじゃ? これじゃが」


 航路の選定はすでに終わっており、本日の針路設定も整っている。


「帆はたたんでいて結構ですよ、そちらのほうがスピードが出ますから。しばらく先までは海流でお送りしましょう、夕方から夜にかけ天気が崩れるかもしれませんので、日中に安全な海域まで到達できますように。進路はあちらで、直進でよろしいですね」

「お、おう。何をするんじゃ」


 ファルマは杖を出して構え、人目があるのでよそいきの発動詠唱を行い、海上に水の超大型神術陣を立ち上げた。

 出航式に参列した来賓と言葉を交わしていたブリュノは、神力の昂揚に驚いてファルマの方を一瞥したが、制止はしないようだった。


「おおーー⁉」

「神術で海流を作ってくれるんか。そりゃー何もせんで助かるで!」

「いや、ちょ、何この神術陣⁉ 神術陣って海上に展開できるのかよ」

「氷だ! 氷で編んでるんだ」


 船員たちや、見送りの人々から驚きと歓声が上がる。


「では、みなさんごきげんよう」


 ファルマが五隻の船団を水流に乗せて押し出すようにすると、船は海上を滑りはじめた。


「行ってきますわー!」

「皆、たっしゃでのーう!」


 クララは大きく手を振り、甲板に総員整列していた乗組員も、帽を振って出航する。

 船は紙テープをたなびかせてあっという間に遠ざかって豆粒のようになり、ファルマらは笑って帽子を脱ぎ大きくふって見送った。ロッテがおそるおそるファルマに声をかける。


「今の神術陣すごいです! 水上に展開する神術陣だなんて、見たことも聞いたこともなくて! しかも、紋は風の神術陣でしたよね⁉」

「氷で陣形を編めば水の上にも好きな図柄が描けるからね。水も風も同じ流体だから、同じ陣形で制御できると思って練習してたんだ」


 神術陣に興味津々のロッテのことである。

 ファルマの使う神術陣は、現在普及していないものばかりで、全てが新しい図柄に見えるらしい。ファルマとしては、神術陣の紋様はどれもこれも自分で編み出したものではなく、神聖国禁書庫司書のリアラの援けを借りて情報を取り寄せ、現代によみがえらせたものばかりだ。ファルマは、せっかく使えるものを使わないのは勿体ないということで、神力を消費する以外にデメリットのない神術は、当面利用してゆく、という方針をとっていた。

 というわけで、誰も見たことのない古典術式を使うファルマの神術は、ロッテにとっては常に新鮮にうつるようだ。


「ほわー、不思議がいっぱいです。でもどこで練習していたんですか? 海とか、お出かけになっていませんよね?」

「ナタリーの看護をしている合間に、病室から窓をあけて大学の噴水池で練習してた」

「ああっ、それで大学の噴水が凄い綺麗な動きしてたんですか!」


 宮殿に出勤する際に大学を通りぬけてゆくロッテは、それを見てどんな仕掛けかと驚いたという。


「隙間時間は有効に使わないとね。そう思って」

「時間は有効に、ですか」

「時間は大事だよ、一番といっていいほど大事だ」

「それでしたら、ファルマ様が次に考えていること、当ててみせますよ」


 ロッテがうきうきしながら話しかける。今にも小躍りしてしまいそうだ。


「なにかな」

「大陸中に無線通信を引いて、あらゆる国と連絡がとれればいいと思っていますよね! そういうことですよね!」

「思ってもみなかったな」

「違ったんですか?」

「医療分野以外の応用には、頭がまわらないみたいだ」

「ファルマ様らしいです」


 ファルマは医学薬学分野以外の技術を性急に普及してゆくべきだとは考えていなかった。しかしそれは、ロッテの言う通り、同軸でやるべきだ。そして、無線だけでなく、神術経路は光ファイバーのように使うことができる。電線を敷設する必要がないのだ。神術と科学技術の融合も考えてゆかなければならない。


「基盤を整備するところまではして、通信技術の改良などはほかの人々に任せよう」


 ファルマはしっかりと頷いて帽子をかぶり、空を見上げる。ロッテもつられて空を見る。

 ふわりと海風に弄ばれた髪をかきあげたロッテの手首には、今月の彼女の誕生日にファルマがロッテに贈った、悪霊除けの清楚な晶石のついたブレスレットがさりげなく輝いていた。


「今夜はお星さまがたくさん見えますかね」


 よく晴れた夜空のもと、午後九時にはゲルマニウムラジオに航海第一日目の無事を告げる船舶無線通信が入るだろう。

 遠く離れていても、人と人とが繋がり無事を確認できる。

 そんな技術が海を越えようとしていた。


【謝辞】

・本項の天気予報の部分は、

 気象予報士 あわ みかわ先生

・無線通信の部分は

 工学修士 赤間 道岳 先生

 アマチュア無線技士 丸山 修 先生

 生命科学修士 坂下 明 先生

 放射線治療医 不観樹 露生 先生

 に、ご指導いただきました。どうもありがとうございました。


◆漫画版の医学考証をしてくださっている中崎実先生が、漫画版医学考証ブログを書いてくださいました(もくじにもリンクあります)

URL https://note.mu/m_nakazaki/n/n6b62a69f26e1

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