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戦国小町苦労譚  作者: 夾竹桃
天正三年 哀惜の刻
166/243

千五百七十六年 十月中旬

静子は居並ぶ面々が自分を注視していることを理解し、その上で声の強弱を殊更意識して言葉を発する。


「東国征伐総大将、織田勘九郎(かんくろう)様」


「おう!」


名を呼ばれた信忠がすっくと立ちあがり、悠然とした足取りで大将の席へと向かった。その振る舞いからは、一敗地に(まみ)れたという気おくれは感じられなかった。

彼の表情には覇気が(みなぎ)り、自分の勝利をまるで疑っていないように見えた。そしてそれは虚勢などではなく、実力に裏打ちされた自負が(うかが)える。


「次こそはなに偽ることなく、その名を呼ばせてみせよう」


「心待ちにしております」


静子の傍を通る際に、信忠は彼女だけに聞こえるよう(つぶや)いた。それに対する静子は表情こそ動かさないものの、声に期待を(にじ)ませつつ返す。

静子が公の場以外で、信忠のことを「奇妙」の名で呼んでいることは公然の秘密である。これは静子が信忠を侮っているからではなく、信忠自身の希望に拠るものだ。

当初は信忠の元服を契機に、静子も呼び名を「勘九郎様」や「若様」と改めた。

これに対して信忠は慙愧(ざんき)()えない(己の行いを恥じる等の意味)といった表情を浮かべて、静子に申し入れた。


「織田家の次期当主を継ぐに相応しい武功をあげておらぬ俺が、織田家隆盛の立役者たる静子にその名で呼ばれる資格はない。俺が誰に恥じることのない武功を立てるまで、今まで通り奇妙と呼んでくれ」


「元服を終えた貴方を幼名で呼ぶことは礼を欠いております。余人が耳にすれば貴方が侮られることにもなりかねません」


「それは承知の上だ。無論公の場に於いてはこの限りではないが、それ以外では己が半人前であるという(いまし)めとしたいのだ。我ながらつまらぬ意地を張っているとは思うが、ここを曲げれば俺は生涯静子と対等になれぬ」


「どうしても(ゆず)れないと(おっしゃ)るのですね? ならば上様をご説得下さい。上様がお許しになるのなら従いましょう」


「よし、言質(げんち)を取ったからな! これに関しては静子よりも父上を説得する方が容易(たやす)い!」


このようなやり取りの後、信忠は信長に前述の内容に関する許しを願った。

信長は信忠の真っすぐさと融通の利かなさに己の若い頃を思い出し面映(おもは)ゆくなったが、同じ男として信忠の心情を()み、許可を出した。

あえて信忠の瑕疵(かし)(きず、欠点の意味)を晒すことで、面従腹背の臣を洗い出せるとの思惑もあった。


「滝川彦右衛門様。引き続き勘九郎様麾下(きか)にて東国征伐の補佐を任じます」


「承知!」


「羽柴様。引き続き西国(さいごく)は播磨征伐の総大将に任じます」


(つつし)んで(うけたまわ)る!」


滝川一益は引き続き信忠の麾下に組み込まれ、東国征伐の要を担うこととなる。今回の東国征伐では総大将の布陣が従来とかけ離れた配置となるため、滝川の担う役割は大きい。

また秀吉に関しては播磨征伐から外されるのではという噂が出ていたのだが、継続の(めい)を耳にした瞬間胸をなでおろした。しかし、浮かれてばかりはおられず、ここでの働き如何(いかん)で進退が左右されることを理解し、神妙に返事をすることとなった。


「明智惟任(これとう)日向守(ひゅうがのかみ)様。同じく西国の抑えとして丹波征伐の総大将に任じます」


「拝命いたす」


秀吉に続き、光秀も西国への(にら)みとして留任することとなった。尤も光秀の場合、既に丹波を手中に収めつつあるため不安はなく、ここで頭を()げ替えるような真似をすれば現場が混乱するための続投だ。

秀吉同様に光秀も波多野氏や赤井氏による激しい抵抗を受けたのだが、光秀はこれをいなし(・・・)た上で痛撃を与えてすらいた。光秀と秀吉の対応で明暗を分けた原因は、それぞれの部隊運用にあった。

秀吉が静子軍から派遣された新式銃の部隊や、狙撃部隊を遊撃的に用いたのに対し、光秀は正規軍として再編成したのだ。

これによって光秀軍は新式銃の長射程を活かし、会敵した敵軍の出鼻を挫いたり、劣勢の軍への援護射撃をさせたりと効果的に運用して見せた。

勿論新式銃部隊は目覚ましい成果をあげる反面、光秀軍のほとんどを構成する歩兵部隊は活躍の機会を奪われることとなる。しかし、光秀はこれを論功行賞の基準を変えることによって不満が発生しないように差配した。

直接敵の首級をあげることが手柄とするのではなく、如何に光秀の指示を遅滞なく遂行出来たかによって評価が変わるのだ。

つまり新式銃部隊の弱点である防御力を補うため、敵の横撃を防ぐ時間を稼ぐだけでも成果とみなされるのだ。

殆どの兵にとって手柄とは報酬の多寡(たか)を左右するため必死になるのであって、安全に報酬が貰えるのであればわざわざ命がけの斬り合いをしたいものはいない。

あくまでも従来の評価基準に拘った秀吉と、新しい兵器の登場に柔軟に対応した評価制度を構築できた光秀とで、適応力の差が顕在(けんざい)化したと言える。


その後も粛々と布陣の伝達が続けられる。


神戸(かんべ)三七郎様。雑賀衆の残党を追撃及び、石山本願寺から退去する人々を雑賀荘(さいかのしょう)もしくは十ヶ郷(じっかごう)まで送り届ける役目を任じます」


「承知。相談役殿、少し質問をしても良いだろうか?」


名を呼ばれた信孝は承諾の後、静子へ質問の許可を求めた。静子は信長を窺うが、彼は無言で頷いて静子に答えるよう促す。


「構いません。伺いましょう」


「では。託された任に異を唱える訳では無いが、雑賀衆の残党を追撃する意図が掴めませぬ。既に武装勢力としての雑賀は死に体となっておりまする。わざわざ追撃など掛けずとも面倒ごとを嫌う身内に狩られましょう。それを押してでも討伐せねばならぬ理由があるのならお聞かせ願いたく存ずる」


「ご賢察の通り雑賀の残党狩りは建前でしかありません。真なる狙いは上様に反旗を(ひるがえ)さんとする(やから)の喉元へ刃を突き付けることにあります」


「……なるほど。承知(つかまつ)った」


(しば)瞑目(めいもく)していた信孝だが、明言を避ける静子の言葉と織田家を取り巻く情勢から信長の狙いに気付いた。

雑賀の残党狩りは兵を送る名目に過ぎず、本丸は紀州(きしゅう)の平定にあるのだと察する。しかし、静子があえて明言を避ける以上は秘するに足る理由があると考え、己も沈黙を選んだ。


史実に於ける紀州征伐とは、天正五年(1577年)に信長が行った雑賀攻めと、同十三年の秀吉による紀伊侵攻を指す。

何故、信長だけではなく名実ともに天下人となった秀吉までもが紀伊を攻めたのかと言えば、紀伊に住まう人々に根付いた思想・信条が幕府による中央集権を目指す彼らの思想と真っ向から対立したためだ。

紀伊では一揆や寺社勢力による民の団結を以て、武家に反駁(はんばく)するという考えが強い。この(まつろ)わぬ(帰順しない)思想を放置すれば、再び周辺国へと伝播し天下を揺るがす規模の一揆となって牙を剥く。

目指す理想が相容れぬ水と油である以上、どちらかが滅ぶまで対立が止むことはないのだ。


そして信孝に課せられた使命は、紀伊の民たちへ「我らはお前たちの存在を見逃す気はないぞ」、「従わぬのならば武を以て平らげる」という意思を伝えることにあった。

これは正規軍による敗残兵の掃討という楽な仕事ではない。どのような局面に於いても一切の敗北が許されないと言う重要な任務であった。


「丹羽様。神戸様の麾下として、雑賀衆討伐の補佐をお願いします」


「心得た!」


この時点で名を呼ばれなかった譜代の臣は顔色を青くしていた。何故ならば既に方面軍として地方安堵の任を担っている数名を除けば、武家の最後の見せ場に参ずる資格が無いと断ぜられたに等しいからだ。


「次に北条征伐の総大将、柴田様」


「応!」


割れ鐘のような蛮声をあげて柴田が立ち上がった。近くにいる者は皆がその大声に眉を(ひそ)めるものの、不平を述べるものは一人としていなかった。

野生の猛獣もかくやという気炎を立ち上らせる柴田の気迫に気圧(けお)されたというのもあるが、少しでも目端の利く者ならば、実質的な東国の支配者である北条征伐の総大将に柴田が任じられた理由を知る。

東国征伐と(うそぶ)くものの、武田がかつての勢いを失っている以上、その最大目標は北条征伐に据えられる。

すなわち、東国征伐自体を指揮する信忠を除けば、柴田が家臣の中で筆頭となった事を示す人事であった。

彼もそれを理解しているからこそ奮い立ち、堂々たる足取りで総大将の座へと進む。


「佐々様並びに、前田様は引き続き柴田様の麾下として補佐を願います」


ここで一拍をおいてから、静子が言葉を発する。


「東国征伐を確たるものとするため、佐久間様並びに林様には東北の抑えをお願いします」


そう言いつつも静子は、林秀貞にいくさ働きは出来ないだろうと考える。既に四十を過ぎた信長よりも更に二十歳も年上であり、老境へと至った彼がいくさ場に立てるかは疑問だからだ。

反面、林は政治活動に於いて多くの功績を残している。故に東北に巣食う野心家どもを御せると信長が期待したのではないかと推測した。

更に実際に荒事が起きた際の保険として、武力を担うべく佐久間を補佐に据えたのだろう。


(いずれにしても佐久間様は左遷人事になるのかな?)


本来の任国であった大阪を追われ、「みちのく」へと通ずる東北へと向かわせられるのだ。

本願寺を抑えきれなかったことに対する懲罰的な意味合いが込められているのであろうが、本人にとっては到底納得のゆく沙汰では無かったのだろう。


(たとえ東国征伐の間、見事東北を抑えきったとしても与えられるのは東国に隣接する地となるだろう)


織田家内の力学に無頓着だった静子ですらここまで理解が及ぶのだ。佐久間は己の置かれた立場を十二分に理解していた。

その証拠に佐久間の顔色は蝋のように白く、まるで(おこり)にでも(かか)ったかのように小刻みに震えている。

静子としては知らぬ間柄では無いだけに哀れにも思うが、信長が考え抜いた末に決定したことだけに覆しようがない。

流石の静子とて、無理筋をおしてまで彼を救うだけの理由が無かった。


「主要な陣容は以上となります。これ以降はそれぞれの総大将配下となる方々を呼んで参ります。なお従来通り後方支援及び兵站は我が軍(・・・)が担います。それぞれの軍勢ごとに窓口となる者を配しますゆえ、ご承知おきくださいますようお願いします。では、織田勘九郎様の配下として——」


主要な人事の通達は終わったが、これで全てが終わった訳ではない。むしろ自分が誰を大将と仰ぐのかを戦々恐々としながら見守る者が大勢いる。

静子は大きく息を吸い込むと、再び記された名前を読み上げ始めた。







一刻(二時間)以上にも及ぶ軍議を終えた静子は、()()うの(てい)で安土の別邸へと帰宅した。


「疲れた……喉がガラガラだよ」


掛布団が取り払われた掘り炬燵の天板に突っ伏した静子は、煮過ぎた餅がデロリと溶けるかのように脱力しきっていた。

尾張の本宅とは異なり、別邸には温泉がないため風呂に入りたければ湯を沸かす必要があるのだが、帰宅時間が判然としなかったため前もって指示が出せずにいた。

静子の帰宅を迎えた家人たちが湯を沸かしてくれてはいるが、無駄に大きな別邸の風呂を湯で満たすには今暫し時間が必要だろう。


「軍議は終わったから、上様の許しを戴いてから京に赴き、義父(ちち)上と本願寺の始末について打ち合わせ。それが済めば尾張へと帰れるんだけど坂本と今浜に立ち寄らなければならないのが難儀だなあ」


静子軍は遊撃隊的な位置づけであることと兵站を担うため、他の武将よりも自由に動き回る事が出来る。

それ故に、軍勢を伴って各地へ移動する際にも、現地の領主に最大限の便宜を図って貰える特権が与えられている。

この特権は後ろ暗いところの無い者にとってはむしろ恩恵となることが多い。何せ軍隊というのは存在するだけで金を食う。

大所帯の静子軍が移動すれば相応の金が領地に落とされることとなる。更には治水や道普請(ぶしん)などの相談にも乗って貰えるとなれば諸手をあげて歓迎するというのも頷ける。

それ故に少しでも金が欲しい秀吉の治める今浜と、静子の知恵を借りたいという光秀が治める坂本へは立ち寄らないという選択肢を選べないのだ。


「うーん……ん?」


いつまでも呆けてはいられないと起き上がって伸びをしていると、遠くからドスドスと荒々しい足音が聞こえてくる。

その音は真っすぐこちらへ向かってきており、以前にもこんなことがあったなあと思っていると勢いよく襖が開いた。


「静子! これは一体どういう事だ!?」


襖を破壊せんばかりの勢いで開け放ったのは、静子が思い描いた通り長可(ながよし)であった。

彼は大股で静子に歩み寄ると、彼女の肩に両手を置いて激しく揺さぶった。


「天下を左右する大一番だと言うのに、俺たちは後方支援に専念すると言うのはどういう事だ!」


「おちおちおち……落ち着いて! 目が回って喋れない……」


がっくんがっくんと静子の頭が大きく前後に弧を描いて揺れるため、静子は既に吐き気を(こら)えるので精一杯となり、必然的に彼女の言葉は弱弱しくなって長可に届かない。

これは盛大に反吐をぶちまけるかも知れないなと、何処か他人事のように思い始めたその時、唐突に静子は激しい往復運動から解放された。

そのままずるずるとへたり込むように身を横たえる静子の体を支え起こす者がいた。静子を支えるのと逆側の手で槍の穂先付近を掴んだまま鋭い視線を投げかけているのは才蔵であった。


「おい! 危ないだろうが!」


「問答無用! 静子様に危害を加えるとは慮外(りょがい)者が! そこに直れ、そっ首落としてくれよう」


才蔵は壊れ物を扱うかのように、いまだに目を回している静子を己の背後に庇うと、板の間を突き破った石突を引き戻しつつ逆側の穂先を長可に突き付ける。

流石の長可も無手のままで才蔵の槍を捌けるはずもなく、自分を救える人物である静子へと視線を向けた。

しかし、肝心の静子は床下にまで貫通した大穴を見つめて黄昏(たそがれ)ており、新築の別邸なのになあと場違いな事を考えていた。


「ふう……助かったよ才蔵さん。私は大丈夫だし、勝蔵(かつぞう)君も悪気があった訳じゃないから、ここは私に免じて矛を収めて貰えないかな?」


「静子様がそう仰るのならば否やはござらん」


油断なく殺気を放ちつつ長可を睨み続ける才蔵に、静子がそう執成(とりな)すと才蔵はあっさりと刃を引いた。

才蔵は懐から革製の穂鞘を取り出して槍に被せると、己のすぐ隣へと立てかけた。

目前にまで迫っていた死の象徴から解放された長可は、大きく息を吐きだした。

場が落ち着いたのを見計らって、含み笑いの慶次と、台所の不快蟲を見るかのような氷点下の視線を向けてくる足満、どういう態度を取れば良いのか決めかねている高虎、能面の小面(こおもて)のように張り付いた笑みを(たた)える真田昌幸が室内へと入る。


「既に到着していたなら勝蔵君を止めて欲しかったな」


「今後の方針を伝えるって聞いてたからな。全員で揃ってから来ようと集合してたんだが、勝蔵が先走ったみたいだな」


「おい、見ていたなら止めろよ! 俺は危うく串刺しにされる処だったんだぞ!」


「ふん。慶次が止めておらねば、才蔵ではなくわしがその首を()ねておったわ!」


苦笑しながら事情を話す慶次に食って掛かった長可だが、これでも配慮されていたという事実に背筋が寒くなった。


「はいはい、じゃれ合いはそこまで。全員集まってくれるかな? 勝蔵君への説明も含めて、皆には色々と伝えたいことがあるから」


静子が軽く手を叩きながら全員に声を掛けると、静子の斜め後方にて左右に陣取った足満と才蔵以外は、各々が適当な場所に胡坐(あぐら)をかいた。

全員が話を聞く態勢になったのを確認した静子は、懐から数枚の書類を取り出しながら口を開く。


「事前に説明できなかったから勝蔵君が早合点(はやがてん)しそうだとは思っていたんだけれど、直接私に直談判しに来るとは思わなかったなあ。勝蔵君、怒らないから正直に言ってね? 今回の後方支援について揶揄(からか)ってきた人と喧嘩した?」


「む……ああ。二度とは無いであろう大一番で、留守番に甘んじるとは不甲斐(ふがい)ないと言われたんだ! 売られた喧嘩は買うしかあるまい!」


「うーん、やっぱり言葉が足りなかったみたいね。後方支援を我が軍が担うとは言ったけれど、全軍(・・)で当たるとは言ってないんだよ」


「え? あ! そう言う事か!」


静子の言葉に頓狂(とんきょう)な声を発した長可だが、すぐに得心がいったのか己の膝を叩いた。

はじめから静子は全軍で以て後方支援に回るとは言っていない。今までにも自軍を幾つかに分割し、織田家内の各軍に派遣したり、兵站(へいたん)を維持するための別動隊としたりと有機的に運用している。

つまりは静子が直接率いる部隊が後方支援を担うと言うだけで、長可のような戦闘にこそ適性を発揮する人材を(くすぶ)らせておく必要はない。


「直情的な勝蔵君辺りは早合点しそうだなとは思ったんだけれど、軍議の準備で忙殺されていて後回しにしちゃった」


「おい!」


「過ぎたことはともかく、勝蔵君も気付いたように私が率いる本隊は後方支援に専念します。ただ、個人の武勇を示せる大きないくさは今後少なくなるでしょう。これに皆を巻き込む気はありません」


軍議の場で冒頭に信長が述べたように、織田家はこれより日ノ本全土の敵対勢力に対していくさを仕掛ける。

手始めに東の武田と北条、西では紀伊勢力と毛利にぶつかる二正面作戦となる。そうなれば長可のような勇猛な武将を遊ばせておくような余裕は無くなる。

そして緒戦を制してしまえば、東西の巨大勢力を併呑(へいどん)した織田家に対し、真正面から歯向かえる勢力は海を隔てた九州勢ぐらいとなる。

戦火がそこまで及ぶ頃には、個人の武勇がいくさの行く末を左右するような戦闘は鳴りを潜め、統制された群による数の暴力が全てを支配するようになるだろう。

己の生涯を武に捧げた武士(もののふ)には、悔いの残らないよう存分に本懐を遂げて欲しいと静子は思っていた。


「出来る限り皆の希望に沿うつもりだよ」


「そうさな、俺は面白いいくさ場で戦いたい」


真っ先に慶次が名乗りを上げた。実に慶次らしいと静子は思う。

勝ち負けが容易には見えない面白そうないくさ場であるなら何処でも良いのだ。

いくさ場に立つ以上、勝敗は兵家の常である。負ければ己の命を失うが、命を()して何かを成し遂げることこそが彼の願うところであろう。


「それなら上杉家への援軍という(てい)で、お家騒動を鎮めてきて貰おうかな。これは敵地で相手の懐に飛び込むだけに、何が起こるか判らないし、外部からの干渉があれば上杉家といえども万が一があり()るからね」


「そいつは上々。お家騒動に余所(よそ)者が首を突っ込むんだ、厄介がられもするだろう。だからこそ面白い!」


「まあ、越後へ向かうには一つ条件があるんだけれどね」


「条件?」


「それについては尾張に戻ってから話すよ。流石の慶次さんでも想像出来ない愉快な話になると思う」


珍しく挑発的な静子の物言いに、慶次はニヤリと笑みを浮かべて了承する。次に静子は長可へと視線を向けた。


「勝蔵君はどうしたい?」


「俺は武田だ! 前回の雪辱を晴らさねばならん。今度こそ武田をぶっ飛ばしてやるぜ!」


「そう言うと思っていた。上様も『武田を徹底的に潰せ』と仰せだし、突破力に定評のある君が適任かな?」


静子が信長より任された任務は後方支援だが、それ以外にも幾つか課題を与えられていた。その内の一つが武田に対する殲滅戦である。

衰えたといえども武田は未だに日ノ本の武を象徴している。つまり武田が存在している限り、その武の名の下に集う者が現れ続け、いつになっても織田家が武士の頭領を名乗ることが出来ない。

ゆえにこそ武田の武を真正面から打ち砕く必要があった。疑問を差し挟む余地のない、圧倒的な勝利が求められるのだ。

徹底的にやるのであれば悪目立ちする長可は適任と言えた。良くも悪くも人々の耳目を惹き付ける長可軍が活躍すれば、『無敵の武田軍』という幻想を打ち砕くことも可能であろう。

ただし、不安が無いわけではない。


「何の不安があるって言うんだ! 引き籠りの武田軍なんざ、俺が引きずり出してとどめを刺してやるよ」


「君と君が率いる軍は、軍規違反が多いって言う苦情が私に来ているんだよね。上様が直々にお(とが)めなしとされているから皆が黙っているけれど、良くは思われていないからね?」


「しかし、目の前に勝機が転がっているのに足並みが揃うのを待っていたんじゃ出遅れちまう!」


「君の気持ちは、判らなくもないけれどね」


静子も勝利を目前にしながら、身内で手柄を争って機を逸してしまうのは馬鹿らしいと思っている。しかし同時に武士というものが武を商品としている以上、誰が手柄を立てるのかというのが最重要課題となるのも理解していた。

とは言え、まずは勝利せねば話にならないのだから、長可がなりふり構わず勝利を掴むことを優先するというのも一理あるのだ。

そして究極的には軍規違反を犯しても結果を出し続けている長可を信長が認めている。軍規違反をした分、手柄が相殺されているため諸将もそれ以上強くは言えない。


「私と一緒に行動している時には、問題になるほどの軍規違反をしないよね?」


静子は長可が軍規違反を起こす現場を見たことが無かった。いつも他者からの報告という形で、苦情が届くのだ。

その都度、裏を取っているので多かれ少なかれ問題行動を起こしているのは確かだ。しかし、全ての苦情が真実という訳でもなかった。

命令伝達の齟齬(そご)(食い違い)による誤解や、長可を(おとしい)れんとした虚偽の報告もあった。


「そりゃ……な」


死にたくはないし、と長可は心の中でつけ足していた。


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[一言] 佐久間信盛、恐らく織田軍で最も大規模な地侍集団「佐久間党」の本家当主という「動員能力」で長らく筆頭家老だった武将。 ここで左遷ということは、佐久間党の指揮権は、佐久間の傍流の柴田勝家に移譲さ…
[一言] いよいよ動き出す織田軍。静子達もこれからどう動くのか楽しみにで気になるが北条征伐に動く柴田軍が史実とは違うどんな戦いをするのか楽しみ。
[気になる点] 信雄の名前が出てこなかったですねー これほ見切りをつけられたのかな?? 信雄はともかく、一族のまとめ役の信広が長島攻めで反撃が無かった分生存フラグのはずですが信長の兄弟はどうなるんでし…
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