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戦国小町苦労譚  作者: 夾竹桃
天正二年 東国征伐
151/243

千五百七十五年 十一月中旬

史上初となる写真撮影は、消耗品の枯渇を以て終わりを告げた。

信長や朝廷の後押しがあったとは言え、海の物とも山の物とも知れぬ写真撮影に協力してくれた法隆寺の僧侶たちへ、静子は丁重に礼を述べると共に寄贈した写真を収めるための額縁を進呈した。

一言に額縁と言っても、最先端の技術が惜しみなく注がれた特別製であり、装飾の施されていない無地ながらもどっしりとした重厚さを醸し出していた。

それもそのはず、舶来ものの黒檀(こくたん)無垢(むく)材を磨き上げた縁取りに、薄く極めて透明度の高い板ガラスをはめ込んだ世界広しといえども静子にしか用意できない逸品であった。

写真は外気に触れると変色したり、退色したりすることを伝え、額縁に入れて保存することを進言して撤収準備に取り掛かることとなった。


技術者たちが機材の解体と梱包を始め、法隆寺の外に陣を張った兵たちにも撤収準備をするよう通達させると手持無沙汰となった静子は、皆が忙しく動き回るのを何気なく眺めていた。

そこへ写真技師と何事か話し込んでいた虎太郎が、静子の許へと戻って来て話しかけてきた。


「ゼンマイ式のシャッターが壊れた原因は、ご主人がお命じになった装置自体の小型化による弊害(へいがい)だそうです。何故、小型化に拘られたのですか?」


虎太郎の疑問を受けた静子は、(おとがい)に手を当てながら何でもない風に答える。


「さっきも言ったけど、現状に満足して停滞したんじゃ意味がないんだ。確かに大きな部品なら大きな誤差を許容できるから丈夫な装置を作ることができる。でも、燃料不要の小型動力装置であるゼンマイは、カメラだけにとどまらずあらゆる用途で求められるようになるでしょう。数を作るとなると大きなゼンマイは余分に材料を必要とし、その差は製造すればするほど加速度的に広がっていく。ね? 少しでも早い時期に小型化した方が良いって理解できるでしょう?」


「確か懐中時計と仰っておりましたか? ご主人が力を入れておられる機械式時計は、文字通り懐に収まり、各個人が持ち歩ける程に小さくするのだとか」


「このゼンマイ式シャッターも一定の時間を測っているの。作動させれば、必ず同じ秒数でシャッターを閉めるんだ。今回はゼンマイを構成している鋼の薄板が、巻き上げる力に耐えきれずに破断しちゃったけれど、材料を変えたり厚みを変えたりして再挑戦するつもり」


「なおも試行錯誤を続けられるのですな?」


「今日の失敗を記録し、何故失敗だったのかを分析し、明日こそ成功するために挑み続ける。私はそれを『科学』と呼んでいるけれど、知識や経験を整理して未来へ継承する(すべ)だと思う。だからこそ世界の真理を解き明かし、知識へと落とし込む研究は決して止めることが出来ないの。まあ、お金にならない研究も多いから、お金になりそうな研究を前面に押し出さないといけないんだけどね」


静子は苦笑しつつ締めくくった。静子は彼女の祖父の手による英才教育を受け、幼い頃から農業を通して研究の現場に関わっていた。

農業の研究と言うものは、一朝一夕に結果が出るものなど存在しないと言っても過言ではない。

幼い静子は祖父が毎日掛かりきりになっている基礎研究が何の役に立つのか疑問であった。

しかし、それは祖父と共に農作業をする中で、彼の口から夢として語られることで静子の中に形を持ち始め、静子が中学校に上がる頃にその内の一つが現実に結実した。

当時日本中で栽培されていたコシヒカリ系のお米を改良し、収量そのままに背丈を三割ほど低い品種として定着させた。

静子の祖父が生み出した品種は、背丈が低い為に倒伏しにくく、更に病気にも強い上に、栽培にも手が掛からないという性質を持っていた。

これにより静子の祖父は、当年の紫綬(しじゅ)褒章を受章するに至っている(後に黄綬(おうじゅ)褒章も受章)。

こういった経緯もあって、彼女は基礎研究の重要さを身近に見ており、職人たちにも研究を勧める要因になっていた。


しかし、研究をする上で大きな問題が持ち上がった。

それは学問として科学が定着していない戦国時代には、研究成果をどのように伝えるのかと言うガイドラインすらなかったのだ。

現代に於いて静子自身は研究成果の一つである論文を目にする機会はあれど、自身が論文を書くような状況に身を置いては居なかったため研究論文の要諦(ようてい)を掴んではいなかった。

このため、現代から持ち込んだ携帯電話に保存していたデータを、バッテリーが稼働する内に紙へと書き写した特許申請に関する資料を掘り返し、それをベースに作り上げることにした。

まず理論を展開するためのフォーマットとして、事象を観察し、そこから推論を導き、仮説を立て、仮説を元に実験を行い、実験結果に対する考察を添えるという一連の概要を作った。

そしてその理論を元に研究成果が結実した際には、研究をするに至った前提を記し、研究する過程で発生した問題を挙げ、それらをどのように解決したかを纏め、最終的に結果として報告するという形式を基礎として定めた。


静子としてはそれなりの自信を以て導入した制度だったが、導入当初は上手くいかなかった。

何故なら、これらの枠組みを理解し、フォーマットを用いて研究を進めるためには高等教育相当の学識が必須だったからだ。

故に静子は職人たちに交じって一緒に研究を行い、率先して資料を作成し、意味を話して聞かせ、実際に実験を行わせて資料を作らせ、それを評価した。

こうして徐々に研究手法は皆に浸透していったが、今度は別の問題が持ち上がった。それは失敗の隠蔽であった。

失敗が即座に命に直結する戦国時代特有の事情もあって、なかなか根絶するには至らない。

失敗であっても、何故失敗したのか原因を探り、それを成果とすることを推奨しているが実情は伴っていない。

研究者は自分が立てた仮説に執着し、自分の見たい結果のみを見ようとする傾向がある。

これは人間の持つ本質的な問題であるため即座に改善できるというものではない。

今後も腰を据えて長期的に意識改革に取り組むしかないと考えている。


「ふむ、科学ですか。それはご主人の図書室で見た、唐の『科挙之学(かきょのがく)』とは別物のようですな」


中国に於いて科学と言えば科挙之学の略語であり、十二世紀ごろより使われていたらしい。

対する日本は幕末期から明治にかけて、科学という用語が使われるようになった。

尤も、当時にその言葉を用いていた福沢諭吉や井上毅といった人物は、体系化され整理された(分科された)学問の集大成として科学と呼んだ。


「うーん、発端はそこにあるんだと思うんだけどね。科挙は広範な知識を問う試験だけど、科学は体系ごとに分類された学問って感じかな?」


「ふむ……ご主人の年頃で、これほど含蓄のある言葉を生み出すに至るとは、どれほどの経験を積んでこられたのか興味が尽きませぬな」


「あははー……」


静子としては先人が苦心の末に生み出した成果を剽窃(ひょうせつ)するようで心苦しいのだが、真正直に理由を語って聞かせるわけにもいかず苦笑するしかなかった。

虎太郎は静子の様子を見て、この件にはあまり触れて欲しくないようだと察して話題を変えることにした。


「時にご主人、これほど精細な記録が出来る写真だと言うのに、人物は撮影されないのですかな?」


「あー、うん。それは考えたんだけどね。日ノ本には人型をしたものには魂が宿るって言う考えがあって、これほどそっくりに姿を映し撮られれば魂がそちらに取り込まれてしまうって思うみたい」


「その言い様ですと、ご主人は異なった見識をお持ちですな?」


「当たり前だよ。その理屈でいけば、凪いだ水面に姿が映れば水中に魂が取られるの? そうはならないよね? 長く残るから徐々に魂が抜かれて早死にするって皆が言うけれど、それじゃ毎日水辺で仕事をして水鏡に映る機会の多い水夫は、陸の人々よりも一人の例外もなく早死にしないとおかしいはずだよね」


「なるほど、卓見ですな。ならば実例を作ってしまえばよろしい。もし希望者が居ないと言うのであれば、この虎太郎が務めてみせましょう」


虎太郎はそう言って静子に笑いかけた。

静子の目に映る虎太郎は、実に興味深そうな面持ちで、人柱になってやろうなどと言う悲壮な決意は見当たらなかった。

本人が望むならそれも良いかなと思った静子は、虎太郎に答えた。


「そうだね、尾張まで戻ってカメラの修理が終わったら撮影しようか」


「おお! お聞き入れ頂けますか。くくく、これで最初に写真に写った人物として後世まで語り継がれましょう。私を破門した教会の連中は、歯噛みして悔しがることでしょうな!」


普段は破門のことなど気にする素振りも見せないのに、しっかりと根に持っていた虎太郎とその意趣返しの方法に静子は嘆息するしかなかった。


「過去には拘らないんじゃなかったっけ? まあ、良いけれど」


浮き浮きとした様子で歩み去る虎太郎を見送りながら、静子は撤収準備が整ったのを確認すると、法隆寺の僧侶たちに辞去する旨を伝え、中継地となった京を目指して出発した。


「京に着いたら子供たちと合流しないとね。さてさて、どんな話が聞けるかな」


京に残してきた四六や器が離れている間、どのように生活していたかに思いを馳せていた。







京まであと半日と言った処で、信長の命令を受けた池田(いけだ) 恒興(つねおき)より早馬が届いた。

聞けば、静子にではなく長可を指名しての出頭依頼であった。長可は自軍の指揮を副官に任せると、使者と共に先行して恒興の京屋敷へ向かう事となった。


長可が屋敷に着くと、恒興自らが出迎え奥座敷へと案内される。人払いを済ませた後、恒興が語った内容は単純な命令であった。

堺のとある豪商が先祖代々受け継いできた土地を他人へ譲渡してしまったため、その責を負わせろとのことだった。

公地公民制であった飛鳥時代ならまだしも、土地の個人所有が公然と認められる戦国時代に於いて、土地の売買に信長が介入するのは妙だと考え詳細を促すと、譲渡先が外国人であった。


「なるほど。一罰(いちばつ)百戒(ひゃっかい)だな、売国奴の末路を世に示せば良いのか」


それを聞いた長可は、即座に信長が欲するところを察した。

同じ日ノ本の民に土地を譲るのは構わないが、これが外国人となると話は異なる。

極端な言い方をすれば、日ノ本の中に他国の領土が出来てしまうのだ。

天皇を奉じて、天下統一を為さんとする信長としては断じて見逃すことのできない行為であった。

無論、信長としても情報を察知してから再々取引を中止するよう文や使者を遣わせた。

この豪商が何を企図していたのかは判らないが、彼は信長の要求を突っぱねた。

折しも東国征伐の失敗が伝えられたのと同時期であったため、信長の支配下から脱したいという意図があったのかも知れない。

この報せを受けた信長は、それ以上の交渉を打ち切り、武力を以て制裁を課す方向へ舵を切った。その実行者として長可に白羽の矢が立ったと言う訳だ。


「上様の命は承知した。しかし、今から堺に向かおうにも、旅支度もできぬし、間もなく日も落ちる。今宵は京に留まり、我が殿にも次第を報せた後、翌朝京を発つとお伝え願いたい」


「承った。しかし、堺が素直に森殿を受け入れるとは思えぬが、上様は『真似をせんとする輩が震え上がるようにせよ』と仰せだ」


「なるほど、拙者好みのご命令、しかと心得た」


信長の言葉は、長可に堺を焼いても良いと告げていた。

信長の全権委任状に等しい権限を与えられた長可の頭の中では、相手をどのように料理するかの算段が始まっていた。

武辺者の印象が強い長可だが、城攻めに於けるハラスメント以来、策を(ろう)する(から)め手もお手の物となっていた。

相手が赦しを乞うて泣きを入れるのを思うと、今から気分が高揚する長可であった。

流石の長可も同陣営の年長者である恒興には敬意を払い、礼儀正しく辞去すると静子の京屋敷を目指す。


「遅かったね。それで、池田様はなんて?」


「上様からの密命で、堺の跳ねっ返りを始末することになった」


「堺を焼け野原にするのはやめてね?」


長可を指名しての抹殺指令というだけで、堺を焼くと思われた長可は憤慨するが、同席している才蔵も静子と同意見だったのか、やや呆れた様子で長可を見守っている。


「いやいや、いくら俺でも理由もなく堺程の街を焼く訳がない! そんなに信用が無いのか、俺は」


「自分で言っているじゃない、理由があれば焼く事もあるって……それに今までに君がやらかして来たことを考えればそれほど大げさでもないよ」


静子の冷静な指摘に、長可は思わず目をそらした。

巷では『織田に弓引かば、赤鬼が現れる』と言われる程に、長可の逸話は物騒な物が多い。

赤鬼とは返り血で真っ赤に染まった長可を指す隠語であり、織田家に敵対すれば長可が現れて地獄絵図を作り出すと思われていた。


「お陰で、私が貸し与えた人間(にんげん)無骨(むこつ)(十文字槍)が、すっかり君の象徴として定着しちゃったしね」


「悪いとは思うが、流石は和泉守(いずみのかみ)の作よ、手になじむのだ」


長可の酷使に耐え続けたバルディッシュだが、流石に無理が祟ったのか一度解体して打ち直す必要が出てきた。

それまでの間を無手で過ごすわけにも行かないと、静子が長可に貸し与えたのが前述の人間無骨であった。

それまではバルディッシュや金棒という重量で叩き潰す武器を用いてきた長可だが、史実でも長可が愛用したという人間無骨の、重量と鋭利さを兼ね備えた使い心地は彼を魅了した。


「不法に設置された関所、一体幾つ壊したと思っているの?」


「二十より先は数えておらん!」


当時は国主が設置する公的な関所の他に、代官や地元の有力者が私的に設置している不法な関所が至る所に存在した。

存在そのものが不法な物であるため、どのように扱ったところで文句が出ない事を良いことに、長可は好んで関所を襲撃した。

他にも酔漢と派手に喧嘩をしたり、寺を焼き討ちしてみたり、民家に押し入って大暴れしたりもしている。

尤も酔っ払いは無銭飲食をした挙句に、店主を脅して金品を強奪しようとした輩であり、焼かれた寺も禁じられた高利貸しに手を染めた生臭坊主を始末した結果であった。

民家に押し入った件は、長可の部下が家主に妻を手込めにされた上に、賊に仕立て上げられ口封じをされたことに対するお礼参りであった。

事情を知らなければ無法者にしか見えないが、身内に対する懐の深さを具えているため、長可を慕うものは思いの他多い。


「途中までは良いんだよ。でもね、なんで他人の財産を持って帰ってきちゃうかな……」


「静子も常々言っておるだろう、財貨は使ってこそ意味がある。死人は財を使わぬし、捨て置けば焼け落ちる。ならば持ち帰って、俺が使う方が良いのは道理だろう?」


「ああ、そう……」


あくまでも世の為だと言い張る長可に、静子は二の句が継げないでいた。そもそも気軽に家を焼くなと言う言葉は、結局放たれることがなかった。

これほどまでに傍若無人に振る舞っているというのにお咎めが無いのは、長可が信長の寵愛を受けているためであった。

幾ら静子が叱ろうが、信長が許してしまえば静子としても追及できない。

信長としては自分の信じる筋に殉じ、真っすぐにかつ奔放に振る舞う長可を好ましく思っており、長可がやらかす事をやんちゃ程度にしか思っていなかった。

同僚である慶次は長可を暴れ癖がある奴だとは思っていたが、越えてはいけない一線を弁えている限りは口出ししないつもりだった。


「よし、決めた。今回の上様の任は、武力を用いずに相手を懲らしめてきなさい」


「おいおい、上様は始末しろと仰ってるんだぞ、武士が武を使わずにどうやって始末するんだよ」


「言い訳無用。直情的に行動する前に頭を使いなさい。もしも、禁を破って堺に攻め入ったら軍を送り込みます!」


静子の言葉に流石の長可も肝が冷える。静子が軍を送り込むとなったら、個人の武勇ではどうにもならない戦いになる。

長可としても自分を高く評価し、才能を伸ばして育ててくれた静子に敵対したいはずがない。

更に言えば個人の武勇勝負になったとしても、長可は自分が才蔵に勝てるビジョンが浮かばなかった。

攻撃能力だけをとるなら、自分が勝っていると言える自信もある。

しかし、才蔵は武人として円熟期に入っており、単純な力自慢では太刀打ちできない修練を愚直に積み上げている。

彼の守りを突破して刃を届かせることができるかと問われれば、否としか言えない。


「判った判った。しかし、力尽くが駄目となると交渉か……」


「あら? 私は一度も交渉で解決しろ(・・・・・・・)とは言ってないよ?」


「あ? ああ! そう言うことか。前々から思っていたが、一見穏やかに見える静子の方が物騒だぞ?」


ようやく静子が何を言わんとしているか長可は察した。静子が禁じたのは、堺へ攻め込むな、堺を焼くなであり、露見しないのであれば力技を使っても問題ないのだ。

そもそも信長が交渉を打ち切っているのだ、自分が代理で交渉するなど論外である。目に見える武力以外を使うなら、何をやっても良いと言うことでもある。


「任せろ! 十日と経たずに上様へお詫びに行かせよう!」


長可が直接武力を用いている分にはまだマシであり、搦め手を使われた方が大きな被害が出ると堺衆が知るのは、それから数日後のことであった。







翌日、長可は僅かな手勢のみを伴って堺へ発ち、静子は京屋敷に残しておいた予備の撮影機材を持ち出し、専用の保管場所以外での保管の結果を確認することにした。

四六や器は、前久(さきひさ)上京(かみぎょう)を牛車で連れまわしているため、顔を見ることが叶わなかった。

同行している可成から特に報告がないところを見るに、大きな問題はないと判断した。



翌日、長可は堺へ、静子は予備のガラス乾板と鶏卵紙を使って京の様子を写真に収める作業に取りかかった。


「お、あれなんてどうかな?」


静子が保存状況の確認用に選んだ被写体は、ひだまりに重なり合って眠る二匹の子猫であった。

現在のカメラの性能では動体を写真に収めることは難しい。

しかし、あつらえたように日向(ひなた)で眠る子猫ならば、撮影が終わるまで動くことはないだろう。

気紛れに選んだこの一枚の写真が後に騒動を巻き起こすのだが、その時の静子は想像だにしていなかった。


湿気を避けて冷暗所かつ風通しの良い場所に保管していたためか、写真は問題なく撮影出来た。

ついでとばかりに静子は技術者に命じ、追加で京の街並みを撮影させた。都合よく日が曇り、日差しが弱まったこともあり、撮影が完了するまで30秒ほどの時間を要するようになった。

この条件下で撮影をすると、動いている人物は映りこまず、動かない街並みのみが感光して像を結ぶことになる。

現実とは異なる無人の街並みを見て、写真の原理までは理解しきれていない技術者も首をかしげていた。

静子は子猫の写真と並べて、映りこまなかった理由を説明しながら皆に語って聞かせた。


「いつの日か、京の町並みは今日(こんにち)と全く違う様相になるでしょう。だからこそ『今』を写真に収めるのです。私達が見ている京の『今』を、暮らしぶりを未来に伝えるために、ね」


数枚の風景写真を撮り、問題なく保管できている事が確認できると、静子は出来の良い二、三点の写真を文と共に信長へ届けるよう手配した。


「はー、終わった終わった」


京屋敷に残した予備の機材と交換することで、応急修理したカメラの使い勝手を確認した静子は再び梱包を命じ、尾張へ持ち帰る荷物に合流させる。

用事が済んでしまえば手持ち無沙汰となり、前久と子供たちが戻ってくるのを屋敷の自室でぼんやり待つこととなった。


「結局、四六と器は近衛様に預けっぱなしだったなあ」


そなたの子ならば私にとっては孫も同じ、偶には爺に預けるのも良いだろうと言われた静子は、素直に好意に甘えた。

利発な四六と尾張で暮らすようになって以来、感情を見せるようになった器を前久が気に入ったのか、率先してあちこちへと連れまわし、彼があれこれと世話を焼く様子が可成の報告に上がっていた。

四六時中親とべったりってのも息が詰まるかな、と思いつつも騒がしくも賑やかな二人が居ない事に少しの寂しさを覚えていた。


「静子様、才蔵様がお戻りになりました」


「判りました。直接こちらに案内して」


「ははっ」


久々のゆっくりとした時間を満喫していると、小姓が才蔵の帰還を報せる。

才蔵には京周辺の見回りと称して、本願寺勢力の動きを探って貰っていた。今回、真田昌幸を使わず、才蔵を遣わせたのには狙いがあった。

静子の腹心として名の知れた才蔵が、表立って動くことで本願寺に対して見張っているぞという意思表示をするためだ。

信長の方針としては表面上、本願寺との交渉を模索しているよう振る舞っているが、実際には本願寺側が痺れをきらし、織田の勢力下へ攻め入るのを待っていた。

詳しい方針は聞かされていないが、状況から判断する限りでは、本願寺本体よりも毛利と本願寺を繋ぐ瀬戸内海の補給線を断つよう動いていると静子は読んでいた。

それを裏付けするように秀吉が中国地方へ派遣され、丹波へは光秀を送り込んでいる。陸路を抑え込まれては、海路を利用する他ないからだ。


「ただいま戻りました」


「お疲れ様。早速で悪いのだけれど、報告をお願いできるかな?」


「如何ほどの事も御座いませぬ。端的に申しますれば、本願寺は亀になっております」


「まだ動かないか」


本願寺は教主である顕如が態度を保留しているため、教如が幾ら煽ろうとも本願寺全体としては沈黙を保っていた。

ここまで追い詰められて尚、顕如が指針を示さない理由が判然としないが、彼が腹心と(たの)んでいた下間(しもつま)頼廉(らいれん)が消息を絶って以来、すっかり口数が減ったとの噂が漏れ伝わっている。


「毛利は、羽柴殿と荒木殿が上月城(こうづきじょう)の尼子殿を援護に向かいましたが、状況は芳しくありませぬ」


中国地方では、毛利輝元が大軍を以て上月城を包囲しており、城主の尼子から救援要請を受けた信長が秀吉と荒木の連合軍を派遣した形だ。

現状では小競り合いが時折発生する程度で、両軍が睨み合っており状況が膠着していた。

現地の情報が少なく、確度は低いものの、三木城の別所(べっしょ)長治(ながはる)が敵方に付く可能性があるため、思い切った行動に踏み切れないとなっていた。


「上様には毛利攻めの先鋒を務めるって言ったのに、城に籠っているってことは裏切りかな?」


「その様です。そうなれば別所の奥方の実家である、丹波国の波多野も呼応するやもしれませぬ。さしもの羽柴殿も挟み撃ちにあっては一たまりもありますまい」


「となれば上月城を捨てて尼子と共に三木城へ攻め入るしかないか。毛利攻めの橋頭保を失うのは痛いけれど、背中を突かれる状況は——」


言葉の途中で静子が不自然に口を閉ざした。見れば才蔵が口元に指を立てており、他者の接近を告げていた。


「静子様。真田様が上様より書状を預かっておいでです、如何(いかが)いたしましょう?」


「判りました。報告もあるでしょうし、こちらへお通しして下さい」


「ははっ」


静子は返事をすると、小姓が踵を返した。小姓の足音が遠ざかっていくのを耳にし、静子はいつの間にか止めていた呼吸を再開する。


「気が抜けないのは疲れるね」


「心中お察しいたしますが、御身は織田家にとっても急所となり申した。ましてやこちらは尾張と異なり十分な警護が出来ておりませぬ、ご心労をお掛け致しますが今しばらく身辺にご留意ください」


「判っています。警護の皆に比べれば、私の心労なんて大した事ないんだけど……尾張に帰りたいなあ」


思わず静子の口から愚痴が漏れたあたりで、再び廊下を踏みしめる足音が聞こえてくる。

小姓に案内された昌幸が到着し、室内に通され一通りの挨拶が済んだところで昌幸が切り出した。


「堀様より羽柴様の状況を伺いましたが、どうにも苦境に立たされておられるご様子。荒木様も同様に、背後を気にして毛利を攻め切れぬと」


昌幸の報告によって才蔵の報告が裏付けされ、ほぼ間違いのない状況と静子は判断する。

かつて武田信玄が西上作戦を開始して以来の危機であった。

一つ下手を打てば、状況が雪崩のように悪化し、最悪織田家は京を追われることとなる。

秀吉が弱気になるのも無理からぬところではある。何と言っても相手は西国の雄、毛利輝元である。

毛利輝元と言えば、かつて百二十万石を誇った尼子の領土を削り取り、北九州一帯を支配する大友(おおとも)宗麟(そうりん)と刃を交え、その(ことごと)くを毛利家の勝利に導いた存在だ。


「今回はどうしようもないかな。この状況で尾張に戻るのは心苦しいけれど、我々がここに居ても出来ることはないしね」


諦めに近い静子の言葉に、誰も反論できなかった。







昌幸との会談の後、静子は予定通り四六や器と合流し、もう少し滞在していけと慰留する前久を振り切って、尾張へと戻ってきていた。

帰路の途上で安土に立ち寄り、信長に状況を報告したが、彼は西国の状況は捨て置き、静子に尾張へ戻るよう促した。

ややきな臭い空気を感じ取りつつも、尾張へ戻り長旅の疲れが癒えた頃、先延ばしになっていた虎太郎の撮影に際してひと悶着が起きた。

事の発端は、鶏卵紙に焼き付けられた白黒写真を見たみつおの一言だった。


「へえ、鶏卵紙に焼き付けると最初からカラー写真が退色したみたいなセピア色になるんですね。カラー写真は望めなくても、これだけ鮮明に映るなら私の家族写真も撮って貰えませんか?」


みつおの家族と言えば、島津家より嫁いできた鶴姫と、その侍女(しば)、彼女が産んだ女児であり満三歳を過ぎた(あおい)を意味する。

元々現代人であるみつおに写真に対する忌避感などあるはずもなく、彼の持ち物である元カラー写真(こちらは経年による退色済み)を見ている鶴姫も同様だ。

静子は撮影依頼をして以降、いかに葵が可愛らしいかを延々と繰り返して説明するみつおの言葉を聞き流し、考え込んでいた。


「葵って名前はですね、僕の奥さんが尾張にだけ咲く花、向日葵(ひまわり)から取って常に日を向いて咲く葵になって欲しいと付けたんですよ。もう本当に可愛くてですね、僕たちの太陽と言っても過言ではないでしょう。この前も『ととさま、おしごといかないで』って言うんですよ! 何度飼育場から帰ろうと思った事か……」


尚も勢い込んで話し続けるみつおの言葉を遮って、静子は判断を下す。


「そうですね。日ノ本で一番を外国人である虎太郎が取ると、彼に対する風当たりが強くなるかもしれませんし、まずはみつおさん達を撮りましょうか。続いて虎太郎も撮影すれば、最初の人物撮影の被写体として歴史に名が残るでしょうし——」


静子がそこまで話したところで、(たお)やかに伸びてきた繊手が静子の肩を叩いた。


「おやおや、静子は日ノ本一となる機会で妾を呼ばぬとは、随分と薄情になったものよな」


如何にも作った悲し気な口調で話す貴人の声に、静子は振り向くことが出来なかった。


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― 新着の感想 ―
[一言] あなたを写真に撮るとなると、その夫であり上司でもある方も出てきそうなのですが…w
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