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戦国小町苦労譚  作者: 夾竹桃
天正四年 隔世の感
183/243

千五百七十七年 四月中旬

信長は春だと言うのに身震いするほどの悪寒(おかん)を覚えていた。

眼前の静子はにこやかに微笑んでいるというのに、身に(まと)う空気が張りつめており、抜き身の刃物を喉元に突き付けられているかのような息苦しささえ感じる。

信長が静子と出会ってから十年以上もの時が経過しているが、これほどまでに怒りを露わにした姿は目にしたことが無かった。


「う、うむ。今戻った。留守中変わりは無かったか?」


尋常では無い様子の静子に対し、信長は探りを入れるつもりで言葉を投げかけたのだが、運悪く見事に地雷を踏みぬいた。


「本当に変わりがないと、お思いですか……」


心底呆れたと言わんばかりの静子の返しに、信長は己の失言を悟った。しかし、既に放ってしまった言葉を無かったことには出来ないため、更なる言葉を継いで軟着陸を試みる。


「貴様がいつにない様子だからこそ、敢えて聞いたまでのこと。それで、留守中に何があったのだ? 申してみよ」


そうして静子の口から語られた経緯は、信長をして心胆寒からしめるものであった。

ことの発端は信長が電信電話に夢中になってしまった事にある。

これまでの信長は、己が不在時に自分と同等の決裁権を持つ『留守居(るすい)(やく)』という職を設け、留守を預かる(ほり)秀政(ひでまさ)をこれに任じていた。

しかし、電話という距離と時間を超越する道具に魅入られた信長は考えてしまったのだ。何処に居ても自分が情報を聞いて判断し、指示を出せるのだから留守居役は不要だと。

その結果として信長が慌ただしく東国に向けて出立した後、堀は信長の委任状代わりとなる朱印を託されていない事に気が付いた。

それでも堀は然程(さほど)慌てていなかった。革新的な信長の手によって大胆な権限移譲が推進された結果、軍事ですら各方面軍が独自に判断して動く事が出来る程の体制が構築されていたためだ。

流石に他国とのいくさを始めるなどの、国家の一大事となれば信長の判断を仰ぎ決裁を受ける必要があったが、大抵のことは配下達によるその場の判断で事足りていた。

そしてそんな時に限って悲劇は起こる。西国組の片翼である明智光秀が新たに削り取った領内に於いて、静子が重大伝染病に指定している『天然痘(てんねんとう)』の流行が報告されたのだった。


天然痘とは天然痘ウィルスによって引き起こされる空気感染性の感染症である。

人類に対して非常に高い感染力を誇り、一人でも罹患者が出れば周囲の人たちの8割近くが感染し、その半数近くが命を落とす恐ろしい病気とされていた。

時として国家が滅ぶ原因にすらなる恐ろしい感染症であるため、静子はこれを重大伝染病と定めて情報が集まってくる仕組みを構築していたのだ。

静子の元いた時代では根絶されて久しい天然痘だが、その恐ろしさは営々と語り継がれていたため、彼女も早い段階から畜産を任せているみつおと連携して対策を練っていた。

それは史実に於いてイングランドの医師であるエドワード・ジェンナーが行った種痘(しゅとう)の導入であった。

種痘とは牛が罹患する天然痘に良く似た症状を呈する『牛痘(ぎゅうとう)』に罹患した人は、天然痘に罹患しない、しても重症化しないという経験則に知見を得ている。

ようするに人に対してワザと牛痘ウィルスを植え付け、牛痘に罹患させることで天然痘に対する抵抗力を高めようという免疫療法のはしりであった。

余談だが後年の研究によって牛痘ウィルスと天然痘ウィルスには免疫交差の作用が無いことが判明し、ジェンナーが天然痘ワクチンを生み出せたのは偶然に拠るものであった。


これらを踏まえて静子とみつおは牛痘ウィルスや、馬版である馬痘ウィルスを、病気によって出来る『(とう)』(おできのこと)から(うみ)瘡蓋(かさぶた)ごと採取し、ワクチンの材料とした。

これらを二股針と呼ばれる器具の先端に付けて、被験者の上腕部に傷をつけ皮内に植え付ける。こうすると接種後数日で膿疱(のうほう)(膿を内包するできもの)を生じ、約一か月程度で当時『あばた』と呼ばれた瘢痕(はんこん)(ケロイド状のひきつれ)を残して治癒する。

当然ながら医療を専門に学んでいない静子たちの取り組みは上手くいかなかった。静子が戦国時代に来た当初に電子書籍から書き写した情報等を参照し、長く苦しい試行錯誤が繰り返されることになった。

種痘をしたにも拘わらず意図した免疫を獲得できなかったり、種痘が原因で重篤な脳炎を発症する患者が出たりもした。そうした犠牲を乗り越え、毒性が弱いものの免疫は獲得できるウィルスを選別し続けた。

こうした経緯の末、やっと近年になってワクチンを接種することで被るリスクに対し、得られるメリットの方が大きいと誰もが認めるレベルのワクチンが製造されるようになっていた。


このワクチンだが、弱毒化しているとは言え病原性を保持しており、少しでも取扱いを誤れば大惨事を招く可能性があるため、使用に際しては必ず信長の決裁を仰ぐことと定められていた。

静子のお膝元である尾張から徐々に領民に対し、予防接種を拡大しており、その都度信長の了承を得ていたという経緯がある。無許可で行った際には厳罰に処すと明文化されてすらいた。

こうした努力や、栄養状態及び衛生環境が飛躍的に向上していることもあり、主要な織田領内にて実際に天然痘が流行するという事は幸いにして起こっていなかったのだ。

しかし、新たに獲得した領土や他国との接触が盛んな最前線は違う。起こるべくして天然痘の流行は発生した。それも最悪のタイミングというおまけつきだった。

医療技術が発展していれば天然痘が発症しても化学療法等で対処可能だが、戦国時代には望むべくもない。基本的に罹患したら隔離して、自然治癒に任せるしか方法が無かった。

しかし、静子たちが開発した種痘を施せば感染前は勿論、最初期であれば感染してもある程度の免疫効果が望めるという希望の星である。


織田家に臣従する重臣としてこれらの情報を共有されていた光秀の行動は迅速であった。

配下から齎された情報に対して裏取りを行い、間違いなく天然痘特有の症状を呈する病人が出ており、それが自身の領内にも恐るべき勢いで広がっているという状況を確認した。

その上で緊急通報として先触れを遣わし、ワクチンを保有及び保管している静子並びに、それの使用決定権を握る信長(不在のため、ここでは留守居役の堀)に助けを求めた。

ところが今回に限って堀は決裁権を与えられておらず、また不幸にも信長が富士遊山に徳川家康を帯同していたため、秘中の秘である電話を用いた定期連絡すら行われることが無かったのだ。

この問題は対応が遅れれば遅れる程に被害が拡大し、取り返しがつかなくなってしまう。流行地の民たちには移動を禁じ、感染の拡大を隔離することで封じ込めてはいるものの、隔離地域は地獄となる。

罹患すれば助からない死病が蔓延し、いつ己も病に倒れるかも知れない状況で、領主の兵に囲まれて封鎖された中でひたすらに死を待つのみの民たちの心情は察するに余りある。


「なんと……それでは、わしの気まぐれのせいで助かる民の命が見殺しにされたというのか? 助けられる手立てがありながら日向守(ひゅうがのかみ)め(光秀のこと)にそれをさせたというのか……」


「いえ、私が独断でワクチンを運ばせ種痘を実施しました。明智様と上様の定められた法との板挟みに苦しむ堀様よりご相談を受け、その場で決断しましたゆえ、被害は最小限度に抑えられたことでしょう」


「まことか!? でかしたぞ、静子!」


「お褒めに(あずか)り恐縮でございます。そして、それ故に罰を賜りとう存じます」


「な、何を申しておるのだ! 貴様はその場に於いて最善の手を打ったではないか!?」


「今でもあの判断は間違っていないと確信しております」


「ならば……」


「それでも法は守られねばなりませぬ。悪法もまた法なりと申します。たとえ法の側に問題があったとしても、それに反したものが罰されぬのでは示しがつきませぬ」


「わしが定めた法じゃ! 静子の行いはわしが赦す――」


「なりません! 法とは万人が等しく守らねばならぬもの。上の者が守らぬ法など、何の意味がありましょう? 我々は法が絶対のものであると身を以て示さねばならぬのです」


「わしに……わしの尻ぬぐいをした貴様を罰せと言うのか……」


「はい。上様が皆に範を示さねばならぬのです。当然、上様を悪く言う者も現れましょう。それでも尚、(こら)えて罰を下して頂きとうございます」


信長はかつて無い程に苦悩していた。信長自身が定めた規範である『織田家諸法度(しょはっと)』(織田家に連なるものが守るべき法)には重大な命令違反に対する刑罰が規定されている。

今回静子が犯した命令違反は、勝手に諸外国に対して戦争を仕掛けるに等しいとされるものであり、その量刑は領地没収のうえ当主を含む直系姻族に切腹を申し付ける『お家断絶』から年貢の加増までとなっていた。

つまり信長がどれ程手心を加えようとも、最高で静子に死を申し付けることになり、最低限度にとどめても静子が収めている莫大な年貢に対して更に一割を加増して申し付けることになるのだ。

一割増と聞けば「なんだ、その程度か」と思いがちであるが、通常の領地運営をしている者にとって一割もの追加税負担を求めれば可処分所得は激減し、下手をすれば食うに困ることすら起こり得る厳しいものとなる。

更に言うならば静子の場合、本業である農業だけに留まらず多方面に事業を展開しているため、それら全てに対して一律一割の追加税負担が発生してしまう。

筆頭納税者である静子が収めている税の一割ともなれば、中規模領地の年貢総額に相当し、如何に静子といえども右から左へポンと動かせるような額ではない。


「良いのだな? 貴様の収める年貢の一割ともなれば途方もない額となる。更にそのツケを民に回すことも(まか)りならぬのだぞ……」


「はい。幸いにして私には充分な蓄えがございます。痛くも痒くもないとは申せませぬが、領地運営に支障をきたすような事はございませぬ。ご遠慮なさらず御申しつけ下さい」


「すまぬ。わしが愚かであった、二度と同じ(てつ)は踏まぬことを貴様に誓おう」


信長はそういうと静子に対して地面に額を突けんばかりに頭を下げた。もしここが静子邸でなく、誰かにこの様子を見咎められれば大問題となるほどの謝罪であった。


「上様、お顔を上げてください」


静子は信長の前に歩み寄り、彼が握りしめて地面に突いている拳をそっと手にとった。血が(にじ)む程に握りしめられている拳を優しく(ほぐ)しながら、静子は彼に語り掛ける。


此度(こたび)のことは私も胆が冷えました。横車を押してでも明智様へ御助力せねば、大きな禍根となって上様に返るやも知れぬと思い差し出口を申してしまいました」


「静子……」


「上様、私は上様が描かれる日ノ本の姿を見てみたいのです。些細なことですが、どれ程堅固な堤を築いたとて蟻の一穴(いっけつ)から崩落を招くことがございます。忠臣である堀様や、明智様のご期待を裏切らないようおつとめ下さい」


こうして今回の騒動は決着することとなった。主君の留守中に専決事項である他領への支援を行った静子へは年貢一割加増の罰が下されることが周知された。

またその追徴した税により基金が創設され、伝染病に対する研究機関を運営し、織田家に連なるものには分け隔てなく医療支援が行われるというものだ。

そしてこの機関に対して伝染病の対処に関する権限を信長から委譲し、緊急時には独自の判断でワクチンの配布等が出来るようになるという。

これを知らされた諸将は、法に対する認識を改めることになった。また、信長自身が己の不明を恥じて法を修正し、二度と同じことが起こらぬよう務める姿勢を見て、厳格な法運用の難しさを知った。

隣国である(みん)の故事に『泣いて馬謖(ばしょく)を斬る』というものがあるが、これが正にそうなのだと語り継がれることとなる。







信長が甲州より戻り、安土城へと入ったのち、彼の留守中に起こったことに対しての処理が行われた。

諸将に対して法を犯した静子を処断する旨が通達されると共に、信長の傍系親族に当たる一族がお家取り潰しとなった。家系図からもその一族が抹消されるという厳しい処分が下された。

片や己が不利益を(こうむ)ろうとも信長の為に罪を被った静子と、己が私利私欲のために国家転覆を(はか)った逆賊との対比に諸将は襟を正すこととなった。

たとえ信長が留守にしていようとも、全てを見通す天の目であるかの如き監視機構が存在することを実感することとなる。


一連の騒動が落ち着き、四月も半ばとなった頃。甲州での作業を引き継いだ信忠が岐阜へと戻ってきた。

本来であればこのまま一気に北条攻めへと向かう予定であったが、例年より気温の上昇が遅いのか残雪が厳しく、一度計画そのものを見直す必要性に駆られての帰還であった。

甲州征伐自体が予定よりも前倒しで進んでいるため、この時点で無理を押す必要はない。腰を据えて計画を練り直し、万全の体勢を整えた上で小田原征伐に挑むこととなる。

降って湧いたような空白の期間に対し、各陣営ともに事態が動くのは雪解けを待った後となると認識していた。それ故に活発な情報収集が行われ、各陣営の間者たちが暗躍することとなる。

これに際して静子は命令違反に対する戒めとして自主的に屋敷を閉門し、蟄居(ちっきょ)(自宅謹慎のようなもの)をしていたため、彼女の屋敷で生活していた上杉家の人質たちが姿を消していることに気付くものは居なかった。


「四六を連れてゆくことを許した覚えはないんだけど……四六自身が望んだのならば仕方ないかな。しかし、奇妙な初陣を果たすことになりそうだね」


静子にとっての誤算は、上杉家の騒動へ加勢に向かった慶次に四六までもが付いて行ったことであった。

慶次らが越後に向けて出立した翌朝、四六の部屋には置き手紙一つだけが残されており、主人の姿は無かった。置き手紙には「見聞を広めて参ります」とだけ記されていた。

保護者である静子としては次期当主である四六の勝手を看過できないが、どう足掻いたところで静子は四六よりも早くに世を去るため、いずれ独り立ちの時は来る。

聞き分けの良すぎるきらいすらある四六の覚悟を尊重しようと静子は決めたのだ。

兄貴分である慶次が四六の同道を許したということは、それなりの覚悟と己の身を守れるだけの腕前を彼に示したという事だ。そうでなければ全滅すらあり得る作戦に、わざわざ足手まといを背負いこむような真似はするまい。

しかし、それでも静子としては四六のことが心配でならなかった。いくさ場では何が起こるか判らない。最悪四六を失い、死に目にも会えないかも知れないと思うと居ても立っても居られない気持ちになった。


「いずれにせよ、無事に生きて戻ってきてくれることを祈るしか無いか……」


そんな静子の苦悩をよそに、織田家では激震が走っていた。蟄居中の静子がこの騒動に巻き込まれないで済んだのは天の配剤であったのだろう。

ことの発端は信忠が信長に相談することもなしに、突如として「松を正室とする」と周囲に宣言したことにあった。

流石の信長もこれには激怒し、信忠を安土へと呼び出して撤回するように命じた。ところがこれに信忠は反発し、ついぞ首を縦に振ることは無かった。

史実に於ける信忠は塩川(しおかわ)伯耆守(ほうきのかみ)長満(ながみつ)の娘である鈴姫を翌々年に娶っており、その翌年には嫡子である三法師(さんぽうし)が生まれたとされている。

ところが今世に於いては荒木村重が謀反を起こしておらず、信長と塩川が接近していないと言う齟齬(そご)が発生していた。現状では荒木村重の謀反など起こりようもないため、信忠の正室の座は空位となっている。

元々は松姫こそが信忠の正室として内定していた。ところが織田家と武田家は敵対し、同盟が破棄されるに至って婚約は解消され、同時に正室の話は無に帰していた。

故に信忠が松姫を娶ることは許されたものの、正室に据えることは無いと誰もが考えていた。この時代の正室というのは政治的な思惑が強く絡むため、亡国の姫である松姫をそこに据えることにメリットは皆無である。

逆に武田家の復権を夢見る残党に付け入る隙を見せることにもなりかねず、デメリットしか無いのだ。それゆえに今回の信忠の宣言に対し、信長からだけでなく信忠の側近からすら考え直すよう何度も申し入れがあった。

そしてそれこそが信忠を意固地にさせてしまった。一度こうだと決めれば梃子(てこ)でも動かない。信長の長所でもあり、短所ともなりうる特質を信忠もしっかりと受け継いでしまっていた。


「久方ぶりの親子喧嘩か。あの子も自分の発言に対する責を負うつもりだろうし、私からは何も言うことは無いかな」


万策尽きた信忠の側近が、彼の姉貴分である静子に対して仲裁を求める書状を送ってきていた。しかし、静子は蟄居中であることを理由にこれに関与することを断った。

今までにも似たような衝突は幾度としてあったし、最終的には信長、信忠共に互いに妥協点を探り合い、落としどころを決めていた。外部が手を出さずとも今回もそうなるだろうと静子は思っている。


「それにしても何故正室にすることに拘ったのかな? 野心有りと見なされれば処断される松姫の側がそれを望むはずもないし、側室であっても特に不都合は無いはず。あの子の思惑が判らない以上、下手に藪を突いて蛇を出すような真似はしない方が良いよね」


こうした考えもあって、静子はこの問題には関与しないと宣言した。その後も情報収集は続けるよう、配下の間者に命じていたが気になるような報告は齎されていない。

そんな折に、これまでとは毛色の違う緊迫した報告が静子の許へと届けられることになる。


「まさか真正面から挑んでくるとはね」


今まで裏で暗躍していた上杉(うえすぎ)景虎(かげとら)が自身の立場を親北条派として表明し、静子邸に滞在していることとなっている景勝に対して「雌雄を決さん」と書状を送ってきたのだ。

これまでずっと直接的な対立を避け、謙信や景勝に対して策をめぐらせ、謀略に拠って上杉家を乗っ取らんとしていた景虎が、今になって直接対決を求めた理由へ静子は思いを巡らせた。


「甲州征伐がなされたことによって状況が変わったんだろうね」


越後国(えちごのくに)は未だ古い思想が根強く残る土地であり、強きものこそが正義であるという風潮がある。謙信が信長に臣従することを決めた際も、これに異を唱えるものが居なかったのは、謙信が誰よりも強かったからにほかならない。

それにしても何故今なのかという疑問が残る。東国征伐の残る標的は北条である以上、越後での騒動に対して北条家が援軍を送れるとは思えない。今は雌伏の時として、機が満ちるのを待つのが得策だろう。


「甲州征伐の噂を聞いて、北条の行く末が暗いと判断したのか。それとも最期に一花咲かせようと思ったのか」


いずれにせよ景虎本人を除いて彼の心情を知る者はいない。


「動員できる手勢の上では劣勢だけれど、正面から挑まれては長尾殿も断れないかな。本人を名指ししての決闘であれば、謙信であっても介入できないだろうし」


景勝は織田家に対する人質として差し出されており、彼が動員できる兵力は景虎と比べて明らかに少ない。今ならば最も己が有利な状況で戦えると景虎は考えたのであろう。

景勝を指名しての決戦となれば、謙信の後継者としての景勝の資質を問うことになるため、ほかならぬ謙信であっても介入することが叶わない。

逆に景勝が謙信に対して援助を求めれば、己こそが謙信の後継者たることを示すことが出来なかった腰抜けであると軽んじられる未来が待っている。

ゆえにこそ景勝は自身の持ちうる力だけで景虎と戦わねばならない。確かに景虎の立場であれば、ここにしか勝機は無いと言えるだろう。


「兵の数で劣り、直接勝負を挑まれたため奇襲するという道をも断たれた。明らかに劣勢な状況での厳しいいくさになるだろう、それゆえに慶次さんは楽しいのだろうけど。うちの大事な跡取りの初陣としては過酷すぎるんじゃないかな?」


そんなことを独り()ちる静子だが、彼女は口で言うほどに四六の身の上を危惧してはいなかった。景勝が率いる兵士たちは尾張の文化に触れ、近代的な訓練も受けている。

何よりも彼らは日々の鍛錬相手として尾張の最精鋭部隊と何度も特訓を繰り返している。単純に数の理屈では測れない要因があることを忘れていると、足を掬われることになるだろう。

まんまと相手を策に()めたつもりになっている景虎が、景勝たちの実力を知った時にどんな顔をするのか少し楽しみに思う静子であった。


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― 新着の感想 ―
[気になる点] 確か……七助くんはカレーに付いて行ったはずでは……? 景虎が越後に……? [一言] 最高に面白いです、特に秀長のキャラが良き
2021/11/26 20:14 退会済み
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[気になる点] “泣いて馬謖を斬る”は明では無く、三国時代に諸葛亮が目を掛けている馬謖の命令違反が原因の敗戦の責を取らせた故事による。
[気になる点] 主人公が現代で主流の実質的法治主義と現代では否定された形式的法治主義を混同している、そのうえ「法の支配」の概念が抜け落ちている。 現代の法体制は「悪法も法なり」がまかり通るほどガバガバ…
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