千五百七十八年 五月中旬
才蔵が勝利した真壁氏幹との一騎打ちは、その結果に注目していた国人の動向も相まって、瞬く間に東国全体へと広まっていった。
氏幹が敗北したことにより、佐竹はもとより里見すらも織田の軍門に下るかもしれないという状況となり、北条は更に苦境に立たされることとなる。
また氏幹本人の容体は、レントゲン撮影など望めないため触診と本人からの問診により、上前腸骨棘の亀裂骨折と診断された。
上前腸骨棘とは、腰に手を当てた際に感じることが出来る部位であり、外科的に金属ボルトで固定するなどの処置が望めない以上は極力固定して自然治癒を待つしかない。
そして治った処で以前のような戦働きが出来るかは判らないと告げられた氏幹は、真壁家の家督を実弟である義幹の子、房幹へと譲ることに決めた。
こうして当主としての役目を果たした氏幹は、才蔵との約束を守るため傷の治療に挑むこととなる。
これは氏幹に嗣子(家を継ぐ子息、跡取りという意味)が居ないこと及び、弟が別に家を興していることに起因する。
とはいえ房幹は未だ若く、後見人には親である義幹が就いて支えることになった。これだけならば単なる真壁家の世代交代に過ぎないのだが、影響はここで収まらなかった。
まず一騎打ち実現の条件通りに佐竹氏一門が降伏することで纏まった。両家が揃っていてさえ劣勢だった里見側も、ことがここに及んでは勝ち目なしと諦めたのか和睦へと傾く。
双方が織田に下ることで意思統一が為されれば話は早い。最早北条に阿る必要は無いと断じられ、堂々と才蔵へと降伏の使者が遣わされ、才蔵経由で信忠へと伝えられた結果、これが受け入れられた。
講和の条件については追々話し合われるのだろうが、これで北条は東国に於いて孤立することとなった。
一方、東北では伊達家が躍進を続けていた。蘆名はほぼ併呑されてしまい、今は残党が散発的な抵抗を続けている。
最上は善戦しているものの、最上家内の親伊達派たちが妨害をしているため、徐々に戦況は悪化していった。
これらのことから蘆名も最上も北条に援軍を出せるような余裕は無い。
最早関東の覇者という言葉が空しくなるほど、北条は追い込まれていた。仮に織田家の調略が成功することなく、東北勢が一致団結して織田軍を挟み撃ちにしていれば勝機もあったのだろう。
現時点での東国は孤立した北条を織田家の勢力が取り囲んでおり、織田包囲網どころか北条が逆に包囲されてしまっていた。
「コレさえあれば織田とも伍することが出来るのだ! 難攻不落の小田原城と、新火縄銃さえ有れば北条は負けぬ!」
未だ籠城を続ける北条は刻一刻と悪くなる状況を肌身に感じていた。それでも関東の覇者という矜持と、旧式の物とは比べ物にならない性能の新火縄銃が彼らの目を曇らせていた。
じり貧状態に陥った北条に、時は味方してくれない。次々に支城を奪われ、家臣たちは劣勢からくる焦りで衝突を繰り返す。
難攻不落の小田原城を核とした先祖伝来の戦術は、既に崩壊しつつある。それでも敗北が北条の滅亡を意味している状況で、現実を直視出来るものは居なかった。
逆に信忠を総大将に据える東国征伐軍は勢いづいていた。
八王子城に続いて滝山城、津久井城(筑井城とも言う)、河越城、小机城、足柄城に韮山城まで、小田原城を支える重要な支城を次々と攻め落とす。
いずれも名のある城だけに、その防御性能には定評がある支城だったのだが、織田軍の軍備性能と圧倒的物量の前に櫛の歯が欠けるように落城していった。
房総半島を支配下に置いた信忠が静子麾下の兵站を利用することで、絶え間なく攻め続けることが可能となった織田軍は破竹の勢いで進軍する。
心配していた残雪も五月に入ると溶け失せた。やや肌寒い日が続いてはいるものの、充分に春の範疇と言える気候だ。
要するに織田軍の進撃を阻むものは何一つなく、長期間北条を包囲しているにも拘わらず末端の兵に至るまで意気軒昂であった。
戦況は好調であり気候も暖かくなりつつある。更には兵員や物資も潤沢にあるため北条方とは対称的に余裕すら見られる。
対する北条は、敵が越冬して攻囲を続けるという経験が少ないためか動揺が著しい。飛び込んでくるのは凶報ばかりであり、誰かが急に裏切るのでは無いかと疑心暗鬼になっていた。
それでも何とか籠城を続けられているのは、新火縄銃という希望に加えて、かの武田や上杉ですら攻め落とすことが出来ずに撤退したという過去の栄光に拠るものだった。
「例の銃が手に入ったというのは真か!?」
兵站の拠点を八王子城まで押し上げた信忠は、前線より齎された一報に飛びついた。遂に北条方の内通者より横流しされた新火縄銃の数丁が、八王子城まで届けられたのだ。
北条としても虎の子の新兵器であるため、徹底した管理体制を敷いてはいたのだが、戦況が日々悪くなる状況下ではそれを手土産に寝返ろうとする不届き者も現れよう。
どのようにして盗み出したのかは判らないものの、北条が希望の星としている新火縄銃一丁、及びその銃弾十数発が信忠の目の前にあった。
他の新火縄銃については信忠に帯同している技術班が既に分解し、その構造及び性能について分析を始めている。
現時点で判明している事実としては、これが最新モデルかどうかは判らない。銃身には腔旋(ライフリングのこと)が切られておらず、特殊な加工が施された銃弾を従来の黒色火薬で撃ちだすといったものだ。
銃身の幅ギリギリ一杯の弾丸に、緩い螺旋状の浅い溝が刻まれており、火薬の爆発によって僅かに回転しながら銃弾が発射される仕組みのようだ。
銃弾の材質が鉛であるため、加工は容易なのだろうが回転力を得ようとすれば一発撃つごとに銃身に溶けた鉛がこびりつき、掃除をしない限り再発射が出来ない有様だ。
運搬中などに銃弾が変形してしまえば、そもそも銃弾を装填することすら出来ない可能性まである。
更には銃身の清掃が充分で無ければ暴発の可能性も高く、織田軍の新式銃と比べれば著しく性能で劣ると言わざるを得ない。
「新式銃の情報が少ない中で、よくぞこれだけの物を作り上げたものだ。鉄砲が日ノ本に伝来していかばかりか……恐ろしい進歩を見せている。足満殿が開発中の火薬を用いれば、更なる飛躍が出来ると聞いて背筋が寒くなるな」
足満が開発中の火薬とは、無煙火薬の一種であるコルダイト火薬である。更には銃弾にも工夫が予定されており、所謂完全被甲弾だ。
銃弾を弾芯と被甲の2パーツに分離し、鉛合金の弾芯を銅合金の被甲で覆うことで一体とする構造を取る。
熱や摩擦に弱い鉛合金が被覆されることで銃身に溶けた鉛合金が付着するのを防ぎ、銃身の清掃間隔を伸ばすことが出来るのだ。
これらは単発式の新式銃に於いてはそれほど画期的な性能を発揮しないが、現在開発中の連発銃に於いては比類なき力を示すことになる。
「いずれにせよ北条は詰んでいる。問題は東国征伐後だが……父上や静子が何も語らぬのが気にかかる。何も教えられないことに一抹の不安があるが、今は気にしても仕方ないか」
信長が北条征伐後の関東をどうするかについて、静子と計画を練っているであろうことを信忠は知っていた。
未だ北条との雌雄を決してはいないのだが、信長は既に勝利が確定したものとして動いている。それについては静子も同様であり、駿河国を確保するよう進言していた。
(まあ、静子の目指すところが判らぬのはいつもの事だが、父上までが黙しておられるのが気にかかる。しかし、二人ともいくさを始める前より入念な計画を立て、開戦後はその確認作業だと言って憚らぬゆえ心配は要らぬのだろうが……)
臆病ゆえに用意周到な彼女が、何の根拠もなく飛び地となる駿河国を欲しがる道理は無い。静子や信長と知見を共有できないのをもどかしく思うと共に、もっと勉学に励むべきであったと後悔することになった。
信忠自身としては限られた時間の中で、己にとって重要と思われることに時間を費やしてきたつもりだが、神ならぬ身である以上はどうしても取りこぼしが出てしまう。
俗にいうところの『隣の芝生は青く見える』なのだが、若い信忠にとっては割り切れることでは無かった。
「まったく……屋敷での姿を見れば抜けているように見えるが、いざとなれば天下を議論できる智慧を示すのだから、皆があいつをいくさ場に出したがらない訳だ」
静子は洗練された義務教育及び高等教育の触りを学んでおり、彼女自身が考えているよりも広範の知識を深く身に着けている。
静子が運営する学校のお陰で、読み書きそろばん以上の高等教育を施すことが可能となってきてはいるが、それでも静子が身に着けている知識には遠く及ばないのが実情である。
ゆえに静子は前線に立たせるよりも、後方に控えてくれている方が安心できるというものだ。静子が居れば、明日は今日よりも更に良い日になると信じることが出来る。
静子を後方に留め置くために、いつか自分たちが命を捨てねばならない時が来ることもあるだろう。そんな時でさえ静子を恨む気にはなれそうもない。
己の命が潰えたとて、静子が居てくれれば己の意思を未来へと正しく繋げてくれると信じることが出来るからだ。
「ふっ……臣下は俺のことを静子のように思ってくれるだろうか? 俺も自身は命を惜しみ、配下を死地に追いやる役目を負っているからな」
苦笑しながら信忠は思う。せめて自身に未来を託して死んでいった者が、後悔しないような男になりたいと。
最前線で信忠が東国征伐後に思いを馳せている頃、尾張に根を張った静子は頭を悩ませていた。中でも喫緊の課題としているのが、負傷兵の死亡率であった。
基本的にいくさ場で即死するケースは意外に少ない。いくさで負った怪我や病気が元で後に死に至るケースが圧倒的に多いというのが現実だ。
史実に於ける『第四次川中島の合戦』では武田側が約四千人、上杉側が約三千人の戦死者を出したと言われている。
しかし、往々にしてこういった数値は戦果を誇るために誇張されやすく、実際には多く見積もっても発表された値の20パーセント程度だろうと推測される。
そして静子が気にしている死亡率は、後者である負傷兵のものだ。適切な治療を施せば救える命が、手のひらから零れ落ちていることを憂いていた。
こうした死亡率を劇的に改善した逸話に、ナイチンゲールの話がある。
後に『クリミアの天使』とも呼ばれることになるナイチンゲールは、革新的な衛生管理や健康管理の徹底により40パーセント以上だった負傷兵の死亡率を、約2パーセントほどまで改善して見せたのだ。
「いくさで負った傷を自慢するのは判るけれど、それが原因で命を落とすんじゃ意味が無いでしょう……」
ナイチンゲールは野戦病院の劣悪な衛生状況を改善することにより、悪夢のような負傷兵の死亡率を下げた。
織田軍に於いては正規軍に金瘡医と呼ばれる医療集団が従軍しているため、比較的先進的な医療を享受できている。
しかし、いくさは正規軍だけで実行できるものではなく、陣借りの牢人たちや徴募された雑兵たちはその限りでは無い。
彼らは戦場で負傷しても満足に治療されることもなく、傷が原因の感染症などによって手足を失ったり、最悪の場合命を落としたりしていた。
とは言え野戦病院を建てて医療提供体制を拡充しようにも、高度な知識と経験を要する医療従事者を急に増やすことなど出来ない。
そのため静子はナイチンゲールの例に倣い、出来ることから始めることにしたのだ。
まずは最前線から少し下がった後方に野戦病院を建て、負傷者を収容するように指示する。従来負傷者はそのまま放置される事が多く、後送されることすら無かった。
次に清潔な医療物資を拡充する。包帯やガーゼにタオルなどという基本的な物資を潤沢に提供し、汚れた包帯が幾日にも亘って巻かれ続けたが為の感染症などを防ぐ。
更には野戦病院内の清掃を徹底し、医療従事者にも手指の消毒薬や感染予防のためのマスクなどを配布する。
最後に容体が急変しても気付かれにくい夜間の見回りを実施するよう促した。この見回りに関しては医療従事者でなくとも良く、発見して連絡することで死亡事例を防ぐことが出来るのだ。
(向こう傷は勇敢さの証という考えや、痛みや不調を我慢することを美徳とする考えは判らなくもないけれど、徐々にでも意識を変えていかないとね)
とは言え静子も命令書一枚で何かが劇的に変わると考えるほど傲慢ではない。実際に運用してみて結果を記録し、効果を評価して詳細なデータとして積み重ねることで改善をし続けるしかない。
ナイチンゲールの場合でも、彼女がクリミア戦争に従軍していた2年間だけで何かが劇的に変わった訳ではない。その後の数十年にも及ぶ貢献が評価され、今日まで偉人として語り継がれているのだ。
静子としても自分の代で道筋を作り、自分の後に続く四六たち世代が普及させていってくれることを願うしかない。
(まあ、私が今気を揉んでも仕方ないよね。結局のところ人の力が国家の力になるわけだから、まずは織田家に味方してくれる人々の死者を少なくしよう!)
喫緊の医療問題について区切りをつけた彼女は、次の報告書に目を通し始めた。
ざっと読み進めてゆくにつれ、静子の顔つきは険しくなっていく。報告書の概要を読み終えた静子は、大きくため息を吐いた。
報告書には近頃彼女を悩ませている問題の一つである、キリシタンに関する記述があった。
静子自身はこれといった信仰を持っておらず、強いて言うならば自然や祖霊を敬う日本人特有の緩い宗教観だろうか。
このため静子はどの宗教・宗派に対しても『政治に対する色気を出さない限り、布教を制限しない』というスタンスを取っている。
無論、信長が定めた法を犯せば何の宗教であろうと制裁を加える。それゆえ、宗教関係者が静子領にて信者を獲得しようとする場合、『説法』の形を取ることが多い。
それも異なった宗派同士で議論を戦わせるディベートに近い形式のものであった。
こうした宗教論争が毎日のように行われているため、暇つぶしに野次馬をしていた尾張の民は各宗教に対する知識がどんどん蓄積されていく。
朝廷の本拠地である京に於いても同様のことが行われているが、尾張の民からすればわざわざ遠出せずとも地元で見られる興行を見に行く気にはなれなかった。
仏教系に関してはこうした手法を取っているのだが、キリスト教関係者だけは異なる手法によって信者を集めていることが報告されていた。
大多数の宣教師は真っ当に布教活動をしているのだが、先鋭的な一部、それもキリシタンとなった領主自身が自領民に対して無理やり改宗を迫る事例が多いのだ。
「幸いにして尾張は早い段階で、無理やり改宗させるのを禁じたけれど……それでもやらかす輩は出るんだよねえ」
強制改宗に関しては何もキリスト教だけに限った話ではない。仏教徒同士であっても異なる宗派へと無理やり改宗させられるケースもあるのだ。
特に領主が特定の宗教・宗派に傾倒している場合、領民たちにもそれを押し付けようとする事例が後を絶たない。
静子領及び彼女が代官を派遣している領地に於いては目が行き届いているが、それに隣接する領地についてまでは干渉できない。
しかし、隣接する領地となれば住民同士の交流もあり、知らず知らずのうちに徐々に浸食されてしまい、気が付いた頃には徒党が出来上がっているのだと言う。
これに対して静子が警告を発することで、その集団は即時に解散するのだが、彼らは地に潜り、連絡を取り合って巧妙に布教を続けていた。
こうした事態を招いた隣接領地の領主には、静子から正式に抗議することになるのだが、彼らはあくまでも領民たちの自由な交流の結果だと言って憚らない。
抗議を受けても行状が改められない領主に関しては、静子の判断で潰して良いと信長から許可が出ている。
そうした際に派遣されるのは往々にして長可であり、宗教という毒に侵された領民に対して言葉による説得は然程効果が無いと信長が考えていることが窺えた。
「自らの愚かさの代償を命で贖っただけだろう」
凄惨な制裁を科す長可に対する苦情が頻繁に届くのだが、それに対する彼の反論はシンプルだった。悔い改める機会は静子が一度与えている。
抗議された時点で必死になっていれば回避できた未来だと言うわけだ。
「このままだと伴天連(キリスト教宣教師)追放令にまで発展しそうだよ。実際に肥前国(現在の長崎県及び佐賀県に相当)は長崎を教会領とした大村純忠の前例があるから、上様も注視なさっているようだけれど」
大村純忠とは第十二代大村家当主であり、日ノ本初のキリシタン大名である。長崎港を開いたことでも有名だが、その開港理由に問題があった。
それは現代で言うならば外患誘致に相当しかねない蛮行であり、信長が懸念している問題でもある。
当時の長崎は寒村に過ぎなかったのだが、ポルトガル人を自領に呼び込もうと考えた大村は、長崎をポルトガル人に明け渡した。
大村の入信は、当初ポルトガルとの貿易による利益目的と思われていたのだが、彼の信仰は過激なものであった。
領内の寺社を破壊し、先祖の墓所まで暴いた。更には領民にもキリスト教の信仰を強制し、仏教の僧侶や神道の神官なども殺害するに至る。
史実に於いては長崎だけに飽き足らず、茂木(長崎市茂木町)までをもイエズス会に寄進した逸話を持っていた。
これは日ノ本国内にポルトガルやイエズス会の領土が存在する状態となる。百歩譲って租借ならば見逃された可能性もあったが、寄進となれば日ノ本統一を目指す信長にとっても看過できないのだ。
とはいえさしもの信長といえど未だ九州に対して大きな影響力は持っておらず、指を咥えて眺めているしか無いのが現状だった。
それでも同様の手法による侵略に対しては警戒を続けており、尾張近辺の領地に対するキリスト教勢力の浸透には神経を尖らせているのだ。
「カトリックであるイエズス会と敵対するプロテスタント側のオランダ人や、イギリス人もそろそろ接触を試みてくるだろうね」
最新の報告に拠れば堺へはオランダ人が、神戸にはイギリス人が上陸を果たしたとある。今のところ両勢力共に大人しくしているようだが、拠点を定めれば活発に動き始めるだろう。
そして彼らにはイエズス会に無い強みがあった。それは貿易に関して宗教を持ち込まないという点だ。イエズス会は布教と貿易が不可分であり、布教の自由を認めない限りは貿易を拒絶してくる。
一方、オランダ人やイギリス人に関しては布教と貿易を別問題と捉えており、布教の自由がなくとも商業活動として貿易を受け入れるのだ。
「やはり現地で彼らは紅毛人って呼ばれているのね」
歴史書等に頻出する『南蛮人』という言葉は、ヨーロッパ人全体を一括りにした呼び名という面もあるが、多くの場合ポルトガル人やスペイン人を指している。
これに対してイギリス人やオランダ人は紅毛人と呼ばれることとなる。理由は単純であり、髪や髭が赤みがかった色をしているからというものだ。
何とも単純明快な命名に思えるが、中華思想を持った明の命名だけに中国から遠く離れた国に対する侮蔑の意味が込められているのは確かだろう。
(彼らにとっては明こそが世界の中心であり、それ以外は取るに足りない野蛮な存在という驕りがあるんだろうね)
キリスト教の布教を制限することによってポルトガルやスペインとの貿易が少なくなっても、オランダやイギリスとの交易を結べば経済的混乱は回避できる。
そうなれば大村に対しても日ノ本を外国に売り渡す売国奴として、信長が武力行使する大義名分が成り立つだろう。
それと同時に日ノ本各地に広がりつつあるキリシタン大名たちに対しても踏み絵を迫ることが出来る。
つまりは信仰に準じて他国に国を売り渡す朝敵となるか、信長を頂点とする日ノ本統治の一員として国家運営を担うかの二択となるのだ。
仮に信仰を取ったが最後、その行く末は族滅である。女子供の区別なく、一族郎党が根絶やしにされることとなる。
「あら? これは……」
東国征伐が終わるまでは様子見をするべき問題だと結論付け、静子は次の報告書へと目を通す。軽く流し読むと彼女はある事に気が付いた。
「勝蔵君を呼んできて」
報告書を読み終える前に静子は控えていた小姓に対し、長可を呼び出すように命じた。
幸いにして長可は静子邸に留まっていたため、然程時間を置かずに長可が出頭してくる。
「どうした、何か面倒ごとか?」
長可は軽い口調で静子に訪ねながら、どっかりと腰を下ろした。髪は水気を含んでしっとりとしており、また表情も上気していることから入浴中であったのだろう。
お楽しみの処を邪魔してしまったことに申し訳無さを感じつつも、静子は本題を切り出すことにした。
「ごめんね、急に呼びつけて。実は野伏せり(野盗と化した武士集団)に関する報告が届いているの」
「野伏せり!? そんな奴ら取り締まれば良いだろう?」
「ところがそうも行かないの」
そう言うと静子は自分が手にしていた報告書を長可へと差し出す。訝し気に報告書を読み進めていた長可だが、みるみる表情が険しく変化した。
「おいおい! ただの野伏せりじゃねえのかよ!」
修羅の形相を浮かべる長可が叫ぶ。野伏せり自体はいくさで食うにあぶれた者が身を窶すため、そう珍しいものではないのだが、報告書に記されている野伏せりの背景はいくさ由来では無かったのだ。
「ね? 割と根が深いでしょう? それで、どうしようか?」
「無論、鏖だ」
「事情を把握している首謀者ぐらいは残して欲しいかな」
「別に裏取りなんぞ要らんだろう。拷問したところで、北条の関係者ですとは言わぬだろう」
「そうだよねえ……」
「奴らの狙いは軍需物資に繋がるものばかりだったんだな。直接軍需物資を狙うなら兵站軍に捕捉されるが、たとえば収穫された大豆を奪われたところで食料を狙ったとしか思わない……」
彼らの巧妙な点は、重要な軍需物資である味噌に加工する前の大豆や、収穫された綿花や綿実油などの微妙な素材を重点的に狙うことにあった。
単純に金が欲しいのであれば、他にも狙い目となる物資は幾らでもある。重量当たりの単価が高い香辛料や乾物に調味料、酒などを奪えば、大金を手にして逃亡できる。
しかし、件の野伏せりは特定の品目に狙いを定めて執拗に強奪を繰り返すのだ。生産拠点を集中化していることの弊害か、これをされるとボディブローのように地味に効いてくるのだ。
「随分と奇妙な野伏せりだよね。察するに自分たちの狙いが露見しないよう、多少は工夫を凝らしているようだけど明らかに異様だもんね」
「徹底しすぎたことが裏目に出たな、特定品目の流通が滞れば流石に不審に思う。まあ、これも静子が統計を取っているからなんだろうが、北条も意外に腕が長い」
長可の言うように、遠く離れた相模国からこれだけの動員を掛けるには、それなりに立場のある者が音頭を取っているはずである。
一件一件の事件だけを見ていては、その意図を察することが出来ないが、巨視的な視点に立てば違うものが見えてくると言う事例を静子は長可に示した。
長可は静子の要請を受けて、彼らの背後までをも含めて一網打尽にするべく闘志を燃やす。
「折角馬脚を露してくれたんだから、相応に痛い目を見て貰わないとね」
「おう、任された」
静子の言葉に長可は軽口で応えた。