千五百七十七年 三月下旬
東国征伐の第一段階である甲州征伐は長可率いる先遣隊の快進撃によって幕を開けた。
岐阜城を出発した長可は兵器廠に無理を言って持ち出した大砲を用い、木曾義昌が籠城する木曽福島城を救うつもりであった。
しかし先遣隊から更に先行する斥候が持ち帰る情報を聞くに、このままの進軍速度ではとても間に合わないと判断した長可は虎の子の大砲を切り捨てるという決断を下す。
とは言え織田軍にとっても戦況を左右しうる重要兵器の大砲をその辺に投棄するなど論外である。後方まで輸送しようにも隊を分けて護衛を付ける必要があるため、完全に持て余してしまうことになった。
そこで長可はいっそ緒戦である岩村城攻略に使用し、その後は占領した岩村城内の防衛設備としつつ回収を待てば良いのではと思い至る。
ここで日ノ本初の砲撃による攻城戦を受けることになった岩村城について触れたい。
岩村城は鎌倉時代に遠山景朋が築城した山城に端を発する。後世に於いて日本三大山城の一つに数えられる程の威容と比類なき堅牢さを誇った。
史実では元亀3年(1572年)に岩村遠山家当主であった遠山景任が亡くなったことを契機に、残された女城主であり織田信長の叔母に当たる『おつやの方』は暫く武田と戦いながら城を守っていたが、翌年武田方の武将秋山信友と結婚し、武田方へ寝返ったため悲劇の最期を迎えた。
一方この時代では元亀3年末の段階で武田信玄が討ち死にし、情勢は武田から織田へと大きく傾いた。歴史を早回ししたことによる影響なのか遠山景任が史実よりも早く逝去し、信玄の西上作戦を契機にやはり織田方から武田方へとおつやの方は寝返ってしまった。
当然ながら親族の裏切りに信長は激怒した。それにもかかわらず五年以上も見逃されていたのは信長にとって武田方の重要性が低くなってしまったからだろう。
とは言え此度の第二次東国征伐に於いては、しっかり攻略目標に設定されていることから、そろそろ引導を渡してやろうと言う思惑が窺えた。
如何に難攻不落で知られた岩村城とは言え、援軍のあてが無い段階での籠城は論外だ。
城山の麓に建てられた物見櫓から織田軍接近の報が齎されたのを契機に相手の出鼻を挫かんと迎撃部隊が出陣していった。
そしてその後は物見櫓からも迎撃部隊からも連絡が途絶えてしまう。この異常事態に対して城主の秋山信友は判断を下せず、徒に時間を浪費することになる。
対する長可は最も脚の遅い大砲部隊を最前列に据えるという常識外の部隊運用をしていた。この一戦だけ弾薬がもてば良いという割り切りから、大砲を使い倒すつもりなのだ。
戦闘では一般的に高所を取っている側が有利となるのだが、長可はこれを力業で覆してみせた。自軍の物見から山門の裏に敵が集結していると聞くや否や、傍に建っている物見櫓及び山門一帯に対する砲撃を命じた。
長可は大砲部隊を最前列中央に据え、周囲を奇襲に備えて鉄砲隊で固めると観測射撃もしないまま砲撃を開始する。
当然のように初弾は狙った地点に着弾しなかった。しかし敵方は落雷のような轟音と共にどんな攻撃にも耐え得ると信頼を寄せていた石垣が大きく抉り取られる様を目撃することになった。
次弾は偶然にも物見櫓の中ほどに直撃すると、櫓をへし折ってしまう。これを目にした敵方は恐慌状態に陥るが、間を置かずにどんどん撃ち込まれる砲弾は容赦なく防衛施設を破壊していった。
長可側からは仰角の関係で、敵軍の配置は判らないものの、当たるを幸いに適宜目標を修正しながら撃ちまくる。
これを麓の防衛施設が壊滅するまで繰り返し、一兵の犠牲すら出すことなく長可軍は秋山軍を籠城させることに成功した。
本来であれば麓が攻略されたとしても頂上部付近まで攻めあがるのは至難の業だっただろう。
なぜならば山麓と山頂を結ぶルートは藤坂と呼ばれる左右を林に囲まれた急な坂道のみであるからだ。守るに易く攻めるに難い天然の要害が立ちふさがる。
防衛側は山中に兵を伏せることもでき、また高所を利用して重量物を転がすだけで敵を攻撃することが可能となる優位性を持つ。
一方の寄せ手である長可は、またしても力業でこれを突破することになる。
度重なる砲撃を受けてあちこちが崩壊したとは言え、流石に石垣造りの山城は堅固であり、大砲を山頂に向けて並べると山なり弾道での砲撃を命じた。
足満の手によって魔改造を施された大砲は構造的にアームストロング砲に近く、砲身に刻まれたライフリングと密着するよう弾体にも溝を刻んだ椎の実型の砲弾、所謂ミニエー砲弾を用いて改良された褐色火薬で撃ちだす仕組みだ。
余談だが工業化が進んだことにより、硫酸や硝酸を使用できる関係から火薬を無煙火薬へとシフトさせようと言う流れになっているが、現場では未だに在庫が潤沢にある褐色火薬が使われている。
こうした地道な技術改良の結果、長可の用いる大砲は少し旧型となるがそれでも最大射程で2000メートルを誇るまでになっていた。対する岩村城は標高700メートル少々であることから、わざわざ危険な登坂ルートをゆかずとも麓から曲射することが出来るのだ。
完全に隔絶した技術水準の兵器を使われた側は大混乱に陥っていた。山麓からの連絡が途絶えたため、偵察を出すか否かを思案していたら、麓から絶え間なく雷鳴の如き砲声が響き渡る。
傾斜と高低差があるため着弾点を観測できず、砲撃の命中精度は散々なものだったのだが的がデカいのでそこそこ当たった。高く積み上げられた堅固な石垣も、高所という地理的優位性すら物ともしない長可の攻撃に秋山の心は折れてしまった。
仮に当主が抗戦を命じたとしても、我先にと逃げ出し始めた群衆には響かなかったであろうことは疑いようもない。地獄のような半刻(約一時間)が過ぎたところで、長可より投降を呼びかける使者が遣わされ、無条件での降伏を受け入れた。
こうして城主である秋山信友は、その妻おつやの方共々捕らえられ、合流してくるであろう後続の部隊へと託されることとなった。難攻不落と謳われた岩村城が、わずか半日足らずで陥落したのだ。
長可の率いた先遣隊の快勝は、電信によって要点のみを速報として伝えられた。追って送られた詳報は、静子邸に常駐している通信手部隊が受け取り、事務方が清書することによって静子の手元に届けられる。
自邸に居ながらにして、信濃国での戦況を手に取るように把握する静子の姿を見た信長は内心唸っていた。開明的であると自負している信長をして、電信が齎す革新性は見通せていなかった。
臨時の速報や定時連絡を通じて、適宜更新されていく立体地図上の戦況図と物資の残量を見て信長はいくさのやり方が根本的に変わった瞬間に立ち会っていると自覚した。
信長は甲州討伐の先遣隊及び本隊からの連絡を受け、立体地図上に矢印型のコマとして配置されている予想進路上に存在する攻略目標を見やる。
長可ら先遣隊は岩村城を出て北上しながら木曾福島城を目指す。
籠城している木曾義昌が耐えきれれば、合流した上で武田軍を蹴散らし、鳥居峠を抜けて桔梗ヶ原(長野県塩尻市)を経由して諏訪湖へ至る進路を取る。
一方で信忠が率いる本隊は岩村城を出発し、天竜川に沿って南下しつつ滝沢城を落とす。
ここから北上しつつ新府城を目指しながら途上にある松尾城、飯田城、大島城を攻略、高遠城にて先遣隊と合流しこれを攻め落とし、諏訪湖沿岸の上原城を経て、新府城へと向かう進路となる。
以上から解るようにどちらのルートにとっても避けては通れない武田軍防衛の要となるのが高遠城だ。高遠城は武田にとって諏訪から伊那へと向かう交通の要衝であり、駿府や遠江を睨む前線基地となる。
高遠城は武田信玄の手によって、大島城や飯田城と共に大規模な拡張を施されており、武田を守る最後の防衛ラインを形成していた。
言い替えれば高遠城が落ちるということは武田の滅亡を意味する。何しろ新府城は未だに完成しておらず、高遠城以東には高遠城をも陥落させるような軍を受け持てる城が存在しないからだ。
「間者の報告によれば武田は北条から不足している軍備を融通して貰っています。ゆえに北条からの援軍は無いと断言しても良いでしょう」
眉を寄せた表情で立体地図を覗き込んでいる信長に静子が現状を説明した。当初の手はずでは信長は安土城にて連絡を受けることになっていたのだが、何故か単身尾張までやってきてしまっている。
信長の行動を予測していたであろう濃姫は、面白そうだからというだけでその可能性を静子に告げなかった。静子の目が死んだ魚のように淀んで見えるのは、決して気のせいなどではない。
「ほう! 援軍ではなく軍備を望むか」
「武田とて武家の頭領たらんとした矜持があります。また北条にも武田の支援に割ける余裕がなかったのでしょう。ともあれ武具や糧食、矢に鉄砲と弾薬が届けられたそうですが、それだけでは戦局は動かないでしょうね」
「我が方の軍備はどうなっておる?」
「万事滞りなく支度できております。先日羽柴様ら西国を制圧しておられる方々に向けて、食料の追加発送も済ませております」
「ふむ。完璧というわけか」
「いいえ上様。兵站に於いて完璧というものは存在しません」
静子の言葉を受けて信長の眉が神経質そうに顰められる。高まる緊張感を受けて周囲の者は押し黙るが、静子はいつもと変わらぬ様子で続けた。
「戦況というのは常に流動的に推移します。これで完璧として手を止めれば、その時点から情報の陳腐化が始まり、現場と後方での齟齬が生まれます。これを避けるには常に完璧であろうと目指し続けるほかありません」
「では、いつになれば準備が整ったと言えるのだ?」
「それは後の世に於いて、歴史を紐解く学者達が判断することになるでしょう」
判断するのは自分たちではないと静子が断言する。これを耳にした信長は目尻を下げて微笑むと、静子の頭に手を置いてわしゃわしゃと掻き乱した。
「その意気やよし! しかし常に気負っていては遠からず大失敗をやらかすぞ。ここは素直に褒められておけ」
そう言いながら信長はぐちゃぐちゃになった静子の頭をポンポンと撫でた。
「は、はあ……」
「よし。そうじゃ、わしは喉が渇いたぞ。何やら皆が絶賛した飲み物があると聞いたぞ? ここでもわしだけ仲間外れにすると言うのか?」
少し迷惑そうに手櫛で髪を整えながら静子は頷くが、続く信長の言葉で彼がわざわざ尾張まで出張ってくる理由の一つに見当がついた。
(誰からはちみつレモンの話を聞いたんだろう?)
東国征伐を前に長可が特訓に励んでいるのを見て、静子が運動部の練習を思い出してレモンのはちみつ漬けを作らせたのが事の発端だ。
肉体疲労時のビタミン補給と速やかな栄養摂取に適しているレモンのはちみつ漬けを作り、余った漬け汁を捨てるのも勿体ないと考え、少量の塩を加えて水で割ったはちみつレモンドリンクへと加工した。
これをやはり特訓後の兵士たちに冷やして届けたところ絶賛され、その爽やかな甘酸っぱさと体に染み渡るような味わいが口コミで瞬く間に広まってしまった。
(同じものを出しても芸がないし……うーん、炭酸水で割ってはちみつレモンソーダにするかな? これなら日ノ本初と言えるだろうし)
独特の刺激はあるものの、炭酸入りジュースを初めて飲んだことになると言えば信長のご機嫌も良くなるだろう。そう思った静子は、信長に提供する飲み物を作るために厨房へ向かった。
しかし静子は濃姫の存在を失念してしまっている。真に日ノ本初を名乗ろうと思うのならば、彼女がいない時でなければならないという事に思い至らなかった。
信忠が率いる本隊の進軍速度は誰しもが予想しえない程のものであった。長可の出発から遅れること4日で後を追い始めた本隊だが、長可が大砲を持ち出したこともあって岩村城に着いた時にはその差が1日まで縮まっていた。
しかし長可が大砲を岩村城に残していったことにより、再び差が開くこととなる。信忠の率いる本隊が占領下にある岩村城に到着し、戦後処理や中継拠点としての整備をしている間にも先遣隊は木曾福島城を目指して行軍していた。
そうして押っ取り刀で木曾福島城へと到達した先遣隊だが、城は包囲されるどころか離れた地点に陣を張った武田軍と睨み合っており、時折小競り合いが発生する程度という状況に拍子抜けすることとなる。
木曾福島城に入った先遣隊は城主の木曾義昌と合流して部隊の再編制を行い、籠城から一転して武田軍へと急襲を掛ける策に出た。元より地の利は木曾側にあり、周辺の土地を知り尽くしていることを利用し、派手に歩兵部隊を並べると武田軍を威圧するように進軍を開始する。
予想以上の規模となった長可・木曾の連合部隊を目にした武田軍が慌てている間に、山を知り尽くしている木曾軍の案内を受けた長可軍の新式銃部隊と、木曾軍の鉄砲隊や弓隊が山々の峯に隠れつつ配置についた。
開戦の合図は新式銃による一斉射撃の音で始まった。正面から迫る大軍に目を奪われていたところへ横合いから強烈な一撃を受けたのだ。
距離があったことと、木々に遮られて狙いが逸れたこともあり、それほどの犠牲者は出なかったのだが、意識の外から攻撃を受けた武田軍は浮足立った。
その間にも長可・木曾連合部隊は正面から距離を詰めており、更に周囲から矢や鉄砲の弾が降り注ぐ状況に武田軍は竹や木を束ねた盾で防御しつつ、むしろ前に打って出ることで混戦に持ち込み、矢や鉄砲の雨を無効化しようとした。
一方、長可・木曾連合部隊は武田軍の行動を予測していたように後退をはじめ、武田軍は銃弾と矢に追い立てられるようにして鳥居峠へと誘い込まれてしまい、ここで両軍が本格的に激突することになった。
鳥居峠は険しい一本道であるため大軍がぶつかるには不向きであり、どうしても部隊が長細く伸びてしまう。前方は長可・木曾連合部隊に塞がれ、後ろは味方の部隊が詰まっており身動きの取れない状況で更に側面から銃撃を受けるという死地に武田軍は誘い込まれてしまった。
こうして武田軍は少なくない犠牲を出しながら這う這うの体で敗走し、これを長可・木曾連合部隊は伏兵としていた鉄砲及び弓部隊と合流して追撃することになる。
撤退を続けた武田軍は奈良井川とその支流である田川に挟まれた桔梗ヶ原で陣を立て直す。奈良井川の扇状地であり、原野の広がる台地となっている桔梗ヶ原は大軍同士がぶつかり合うのに申し分のない立地であった。
しかし、悲しいかな武田軍はそれまでに犠牲を払いすぎ、すでに数の優位性を失ってしまっていた。勝ちいくさで勢いに乗った長可・木曾連合軍と、数で劣る上に士気の下がった武田軍がぶつかり合えば、結果は火を見るよりも明らかであった。
終始織田方優勢で状況が推移し、またしても武田軍は散り散りに敗走することとなる。敗走する敵を追撃して刈り取るのが戦国の習いだが、ここにきて長可・木曾連合軍に問題が持ち上がった。
「これ以上の追撃は許可できぬ! 南回りで侵攻しておられる勘九郎様(信忠のこと)と足並みを揃えるためにも、ここ桔梗ヶ原に陣を敷いて上原城を攻める足掛かりとすべきであろう!」
「敵の大部分は北の深志城(後の松本城)を目指して落ち延びた。これを放置しておいたら上原城を攻める際に背後を突かれるって言ってんだよ!」
長可はあくまでも追撃を主張するのに対し、先遣隊の軍目付として同行している織田長益は足場固めをすべきだと主張したため意見が分かれた。
長益は信長の弟に当たり、流石の長可であってもこれを無視することは出来ない。しかし長可は自分の主張に理があると考えており、長益の意見に従うつもりは毛頭なかった。
当初の先遣隊を任されていた団平八もまた長可に同調したため、完全に意見が分かれ平行線となり、互いに妥協することなくぶつかり合った。
「俺は上様から好きにして良いと仰せつかっている! それに深志城には馬場昌房が詰めているって言うじゃないか、ここに武田の残党が合流したら無視できない勢力になっちまうぞ!」
長可は軍議の場に置かれていた長机へ思いきり拳を叩きつけて叫んだ。長可の剛力に長机の脚が耐えきれずにへし折れ、上に載せられていた戦況を示す略図などが散乱する。
「それとも何か? 絶好の機会を見逃して敵が態勢を立て直すのを指咥えて見守った結果、まんまと背後を突かれて負けましたって、お前は上様の前で言えるのか!?」
長可は激情に駆られるまま、脚の折れた長机の残骸を掴んで投げ捨てる。決して軽くはない長机が軽々と宙を舞い、陣幕を支える幕串にぶつかると盛大になぎ倒しながら砕け散った。
「これ以上腑抜けには付き合ってられん! 俺は俺で勝手にやらせて貰う。残りたいやつらはこの陣に引きこもっておれば良い! アレは深志城を攻める俺たちが持っていくからな!」
そう言い捨てた長可は、まさに怒り心頭といった様子で陣を出て行った。慎重派を纏める長益は、長可の嵐のような暴れっぷりに呆然としていたが、それでも彼を引き留めよとは言わなかった。
軍目付の意見に従わないというのは明らかな軍規違反なのだが、荒ぶる長可を相手にそれを咎められる者はいない。長可に同調する団なども、彼に続いて陣を退出し、寒々しい空気の中それでも軍議は続けられた。
「森様、本当によろしいのですか?」
「丸一日も足止めを食ったんだ、これ以上遅れるわけにはいかん」
長可の後を追いながら側近の一人が訊ねる。長可は何でもないとでも言うように手をひらひらと振って応じた。
長可の対応に嘆息しながらも、側近は慌ただしく出立の準備をしている兵士たちへ視線を向ける。彼が見つめる先には新式銃を装備した銃兵100名が、各自の装備と荷物の確認を行っていた。
織田家と武田家の運命が交錯し、その後の盛衰を決定づけた『三方ヶ原の戦い』でいくさに関する一大パラダイムシフトが発生する。
今では静子の配下として間者を取り纏めている真田昌幸の兄である、亡き真田信綱が悟ったように単純に兵士の多寡がいくさの趨勢を決定する時代は終わりを告げた。
鉄砲の伝来以降、その傾向はあったものの新式銃の登場によって決定的となる。即ちどれだけ鉄砲と銃弾の数を用意できるかが、勝敗を左右する大きな要因となったのだ。
一口に同じ鉄砲と言っても、従来の火縄銃と静子軍が制式採用している新式銃とでは、隔絶した性能差が存在することを三方ヶ原の戦いが証明してしまった。
その後も新式銃の拡充が図られた結果、新式銃を装備した銃兵は正規兵3000名を数え、訓練中や予備役となっている予備兵が500名、更に銃兵の観測手も務める支援兵が3500名を定員とする大部隊になっている。
約7000名という大所帯を統括するのは初期から変わらず静興(玄朗のこと)だが、流石に直轄で管理できる限界を超えているため正規銃兵500名、支援兵500名を合わせた1000名で7つの大隊を構成し、それぞれに大隊長を置いて統括する。
更に大隊の下に定員250名の中隊を4つ配置し、その下に定員50名の小隊を5つという編制を取っている。新式銃兵の需要が高いため、基本的に小隊単位での派遣が行われる。
「本当に銃兵2小隊100名全員を連れていかれるのですか? 彼らは先遣隊全てに対して割り振られたはずでは……」
「アレを扱えるのは支援兵だけだからな、全員連れて行くのが当然だ。それにここに置いていったら、また自分の陣営に取り込もうと引き抜きを始めやがるからな。実働部隊を権威付けのお飾りにするような馬鹿には勿体ないだろう?」
「誰も引き抜きに応じないので、どんどん勧誘の手口が強引になっているとの苦情がありました。仮に引き抜いたところで装備と練度の維持すらできないでしょうに」
「それに熱狂的な静子信者がそれなりの人数いるからな」
「森様もお仲間ですよね」
「何か言ったか?」
「いえ、何も」
長可が睨みを利かせるが、側近は素知らぬ顔でとぼけて見せる。側近の態度に舌打ちを一つした長可だが、意外にもそんな側近を彼は気に入っていた。
「ところで森様、深志城を攻略された後は再びこちらに戻られるのですか?」
「その予定だ」
「承知しました。それでは私も出立の準備をして参ります」
平城とは言え、本丸・二の丸・三の丸ともに水堀で隔てられているため守りが堅いことで知られた深志城を、当たり前のように攻略できる前提で話す主を頼もしく思う側近であった。
長可が率いる部隊が桔梗ヶ原を出発し、一路深志城を目指して北上するも敵の影は見受けられなかった。
敵の後を追うには時間が経過してしまっていることもあるが、深志城は実に16もの城が周囲に存在するという要塞地帯を形成しているため、その何処に残党が逃げ込んでいても不思議ではない。
誰にも邪魔されることなく北上を続けていた長可軍だが、進路沿いの最も南に位置する赤木城が見えるところまで進んだ辺りで足を止めた。
何があった訳でもなく、唐突に長可が全軍停止を告げたためだ。そして長可の命令で周囲の山を望遠鏡で見まわすと、ちょうど道が細くなっている箇所の崖上に数名の兵士が伏せているのを見つけた。
「良くお気づきになりましたね」
「いや、俺だって見えちゃいなかったさ。ただ、俺ならここに兵を伏せるだろうなって言う好立地だったからな、念のため探らせたまでだ。敵はこちらに気付かれているとは思うまい、小休止のふりをしながらアレを準備しろ」
そうして長可の指示したように部隊全体が小休止を始めると、対する赤木城の伏兵は少しでも敵の情報を得ようと物陰から身を乗り出してきた。長可軍の兵士は携帯している水筒から水を飲んだり、携行食を口にしたりしながらも周囲を警戒し続ける。
赤木城の兵士たちは身振りで誰かに合図しているようで、見えていない場所にも兵士が伏せているであろうことが判る。しばらく休憩を取ったのち、長可の号令に従って再び行軍を開始するように見えた長可軍だが、行軍にしては妙な形に陣形を組んでいた。
そして武器を持たずに大きな荷物を背負っている兵士が前方に進み出ると、背嚢から革袋に包まれた棒状のものを取り出して何やら作業を開始する。
それは光を反射しないようマットな黒に塗装された鋼鉄製と思わしき筒状の物体に、一本足が生えたような奇妙な外見をしていた。彼らはそれを斜め45度ぐらいに傾けて地面に設置すると、両膝で挟むようにして固定し、筒の先端から拳大の物体を滑り込ませる。
最初に起こったのはズドンという腹に響くような重低音、次いで奇妙な筒状の部品が火を噴いた。謎の攻撃は崖上に伏せていた赤木城の部隊を軽々飛び越え、遥か後方に風切り音とともに死の雨を振りまいた。
長可が用いたのは一般に擲弾筒と呼ばれる兵器であった。足満謹製のそれは墜発式(落とし込み式)と呼ばれる構造をしており、砲口の先端から砲弾を落とし込み、その砲弾底部のファイアリングピンに激突することで発火する。
砲弾底部には発射用の爆薬が込められ、これが起爆することで砲弾底部を膨張させつつ背後に燃焼ガスを叩きつけることで撃ちだされる。爆圧によって膨張した砲弾底部は、砲身に設けられたライフリングに噛み込むことで回転して直進力を得る。
撃ちだされた砲弾は安定翼と呼ばれる羽状の部品によって高い確率で先端から着弾し、その衝撃で更に砲弾内の爆薬が起爆すると爆風と共に金属片をまき散らして周辺を攻撃するのだ。
要するに手榴弾を撃ちだすグレネードランチャーを設置式にした迫撃砲に近い武器であった。撃ちだされた砲弾は、森の中という事もあり木々に遮られて直撃したものは少なかった。
しかし、上空から猛烈な勢いで降り注ぐ鉄片を受けた方は堪らない。広範囲にわたって無差別に振りまかれる破片によって、赤木城の多くの兵士が負傷し恐慌に陥ったのか、または砲撃を止めるべく突撃をしようとしたのか。
とにもかくにも隠れていた場所から飛び出すと、一部の者が長可軍に向けて攻撃を加えようとした。しかし、それを待ち構えていた長可軍がみすみす攻撃されるのを待つはずもなく、新式銃の銃撃や弓での射撃によって次々と討ち取られていった。
「ふん、さては岩村城から落ち延びた奴が情報を伝えたな。大砲を前に籠城は無意味と悟って、野戦を挑むべく待ち伏せに出たってところだろう」
「この先には小屋城がありますが、そちらも打って出てきますでしょうか?」
「どうだかな? 今の攻撃を受けて逃げた奴が知らせれば、籠城するかもしれないな。それならそれで攻めようはある」
果たして長可の言葉通り、次の小屋城では城門を閉ざして籠城された。長期戦になると補給の受けられない長可軍が不利となるため、擲弾筒で今度は徹甲弾を打ち込んで城門を破砕し、同じ要領で防壁を無効化して瞬く間に制圧した。
ここまで容易く城を攻略できたのには運の要素も影響している。この一帯は数年前に焼岳の噴火被害を被っており、未だに復旧しきれていなかった。何にしても動員できる兵力が少ないため、少数部隊の長可軍に良いように蹂躙されてしまう。
次に立ちふさがった井川城に至っては、砲弾が撃ち込まれた途端に兵士が身に着けた笠を振り(当時の投降する際に行う合図)、次々に投降してしまった。その様子を見て城主も降伏し、ほぼ無血開城と相成った。
実際には擲弾筒の砲弾は静子軍にとってもコストが重く、それほど大量に準備できていないのだが、轟音と共に天から降り注ぎ着弾と同時に広範囲に被害をばら撒く未知の兵器に武田軍は心底震えあがっていた。
最終的に深志城に辿り着いた時には、残りの砲弾が十数発というところまで消耗していたにもかかわらず、最初の一斉射を受けただけで敵軍が降伏し、それを受けて周辺の城も武装解除に応じることになる。
一方西国では秀吉の播磨平定が佳境を迎えていた。信長より足場固めを命じられていた秀吉は、小寺政職から奪った姫路城の改築に着手した。
これは毛利征伐の前線拠点とする名目だったのだが、ちゃっかり本丸に天守を増築するよう指示を出しており、防衛機能よりも見た目の豪華さを優先しているところから、秀吉が光秀を意識していることが窺えた。
「皆の尽力によって、もう一息で播磨平定が成る。ここが踏ん張りどころぞ!」
秀吉は部下の働きぶりを褒めつつも発破をかける。播磨と但馬が平定されれば、本格的に毛利攻めが始まるため、秀吉は毛利戦での主導権を握ろうと画策していた。
ここを逃せば光秀との差が決定的になると考えた秀吉は、少しでも早く播磨を平定してその後の戦役に対する準備が整っていることを信長にアピールしたいという狙いがあった。
当然秀吉のこの動きは光秀も承知しており、二人は互いに競うようにして任地の平定を急いでいる。
「竹中殿、播磨は昨年不作の地域が多く、民は勿論のこと将兵に至るまで満足に食えておりませぬ。食い扶持を保証してやれば取り込めるかと」
秀吉が播磨征伐で手に入れたものの内、彼自身が自分には過ぎたるものと評した黒田孝高(通称として黒田官兵衛、以降は良く知られている官兵衛とする)が竹中半兵衛に意見を述べる。
信長が播磨侵攻に着手した頃から官兵衛は、信長の将来性に着目していた。官兵衛は元々前述の小寺政職に仕えていたのだが、荒木村重が謀反の兆しを見せたことに呼応しようとしたため、主君を諫めたところ逆に土牢に幽閉される。
最終的に荒木は謀反に至らなかったものの、小寺は秀吉の調略に応じなかったため討ち取られることとなり、その際に幽閉されていた官兵衛は救い出されたことから秀吉に仕えるようになった。
しかし最後まで信長に反抗していた小寺の家臣であったため、人質として息子の松寿丸を差し出したものの信用されず、人質の待遇も決して良いものではなかった。
この状況を打開したのが竹中半兵衛である。半兵衛は早い段階で官兵衛の能力を見出し、秀吉に彼の待遇を改善するように訴えたのだ。
それを知った官兵衛は半兵衛の取りなしに甚く感謝し、彼への感謝を子々孫々に至るまで忘れぬよう石餅という竹中家の家紋を使うようにしている。
「ふむ。食い扶持を与えたとて喉元過ぎれば……となるのでは?」
「そこは飢えぬ最低限に加減し、これに感謝するか不満を募らせるかで篩にかけるのです。不満を抱く輩を監視し、謀反の兆しあらばこれを討てば良いでしょう。少なくとも扶持を保証したという大義はございます」
「なるほど。噂に違わぬ辣腕を振るわれる」
半兵衛は官兵衛の策に感心する。官兵衛は半兵衛の取りなしを受ける前から、信用されないことに腐らず積極的に播磨平定の献策を続けた。
秀吉の播磨征伐が滞りなく進むようになったのは半兵衛と官兵衛が互いに影響し合うようになったお陰であろう。何より官兵衛は播磨に通じており、彼の立てる策はそれと判っていても回避できずに見事にはまった。
官兵衛も半兵衛という自身に伍する知恵者の意見を受け、一層研ぎ澄まされた献策をできるようになっている。勿論、彼らの策を受け入れる秀吉の度量と、その策を実行できる実働部隊の働きあってのことではある。
「おお、このような場所におられましたか」
官兵衛と半兵衛が互いに策に関して意見を交わし合っていると、ふらりと秀長がやってくる。彼はいつも通りの飄々とした態度で薄く笑みを浮かべていた。
秀長の姿を目にした官兵衛の表情が引き締まる。官兵衛は秀吉に仕え始めた当初から彼のことを胡散臭く思っていた。彼と接するようになり、人となりが解るようになると、まごう事なき要注意人物だと確信するに至る。
「準備が整いました。近く神戸港に移動し、その後船で尾張へと向かいます。軍議も良いのですが、此度の尾張行きは重大事です。そちらにも意識を割いて頂きたい」
「……有馬の再建でしたな。しかし、秀長殿の仰る静子殿とやらが本当に資金を投じて下さるのですか?」
「ええ、間違いなく出資されます。それだけに留まらず、彼女が投資する事業には必ずや他の者も競い合うように金を出すでしょう」
噂はいくつも耳にしておれど、詳しく静子を知らない官兵衛からすれば信じがたい話であった。
「静子様が投資される事業は例外なく大きく成長しております。利に聡い商人がこれを見逃すことはありますまい。新たに開発されている神戸港の様子はご存じでしょう? あの様に飛躍的な成長を遂げるのです」
静子を良く知る半兵衛が実例を挙げて論拠を補足する。官兵衛も信を置く半兵衛の言葉に考えを改める。
「確かに寂れた寒村だった神戸が、今や多くの商人で賑わい、付近一帯が活気づいております」
神戸は官兵衛の言うように、元々これと言った特徴の無い寂れた寒村でしかなかった。そこに静子の開発を受けて簡易的な軍港が整備されるや否や、怒涛の勢いで商人たちが雪崩れ込んできた。
現地の様子を良く知る官兵衛からすれば、整備されたばかりの未だ小さい神戸港周囲の寂れた土地を我先に買い求め、土地が足りなくなれば原野を切り開いてまで整備をする様に困惑するばかりだ。
いち早く己の店を整えた商人は、他所から持ち込まれる荷を買い付けたり、船員相手の商売を始めたりと活発に商業活動を始めている。この成長の連鎖はますます加速し、今や港町と言っても遜色のない様相を呈していた。
更には自前で船を用意し、廻船問屋の走りといった商売を始めるものも出始めている。堺のような大規模港の場合、既得権益でがっちりと囲いこまれていて新規参入が難しいのだが、ここ神戸港ならば西から届いた荷を尾張まで運ぶだけで一攫千金が狙えるのだ。
神戸港を起点として熾烈な争いを繰り広げているのは何も海に関するものばかりではない。その身一つで西へ東へと荷を運ぶ棒手振が数多く流れてきていた。
天秤棒一つを肩に担ぎ、前後に荷の入った桶をぶら下げて行商する彼らは、近距離の運搬と販売を担う自分たちの活躍の場が多くあると理解していたのだ。
そして彼らの読み通り、神戸港の拡張工事は順調に進められ、それに伴って港湾関係者や商人たち、更にはその商品を買い求める一般の者たちまでもが彼らの顧客となった。
あまりに急な繁栄ぶりに海産物はともかく、青物などの供給が追い付かなくなり、港町の更に外側に衛星都市のように農地が広がるようにまでなった。
利水に優れた河川沿いの耕地は人気が高く、大商人と呼ばれる者たちまでもが私財を投じて開墾を始める始末。一等地はすでに静子が押さえているため、外へ外へと開発が広がっていく。
「港を中心とした大きな需要を満たすため、周囲にどんどん人が集まって既に港町と呼べる規模に成長しております」
「静子殿は計画段階の時点で米と酒米、大豆、蕎麦及び野菜を平地で栽培し、傾斜地では果実の栽培も行うと伝えてきておられました」
「随分と手広く扱われるのですな」
「いえいえ、これは農業だけに過ぎず事業全体のほんの一端に過ぎません。農業の他にも林業、水産業に土木工事から流通に至るまで本当に多くの事業を手掛けられるだけの人材を抱えておられるのです」
「なんと……」
正直なところ、大恩ある半兵衛の言でなければ官兵衛は「そんな万能の存在などあり得ない」と一笑に付していたことだろう。秀長も半兵衛の言葉に対して何の反応も示さない処を見るに、本当のことなのだろうと理解できた。
(この機会に是非見定めてみたいものだ)
百聞は一見に如かずとも言う、これ以上情報を得たところで人物像はあやふやになる一方だ。官兵衛は静子に会うのが楽しみになっていた。