千五百七十七年 三月下旬
港湾開発を軌道に乗せるべく奮闘しているうちに、気が付けばひと月以上が経っていた。西国では突発的な小競り合いが発生するものの、大規模な合戦に発展することなく膠着状態に陥っている。
これは主に攻め手側が消極的になっていることに起因するのだが、その背景には信長から秀吉及び光秀に対し「侵攻速度を落とし、基盤を固めるように」との命令が下っているという事実があった。
西国征伐を支える流通の拠点となっているのは未だに京であり、京から丹波を経由して播磨へと補給路が伸びていた。前線への補給を迅速にするためにも、早急に物流の前線基地を構築する必要がある。
幸いにして摂津・丹波に関してはほぼ制圧できているため、第一段階として物流拠点を丹波まで押し上げる。次に丹波と播磨の境界付近に中継基地を設け、最前線である北播磨及び東播磨を支える構想であった。
こうした動きを敵側に悟られることなく進めるためにも、小競り合いを続けつつも敵の攻撃を阻み、圧力をかけ続けることに秀吉と光秀の二人は終始することになる。
「陸路では丹波から、海路では摂津経由で播磨の国境までの物流網が繋がり、お二人の尽力によって地域の安定化も上々。神戸港の開発は順調かしら?」
「藤堂様の定期報告によりますと計画に大きな遅延はないとのことです。ただ海中作業が生ずる突堤の工事が遅れつつあるようです」
「無理もありません、越後などと比べたら暖かいとは言え春はまだ遠いですからね。無理をして水中作業のできる熟練工を失うのは避けたいですし、突堤の工事は計画を見直しましょう」
尾張に比べれば暖かい傾向にあるとはいえ、本来冬の海は人の領分ではない。樹脂製のウェットスーツを開発してはいるが、断熱が十分ではなく長時間の作業には耐えられない。
突堤がなくとも小型の船舶であれば停泊可能であるため、海運は補助的に用いるにとどめ、当面は陸路を中心にした物流網で運用することとなる。
港湾都市を整備するにあたり、港だけが出来上がっても意味がない。海路を通じて運ばれてくる荷を目的地まで運ぶ陸路の整備も併せて行う必要があった。
「そんなに沢山港ばっかり作ってどうするんだ?」
静子の傍で話を聞いていた長可が疑問を口にした。彼が指摘するように、静子は神戸港だけに限らず、織田家の支配下にある各地でも港湾都市開発を計画している。
尾張と西国を結ぶ航路の中間点に位置する紀伊(現在の和歌山県)方面にも港湾都市を作るべく、静子は精力的に信孝とも連絡を取り合っていた。
「物流を支配すれば、自ずと敵の動きが見えてくるからね。迂遠に見えても、これが一番の近道だよ」
「そういうものか。確かにいくさのように多くの人を動かそうとすれば相応の物資が動くことになるから、どうしても静子の知るところになるか……」
秀吉の手によって明石付近までの領土を切り取れたため、静子は飴と鞭を併用しつつ既存の兵庫港及び尼崎港を支配下に置いた。その上で港湾運用に厳格なルールを適用し、抜け荷(いわゆる密輸)を取り締まった。
さらに埠頭に大規模な倉庫を建設し、重機を用いた荷物の積み下ろしをするため、従来の人力で運搬する方式とは効率面で雲泥の差となる。そうなってしまえば利に聡い商人たちがどちらを利用するかは、火を見るよりも明らかであった。
そして一度ついた差は広がることはあっても縮まることはなく、物流は静子の手による独占もしくは寡占状態となっている。
「いくら私でも道楽で港湾開発をやっているわけじゃないからね。ちゃんと目論見あってのことだよ?」
「織田家の家臣ですら未だに静子の港湾開発を無駄だと断じる輩が居るからな。まあこうして異例な荷動きがあれば、その兆候を察知できるとなっては敵も厳しくなるな」
「流石に自給自足している物資や、播磨以西から運ばれてくるものについては把握できないけれど、武具類に関してはそうもいかないからね。特に火薬は堺を押さえているから、上様の許可が無ければ運ぶことすらできないし」
「仮に抜け荷で持ち込もうとしても、道なき山野を一人で駆け抜けでもしない限り、どうしてもお前に察知されるよな」
物流網を構築した静子は、運送会社を興すと瞬く間に最大手へと上り詰めた。独占状態になると競争原理が働かないため、会社を複数に分けて独立採算制にした上で信長と信忠へ経営権を委ねた。
こうして互いに競い合うことで技術の発展や、業務の改善が活発に行われるようになる。ただ経営権を委ねたとは言え、静子が大口の出資者であることは変わりなく、業界全体に絶大なる影響力を持つようになっていた。
「人材育成をして会社を発展させていくのが楽しくてね。多分だけれど、私はいくさよりもこういう仕事の方が性に合っていると思うんだ」
「まあ、静子は戦闘に関しちゃ人並みの域を出ないからな。昔は変な弓を扱わせたら目を見張るものがあったが、今じゃ蔵で埃を被っている始末だしな。妙に勘が良いから指揮官としてはまずまずだが、それでも非凡とは言えないな」
「宇佐山城での負け戦を経験して以来、遠からず足手まといになると思っていたよ。だから後方支援部隊を主力にしたんだ。これならいくさの巧拙は関係なく、実際に刃を交える勝蔵君達を支えることができるしね。武田との合戦では変化する戦況を最前線で即座に判断し、対応した指示を出す必要があったから例外的に前線にいたけどね。今後は人材不足にでも陥らない限り、前線に立つことは無いんじゃないかな?」
「当たり前だろう! お前の代わりが誰に務まるっていうんだ。それでなくとも近頃は後に必要になるであろう物まで先んじて送られてくるから、お前が前線に出てきているんじゃないかと焦るっていうのに」
「傾向と対策だよ。記録はただ残すだけじゃ勿体ないじゃない? 分析して活用すれば状況に応じて必要になる物の傾向が見えてくるんだよ」
長可の言葉に静子は苦笑しつつ答えた。人間は往々にして成功体験を元に行動をパターン化しがちである。そして個を束ねて軍と成す際には、更に個性は集団に埋没してしまいパターン化が収束する。
充分な量の事例が集積されれば、物事が順調に推移している状況に限っては高い精度で必要な物資等も予測することができるのだ。
とは言え常に不測の事態は発生しうるため、転ばぬ先の杖として余剰物資や予備の部材なども常に一定量が備蓄されるように手配しているのだが、役に立った時だけ強く印象に残るため未来予知のように見えているに過ぎない。
「そう言えば、最近は特訓してないんだね?」
静子は日中にもかかわらず長可が寛いでいることに疑問を抱いて問いかける。信長が東国征伐の号令を掛けて以降、長可及びその配下は連日特訓と称して行軍の演習を繰り返していた。
ところが二月に入ると演習は隔日になり、週に一回になり、近頃では基本教練以外をしている様子が見られなくなっている。
「うむ、今日は完全休養日としたんだ。行軍の際の動きは体が覚えるまで叩き込んだから、あとは練度を保ちつつ体調を整える方へと切り替えている」
「なるほど。確かにあの訓練内容だと怪我も絶えないだろうし、体調を崩す人もいるだろうしね。じゃあ特訓は全くしてないの?」
「いや、隔週で1、2回実施している」
粗暴な行動が目立つため、脳まで筋肉が詰まっているように思われがちな長可だが、意外にも行動は計算に裏打ちされている。激しい訓練を繰り返せば筋力などは向上するが、疲労の蓄積と比例して免疫力が低下し続ける。
適宜回復期を設けなければ、いずれ回復が追い付かなくなって訓練が逆効果になるのだ。長可はこれを避けるために、早い段階で基礎を叩き込み、あとはそれを維持しつつ部隊全体の健康状態をベストに持っていけるよう配慮している。
「流石に特訓以外は食って寝るだけの生活は続かないからな。人間ってのはそんなに長期間緊張状態を保てるようにできてない。たまには旨いものを食って、酒を飲んで騒がないとな」
「その席に上司である君がいると、皆が愚痴を言えないからここにいるわけだ?」
「厳しい訓練を課しているんだ、当然文句の一つも言いたくなるだろう。それをずっと溜め込むのは不健康だからな。どうだ、俺もなかなか考えているだろう?」
そう言って胸を反らす長可を見て、静子は彼の成長を嬉しく思い微笑むのだった。
春先も終わりに差し掛かる三月になると、行軍演習の割合が増える代わりに基礎修練の内容は控えめになり、食事や睡眠時間にも配慮するよう指示が出される。
兵舎で出される食事内容も遠征中には補給し辛い生野菜や、果物に卵料理の登場頻度が上がった。高たんぱく低カロリーだった従来の食事から、いざという時の蓄えとなるよう脂肪になり易い糖質や脂質が中心へと移行する。
こうした地道な努力により、兵士たちの体つきも変わりつつあった。鋼の線を束ねたような引き締まった肉体から、その上にうっすらと脂肪の層が付いた細身の力士体形といえば想像しやすいだろうか。
「ぐぎぎ……い、痛くはない!」
そうして肉体改造を行っている彼らが、熱心に取り組んでいることがあった。それは風呂上りの足つぼマッサージだ。
切っ掛けは越後勢の一人が脱衣所の片隅に新たに設置された木製の足つぼマットを利用したことだった。これは浴室用の『すのこ』を作った際に出た端材と、軍用ブーツの底を作った際に余った樹脂を組み合わせ、板の間に置いて踏んでも滑りにくいよう工夫が施されている。
木材の表面に河原で拾ったような表面がすり減って丸くなっている石が幾つも埋まったような不思議な物体。注意書きには素足でゆっくりと乗るようにと記されていた。
注意書きを読み飛ばしていた彼は、足つぼマットに勢いよく跳び乗ってしまった。直後に上がった絶叫と足を抱えて床に転がる男が一人。
すわ何事かと風呂を利用していた者たち全員が駆け寄ってくる騒動となった。そして浴場の管理者から健康状態に問題があると痛く感じるが、問題なければ程よい刺激となると聞かされショックを受けることになる。
「その様に歯を食いしばりながら言っても説得力がないわ! わしを見てみろ!」
「貴様とて膝が震えておるではないか!」
足裏の筋肉が疲労していたのか、はたまた立っている姿勢に問題があり重心がズレていたのか、それとも土踏まずという普段刺激を受けにくい箇所が敏感になっていたのか。
誰もが足つぼマットに挑んでは撃沈するということを繰り返し、いつしか風呂上りに列になって順に足つぼマットに乗ってはその上でやせ我慢をするという光景が風物詩となった。
はじめこそ全員が悶絶していたものの、そのうち皆が刺激に慣れ始めると本当に体調の良し悪しが把握できると人気となり、湯冷めしないように規則正しく入浴するようにさえなっていた。
そんな何処か和やかな健康志向ブームに沸いていた三月が過ぎ去るのではと思われた下旬に、遂に信忠が主だった配下の将を集めて第二次東国征伐の開始を宣言した。
「皆の者良く聞け! 我らがかの敗戦から学び、厳しい訓練を潜り抜けてきたことを良く知らぬ京や堺の雀どもは、「此度もまた尻尾を丸めて帰ってくるに違いない」と囀っておるようだ。我らの力は上様が振るわれる刃だ! 恐れられこそすれ、侮られて良いものでは決してない。顔面に節穴の空いた雀共に目にもの見せてくれようぞ!」
信忠の上げた気炎に、集結しているすべての者が声を出して応じた。閲兵場全体が震えるような大音声が返され、皆が俄かに慌ただしく動き始めた。
静子邸でもこの動きは変わらず、長可の率いる部隊が武田戦での一番槍を務めるため、部隊の編制や装備の点検に走り回っている。
それでも出征自体に向けて常日頃から準備していたこともあって、一時的な喧騒は早々と収束しつつあった。
「特訓で培った力を存分に発揮してらっしゃい」
「応! 任せておけ、武士の本懐を遂げる機会だからな、楽しんでくるぞ!」
静子の言葉に長可は拳を振り上げて応えた。ここに至れば小言や忠告などは不要であり、お互いが再会を前提とした挨拶を交すと背を向けて歩き始める。
「よく聞けお前ら! 武田の残滓が何するものぞ、我らの力を世に知らしめるぞ!」
「おう!!」
長可は部下に号令を掛けると、皆が揃って拳を天に突き上げた。その様子を遠くで見守っていた静子は、長可軍の兵士たちから湯気が立ち上る様を幻視する。
彼らの体から噴き出す熱気が揺らぎとなって見えるかのような光景に、皆がこの時をどれほど待ち望んでいたかが窺えた。
こうして長可軍が尾張から武田の本拠地である甲斐へと向かって出立する。さらに数日後、長可軍も合流して数万にも膨れ上がった信忠軍の本隊が岐阜城から華々しく出陣した。
時は信忠の出陣より一月ほど遡る。当時の武田は軍として体裁を保てるギリギリのところで踏みとどまっており、何か一つでも躓けば崩壊が始まるかもしれないといった有様だった。
そしてその崩壊に繋がる蟻の一穴が開いてしまった。対織田の最前線で侵攻を阻む役目を与えておきながら、支援するどころか重税を課して力を削ってくる勝頼に対して不満を募らせていた信濃国木曾谷の領主、木曾義昌が信長の調略に応じた。
木曾は彼の実弟を人質として織田に差し出し、武田から離反することを誓った。その人質が岐阜城に到着したのは三月十五日のことだった。武田に悟られぬよう密かに移動していた木曾の実弟は、護衛を付けられ信長のおわす安土へと更に移された。
これを機に信忠は家臣たちに告げた。
「これより甲州征伐の先遣隊を派兵する」
「お待ちください! 開戦のお許しを上様から得ておりま――」
「この期に及んで否やは無い。それに父上の返答を待っていては遅い! 武田が木曾の寝返りを知る前に攻める! これよりは一刻を争わねば機先を制せぬ、全ての責はわしが負う。かかれっ!」
「お言葉ですが、先遣隊の一部が揃っておりませぬ……」
「先遣隊の役目を与えられておきながら、備えておらぬ粗忽者など捨て置け! 今すぐに出立できる者はおらぬのか!?」
「はっ。近衛静子様配下の森様はご下命次第、即座に出発できると……」
その報告を聞いた信忠は自軍の配下に一番槍をもたせることよりも、即応できる実利を取った。長可及びその時点で準備の整っていた先遣隊を即座に出陣させた。
これが三月十八日のことであり、同月二十二日に数万の軍勢を率いて本隊が別ルートを目指して出陣した。
長可軍を含む新先遣隊は、岐阜城を経つと恵那(現在の岐阜県恵那市)にある岩村城を目指す。
彼らは岩村城を攻め落として中継地とした後、武田より離反した木曾が治める木曾福島城(現・長野県木曽郡木曽町)へと入り、その後諏訪湖付近に位置する上原城を攻略すると南下する。
その後、敵の首魁である武田勝頼のいる新府城を目指す北回りの進路を計画していた。
一方本隊である信忠軍は岩村城までは同じルートを辿り、その後南回りルートとして途上にある滝沢城、松尾城(現・長野県飯田市)、飯田城を攻め落としながら北上し、南から新府城へと攻めあがる進路を予定している。
これらのルートは予てより課題であった日本住血吸虫の流行地を避けつつ、それでいて大軍が移動可能であるという進路となる。日本住血吸虫対策を施しているとはいえ、完璧に防ぐことは不可能である。
しかしながら、日本住血吸虫は一度でも寄生されればたちまち廃人になるというものではなく、生活する上で繰り返し何度も寄生されることで重症化するため、対策を取った上で河川や流行地を避ければ十分に対処可能なのだ。
「ほう、指示を待たずに出陣したか。面白い、何処までやれるか見物だな」
岐阜城から尾張を経由し、電信にて信忠出陣の報を受けた信長はニヤリと笑った。彼は足満の齎した電信という革命的な通信手段が、いくさの在り方を変えると確信し、即座に北条攻めを担う別動隊を含む残る東国征伐部隊に号令を掛け出撃命令を下した。
織田家の主だった武将たちが近江一円から一路東を目指して出陣してく様を見た民たちは、ついに織田家が東国征伐に向かったと口々に噂し合い、その情報は近畿圏を席捲すると商人の手によって瞬く間に全国へと拡散してく。
信長の号令一下、即座に軍事行動できたことには理由があった。従来の農業とは全ての人々が従事する生きるための仕事であったが、様々な改革と効率化が図られた織田家にとっては分業化した一産業に過ぎなくなった。
平均して従来の半分以下の労力によって農作業が行われるため、単純計算でも織田軍が動員できる兵力は人口比にして他の国の倍となる。これらは予備役や半農半兵の者も含むため、職業軍人はずっと少ない。
それでもこの時代に於いて常備軍を組織し、運用できているのは信長だけであろう。つまり織田家が迅速に動ける秘密として、常備軍とその他混成部隊との軍を分けることにより、突発事態への即応性を高めた結果であった。
そうこうしているうちに、勝頼の耳にも信忠出陣の報が届くことになる。この報せを勝頼が目にしたのは、木曾義昌の裏切りを知り、武田信豊を大将に据えた討伐軍を差し向けた後だった。
これを迎え撃つ木曾は、このままでは織田家の援軍が到着する前に討伐軍に包囲されると悟り、少しでも行軍を遅らせるべく城を出て野戦を挑まんと出陣する。
対する討伐軍は今福昌和が率いる部隊が先行して木曾福島城を目指していた。
そして両者は三月二十八日、鳥居峠(現・長野県塩尻市奈良井)にて激突する。初戦は地の利を得ている木曾軍が優勢に進めるも、高遠城から派遣された討伐軍の援軍が加わると一転防戦一方となった。
少なくない犠牲を出しつつも、木曾義昌は敗走して木曾福島城へ籠城した。一方木曾軍を退けた討伐軍は、鳥居峠に近い奈良井川や犀川に陣を敷いて木曾軍に圧力を掛けていた。
このままでは援軍の到着までもたないと焦った木曾は、使者を遣わせ勝頼へと弁明を試みた。当然ながら木曾からの弁明は黙殺され、勝頼自身は息子の信勝を連れて新府城から上原城へと移っている。
「うーん、住血吸虫対策を重んじたのが裏目に出たね。やっぱり間に合わなかったか……」
その報告を信忠軍より電信で受け取った静子は、予想していた未来が現実になったことに嘆息する。
「なんぞ愉快なことでもあったのかえ?」
静子の隣で優雅に茶を楽しんでいた濃姫が静子に問いかける。彼女は彼女で独自の情報網を持っており、ある程度の把握はしているのだが静子のそれには遠く及ばない。そのため彼女はこうして単身静子邸を訪れていた。
「木曾義昌が鳥居峠にて武田軍と激突し敗戦しました。木曾は木曾福島城に落ち延びましたが、武田軍が奈良井川に陣取っていて動けないようです」
「ふむ。武田は木曾を敗走させたものの、討ち取るまでには至らず籠城を許してしまったという訳か。彼奴らにとって殿の軍が迫っている中、木曾福島城を手にしておらぬのは痛いな。翻って木曾を擁する我らも、初戦で黒星とはケチがついたものよ」
「そうですね。野戦で勝利しておきながら木曾福島城を包囲するでもなく、奈良井川まで後退しているのが苦戦を物語っていますね。そしてこの事態は勝頼にとって寝耳に水でしょうね。勝利の報を受けているでしょうが、城を手にしていないのですから」
野戦で勝利した場合、通常ならば追撃を行い敗走中の軍を追い立てる。それを放棄して奈良井川まで後退し、陣を張ったことを考えれば、彼らには城攻めをするだけの余力がないと解る。
「ほほっ。木曾一人が裏切っただけで屋台骨が軋むとは、武田も衰えたものよな」
「武田の弱体化を図るよう指示してはいましたが、ここまで力を落としているとは思っていませんでした。ふむ、高虎君からは播磨平定の物資状況が届いていますね。あ、勝蔵君から速報がきました」
「ほう。速報とな? なんと言っておるのじゃ?」
「無理を言って持ち出した大砲なんですが、進軍速度の足枷になったから岩村城に留め置くから、回収にきてほしいと……。だから持っていかない方が良いって言ったんだけどなあ」
静子がそう呟いている間にも、通信手が書き留めた電信内容を清書したものが次々に運び込まれてくる。今回のいくさは従来と異なり、二正面作戦が同時進行するため、中心地の尾張には両方の情報が逐次届くのだ。
「まるで妖術じゃのう、その電信とやらは。居ながらにして播磨と信濃の情報が逐次届くとはな」
「流石は濃姫様、お目が高い。これを見たお歴々は、伝令が持ってこない情報など信用に値しないと仰ったんですけどね。電信に参加できるだけで、その情報発信源は信用できるんですが、そこをご理解いただけないようです」
静子が用いている電信(狭義には通話をしているため電話だが、ここでは電波を用いた通信全般を指す広義の電信と称する)は、史実に於いても世界を縮小させたとまで言わしめた革新的な技術である。
流石の静子も電子工作の知識は持ち合わせていない。せいぜいが中学の理科及び高校の物理で学ぶ程度の基礎だけだ。それでも静子が初期に書き写していた電磁気の教科書は、足満の知識をこの時代の人が理解するにあたって大きな助けとなった。
実際に電信機(送受信)が実用化された後も足満は更なる改良を推し進める予定だ。現時点では電信機自体が大きすぎるし、電源を確保するための発電機も小型化するなり、電池の性能を向上させる必要があった。
電信機には鉛蓄電池が併設され、常時水力発電機から電力が供給されている。水力発電機と言っても、滝などの大きな落差を利用したタービン式のものではなく、河川などの水流に対してドリルのような構造の螺旋式水車を設置する発電機だ。
この発電機は多少の高低差と、ある程度の水量さえあれば電信機一台を賄える程度の発電量が確保できる。静子の元居た時代では珍しくもない発電機だが、この発電機を戦国時代で再現するにあたってはいくつもの課題があった。
中でも最大の問題は軸受けだ。軸受けとは回転する軸を支えつつ、滑らかな回転を実現する機構を指す。ハンドスピナーなどは軸受けによる摩擦の軽減で回転力が保持される様が良く理解できるだろう。
軸受けの中核をなす小さな鋼の玉、いわゆるボールベアリングを真球かつ一定の規格に従った寸法で大量生産できる工業力が無ければならず、また素材となる鉄鋼や油圧プレスに機械との摩擦を軽減する作動油、恐ろしく硬い鋼球を精密に研磨する装置など列挙し始めればキリがない。
静子が今までに培ってきた尾張の技術力を結集した精髄と呼べるものが、この一連の装置だと言える。
「電信の良さを理解せぬ者ばかりという訳でもないのじゃろ?」
「ええ、竹中様などは電信の可能性に魅入られ、今も必死になって勉強をされているようです。通信機やその技術者を使いこなすには、自身も最低限の知識は身に着けないといけないとお考えなのでしょう」
静子は濃姫の言葉に応じつつ、電信によってもたらされる布陣状況を示す立体地図上に配置された駒を動かしていく。
「それが芸事保護にかこつけて作り上げた地図とやらかえ?」
「人聞きの悪いことを言わないでください。これは地道な測量の成果です。確かに芸事保護の一環で訪れた時に測量したものもありますが……」
「ほほほ、物は言い様じゃな。朝廷の権威を最大限利用したのではないか」
静子の前に鎮座している立体地図は、地形の起伏が実際の縮尺に従ってある程度再現されたジオラマのような物である。
ひとたび山の中に入ってしまえば等高線も分からないため、視界の通る場所に限定されるのだが、それでも行軍できる程度の道は網羅している。
更に村の規模や河川の位置、橋の有無など、いくさをする上で重要となる情報はしっかりと再現されていた。これらの情報を得るに当たって測量機器と写真が大いに活躍することになった。
相手からすれば写真自体が何かわからないため、事前準備と言われれば測量していても咎められることは無い。更には朝廷の権威、延いては帝の権威をもフル活用して写真の秘密を守っている。
測量している箇所については、必ず風景写真をも撮影し、その中で当たり障りのないいくつかを現地の有力者に寄贈している。
また、その写真に彩色したものを帝に献上しており、それが大変好評を博していると言われれば、面と向かって撮影を邪魔できる者はいなかった。
事実、内裏に籠りっきりで滅多に外に出られない正親町天皇にとって、静子から献上される四季折々の風景写真は彼の好奇心をくすぐり、またその心を大いに慰めるものになっていた。
「私も朝廷には随分と便宜を図り、金銭的にも物質的にも支援し続けているのですから、これぐらいやってもバチは当たらないでしょう?」
「もっと直截的な見返りを求めても良いとは思うのじゃが。静子はそちら方面にトンと興味がないと見える。ここまで尽くして得られたのが正三位と権中納言じゃろう?」
「そう仰られましても、宮中に参内せよと言われても困りますし、軽んじられることがなく、かつ大きな影響力もまた持たないのが一番です」
「静子は己の影響力を過小評価しておるぞ? そなたの機嫌を損ねたら、流行の物は何一つ手に入らぬと京の上流階級の間でもっぱらの噂じゃ」
濃姫の言葉は核心をついていた。静子が様々な産物を生みだし、義父である近衛前久が演出しつつも宣伝し続けた結果、公家の流行に尾張様と呼ばれるブランドが確立した。
食料品は言うに及ばず、茶や菓子と言った嗜好品に酒や香辛料なども尾張のものこそが一流とされるようになり、そのすべての産業に何かしら関わっている静子の存在は決して無視できるものではなくなっていた。
「ご歓談のところ失礼いたします! 静子様、上様が――」
慌ただしく足音を立てながら襖越しに声をかけてきた小姓だが、彼の声は途中で遮られてしまい、残りの言葉を聞くことは無かった。
小姓を押しのけるようにして室内に入り込んできた人物は、開口一番言い放った。
「また面白い事をしておるな、静子。わしを混ぜぬとは水臭いではないか!」
「遅うございますよ、殿」
唖然とする静子の隣で、濃姫は扇子を開いて楽しそうに笑っていた。