千五百七十六年 一月中旬
あまりにも予期し得ない名前を目にしたため、静子は訪問者名簿を矯めつ眇めつした挙句、灯火に透かして裏から確認さえした。
そこまでやっても墨痕鮮やかに認められた名前が変化することはなく、もちろん元々あった名前に上書きされたわけでもないということが確認できただけであった。
「達筆だから見間違いかとも思ったけど、どう見ても神戸三七郎(織田 信孝)だよね。なんでまた?」
眉間にしわを刻んだまま静子は首を傾げるが、当然彼女の問いに応える者はいない。
そもそも静子は織田家嫡流(この場合、信長、濃姫、信忠)とは懇意にしているが、庶流に位置する信孝との交流は無いに等しい。
庶流で交流がある人物と言えば、信長の実妹である市が挙げられるが、彼女たちは織田家の人間ではなく浅井家の人間とみなされる。
信孝に関しては、かつて伊勢街道整備の不備にて信長の怒りを買い、あわや斬首かというところを静子がとりなした経緯があり、その後も伊勢方面開発事業にて協力したことはあるものの没交渉であることは疑いようもない。
「狙いは判らないけれど、面会を断るわけにもいかないし、会ってみるかな」
信孝の思惑は判らないものの、仮にも信長の直系に連なる人物であるだけに迂闊な対応をするわけにはいかない。
即座に返事の文をしたためると、信孝の滞在先へと使者を遣わせた。
翌朝、静子は年賀の挨拶希望者への応対に駆り出されていた。今回の対応はあくまでも臨時的なものであり、対応順番に身分が考慮されず、受付順に実施することとなった。
信孝へは昨日のうちに、使者を通じて面会の繰り上げを打診していたのだが、そのような気遣いは無用と遠慮の返事があったため午後の一番目で受け付けたと伝えている。
彼の身分を鑑みれば、順番を抜かしたところで問題にはならないのだが、それでも律義に順番を守る辺りに次男の信雄との違いが窺えた。
「神戸三七郎様がおいでになりました。ご案内してもよろしいでしょうか?」
「判りました。お通しして下さい」
静子が昼餉を済ませ、午後からの挨拶を受ける刻限が迫る頃、小姓が信孝の来訪を告げた。
(信雄が絡まなければ常識人なんだよね……どんな用件なんだろう?)
静子が抱く信孝のイメージは、信雄と一緒になって何かしら問題を起こす残念な人物というものだ。
しかし、かつて伊勢一帯の開発事業を行った際に受けた報告からは、実直かつ聡明な好人物となっており静子のイメージと食い違っていた。
「謹んで新年をお慶び申し上げる。ながの無沙汰をしておりまするが、如何お過ごしか?」
信孝は静子との会見に際して、堂々とかつ礼儀正しく振舞っていた。何かと信雄に対抗心を抱き、短慮な振る舞いを見せるイメージとは大きくかけ離れた信孝の姿があった。
落ち着いた物腰と洗練された所作で、新年早々に忙しくしている静子を気遣う素振りすら見せている。
こうしてみると信孝が優秀であることは疑いようもない。信長の才を最も色濃く受け継いでいるのは信忠だが、信孝も信忠の後塵を拝せども、それ程大きく劣るわけではない。
信雄が絡むと残念な部分がクローズアップされてしまい、その印象が人物像として定着してしまったという不遇な男であった。
(この子は信雄が絡むと何かと失態を演ずるけれど、それ以外では大きな功績も無い代わりに手痛い失敗もしていないんだよね)
良く言えば堅実であり、悪く言えば小さく纏まっているのが信孝であった。
自身の領地に関しても、信長の手法を手本にして問題なく運営しており、いくさに関しても手堅い戦術を好む巧者である。
領土的には近くに位置していながら、今までは信孝側が積極的に関与してこなかったため、静子としては信孝に関する情報を集めてこなかった。
今回はそれが災いし、どういった思惑で信孝が動いているのか読めずにいた。
(うーん、世間話をしに来たと言う訳じゃなし、ここは少し水を向けてみるかな?)
挨拶を皮切りにお互いの近況を話し合ったり、巷間で噂となっているような世間話に終始したりしているが、信孝が先ほどより何度も本題を切り出したい素振りを見せているため、助け舟を出すことにした。
「そう言えば昨年末は伊勢神宮での大祓に多くの参拝客が集まったと小耳に挟みましたが、なかなかのご盛況だと伺っております」
「そうですな、稀に野盗が出たとの報せが上がっているものの、参詣者に大きな被害が出たと言う話は聞きませぬ」
「それはようございました。伊勢参詣者の保護に関しては、上様もお気に掛けておられますゆえ」
信長は常々「わしは宗教を根絶やしにしたいなどと考えてはおらぬ。信仰を餌に信者を集め、数を恃んで権力を持たんと野心を抱く輩を排除しているに過ぎぬ」と公言している。
これは配下の武将たちだけにとどまらず、瓦版を通して広く民たちへも信長の声が届くようにしていた。
(あれはプロパガンダという側面もあると思うし、その辺りは足満おじさんが絡んでいるんだろうなあ)
戦国時代に於いては瓦版ですら画期的なマスメディアであり、現代の新聞に近い立ち位置を確立している。
未だにパルプ紙の開発が出来ておらず、わら半紙にガリ版刷の瓦版と言えど原価は安いとは言えない。
しかし、信長は瓦版事業に大きな助成金を出すことで広く安価に瓦版を民へと提供していた。
これは信長をして安い投資とは言えないが、それでもマスメディアを握る事にはそれだけの出費を許容するだけの意味があった。
即ちスポンサーである信長にとって都合の良い情報を流すことで、民たちへ『それと知らずに思考を誘導されている』と言う状況を作り出しているのだ。
信長の政策もあって織田領内に限れば識字率も向上しており、今のところ彼の政策は成功を収めていると言える。
「そうそう、伊勢神宮と言えば出入りの商人が口にしていた話があるのですが、神戸様のお時間が許すのならお聞きになりますか?」
「伊勢神宮が絡むとなると他人事とは申せませぬ、お伺いいたしたい!」
信孝は我が意を得たりと言わんばかりに前のめりとなった。静子は彼の態度から、彼の本題が伊勢神宮に関する何事かにあると当たりをつけたのだが、どうやら的を射ていたようだ。
信孝からしてみれば、己の弱みを女人である静子に晒すことへの躊躇があったが、彼女から話題を振って貰えれば随分と話を持ち掛けやすい。
露骨に上機嫌となった信孝を見て、静子は少し苦笑しつつも話を続けた。
「伊勢神宮への参詣に関して、海路を利用出来るなら快適な旅となりますが、民草の懐事情では高い船賃は支払えませぬ。さりとて陸路は街道が整備されたとはいえ、高低差から来る勾配もあり、なかなか安穏とはいきません」
「然様。陸路を往けば日数が掛かり、それに比例して多くの食料が必要となる。さりとて持てる荷物には限りがあり、遠路を歩むためには少しでも荷物を少なくしたいというのが人情」
「流石は神戸様、商人たちが口にした話というのもそこです。街道の長さに対して食事や寝床を提供できる施設が不足しています。今は行商人たちが道端に露店を出すことで対処しているようですが、冬場ともなれば野宿は厳しく、雪でも降ろうものなら途端に物流が途絶えてしまいます。もちろんご領主たる神戸様はご存知かと思いますが……」
「確かにそのような陳情は幾つも受けておりまする。実り豊かな季節ならば、付近の村々で食糧を調達することも叶いますが、冬場は村々にも余剰の食料は少なく、死者すら出ている始末」
現状の認識が食い違っていない事を確認できた静子は、一つ頷くと言葉を続けた。
「そこで参詣者の増加に合わせた宿場町の拡大と、商人たちに店舗を貸し出されては如何でしょう?」
「商売の許可を与えるのではなく、こちらが店舗を用意して商人たちに賃貸せよと仰るのか!?」
「はい。街道が整備され治安が良くなったことや、尾張一帯をはじめとした金回りの良くなった民たちが挙って伊勢詣でに出かける昨今、彼らの需要に対応するのは急務と存じます。しかるに自前で店舗を用意できる商人となると、当然数も少なくとても需要を満たす事はできませぬ。そこで初期に大きな資金が必要となる店舗をこちらで用意してやることで、小規模の商人たちにも参入の機会を与えるのです。勿論、これには大店の商人たちが良い顔をしないでしょうから、棲み分けを行います。大店の商人たちには裕福な層を相手にして貰い、我々は安さを求める旅人たちを主要な客層とするのです」
「なるほど! 新規参入の敷居を下げ、我らは売り上げに課す税と家賃で資金を回収するわけですな。一方的に割を食う形となる大店の商人にも、自前で店舗を用意するなら税の減免をすると謳ってやれば……」
「流石は神戸様、当意即妙とはこのことですね。物売りの店に関してはこれで良いとして、問題となるのは宿でしょう。既にある宿は庶民の懐具合では、おいそれとは泊まれぬと聞きます。そこで我らの用意する宿では、薪と米代程度で泊れる代わりに大部屋にて雑魚寝をして貰うというので如何でしょう?」
静子が語った宿の原案は、史実では江戸時代に用いられた宿の方式である。
静子の言う低価格で素泊まりをする宿を木賃宿と呼び、個室が宛がわれ食事も提供される形式の宿を旅籠と呼んでいた。
木賃宿は文字通り自炊するための薪と、主食である米を提供するだけの宿であり、食事の支度等は共用の竈を用いて自分でする必要があった。
宿泊費に関しては場所によって異なるため、現代の貨幣価値に換算した一例を示すなら木賃宿では一泊8~900円程度に対し、旅籠では4~7千円ほどとなっており、5倍以上の価格差が設定されていた。
「ふむ、野宿と比べれば雨風を凌げる上に竈も使えるとなれば利用者は多くなるだろう。宿場ごとにそうした宿があるとなれば、伊勢詣での安全性は高まり、更なる集客も見込めよう」
「仰る通りです(流石は上様の血筋、理解が早く応用も利く)」
「しかし、全ての宿場に対して相応の数の店舗を用意するとなると、流石に金の工面が難しい」
「まずは宿場間の距離が大きく、不便な立地を選んで始めれば良いかと。次の宿場までが遠いとなれば、少々割高になろうともしっかりと休息を取ろうとするでしょう。新たな宿場町を一から作るとなれば多くの資金が必要となりますが、これならばすぐにでも始められますし、上手く回るようならば順次展開してゆけば良いでしょう」
「確かに。既に道行に難儀しているという声があるのだ、需要に対して供給が追い付いておらぬ証拠よ。万が一、商いが失敗しようとも建物さえ残れば我らの懐は痛まぬという寸法か」
「人が動けばつられて物が動きます。そこには必ず商機がありますし、宿や店にならずとも物資を備蓄しておく倉庫として利用すれば無駄にはならないでしょう」
「我らは伊勢詣での参詣者に対してこれだけの事をしていると示せば、何ら対策を講じぬ領主との差を浮き彫りに出来ると言うもの」
その対策を講じぬ領主とやらが誰かは容易に察しがついたが、下手に藪を突くこともあるまいと沈黙を保って笑みを浮かべるにとどめる静子。
「流石は名にし負う『織田家相談役』、良き案を頂戴した。早速この案を持ち帰り、臣下の皆と協議しよう……即断即決とゆかぬのが我がことながら情けなくはあるが、性分ゆえ仕方なし」
信孝は自嘲するかのように呟いた。果断さに定評のある信長と比較して、己を卑下しているように思えた静子は、無意識に言葉を発していた。
「人にはその人なりの長所が御座います。臣下の意見を聞き入れ、相談される神戸様だからこそ支えようとする者もおりましょう。そのようにご自身を卑下なさるものではありません」
「そうか、己を貶めれば私に従う家臣をも貶すことになるのか。浅慮であった、お忘れ頂きたい」
「いえ、出過ぎた事を申しました」
「いや、静子殿のお言葉は実に有難かった。我らのように人の上に立てば、不興を買うと判って諫言する者は少ない。これだけでも今日、こちらに伺った価値があるというもの」
信孝は穏やかな笑みを浮かべ、静子に新年の挨拶をするよう勧めた父、信長の真意を悟った。
信孝は静子を嫡流に与する人間だと考えていた。しかし、それが己の思い込みに過ぎなかった事を、この僅かな時間で察することが出来た。
信雄との件で迷惑を掛けた事もあり、己が遠慮して関係を遠ざけていただけであり、彼女は差し伸べられた手を払いのけるようなことはしない。
信孝と信雄の関係を考慮し、余計な騒動に発展しないよう片方に肩入れをしないようにしているだけだと理解した。
(己にとって利とならぬことであっても、彼女は相手の立場に立って真剣に考えてくれる。父上が静子殿を重用されるのも当然と言うものか)
ここに来るまで、如何にして己の弱みを見せずに静子から利益を引き出せるかと頭を悩ませていたのが馬鹿らしくなる思いであった。
だからこそ、今まで誰にも明かした事のない悩みを、静子にならば打ち明けても良いと思えた。
「卓見をお持ちの静子殿に、一つご相談したき儀が御座います」
「相談……ですか?」
「少し込み入った事情となるゆえ、すぐに解決できるとは思っておりませぬが、貴女の意見を伺いたい」
込み入った事情と聞いて、静子には思い当たるところがあった。
恐らくは犬猿の仲である信雄との確執に関する事だと当たりを付け、余人に聞かせて良い内容ではないと察した静子は、先手を打つことにした。
「判りました。少しお待ちいただけますか?」
そう一言断ってから小姓を呼び、最低限の護衛を残して人払いをするように伝える。静子の身辺を護衛する最後の守りである才蔵すらも、襖一枚隔てた続きの間へと下がった。
それを見て信孝も佩刀を外して静子に預け、己の従者についても別室に下がらせる。それが静子の誠意に応えることになると信孝は考えた。
人払いが済み、室内に静寂が満ちた頃合いを見計らって、信孝が口を開く。
「既にお察し戴いているように、相談の内容とは我ら兄弟の確執に関する話となります。自分で言うのも憚られるが、私は大きな功績をあげられぬ代わりに、手痛い失敗を犯すことは少ない。例外的に伊勢街道整備に関して、父上直々に叱責されるという醜態を演じたが、父上はあれ以降の成果を以て功罪相殺すると仰っていた」
信孝の認識は間違っていない。織田家の重臣が居並ぶ中で、信長より足蹴にされた挙句、あわや斬首と言うところまでいったが、信長は己の失敗を悔いて行動を改める者に対しては寛容だ。
他ならぬ信長が功罪相殺すると言ったのなら、かつての失態は挽回できたと思って良いだろう。
「なればこそ、未だに言動を改めず、同じ失敗を繰り返す者より下に置かれるという事がどうにも我慢ならぬ」
(やっぱり信雄より序列が低いことに対して不満を抱いているのね。確かに実力主義の織田家に於いて、明らかに功績に差が生じているというのに序列が不動だというのは納得できないか……)
史実に於いて信孝が信雄を嫌っていたと言う一次資料は存在しない。しかし、二人の立場を考えれば、その様な資料が残るはずがないと言う事も静子は理解していた。
仮に存在していたとしても、最終的に生き残った信雄側が抹消するだろうし、信孝側の家臣達も醜聞を嫌って証拠が残らぬよう手配する可能性は捨てきれない。
ずば抜けた知名度を誇る信長であってすら、彼の内面に関する資料は殆ど存在しないのだ。
己の心情を吐露するような資料や、その人物の心情を察する事が出来るような資料は、己の弱みを晒すことを良しとしない戦国時代の習いとして残る可能性は少ない。
「かつて上様は、血を分けた実の弟と家督争いをされました」
「その話は聞いている。しかし、父上の場合と私の場合では事情が――」
「その家督争いを後押ししていたのが、実の母親だったとすれば如何ですか? 上様ご本人は決して口にされませんが、その心情は決して穏やかでは無かったでしょう。他ならぬ己の母が、自分を殺そうとしているのですから、骨肉の争いを上様が忌避されるのもご理解いただけるかと」
咄嗟に状況が違うと口を挟もうとした信孝だが、続く静子の言葉に押し黙ることとなった。
父である信長が、実弟と家督争いをしたというのは知っていたが、その裏で手を引いていたのが他ならぬ信長の母であったとは知らなかった。
「それでも上様は弟の謀反を一度は許されたと聞いています。弟の助命を請うた母が、再び弟を担いで裏切ったとあっては、流石の上様も処分を下さずにはおけなかったのでしょう。それゆえ、上様は我が子が地位を巡って骨肉の争いを繰り広げる様を見たくないのでしょう。一度決めた序列は動かぬと示せば、野心を抱く第三者の介入を排除できますゆえ」
「そうであったか……」
「勿論、これは私の推測であって、上様のお心は窺いようがありません。しかし、神戸様が如何に功を積もうとも、対する北畠様がどれほどの失態を犯そうとも、兄弟間の序列が動かぬ事には故があるとご納得いただけませんか?」
「いや、腑に落ちました。私が抱く不満は、父上が私を認めて下さらぬのは我が母の身分が低いゆえと邪推しておりました。私とあ奴は既に相容れぬ程の仲となりましたが、それでも血を見ておらぬのは父上のご配慮によるものだったのですな。そう考えれば、互いに仲違いするよう仕向けられたと思い当たる節もあります」
「ご当人同士がどうあれ、それぞれを担ぐ家臣の間で利害が衝突すれば、どうしても力関係の渦に巻き込まれます。それを極力排するよう苦慮された結果が、兄弟間の序列不動なのでしょう。最上とは申せませぬが、心情が絡むことゆえ他に良い案があるわけでもありません。不器用な上様が精一杯示された身内への愛情と思えば、少しはお心も安らぎませんか?」
「ふふ、不器用なのは親譲りというわけですな。ああ、喉元に閊えていた棘が取れた思いです。父上は我らに確かな情を向けておられた。ならば私は、私の出来ることで父上と兄上(ここでは信忠を指す)の覇業を陰ながら支えましょう」
信孝の表情は落ち着いていた。
既に対立構造の出来上がってしまった信雄との確執は、そう簡単には無くならないが、少なくとも信孝側から仕掛けることはなくなるだろうと静子には思えた。
(『男子、三日会わざれば刮目して見よ』って諺に言うけれど、信孝が変われば切腹を申し付けられる未来も変わるかな? 奇妙様あたりは余計な事をするなって言いそうだけど、信孝が唐突に私の処へ来たのも上様が裏で絵を描いていそうだし……仕方ないよね)
静子から見て信忠は、時おり信孝を気にする素振りを見せることがあった。
今までは跡目に関する兄弟間での心理的な確執があるのかなと静子は思っていたが、信孝と接する内に信忠の心情を察することが出来た。
信孝は良くも悪くも信長の才能を色濃く受け継いでいる。彼が信忠と比べて明らかに一枚劣っていたのは、己の心情を制御できない事による足の引っ張り合いを演じていたからだ。
その明らかな欠点が克服されれば、カリスマ型の信忠とは違った訴求力を持つ国人となり得るポテンシャルを秘めていた。
中央集権型の信長や信忠とは異なり、信孝を理解し、彼を支えんと家臣団が力を寄せ合うという、いわば史実の徳川家康に近い国作りをする。
史実に於いてどちらが生き残ったかを考えれば、信忠の焦りも杞憂とは言い切れない。
そんな相手の成長を促したのが、他ならぬ静子と知れば信忠とて文句の一つも言いたいところだろう。
しかし、そうした静子の人柄を信忠自身も好んでいるのだから、文句と言うよりは愚痴に過ぎず、信忠は弟の成長を苦笑しながら受け入れることは疑いようもない。
「そう言えば、兄上は息災であろうか?」
「年の暮れにお会いした時は、お変わりないご様子でした。年が明けてからはまだお目に掛かっていませんが、明日上様へ年賀の挨拶に向かう際にお会いすると思います。何か言伝がおありでしたら、承りますが?」
「いや、息災であれば構いません。静子殿ならご存知かと思い、伺ったまでです」
「いえいえ、お守りの真似事をさせて頂いていた昔ならいざ知らず、今は知らない事の方が多いくらいです」
「然様ですか(静子殿が抱く兄上の印象は、手の掛かる弟に対する姉のそれだな。果たして兄上に、静子殿を父上から奪いとる事ができようか?)」
信忠が静子に認められようとしている事を知っている信孝は、まるで眼中にない扱いになっていることを哀れに思いながらも、面白そうなので黙って見守る事にした。
翌日、静子から信孝との顛末を聞いた信長は一言だけ呟いた。
「知った風な事を抜かしおって」
そう一見不機嫌に見える態度を取る信長だが、彼の口元には小さな笑みが浮かんでいた。