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戦国小町苦労譚  作者: 夾竹桃
天正四年 隔世の感
195/244

千五百七十七年 十一月下旬

信長が命じた東国侵攻は大詰めを迎えていた。信忠が里見を急襲してから二か月が経とうとしているが、北条の牙城である小田原城は健在であった。

織田側の成果としては小田原城周辺に位置する大半の支城を落とし、着実に北条の力を削いでいる。しかし、ここへきて環境が北条に味方した。

例年よりも早い冬の到来により寒さが厳しくなり、軍事行動に支障が出始めているのだ。特に雨具が未発達の戦国時代に於いて、厳寒の雨天は人命を容易に奪い得る。

信忠は配下の諸将を集めて軍議を開き、また電話を通じて信長及び静子と相談をした上で積極的な攻勢を控えることを決定した。

しかし無為に時を過ごすという訳ではなく、落とした支城の再整備及び連携が取れるよう軍の再編成をも行っている。


そしてこの状況は西国でも発生していた。早期に鳥取城こそ入手できたものの、本格的な冬の到来と共に降雪が始まれば軍需物資の搬入すら難しくなる。

織田領ならば舗装された街道があるため、少々の積雪ぐらいでは物流が滞ったりはしない。しかし、毛利の勢力下である西国では深雪ともなれば街道すら見失うのだ。

そこで秀吉軍は切り取った領土について、神戸港から連なる補給線となる街道の整備及び標識の敷設を行い、積雪下でも物資の供給が途絶えないよう準備をしている。

とは言え最前線に虎の子の建設用重機を運んで来るわけにもゆかず、砕石を敷き詰め転圧(地面に圧力を掛けて押し固めること)して街道を補強していた。

こうした準備により大軍を率いた軍事行動こそ不可能だが、各拠点間を物流で結ぶ相互連携の取れた防御態勢が構築されつつある。


一方、織田領では街道や宿場町の整備が充実しているため、冬であろうとも人や物の流動性は大きく損なわれない。

しっかりと舗装された街道は、少々長雨が続こうがビクともしない。整備後も定期的にメンテナンスが行われるため、随所に雨水が溜まるようなことも無い。

それでも寒さは確実に人々の流動性を減らし、春や秋と比べれば人出が少ないものの、他領とは一線を画す状況となっていた。

人が動けば当然ながら物や金も動く。商業活動が刺激され、やはり温かい食べ物が良く売れた。特に居酒屋で出されている熱燗(あつかん)が好評を博している。

熱燗はもっぱら清酒が飲まれているのだが、濁り酒の燗も可能ではあった。しかし、(もろみ)があるため癖が強く出てしまう。

トロリとした飲み口の濁り酒ならば燗にたえる物もあるのだが、大半の濁り酒は冷酒で飲まれているのが実情だった。

また酒と合わせて温かい汁物や鍋物を提供する店には人々が行列をなし、酒を出さないながらも蕎麦やラーメン屋が活況となっている。

そしてそうした傾向は静子邸でも同様であった。


「寒い日は汁物に限る!」


長可が豚汁に舌鼓を打ちながら話す。豚汁を一口吸い、すかさず山盛りの飯を掻きこむ。鬼武蔵と畏怖される長可も、飯時は年相応の顔つきとなっていた。


「これで熱燗があれば言うことはないんだがな」


「おっ! 真昼間から一杯やろうってのか? 聞き捨てならねえな」


長可の言葉に慶次が乗っかる。しかし、肝心の酒が供されないため、二人してため息をついた。


「静っちが駄目と言ったからには、飯時は諦めるしかないか」


「伊達家の(ぼん)は元服してるんだろう? なのに静子は歳を聞くや即飲酒を禁じたんだよな……」


「元服していても、体がある程度成長しきるまでは飲ませないって言っていたな」


静子は飲酒に関して元服後数年は控えるようにと申し渡していた。戦国時代に於いて、元服を済ませれば即ち一人前の扱いとなるが、その年齢は低いことが多い。

数え年で十二から十六歳の間に行われることが多く、元服直後の若者が飲酒をすれば脳や体に悪影響があると静子は考えていた。

故に静子は己の庇護下にある者に対し、飲酒について制限を設けることにしている。しかし、食事に酒が提供されないだけであり、飲もうと思えば抜け道は無数にあった。


「子供にとって酒は大人の特権と映るからな。幾ら静っちが止めても、コレばっかりは聞き入れない奴も多い」


「むしろ止められるからこそ、やりたくなるのが人情だろうよ。まあ、キツイ罰則があるわけでもないからな」


大人の仲間入りをしたからには、子供の頃出来なかったことをしてみたい。そういう年頃の者にとって、飲酒は手ごろな行為であった。

見守る大人たちも、かつて自分たちがそうであったからこそ元服したての悪ガキのやんちゃを黙認していた。勿論、度が過ぎれば鉄拳制裁が待っている。


「よし! 俺は伊達家の坊が酒を飲むに賭けよう」


「おいおい、賭けにならんぞ。俺だってそっちに賭ける」


談笑しながらも長可と慶次は食事を終え、二人はツマミを片手に酒瓶を取り出した。

彼らは一計を案じていた。静子から禁酒を告げられている藤次郎が、堂々と酒を飲むには口実が必要となる。

それほど大げさなものではなく、長可らが誘った形であれば飲まないというのも失礼にあたる。

こうして長可と慶次はワザと廊下へと続く襖を開け放ったまま、適当な部屋で酒盛りを始めた。


「何やら楽し気な話し声がすると思えば森殿と前田殿でしたか」


間もなくして通りかかった藤次郎が釣れた。二人は視線を合わせて示し合わせ、盃を掲げながら誘う。


「山の()を染める雪をサカナに一献(いっこん)いかがかな?」


慶次が誘い水を向けると、藤次郎が一度は遠慮してみせる。しかし、続けて長可が盃を差し向けると藤次郎はそれを受け取った。


「静子様より禁酒を言い渡されておりますが、()りとてこうまでお誘い頂いて断るのも無粋。ご相伴に(あずか)りまする」


「そう肩肘を張らずとも良い。それに静っちは心配しているだけで、咎めようとしている訳ではないからな」


「然様ですか。ならば静子様にご心配を掛けぬよう、少しだけ……」


言葉とは裏腹にうきうきした様子で車座に加わり、長可が盃に注いだ酒を礼を言って受け取ると一息に飲みほした。

年に似合わぬ飲みっぷりに、二人は藤次郎が相当な飲兵衛であると理解する。しかし、二人は重要な問題を見落としていた。

静子は一定年齢に達するまでの飲酒を制限したが、特に藤次郎に関しては名指しで禁酒を言い渡していたのだ。

これは歴女である静子が伊達政宗は酒癖が大層悪く、頭に血が上り易い性分であったため幾度も問題を起こしたことを知っていたためである。

二人がその事実を目の当たりにするのは、もう少し後になる。







静子の危惧は的中し、案の定藤次郎は酒の席で失態を演じた。

史実でも自身の酒癖を自覚していながら、亡くなる二年前になっても酒で失敗している。

それでも彼が死を賜らなかったのは、徳川秀忠や家光から絶大な信頼を寄せられており、戦国時代を生き抜いた実績が有ったからこそ辛うじて許されていた。

翻って今の藤次郎は単なる人質であり、酒の席でとは言え失敗したとなれば大問題となる。


「それで、二人は酒の席で殴り合いの喧嘩をしたと」


全ての報告を聞いた静子は呆れてしまった。そんな静子の呆れ混じりの声に、当事者である長可、慶次、藤次郎と四六は揃って頭を下げた。


「申し訳ございません」


藤次郎は謝罪の言葉と共に額を床に擦りつけた。藤次郎の背後に控えている片倉小十郎は、顔色が青を通り越して白くなっている。

藤次郎の後から酒盛りに加わり、その後に喧嘩をすることになった四六も青痣(あおあざ)が残る顔を伏せていた。

恐らく彼らは藤次郎の酒癖がここまで悪いとは知らなかったのだろう。伊達家に居た頃はここまで深酒をすることもなく、また飲酒をする機会も少なかった。

それでも主家の跡取りと人質が殴り合いをし、双方が怪我をする事態となればタダでは済まされない。


「確認しますが、殴り合いをしただけですね?」


「ああ。取っ組み合いの喧嘩になってはいたが、藤次郎が倒れた時点で止めたぞ」


「勝蔵君も慶次さんも見ていたのなら、もっと前に止めて下さい……」


思わず渋面になる静子に対し、申し訳なさそうにする長可と慶次。恐らくは喧嘩すらも酒のサカナとして、二人が(はや)し立てたのは容易に想像がついた。


(他人と衝突するのを避けようとする四六が、我を曲げずに殴り合うなんて……)


喧嘩の経緯はこうだ。藤次郎が酒の席に加わり飲んでいると、四六が通りかかった。新たな生贄を見つけた飲兵衛どもは、早速彼を誘って引き込んだ。

四人で談笑しながら飲み交わしているうちに酔いが回ると、言動に遠慮が無くなり皆が言いたいことを言い合う。

そんな中でも四六だけは酒量を控え、素面を保ちつつも痛飲している藤次郎に苦言を呈した。

もはや何が発端だったか定かではないのだが、売り言葉に買い言葉であっという間に口喧嘩となったのだ。口論する二人を囃し立てる大人たち。


「聞き分けの無いことを言うな! もっと大人になれ、藤次郎!」


「四六殿の言う大人とは諦めの早い子供でしょう! 私は四六殿が大人などとは思えませぬ!」


「なんだと!」


激昂した四六が何と先に手を出していた。これを受けて藤次郎も殴り返し、取っ組み合いの喧嘩となった。それでも尚、長可と慶次はげらげら笑いながら見ていた。

四六と藤次郎は互いにもみ合いながら襖を破り、机の上にあるものを薙ぎ倒しての大喧嘩を繰り広げる。

それでも年齢差からか、四六が放った拳が急所に当たったのか、藤次郎が卒倒するとようやく酔漢二人も止めに入ったという事だ。


「まあ素手での喧嘩なら良いとしましょう。ただし、喧嘩両成敗です。壊した襖や調度の片付け、部屋の掃除は四六と藤次郎君でなさい」


「お、お咎めなしかい?」


「男同士なんだから喧嘩ぐらいするでしょう? 刃傷沙汰になっていたのなら罰も与えたけれど、この位なら注意程度にとどめるよ」


懲罰は無いという静子の宣言に、死人の顔色となっていた小十郎が細く深く息を吐いた。


「とは言え、酒癖が悪いと知れたわけですから藤次郎君は改めて禁酒を言い渡します。次に酔って暴れたら罰がありますからね?」


そう言って釘を刺すと静子は話を打ち切り、四六を除いた三人を下がらせた。


「それにしても四六が先に手を出したというのには驚きました」


「すみません、母上。頭に血が上り、気が付いたら手が出ておりました」


後悔しきりと言った表情を浮かべる四六。少し気になった静子は理由を掘り下げてみることにした。


「四六が思う大人像と、藤次郎君が思う大人像は違ったの?」


「はい……私は大人ならば()を殺し、皆との調和や秩序を重んじるべきだと考えておりました」


「過去形で言っているってことは違うと悟ったのね?」


「はい。藤次郎と殴り合いながらも言い合い、私が自分のしたいことを簡単に曲げる臆病者だと詰られて言い返せませんでした……」


「そうね、調和も大事だけれど自分だけが犠牲になる必要は無いでしょう。上様を御覧なさい、我が道を征くの典型みたいでしょう? それでも上様を子供だと言う人はいません。何故だか判る?」


「……判りませぬ」


「それはね、上様がご自分の言動について責任を負っておられるからよ。一見破天荒に見えても、上様は皆に日ノ本を統一した世を見せるという本筋は曲げておられないの」


「自分の言動について責任を持つのが大人なのでしょうか?」


「少なくとも責任が取れない間は子供と言われても仕方ないでしょうね」


静子の言葉に何かを悟ったのか四六は頷き、ゆっくりと考えてみますと告げて部屋を辞した。

静子は四六の成長を嬉しく思いながらも、今回の喧嘩で破壊された物の一覧を見てため息をこぼす。


「子供二人の喧嘩とは言え、流石は男の子だけあるね」


静子は手にした目録を畳みながら、改めてため息をついた。







『酒は憂いの玉箒(たまははき)』と言うが、同時に『酒は飲むとも飲まるるな』とも言う。藤次郎の場合は正に後者であっただろう。

酒で失敗したエピソードに事欠かないだけに、静子はそれとなく酒を控えるように気を回したつもりだったが、現実はままならないものである。

『お神酒上がらぬ神はなし』とも言うように、祝い事や神事ともなれば必ず酒が出る。

アルコールハラスメントなどと言う概念すら無い戦国時代に於いて、上位者から盃を勧められることは(ほまれ)であり、断るという選択肢はない。

静子が酒を飲まないで済んでいるのは、信長から直々に禁酒令が出されており、勧めた側も罰すると明言されているため周囲が注意を払っているに過ぎない。


「あれから禁酒しているようだけど、お酒好きなのは確かだから、また起きそうな気がするよね」


人質と言う立場が藤次郎にとって心理的な枷の役目を果たしており、彼は酒の席で失敗したことを挙げて遠慮することが多くなった。

だからと言って完全に酒を断つことは難しい。酔って出来上がった者が『良いから飲め』と勧めれば、これを断ることは失礼にあたるからだ。

今のところは飲んだとしても量を控えているため、大事には至っていないものの懸念がぬぐえないでいた。


「それは本人の責に帰するところです。母上が気を回される必要はございませぬ」


互いに殴り合ったこともあって、より腹を割って話し合える仲となった四六はバッサリと切って捨てる。


「そうは言うけれど、どうにも心配で……」


「お気持ちはありがたいのですが、藤次郎とて伊達家の名代です。余りに構い過ぎれば、あ奴の矜持を傷つけましょう」


「そうか。そうだよね」


四六に指摘されて静子は納得した。

己の言動に責任を負うのが大人だと諭した以上、これ以上の口出しは藤次郎を子供だと断じていることになる。

史実に於ける政宗のイメージが強いため、どうしても心配してしまうが、本人からは更生しようとしている節が窺える。

これ以上の構いだては本人のプライドを傷つけかねないと考えた静子は、気持ちを切り替えることにして資料を文机に置いた。


「さて、今年のやることは概ね終わったね。厳しい寒さが予想されるから、東国も西国も当面動きが無くなるでしょう」


紡績産業が盛んな織田軍は、他国の軍と比較しても充実した防寒対策が為されている。

それでも雪中行軍ともなれば、容易に人命が失われる難事となるのだ。

城攻めの際に防衛側は冷水を浴びせるだけでも、寄せ手側の戦意を挫くことが出来るのだから侮れない。


「無理に攻めて損害を出すのは避けたいね。春を迎えて夏までには東国も平定できるでしょう。四国は長宗我部が支配しているし、西の毛利が片付けば残るは九州かな?」


「日ノ本統一が現実味を帯びてきましたね」


「ところが今になっても上様は、ご自分が何の官職を得るのか宣言されていないのよね。だから朝廷も混乱していると思う」


間もなく信長が天下人となり、織田の治世が始まるとの認識が広まる中、それに異を唱える者は少数派となっていた。

既に大勢は決したとして、朝廷は信長に官職を与えて首輪をつけようと試みている。

恐らくは征夷大将軍を賜ることになるのだろうが、この朝廷からの申し出に対して信長は返答を控えている状況だ。


「上様は何を考えておられるのでしょう?」


「これは私見だけど、恐らくは上様も決めかねていると思う。上様としては北条を討ち、毛利も下して名実ともに武家の統領たる征夷大将軍を名乗りたいのでしょう。朝廷としては上様がこれ以上力を付ける前に、官職で縛り付けたいのが本音だろうね」


「母上の官職は決まっているのですか?」


「私? 私は多分名誉職になるんじゃないかな? 近衛家と猶子(ゆうし)を結んでいる以上、面子もあるから権大納言(ごんのだいなごん)くらいかな」


「朝廷よりもっと上の官職を打診されたと耳にしましたが……」


静子としては朝廷から賜る官職に興味が無かった。頂戴するにしても員数外となる権官(権は仮の意味)が良いと考えている。

正規の官職を賜れば、それに応じた責任をも背負いこむことになるため面倒だとすら思っていた。

ただ朝廷の思惑としては、信長を牽制しうる人材として囲い込みたいという思惑が強いのだろう。


「四六が言っているのは、少し前に『左近衛(さこんのえの)大将(だいしょう)』(宮中の警備を司る長官)に任じようとしたことだね。上様が直々に抗議して突っぱねたから、暫くは言ってこないんじゃないかな?」


本願寺の一件に静子を参戦させたことで、朝廷も信長に対して借りが出来てしまい、現在強く出ることが出来ないでいた。


「朝廷は母上の武が欲しいのですね」


「今の朝廷には権威しかないからね。ある程度の武力を確保したいと言ったところでしょうね。このあからさまな離間工作は、(みなもとの)義経(よしつね)公の頃から変わらないよね。まあ無理な相談だよね、私が上様の許を去るのは命が潰えた時だけだから」


それは静子が信長と出会った際に交わされた約定だった。所詮は口約束に過ぎないが、何者でも無い自分を救ってくれた信長との大切な約束だ。

故に静子が朝廷に(おもね)ることはあり得ない。


「それは……」


「これは私のけじめなの。もし約束を違えれば、今まで私がしてきたことも嘘になってしまう」


四六は静子の言葉から、彼女の並々ならぬ覚悟を知った。そして朝廷の思惑は、信長の不興を買うことになるとも理解した。


「話が脱線しましたね。それでは改めて、現状の把握と春以降の予定を確認しましょう」


四六は気を引き締め直すと、静子から渡された書類を目で追った。







十二月が間近に迫り、各地で本格的に雪が降り始めた。こうなると織田軍の主な仕事は街道の雪かきに終始し、戦況は停滞してしまった。

情報収集については変わらず行っているものの、相手側も冬ごもりをしてしまっているため、大した報告が入ってこない。

折角の人員を遊ばせておくわけにもゆかず、それぞれの地域で流通している物資の状況なども併せて定期報告をさせるようにしている。

こうして各陣営の動きが鈍化するなか、長可は信長より『代官』の役職を与えられていた。

代官とは主君に代わって所領を預かり、年貢を徴収する役人のことだが、長可については少し事情が異なっている。

彼に関しては特別に徴収権が年貢に限らず、借金の取り立てをも代行できる権限が与えられていた。


乱暴者として名を馳せている長可については、領地を与える話が度々持ち上がる。

そこには所領を持ち一国を運営する立場となれば、問題行動も鳴りを潜めるのではないかと言う期待が込められていた。

しかし、森家を継いだのは長男の可隆(よしたか)であり、長男を差し置いて長可に領土を与えるのは(はばか)られる。

更には彼自身に領地を得るつもりが無く、よしんば賜ったとしても長可個人ではなく森家の領地として運営するつもりでいた。

領土欲の無い長可に付ける首輪として、信長以外の諸将が彼に役職を与えて責を負わせることを考える。


「何と言うか……甘い考えだね」


信長からの朱印状を受けた静子は苦笑いを浮かべる。役職を与えた程度で長可が行状を改めるのならば、とうの昔に自分がそうしている。

静子自身もかつては同じことを考えたが、長可が自由に動ける状態を好み、自由にさせた方が大きな成果を上げるため廃案とした過去があった。


「過去にも年貢を誤魔化した阿呆を()らしめただろう? それで上様が適役と思われたんじゃないか」


自分のことであるにもかかわらず、長可はお茶を啜りながら興味なさげに呟いた。


「後日正式に任官の儀があるから、その折には安土に向かってね。出来れば穏便に徴収活動をしてくれるとありがたいんだけどね」


「それは相手次第だな」


勿論、長可とて無意味に略奪や破壊活動をしているわけではない。しかし、武を売る仕事である以上、舐められては商売にならない。


「別に代官なんて役職与えなくても、勝蔵君は好き勝手にやると思うけどね」


「おい、俺だって建前ぐらいは弁えているぞ!」


「今までの行状を振り返っても同じことが言える?」


「俺は過去を振り返らない主義なんだ」


「それは都合の悪いときにいう台詞じゃあないと思うんだけど?」


「心配するな、俺だって成長している」


「毎回その台詞を聞いている気がするし、成長しているのは手口が巧妙化しているところだけだよね」


苦言を呈しこそするものの、静子は長可に甘かった。

長可は決して無法者ではない。彼の中の法と、世間一般の法が乖離(かいり)しているだけであり、常に彼なりの筋は通しているからである。

故に静子は彼を見捨てず、可能な限りの便宜を図っている。世間一般には出来の悪い弟ほど可愛いと言った心理だと思われていた。


「安心しろ。奴らが不正をしていなければ何も起きない」


「悪名高い君が派遣されてくるってだけで皆が震えあがるんだから、不正をしていない人には優しくしなさい」


「……分かった」


不承(ふしょう)不承(ぶしょう)ながら頷く長可に、静子は無実の人が吊し上げられないことを神仏に祈った。

その悪名ばかりが先行している長可に詰め寄られれば、たとえ不正をしていなくとも挙動不審になることは避けられない。

それを見咎めた長可が、尋問と言う名の拷問を行うのは目に見えている。


「あ、そうだ! 勝蔵君にぴったりの仕事があった!」


静子は長可こそ適任となる仕事を思い出し、文箱を漁って紙束を取り出した。

長可は静子から手渡された紙束に目を通すと、実に自分向きの仕事であると理解した。


「年貢の私曲(ここでは横領などの意味)か」


「私の所領や上様の直轄領は目が行き届いているけれど、他では着服の類が多くてね。色々と内偵をして貰っていたの。時間は掛かったけれど、しっかり証拠が手にはいったよ」


「不正の証拠があり、取り調べをする余地が無い。正に俺向きの仕事だな」


「容疑じゃなくて罪が確定したからね。適材適所でしょ? 冤罪はあり得ないんだから、懲罰を下すだけだし」


「ふん。上様の決裁済みなら軍を差し向けても良いが、それをやれば謀反(むほん)が発生していると思われるから俺が代わりに裁くのか。相変わらず徹底してやがる、敵の命を奪うのにも躊躇(ちゅうちょ)していた頃が懐かしい」


長可は腕組みをしながら過去の静子を思い返していた。静子は己を害そうとする敵ですら、殺めることに躊躇していた。

当時は戦国時代の常識よりも、タイムスリップ前の時代で培った死生観が強かったため、どうしても人を殺められずにいたのだ。

その後、宇佐山の戦いに於いて過去と決別し、大切な人を守るため幾人もの人を殺め、戦いに身を投じてきた。


躊躇(ためら)った分だけ味方に被害が出ると学んだからね。それに上に立つ者の腹が据わっていないと、下の者も不安になるでしょう?」


「確かにな。いくさ場では頼りないと思っていたが、宇佐山以降は見違えるようだったしな」


「まあ、今はいくさ場に立つこと自体がなくなったけどね。武田戦以降、すっかり皆が心配性になったからね」


静子がいくさ場に向かうのは、信長から直接要請があった時のみと定められている。それ以外は殆どが名代で事足りる。

余りにも姿を見せないため、新参者が「女ゆえに子を得て臆病風に吹かれたのよ」と(うそぶ)いたことがあった。

折り悪くその現場に長可が通りかかり、二度と軽口が叩けない体にされてしまったが、信長からはお咎めすら無かった。

当然ながら相手の親族から抗議があったのだが、長可は完全武装の兵を率いて親族の館を訪れたことにより、親族が折れた。


「別にお前がいくさ場に立たねばならない状況などないだろう。お前が後方にいてくれれば心置きなく戦えるのだから、いくさ場は俺に譲れ」


「結構譲っている気がするけどね」


「何やら楽しそうな話をしているな」


長可と静子の会話に別の声が割って入る。二人が声の主を探すと、そこには風呂上がりの格好をした慶次がいた。

手に徳利を持っているところから、風呂で酒を楽しんできた事が窺える。


「暴れたりない勝蔵君に、発散の場を与えていたところだよ」


「人を暴れ馬みたいに言うな」


「あちこちで喧嘩しているお前が言うと説得力が全くないな」


軽口を叩きながら慶次は徳利を直接呷る。久しぶりにゆっくり二人と話せると思った静子は、お茶のお代わりを用意するよう小姓に命じた。

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― 新着の感想 ―
[一言] 片倉さんの胃が大変なことになってそうww胃薬処方してあげてw そして取り立て屋勝蔵w嫌すぎる(真顔
[気になる点] 今回の話しと関係ないのですが。 作者は、突然に?アレやコレやの新たなる技術などの実戦投入や説明をされる。 そう?説明なのだ、主人公の静子が語るわけでは無く、作者口調での説明がされる。 …
2022/12/24 15:09 退会済み
管理
[一言] そういえば静子も酒癖悪かったですね。
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