124 一歩の前進
交際をし始めて一ヶ月。
未だに自らキスすらしていない周は、真昼とどう触れ合っていいのか分からなかった。
手を繋いだり抱き締めたりはしているものの、それ以降に進まない。
先日なんて上半身裸で抱き締めた癖に何もしなかったので、樹に聞かれれば笑われる事間違いなしである。
(……こんな有り様で本当に先に進めるのだろうか)
ベッドに横になったまま、腕で目元を隠すように押さえる。
休日の昼間からベッドでごろごろしているのは、真昼が今日は夕方から来るからだ。真昼が居ないとだらけがちな周は、本日は朝食と昼食をまとめて食べてそのままベッドにダイブしてだらけている。
普段昼から来がちな真昼が今日夕方からくる予定なのは、先日の日を改めてなら触ってもいい発言を意識しているのかもしれない。
結局あの日の翌日は恥ずかしがってぎこちない態度になって終始もじもじしていたし、おそらくそのせいだろう。
(……あの時、もう少し押せたら)
もう少し勇気を出していたら、体を重ねる事はなくてもキスは出来たのかもしれない。
周も男子高校生なのでそれなりに欲求はあるし、好きな相手とキスしたいと思う事は多々ある。
ただ、その欲求が口や行動に出ない。
出来るものなら当然最後までは行かずとも体に触れたいし、 キスも好きなだけしたいのだ。
ただ、真昼が嫌がりそうで出来ないし、歯止めがきかなくなっても困るので中々踏み出せないままである。
(真昼は、触ってもいいって意思表示はしていたけどさ)
いつ触っていいのか、とか、どこまで触っていいのか、とか、その辺りを考えると迂闊に出来ない。
自分でも不甲斐ないと思っているし正直へたれていると思うのだが、どうしようもなかった。
(もう少し、大胆になれたら)
そうしたら、恋人らしい事も出来るのだろうか――そんな事を考えながら、はぁとため息をついて腕で光を遮ったまま瞳を閉じた。
「……周くん、お腹出してると風邪引きますよ」
聞き慣れた鈴の音のような声に、意識が引っ張り上げられる。
重い目蓋をこじ開けるように持ち上げれば、ぼんやりとした視界に亜麻色のカーテンが映る。
そのカーテンの持ち主であり、本来ここには居ない筈の真昼が、ベッドに片膝をついて周を覗き込むように顔を近づけていた。
(……まひる)
緩い意識で最愛の少女を見た周は、ゆっくりと真昼に手を伸ばす。
本人からすればなんて事のない、真昼の温もりがほしいがゆえの行動だった。
寝惚けているためか遠慮なく真昼に触れて引き寄せる。
当然、急に掴まれた挙げ句引っ張られた真昼は「きゃっ」と可愛らしく悲鳴を上げて周の上にのし掛かるようにして倒れ込んできた。
柔らかくほどよく重みのある体を確かめて、周はそのまま向きを変えるようにして一緒にベッドに転がる。
「……あ、あの、周くん……?」
腕の中で困惑するような気配と声がしたが、周は欠伸をしながら温もりを感じるように顔を真昼に近付けた。
起きているのも億劫で、瞳を閉じつつ愛しい少女の体に顔を埋める。
触れた感覚的に、首筋辺りだろうか。
息をすればミルクのようなほんのりと甘い真昼本来の香りが鼻腔に流れ込んできて、なんとも心地よい気分になる。
甘いものはそう好きという訳でもない周でも魅力的で美味しそうに感じる香りに、思わずかぷりと歯を立てた。
「きゃっ!?」
強く噛んだ訳ではなく、あくまで押し当てた程度だったが、裏返ったか細い声が響く。
その声すら心地よく聞こえた。
ぺろりと舐めても特に甘い訳ではなく、滑らかな感触とほどよい柔らかさを感じるだけだったが、甘美に思えてしまうのは真昼だからだろうか。
「あ、周くん、寝ぼけてますよね……?」
「……んー」
「もう……っ!」
ちゅっと皮膚に吸い付いたところで、思い切り背中に衝撃を受けた。
痛くはなかったものの思い切り揺さぶるように叩かれたので、頭が揺れて真昼からやや体が離れる。
ぱちりと大きく瞬いて真昼に視線の焦点を合わせると、真っ赤な顔と涙目でこちらを軽く睨む真昼が居た。
真っ白な首筋を降りて、ちょうど首の付け根の所に、小指の爪のサイズほどの赤い点が落ちている。
「……真昼?」
「おはようございます。……寝ぼけているみたいでしたけど、目が覚めましたか」
些かトゲの強い声で言われ、それから改めて自分の居場所と体勢と真昼との距離を考えて、固まった。
ようやく頭が完全覚醒して状況を把握したが、非常にまずい状態ではないだろうか。
寝ぼけて彼女とはいえ、女性をベッドに引きずり込んで触って首に噛み付いたのだ。流石の真昼も不快だったかもしれない。
まだ腕の中に居る真昼は、嫌そうにはしてないが真っ赤な顔で周をやや睨んでいる。
「あのですね周くん。そ、そういう触り方をされるのは、困ります」
「誠に申し訳ありません」
「……痕、ついてますか」
唇を押し当てた場所をなぞる真昼に、しまったと遅れて後悔がやってくる。
真昼は夏でもきっちり首元までボタンを閉めるので見える場所ではないが、首の根本なので着替えの際に見えてしまう可能性がある。見つかれば千歳にからかわれるに違いない。
「その、誠に申し訳ないのですがついてます」
「……ばか」
拗ねたように小さく罵られたが、怒りはこもっていない。
「せ、せめて見えないところならまだしも、何でここにしたんですか……」
周もなぜ真昼にセクハラもどきをしたのかが分からない。
確かに、真昼に触れたいし恋人らしいことをしたいとは望んでいたが、嫌がられてまでしたい訳ではないし、強引にするのはポリシーに反している。
それでも寝ぼけてしたという事は、無意識に求めていた……欲求不満というものかもしれない。
もしもっと積極的に真昼の体に触れていたらと思うと、自分の欲が怖くなった。
「その、ごめんな。今度から気を付けるから。不快な思いさせたくないし」
「ふ、不快とまでは言ってません! そ、その、はずかしい、ですけど、やじゃないです、し」
「そういう事言うから調子に乗るんだぞ」
そんな事を言われたらまたその白い首筋に吸い付きたくなるのでやめてほしかった。
全力で愛でたら真昼が沸騰しそうであるし、周も歯止めがきかなくなりそうで怖い。
湧き上がってくる衝動を押し留めつつ真昼ごと体を起こすと、真昼はもたれるように周に身を寄せる。
「真昼、色々と困るから離れてくれた方が」
言葉は最後まで言い切れなかった。
肩を生暖かい吐息が撫でたと思ったら、次の瞬間にはチリっとした僅かな痛みが走ったからである。
は、と息をつまらせて温もりの方を見ると、真昼が肩から顔を離して上気した頬も隠そうとせずこちらを見上げてくるところだった。
「……一回は一回、という事で」
羞恥に震える声で呟いて瞳を伏せた真昼に、周はもう限界で小さな体をかき抱く。
柔らかさも甘い香りも温もりも全部この腕の中にある、と考えてしまうと、我慢出来なかった。
驚いて顔を上げた真昼の頬に唇を押し付けると、ぽっと薔薇が咲く。
すぐに離したので目が合うのだが、真昼はカラメル色の瞳をこれでもかと見開いていた。
「……周くん」
「うるさい」
「まだ何も言ってません」
「……嫌なら突き飛ばしてくれ」
頬とはいえ勝手にキスしたので、嫌なら当分しないつもりだったが……真昼は横に首を振った。
「嫌な訳ないでしょうに。……その、嬉しいです」
照れつつもへにゃ、とふやけたような笑みを浮かべた真昼に、周はたまらずもう一度頬に唇を寄せて「可愛いやつめ」とうめくように呟いた。