千五百七十六年 一月中旬
天正三年の元旦を迎えた。史実ならば武田軍が敗走するという歴史的合戦である『長篠の戦い』が起こった年である。
毎年恒例の出来事ではあるが、元日の静子邸は侍女や小間使いたちを実家に帰しているため閑散としていた。
今も静子邸に詰めている面子と言えば、正月の勤務にのみ支給される各種祝いものと割増手当を狙う衛兵たちと、彩のように天涯孤独の身となり帰省先を持たぬ者のみであった。
「新年あけまして、おめでとうございます。本年もよろしくお願いします」
静寂に包まれた静子邸の奥の間で、静子の声が響いた。珍しく凛とした表情を浮かべ、口上を述べると皆に向かって頭を下げた。
「あけましておめでとうございます、静子様。本年もよろしくお願い致します」
静子の挨拶に対し、対面に正座している四六が挨拶を返す。続いて同席している皆も、順に挨拶を述べると静子が声を掛けた。
「よし! じゃあ、ここじゃ寒いから居間に戻ろう」
そう言うや否や、真っ先に居間へと戻り、半纏を着込むとコタツに足を突っ込んだ。
事前に火を入れていたコタツは十分に暖かく、その熱を堪能しながら破顔する様は童女のようであり、とても織田家重鎮の威厳など感じられなかった。
静子に続いて彩、足満、四六、器らもコタツを囲み、血の繋がりは一切ないが真に近しい静子の家族が勢揃いしていた。
「一応祝い肴と、お神酒が用意してあるから、四六と器は口だけつけてね。縁起物だから無病息災を願ってってことで」
静子は禁酒令のため子供たちと同様に舌先を湿らせるのみとし、彩と足満は盃を一息に飲み干していた。
「それじゃ、お料理を頂こうか。でも、元日だけなんだよね。食っちゃ寝できるのは」
例年であれば二日目に主君である信長や信忠への年賀の挨拶と酒宴への参加、三日以降も織田家家中同士での挨拶回りをはじめ、自領の街々での年賀を寿ぎ、静子が元締めとなる各種事業の初出式にも参加するなど、年始からイベントが目白押しになっていた。
また、信長の子である四六と器を養子に迎えたことで、静子に対する周囲の対応が如実に変化していた。
今までは静子が子をもうけず、何処の家とも明確に繋がりを作ろうとしなかったため、どれほど栄達を果たそうとも一代限りの成り上がりとみられていた。
しかし、主君筋より後継ぎを賜ったことにより、主家が静子の家系を正式に承認したと認知された。
つまりは静子の没後も織田家譜代の臣として遇される家となったのだ。しかも極めて主家に近く、多くの事業を抱えた権勢を誇る存在ということになる。
これが良いか悪いかと言えば、どちらの面もあるため一概には言えないが、静子の内心はともかく世間的には良い事と見做される。
「明日からは忙しくなります。昨年末に先触れを頂いている方だけでも一昨年の倍以上になりますし、それ以外にも静子様と誼を結ぼうと、飛び込みで年賀の挨拶に来られる方に至ってはどれ程になることか……」
権勢が続くと認識された瞬間から、実に様々な人間が静子と繋がりを持とうとし始めた。節操がないと言うなかれ、『寄らば大樹の陰』という言葉もあるように、彼らも生き残る為には手段を選んではいられない。
尤も、静子にはいちいちそれに付き合ってやる義理など無いのだが、生来の性格故か彼女はそれを受けるつもりのようだ。
「夕方には蕭ちゃんが戻ってくるから、最終確認をお願いね。当日になれば、私は置物状態になるだろうし、流石にあの人数を覚えられるとは思えないからね」
「かしこまりました」
静子が苦笑しつつ彩に命じる。例年、年賀の挨拶に関する一切を彩が取り仕切っていた。しかし、今年は人数が倍以上にも跳ね上がり、応対に家格を求められる人物が予定されているため、彩だけでなく蕭も加わる必要があった。
彩は静子の家臣としては最古参であり、金庫番をも務める側近中の側近として静子の信任を最も厚く受けているということは周知のことである。
それでも彩の出自は平民の出であり、家格など無いに等しい。今までも静子の家へ貴人が訪ねてくることはあったが、全員が実情を把握しており、彩に対して何かを口にすることなど無かった。
しかし、今年からはそうも言ってはいられない。平民出の彩を矢面に立たせれば、訪問客は不満を抱き、彼女も不愉快な言動を受けることになる。
そんな狭量な人物とは顔を合わせる必要はないと静子は憤慨するが、配下の事情で主君の行動を制限する訳にはいかないと彩が申し出たため、急遽蕭に白羽の矢が立った。
「今年はわしも同席しよう。才蔵と共に背後に控え、不心得者が余計な口を叩かぬよう、睨みを利かせてやるわ」
お神酒の後は、熱燗を手酌でやっていた足満が会話に加わる。四六は口を挟まず聞き役に徹し、器は腹が満ちたのと温かさから来る睡魔に負け、コタツの天板に顔を載せたまま眠りに落ちていた。
静子は己の着ていた半纏を脱いで、眠り込んだ器の背に掛けてやり、別の半纏を取り出して着込むと、再び自分の席へと戻った。
「程々にしてね。うちの流儀を相手に押し付けることになるから、よほど目に余るようならお願いします。足満おじさんは凶顔と言うか、視線に殺気が宿っているように見えるから」
「……相手次第だ」
殺気を込めている自覚があるのか、静子の指摘に足満は顔を逸らす。意外に子供っぽい足満の反応に静子は顔をほころばせる。
それに気付いた足満は、雰囲気を変えようと咳払いをして話題を振った。
「まあ挨拶の応対は面倒だが、昔と異なり静子を娶ろうとする輩が居らぬだけでもマシか」
以前ならばいざ知らず、今の静子は朝廷の頂点、五摂家筆頭の近衛家の娘であり、更に静子本人が官位を得ている上に織田家家中でも有数の重鎮に収まっている。
戦国時代の常識に倣えば既に薹が立っている静子だが、その地位は燦然と輝かんばかりであるため、最早おいそれと声をかけることすら難しい。
ましてや家同士の縁を繋ぐ結婚ともなれば、主君である信長や義理の親である近衛前久の思惑も絡むため、下手に色気を出そうものなら命取りになりかねない。
「表立っては言わないだけで、玉の輿に乗らんとたくらむ愚か者は毎回おりますが、今年は摘まみだしましょうか?」
「逆恨みされても困るからね、あの手の人間は適当にあしらえば脈がないと悟ってくれるから」
彩の言葉に静子は苦笑しながら返す。無論、適当にあしらえるようになったのは近年のことだ。
かつて静子が綾小路家の次期当主と内定した際、真っ先に持ち上がったのが婿問題であった。誰ならば当主の配偶者となるに相応しいかを、現当主である静子の祖父や、父、叔父、伯父が議論し始めた。
しかし、その話はすぐに静子の祖母のしるところとなり、年端もいかぬ静子に当主を押し付けただけに飽き足らず、家の都合に良い配偶者まで押し付けようとは非道にもほどがあると非難した。
その甲斐あってか、静子の婿選びは先送りとなり、男系親族が密かに相手を探すだけに留まっていた。
静子とて人の子である以上、恋愛感情が無い訳ではない。当然誰かを好ましく思う事はあるし、恋愛小説や漫画を読んで、その劇的で燃え上がるような恋に憧れる気持ちもあった。
しかし、そんな十代の女子として当然の感情とは裏腹に、静子には致命的な問題があった。
交際経験は皆無だが、女が数人も集まれば恋愛が話題となることは必然であり、誰が好みかという話になった際に静子が挙げた人物の名は、友人が揃って「そいつはやめろ」と口にするほどであった。
静子の姉に言わせれば、「男と見る以前に、人間として見た時点で問題がある」と語った程である。
静子は所謂、男を駄目にする女の典型例であり、多少の欠点(他人から見れば多少どころでは無い)は自分が一緒に補えば良いと思っていた。
自分が良いと思う人物を口にする度、総がかりで否定されることに絶望した静子は、10代半ばにして悟りの境地に達していた。
即ち「自分の事を心配してくれる祖父母や両親が決めた人と恋をしよう」という、ある種諦観にも似た受け身の姿勢を持つようになっていた。
このような経緯もあり、信長が「我が子を養子に」と話を持ち掛けてきた際、静子は義務感からではなく「私を最も高く評価してくれている上様が決めたのだから大丈夫」と、むしろ安堵さえ覚えていた。
欠点のみを見ずに美点を探して見るという静子の恋愛音痴は、人材発掘・人材育成という点に於いては有利に働くのだから皮肉としか言いようがない。
「家が絡む私なんかより、年頃の彩ちゃんこそお相手を考えないとね。良いお相手を見つけてくれるよ! 上様が!」
自分の男性観が酷いという事は重々承知している静子は、彩の結婚相手を信長に探して貰う算段を立てていた。しかし、当の彩自身が結婚に乗り気ではないため、話は宙に浮いたままとなっている。
「結婚願望はございません。それに、今の静子様を見ていると、心配でとても結婚などしていられません」
「ふっふーん! 人間は成長する生き物だよ。こう見えても私は、ちゃんと成長しているんだよ!」
「そうですか。ならば私が所帯を持って、お側を離れても大丈夫ですね?」
「え!? あ! そうなるのか……いや、ちょっと待って。やっぱり不安があるので、彩ちゃんさえ良ければ一緒にいてくれないかな?」
「はい、承知しました」
既に彩が居ない生活を想像できなかった静子は、諸手を挙げて降参すると、恥も外聞もなく慰留を持ち掛ける。
心情を無視し、人的資源としてだけ見た場合でも、彩は静子の急所とも言える存在になっていた。
仮に彩が居なくなったとすれば、織田家を支えていると言っても過言ではない程の財を誇る金庫番を任せるに足る人物はそうそう見つかるものではない。
静子を信奉する者は多くいるが、国を揺るがす程の財と権力を前にして無欲を貫ける人間という条件付けが加われば、砂漠に落とした一粒のダイヤを探すに等しい難易度となる。
何年も掛けて様々な状況での振る舞いを見定めた上で選別し、次いでその地位にふさわしい教育を施してようやく金庫番を任せることができる。
こいつに騙されるのならば、それは自分が悪かったのだと諦められる程に信用できる人間、それが静子にとっての彩であった。
「四六はいずれ私の後を任せる事になります。良い縁を繋いで、心から信用できる人材を今から確保するようにね」
「はい」
静子の言葉に四六は決然と返事をし、未だ夢の中の妹を見て、更に決意を固める様子だった。
静子はやや気負い過ぎに思える四六の様子を見て、少し不安に思わないでも無かったが、失敗も経験となると身に沁みて理解している以上、それ以上の干渉は控えることにした。
本当に潰れるようなことがあれば、事前に自分が支えてやれば良い。木の上に立って見る、静子は無自覚ながら「親」と言う漢字の成り立ちに副った心情を抱いていた。
「それよりも四六の側近を募集しないとね。私の側近みたいに色物集団って言われなきゃ良いんだけど」
「色物とは心外だな」
「自分が今の時代の主流だって胸を張って言える?」
「…………忠義の臣ではある」
たっぷりと間を置いて返事をした足満だが、静子と目線を合わせようとしない時点で、規格外の存在だと認めているようなものだった。
「自分で言うのもなんだけど、私が色物だから『類は友を呼ぶ』で皆が集まったのかな?」
「世間に顔向け出来ぬような事をしているでもなし、色物であったとして恥じる必要など有りはせぬ」
「ま、そうだね。あ! そうそう新年初勝負をしようよ!」
「また将棋か。わしは構わんが、毎度負けると判っているのに、良く続くものだな」
「駒落ち無しの平手で指せるようになったんだから、今に吠え面かかせてあげるよ」
「ふっ……それは楽しみだ」
足満の余裕綽々と言わんばかりの態度に、静子が精一杯の虚勢を張る。
足満にとっては子供がムキになっているようで、むしろ愛らしいとさえ思えるため、彼が静子をからかうのをやめることは当面ないだろうと思われた。
「くっ! ビール造りが軌道に乗ったからって油断していると足元を掬われるんだからね!」
まるで相手にされていないと悟った静子は、自分の得意な方面から攻めることにした。
日本酒よりもビールを好む足満は、同じく酒好きのみつお(こちらは酒と名のつくものは全て好き)と結託してビール造りに精を出していた。
現代の酒税法とは異なり、個人的な研究範囲に於ける酒造は課税対象とならない。
いずれ織田領の特産となる産業の研究だと嘯けば、誰憚ることなく堂々とビール造りに取り組めるのだ。
たとえ製造分の全てを、自分達で消費するだけの結果となっていてもだ。
他者に理解を求めない足満の態度に危機感を抱いた静子は、彼をビール製造の総責任者に任命した。『立場が人を作る』という言葉があるように、ある程度の地位に就けば、それに相応しい振る舞いをするであろうことを期待しての措置だった。
最新の設備と人員を与えられ、予算も付いて立派な事業体としての体裁が整うと、開き直ったのかそれとも期待に応えようとしたのか、一転して拡大路線に舵を切ってホップ畑や大麦畑を整備し、それとは別に大豆畑にも手を入れ始めた。
「枝豆は丹波の黒豆に限る!」
ビールのつまみに枝豆を欲し、戦略物資ともなる大豆を若いうちに収穫して枝豆にし始めたのを見て、静子は頭を抱えることになった。
足満の言う『丹波の黒豆』とは丹波黒とも呼ばれる品種であり、豆は大粒で丸く、口当たりの良い食感を持ち、表面に白く粉を吹いたような見た目をしている。
現代に居た際にそれを口にした足満は、丹波の黒豆に惚れてしまった。古くから篠山地方で栽培され、年貢として納められていたと足満は図書館通いで得た知識を語った。
しかし、丹波黒のルーツは江戸時代に波部六兵衛と波部本次郎らが生み出した優良な品種『波部黒』にあると言われている。
農業に関しては祖父より徹底して英才教育を受けていた静子は、それ故に戦国時代には丹波の黒豆が存在しないと語って聞かせた。
それを聞いても足満の情熱が翳る事は無かった。それでも『波部黒』の元となる在来種があるはずだと主張し、無理を言って明智光秀より豆を融通して貰うと、自分達で作り出すと息巻いて畑に植え付けてしまったのだ。
「かつての丹波の黒豆には劣れども、手塩にかけたビールと枝豆! わしは今、最高に人生を満喫しておる」
厳しい寒さの中、わざわざ氷室の中でキンキンになるまで冷やした湯呑にビールを注ぎ、同じく秋口に収穫して冷凍しておいた枝豆を解凍し、塩ゆでした枝豆を頬張る。
コタツで温まりながら枝豆を食べつつ、冷たいビールを流し込む。まごうこと無きおっさんスタイルを貫く足満に、静子はため息をついて、せめてもの反撃に嫌味を言った。
「足満おじさん、中年っぽいよ」
「中年……」
静子の一言が予想以上の効果を上げた。普段の仏頂面が嘘のように足満は悄然と項垂れてしまった。
わしは腹も出ていないし、禿げてもおらぬ、加齢臭も漂ってはおらぬはずなどと小声で呟いている様子を見るに、足満が抱く中年のイメージは現代のそれに固定されているようだった。
男性にとって中年という言葉は禁句なのかなと思いつつ、静子は致命的な精神的ダメージを負った足満の背中をさすりながら、彼の小声にいちいち大丈夫と追認することで慰める。
彩と四六は初めて見る足満の醜態に、真夏に雪でも降ったかのように見入ってしまっていた。
皆が抱く足満のイメージと言えば、質実剛健かつ冷酷非情であり、必要とあらばたとえ赤子であっても眉一つ動かすことなく斬り捨てる人物だ。
その要不要の判断ですら基準が自身になく、静子にとってメリットがあるか否かで決定している節があり、たとえ信長からの命であろうとも静子にとって害となると判断すれば躊躇なく反抗する。
基本的にお人よしの静子と異なり、他の人々が忌避するような行為であっても必要ならば率先して手を染めるなど、暗部を担う人物と言うのが余人の抱く足満像であった。
為政者と言うのは綺麗ごとだけでは務まらず、飴と鞭の鞭部分ばかりを進んで引き受けてくれる足満の存在は、静子の不足を補う不可欠のものであった。
ゆえに誰からの悪評をも意に介さぬ足満が、こうまで意気消沈している様など皆が想像できる範疇を超えていた。
「私はいつも『おじさん』って呼んでいるけど、もしかしてそれも嫌だった?」
「それは構わぬ。『小父さん』と慕ってくれていると理解しているのでな。しかし、中年は違う。わしはテレビで嫌と言うほど見てきたのだ、だらしなく突き出した腹に脂ぎった肌、娘からも臭いから洗濯物を別にしてくれと言われる存在。わしは決してあのようにはならぬ! それに、中年と言えばみつおのようなイメージだろう?」
「ああ! 五郎さんもみつおさんを『おっさん』って呼ぶもんね。たまに鶴姫ちゃんが凄い目で見ているけど、本人は気付かないものなのかな?」
「五郎は鈍い。それに言われている本人のみつおが気にせぬのだから構わぬのだろう。それよりも、みつおの家族自慢の方が辟易するわ」
「私も縁側で話しているみつおさん達を後ろで眺めていたけど、あれは凄いよね。良く毎日そんな細かいところまで見ているなって感心するのと、溢れんばかりの愛情とそれを表現する美辞麗句で胸焼けしそうになったよ」
「一度として同じ台詞を口にせぬのに、全体としては同じことを繰り返し述べるのだから、付き合わされる方は堪ったものではないがな」
「鶴姫ちゃんも、今や一男一女の母になっているんだから驚くよね。随分と身体も丈夫になったみたいだし」
順調に話題が逸れていることに安心しつつ、みつおの名が挙がったことで静子はふと思い出していた。
みつおの妻である鶴姫は、長女を産んだ後、数年を空けて長男、椿丸を出産している。嫡男を望んだ鶴姫に対し、授かったのは女児であったため、再び妊娠を望んだ鶴姫に対し、みつおが体調を戻すことを最優先した結果であった。
もとより若齢出産過ぎて母体に極度の負担が掛かったのだ、静子が病院を作っていなければ天に召されていただろうことは疑いようもない。
しかし、立派な世継ぎを産むことこそが己の存在意義の第一であると、強迫観念にも等しい程に刷り込まれている鶴姫にとっては、なかなかに認めがたいことであった。
その為、みつおは毎日鶴姫に寄り添い、如何に自分が鶴姫を大事に思っているかを説き、愛を囁き、献身的に世話をすること三か月。ようやく鶴姫が自分を曲げて、療養期間を設けることを受け入れた。
しかし、その折の副作用も発生しており、鶴姫が抱くみつおへの愛情は偏執の域に達してしまった。
現代ならば独占欲からヤンデレにでもなるのだろうが、そこは奥ゆかしい教育が施された良家の子女、異常な過干渉とはならずに一歩引いた立ち位置に踏みとどまっている。
そして、みつお自体も重すぎる妻の愛を受け止めるだけの度量があった。同じ年ごろであったなら到底成し得ないことだが、二回りも年上であるため、全てを包み込む大人の余裕があった。
誰の目にも仲睦まじいおしどり夫婦だが、現代の価値観を引きずっている(イタリア人なみに露骨な)みつおの愛情表現は、戦国時代の人々には刺激が強すぎた。
「みつお様は……その……情熱的な方ですから」
「彩ちゃん。無理に褒めなくても良いよ。あれは誰が見ても行き過ぎているから……ね?」
彩もみつおと鶴姫が連れ添っているところを見たことがあるのか、珍しく頬を染めて眉根を寄せていた。
この時代に於ける武家の女と言えば世継ぎを産み、主人が踏み入らぬ奥向きの一切を取り仕切って、家を守るのが役目である。
男が外、女は内へと分業が為されており、その関係性は男女と言うよりも相棒に近い。
勿論、浅井長政とお市、豊臣秀吉とおね、前田利家とお松のように、お互いに好き合って夫婦となった例もある。
しかし、それらが後世にまで伝わっているのは、珍しいことであるからこそ記録に残っているという側面があった。
その上で、それらを遥かに上回るのがみつおと鶴姫であった。畜産試験場で働くみつおに、手製の弁当を持って日参する鶴姫。
天気の良い日には、木陰でみつおの膝に座った鶴姫が、みつおの口へ手ずから料理を運ぶ姿が見受けられる。現代であったとしても、流石に胸焼けするような光景であるため、この時代の人々にとっては言わずもがなであろう。
「親馬鹿ならぬ嫁馬鹿よ! アレはな」
「流石にそれは言い過ぎ、愛妻家って言わないと」
「そんな生ぬるいものか! かつて『刑事コロンボ』とやらも、えらく嫁自慢の長い男だと思ったが、みつおのそれは度が過ぎる」
疲れたように重いため息をつく足満を見て、彼をビール造りに誘ったばかりに惚気話の餌食となった足満を少し哀れに思った。尤も代わってやる気などさらさらないのだが。
「そんなに凄い方なのですか? そのみつお殿というお方は」
唯一、みつおと鶴姫の関係を目の当たりにしたことのない四六が首を傾げつつ疑問を口にする。
「うーん。人品も卑しくないし、優れた技術も持ち合わせ、家庭人として考えた時には理想的な父親なんだろうけど……」
珍しく静子が言いよどむ。それでも何とか次の言葉を絞り出した。
「母親として、あれを見せても良いのか悩むところだけれど、何事も経験だよね。みつおさんに会うのなら、その後に何も予定の無い日にしなさいね」
「判りました。いずれ時機を見て伺うことにします、静……母上」
四六は静子様と口にしかけて、慌てて言い換える。四六が静子を母と呼ぶようになったのは、年の暮れに慶次にそそのかされて静子の自室を訪ねたのがきっかけであった。
四六は長く逡巡したのち、これまで自分達が受けた恩を少しでも返したいと申し出た。そこで静子は自分の事を母と呼んでくれるのならば、それが最高の礼となると伝えた。
贅沢を言えば器のように自発的に母と呼んで欲しいのだが、性別の異なる男の子であり、難しいだろうと考えた結果であった。
子供を産むどころか、恋人すら居ない自分が母親の役目を果たせるのかという不安もあったが、やらずに迷うよりはやって悩む方がマシだと割り切った。
「みつおさんに会いに行く前には、必ず私に声を掛けること。予想以上にきついからね、温かいご飯とお風呂を準備しておいてあげる」
そう言って静子は微笑んだ。子供の行動を見守り、その後のことに心を巡らせる様はまさしく『母』の姿であった。
家族水入らずの正月気分は終わりを告げ、正月二日目は早朝より鉄火場の気配となっていた。下々の身分ならば最低限の挨拶以外はすることもなく、ゆっくりと体を休める事が出来るのだが、織田家有数の重臣である静子に与えられた休暇は一日のみであった。
今までは信長が岐阜城に居たため、それほど時間を掛けずとも年賀の挨拶に赴くことが出来ていた。
しかし、今年は信長が安土におわす為、最低限の供を引き連れ、荷物を積んだ馬に跨って丸一日以上を掛けて出向く必要があった。
こうした経緯もあり、静子自身が二日目の応対に忙殺されることも加味し、例年信長へ二日目に挨拶をしていたのだが、七日目にすることとなった。
対外的には東国征伐の結果に対する罰とされているが、内実は静子の負担を少しでも減らすための配慮であった。
例年通り静子の家臣達も二日になると、次々と戻ってくる。彼らは静子へと年賀の挨拶を済ませると、来客を迎えるための準備に奔走することになる。
主だった織田家の重臣は、前日から安土入りしており、この日に静子の許を訪ねてくる者は近隣の有力者の他、公家達の遣いなどが列をなしている。
昨年より準備していたとはいえ、何か不手際があれば静子の名誉に傷がつくため、侍従達は殺気立っていた。
戦場さながらとなった二日、三日が過ぎると来客は一段落するため、今度は静子が荷物を纏めて安土へと出立することとなる。
中でも正月三日に至っては、信長への挨拶を済ませた織田家の関係者が直接赴いたり、名代を遣わせたりするため、気の抜けない応対で疲労困憊となった静子は、荷作りをしながら柱にもたれ掛かって休息を取る。
かつて静子は信長から拠点を安土へ移すという話を聞かされた際に、尾張の本宅以外に各拠点に対して別宅を構えることにした。
信忠のお膝元である岐阜、帝のおわす都であり、義理の父である前久も利用する京屋敷、そして主君たる信長の拠点たる安土にも屋敷を作るよう指示を出していた。
ここで意外な人物が活躍することとなる。早い時期から静子と誼を結び、信用を勝ち得た商人として、久次郎は近江でも名の知れた大店の主となっていた。
さまざまな事業を扱う静子に対応するため、これという商材を定めず、様々な領域の商品を調達する現代で言う総合商社のような業態を取った異例の商会、屋号を『田上屋』と称する。
彼は屋号の由来となった田上山の檜材を一手に扱う静子の総代理店となり、彼の差配によって良質な木材を供給する体制を作り上げることで、莫大な利益を上げた。
静子に関する産品で、一定以上の規模の取引をしようとすると、田上屋を通さねば調達できない。こうした特権に浴しながらも、久次郎は手を緩めなかった。
売り手良し、買い手良し、世間良しの三方よしの教えを守り、自分を頂点とした組織を作り上げて再配分することで、地域一帯の名士として成り上がり、周囲を味方に付けることに成功した。
そんな男が、静子の安土進出の報を聞いて放っておくはずがない。早速名乗りを上げると、静子の安土屋敷の全てを自分が賄うと宣言した。
田上山の檜材をふんだんに用い、建築中もずっとのぼり旗を立てて、田上屋の名前を織田家に与する勢力の隅々にまで知れ渡らせることに成功していた。
静子と言う注目の的に対して現代で言うスポンサーになることで、自分の名前と商い及びその隆盛ぶりを喧伝してみせた訳だが、静子は久次郎のご恩返しと言う言葉を真に受けて義理堅い人だと思っている。
事実として静子は無償で立派な屋敷を得て、久次郎は織田領各地の有力者に便宜を図れば恩義を感じてお返しをしてくれる義理堅い信用できる商人だと宣伝でき、周辺地域の人々を人足に雇うことで雇用を生み出し、見事三方よしを体現してみせたのだった。
そのような曰く付きの物件である安土の邸宅に、静子達一行が到着したのは五日の夕刻になろうかと言う時であった。
「さて、明後日の昼から挨拶だから、それまではゆっくりしようか」
そう呟いた静子が、実際にゆっくりと休息を取れたのは四半刻(30分)だけであった。
「お休みのところ、申し訳ございません。静子様へ年賀のご挨拶をしたいとお申し出の方々がいらっしゃっております。如何いたしましょうか?」
「……流石に今からは無理ですが、お名前を控えてこちらから連絡を差し上げると伝えて貰える?」
予想だにしていなかった大勢の訪問客に、使用人たちは大慌てすることとなる。最優先は明後日の午後に予定されている信長との謁見であるため、それ以外については優先順位を付けて対応する必要がある。
別宅でも挨拶を受けるとは考えていなかった静子は、使用人たちも最低限しか連れておらず、多くは現地で採用した住み込みのものだけである。
失礼のない対応ができる人数を想定しつつ、訪問者の一覧を眺めていると、あり得ない人間の名前が記されている事に気が付いた。
「え!? 何でこの人の名前が載っているの?」
訪問者名簿の中ほど、そこにはこう書かれていた。神戸三七郎、と。