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7話

 重蔵の言葉に対して、ロクサーヌの顔にはっきりとした嫌悪の色が浮かんだ。


「何を言ってるのかしら~? 頭どうかしちゃったぁ?」


 言葉にも棘がある。考えるまでも無く、重蔵の言った『高く売れること確定の商品』というのは、ティースであることは間違いが無い。知り合いであるロクサーヌの反応は当たり前だろう。


「言うまでもないことを言ったんだが?」


 不機嫌なロクサーヌに対して、ニヤニヤと笑いながら重蔵は答える。それを見たロクサーヌの表情が更に歪み、嫌悪感の中に敵意まで含まれていた。


「……ティースに言った方がいいみたいね~」

「構わないとも」

「…………」


 自信満々な表情の重蔵。

 ロクサーヌは何も言わない。その表情にあるのがハッタリなのか、はたまたは本当に自信があるのか。それを見極めようと、重蔵を観察するだけだ。


「……すこしばかり聞かせてもらいたいんだがな」

「…………」

「……クリスタルが割れたんだが、あれはちょっと簡単に壊れすぎだ。魔法の武器の強度は高い。ならマジックアイテムであるあのクリスタルもそんなに簡単に壊れたりはしないんじゃないか……ちょっと納得がいかないんだよな」ニヤリと重蔵は笑う。「あれは目には見えなかったが、元々割れていたんじゃないか?」


 沈黙が流れる。ロクサーヌは重蔵が自らの答えを聞くまではそれ以上話す気が無いというのを悟り、しぶしぶ口を開く。


「……確証は無いけど、その可能性もあるわ~。最もティースが取り扱っているうちにヒビが入っていて、結果的に割れたっていう可能性も高いけどねぇん」

「ふん。うそ臭い言い訳するなよ。それより何であんなものを売ったんだ?」


 お前の魂胆は読めているぞ。そういわんばかりのニヤニヤ笑いを浮かべる重蔵に対して、怒鳴りたくなる気持ちを必死に堪えてロクサーヌは再び答える。


「うーん、ティースが探してるって聞いてね。ほら、あの娘、お金持って無いから、そんなに良いもの渡せなかったのよぉ」

「なるほど……なるほど。理解したぜ」

「何を理解したって言うの~?」

「いやいや」答える気が無いという素振で重蔵。「しかし残念だな」

「……さっきから何が言いたいのかしらん?」

「目的がこなせなくてさ」


 ロクサーヌが不思議そうに重蔵を眺めた。


「どういう意味~」

「そのままさ。横取りして悪いなっていう謝罪を込めた意味でさ。わざわざヒビの入ったクリスタルを渡してまでの計画がぽしゃった……そろそろ腹を割って話そうぜ?」

「…………」

「返しても良いんだぜ?」

「……どういう意味か分からないわ。それに何を返すというの?」

「なら話はここで終わりにするか? それでも俺は全然構わないが? 買い手はあんただけじゃないしな」


 踵を返す重蔵。それに対してロクサーヌは声をかけた。


「――待って」


 重蔵は再び振り返る。その顔にはやはりニヤニヤとしたものが浮かんでいた。


「それだけ言われて帰られたら、なんだか気分が悪いわ。何が言いたいのか、はっきり話してくれない」

「……単に俺が本当にあのちっぽけな神様を信仰してると思うかって話だ。別の狙いがあったりな」


 ロクサーヌは勝ち誇ったように笑う。


「それだけ聞ければ十分だわ。あの娘に言うわ。あなたの正体を」

「そうかい? なら俺もあんたの狙いについて言っておいた方がいいかもな? その場合はどっちを信じるんだろうな。まぁ、どっちにせよ、あんたも信じられなくなると思うぜ? ご苦労なこったな、全て水の泡ってわけだ」


 ロクサーヌの目が細くなり、鋭いものとなった。冒険者を辞めて時間は経っているが、それでもその腕に劣りが無いと思わせるだけの鋭利なものへと。恐らくはそこらのチンピラであれば、怯えても仕方が無い、命の奪い合いをこなして来た人間のものだ。

 ただ、重蔵はそこら辺のチンピラとはまるで違う。ロクサーヌの眼光を前にしても、そのヘラヘラとした笑いに変わりは無かった。


「……やめておけって、外で待っている奴がいるんだぜ? 俺が出てこなかったら変に思うぞ?」

「……何を言ってるんだか。私はあなたが――」

「――もういいからよ。さっきも言ったように腹を割って話そうぜ。あんたが自分の店に新しい従業員を抱え、俺は長く付き合わなくても良いものを得る手段をな」


 沈黙が流れる。

 そして1分だろうか、それとも10分だろうか。重い空気の中、どれだけの時間が経過しただろうか。

 ふぅというため息の後、ティースが絶対に見たことが無いような表情がロクサーヌの上に浮かんだ。


「全く後一歩ってところで、とんだ邪魔だわ~」


 ジジジ――。

 まるで蝉の鳴くような小さな音が聞こえる。発生したのは重蔵のいる辺りだ。音の発生源を探そうとするロクサーヌに、重蔵は問いかけた。


「あんたの愚痴はそのうち聞いてやるよ。それよりは先にお互いの利益の話に入ろうじゃないか? 外で待ってる商品があるんでな」

「はいはい。で、何が欲しいの?」

「……金でどうだ?」

「お金? 純金貨で75枚も持ってるのに?」

「おいおい、それしかないんだぞ? 金は幾らあっても困るもんじゃねぇよな? 特に腐らないしな」

「まぁ、そうね~。うふふふ。じゃぁ、それでも構わないわよ? 幾ら欲しいの? 欲張ったりしないでね~」

「……純金貨で75枚でどうだい?」

「ん~。ちょっとふんだくり過ぎよ~」

「ティースは良い女だと思うぜ? あんたがじっくり時間をかけてまで欲したんだからな」


 重蔵の言葉に、昔、ティースを見たときのことをロクサーヌは思い出す。




 まだあれはティースが今より幼かった頃だ。その幼い少女をたまたま通りで見かけたとき、ロクサーヌは驚愕したものだ。この迷宮都市の中でも類を見ないような美貌の欠片をその幼い顔に見出し。

 そしてずっと見ていた。

 綺麗な宝石を所有したくなる女の気持ちで。


 ある程度の年齢に到達した時点で、出会いを演出し、友人関係までは行かないまでも知り合い関係までを構築した。そして詳しい内情を知るにいたり、ティースを我が物としようと行動を開始したのだ。

 まず攻めたのは物欲だ。清貧としか思えない暮らしをしている少女に、金の話をしても効果は無いだろう。だからこそ、そういった世界を見せることで物欲を育てようとしたのだ。

 煌びやかな装身具を見せ、高級ブティックに連れて行った。最高級のレストランにも誘ったことがある。ガンドの店を教えたのもその一環だ。

 しかしながらまるで効果は無かった。同じ女として理解できなかったが、その手段では無理だという理解は出来た。


 次の手は強い信仰心を利用する手段だった。ティースは自らの全てを神に捧げているからだ。ただ、これまたロクサーヌには理解できない考え方だった。


 神はおり、信仰を差し出す代わりに、祝福をくれる。

 それは労働を対価に給金を得るのと変わらない光景だ。

 つまりは神は自らの雇い主なのだ。これは特別な考えではない。それが神が顕現する世界で当たり前の考え方だ。だからこそ、力の無い――支払うことの出来ない神を信仰するティースの考え方が理解できなかったのだ。


 しかしながら攻撃するにはここだと、ロクサーヌは考えた。


 神を抹殺することは出来るだろうか? それの答えは『可能』だ。事実、かの超越領域15席の第4席『死重呪紋』は神々を幾人――幾柱も消滅させている。しかし迷宮都市という多くの神々がいる場所でそのようなことをすれば、信じられないような問題を引き起こすだろう。神々の協定の中にある一文を破るのだから。

 そのため、ロクサーヌが取った手段は――ゆっくりと殺す方法。


 劣悪なクリスタルを渡し、信仰心を枯渇させる手段を取ったのだ。

 壊れているクリスタルは信仰心を集めたとしても、僅かに消失させてしまう。とはいっても1ある信仰心を0.7にする程度ではある。

 もしティースの神が多くの信者のいる神であればほぼ効果は無かっただろう。しかし信者のいなかったティースの神にとっては有効的な手段だったのだ。

 神が消えればティースの心の向かう先はどうなるか。ロクサーヌが自身でその心の隙間を埋める予定だったのだ。



「ん~」


 ロクサーヌの目が中空を彷徨う。ティースの商品的価値を考えて、純金貨75枚の出費が惜しく無いかを計算しているのだ。ただ、これは演技だ。ティースの商品価値はそんなに安くない。単純に考えるということで、重蔵にこれ以上金を持っていかれることを避ける狙いだ。


 ロクサーヌの店は超高級店だ。何の紹介も無い一見さんは決して入れないため、客のレベルは高いレベルで保たれている。

 最下級の娼館にありがちな、暴力で言うことを聞かせるようなそんな真似は決して無い。ちゃんとした支払いがあり、望むならちゃんとした教育だって受けられる。そうやって運営しているからこそ、働いていた子の中には、貴族の側室として出て行った者だっているのだ。

 そんな店においてティースはどんな役割を担うか。それは看板である。

 もしティースほどの少女を店に置ければ、誰もがこぞってロクサーヌの店に来るだろう。一晩、純金貨20枚もまた夢ではないほど。半分を渡しても充分にロクサーヌの手元に残る。


「一回純金貨5枚だとして……15回……うーん。それ以外の出費も考えて……」

「どうなんだい?」

「悪く無いわね~」


 ジジジ……。


「なら交渉は成立だな」

「ちょっと待って? それだけ払うなら、上手く行くように協力して欲しいんだけどぉ?」


 純金貨75枚支払ったとしても、魚が逃げてしまっては大損だ。それなら重蔵を取り込んで、上手い方向に持っていければよいと考えたのは当たり前だろう。

 無論、重蔵という人物を本気で信頼する気は無い。上手く手を回して、迷宮内で死んでもらう必要はあるだろう。


「……なら、もう少し乗せてくれるのか?」

「うんも~。欲張りねぇ。あんまり欲張ると良い事無いわよ~」

「で、どうなんだ?」

「……分かったわ。もう少し乗せてあげる」

「そりゃ、ありがたい。で、如何すればいいんだ?」

「うん。もう一回クリスタル渡すから、今度は壊さないようにしてくれれば良いわ~」


 もう一度クリスタルを渡して、同じ手段を確かめればよい。そう、ロクサーヌは考えたのだ。


 ジジジジジ!

 再び聞こえる音、それの発生源が重蔵の首からさげた皮袋からだとようやくロクサーヌは気付く。

 焼ける音と匂いが袋から漂っている。蝉のような音は、何かが焼けているときのものだ。


 そしてその音は急激に止む。中のものが燃え尽きた証拠として。



「――なるほど。そういうことか。やはり意図的なものか」


 僅かな口調の変化、それを悟ったロクサーヌが重蔵の姿を訝しげに確認する。人は変わっていない、しかし何かが大きく変わったような、そんな予感を覚えたのだ。


「なるほど、なるほど。お前の性根は理解したぞ。もしかしたら本当に友人で、俺を警戒してるから尻尾を出させる意味で取引に載ったのかと思ったが――」


 ロクサーヌは確信する。そこにいたのはチンピラのような戦士ではない。まるで人が変わったように、いや、人間からもっと別の生き物へと変わったように急激に雰囲気が変化していた。


「――売女」

「かっ!」


 瞬時に重蔵がロクサーヌとの距離をつめる。

 いつの間にベッドの上まで昇ったのか。重厚なベッドが大きく軋む。

 重蔵の伸ばした魔手は、ロクサーヌの喉を鷲掴みにした。ロクサーヌに抵抗の余地は無かった。無数の魔法を知る、そしてこの街の冒険者の中でも平均的な――充分すぎるほどの自衛手段を持つ彼女がまるで対処できなかったのだ。

 それでも生きているなら、魔法を使うことはできる。マジックアイテムに込められた魔力を開放し、反撃を与えても良い。しかし、何も出来なかった。

 目の前の男の瞳。

 黒い瞳が光の加減か、赤く染まっているようにも見える。そんな瞳を見て、なお抵抗の意志を保てなかったのだ。


 怖い。

 怖い。

 怖い。


 爵位級悪魔。迷宮内で最も危険とされる存在。一度遭遇しただけで冒険者だった頃のロクサーヌの心を容易くへし折った、そんな化け物。

 それと遭遇した時と同等の恐怖がロクサーヌの全身を縛る。


 怖い。

 怖い。

 怖い。


 腕が重く、体は凍りつく。

 気官を掴まれているため、呼吸が出来ないために一気に苦しくなっていく。頚動脈を止めた方が意識を失うことは容易のはず。それなのにそれをしないということは苦痛を与えるのが目的だと、ロクサーヌは直感した

「よぉく、聞けよ、売女。まずはその臭い口を開けるな。その臭い息を俺に振り掛けるな。分からないなら、その臭い息を二度と吐き出せないようにしてやるが、どうする?」


 脅しだ。

 脅しにしか過ぎない。

 ここで殺せば法によって裁かれる。


 しかし本当に脅しなのだろうか。目の前の男の瞳に宿る憎悪は決して、脅しのようには見えない。

 首を締め付けられるという痛みが、強烈な不安となってロクサーヌの頭を走る。

 そうなると人間は自分でその不安をより強固にしてしまうものだ。ロクサーヌは重蔵が自分を殺すだろう無数の理由と、殺した後ばれなくする手段を想像してしまう。

 ロクサーヌは首から走る痛みに堪えながら、涙目で頭を縦に振った。


「そうか」


 簡素な言葉と共に重蔵の口から、ギシギシという歯軋りの音が響く。それは殺せないのを無念に思っているのか、殺したくてたまらないのを抑えているからか。

 ぐるっと重蔵の目が入り口とは別の、奥の扉に向かう。


 そして――薄い笑い。


「来いよ、番犬」


 奥への扉へ、手招きを重蔵は行う。しかしながらそれに答える反応は無い。


「早くしないとご主人様が死ぬぞ?」

「うぐっ」


 ロクサーヌの首からミシリという音が聞こえるかのようだった。

 それに答えように、奥の扉が開き、ゆっくりと身を屈ませるような低い姿勢で1人の男が出てきた。

 娼館であれば大なり小なり自衛の手段は当然持っている。ロクサーヌの店でも当然幾人か雇っているが、その中でも彼は最も優秀であり、ロクサーヌの個人的な警護でもあった。

 彼は重蔵の意識が大きくそれた時に、襲撃をかける計画を立てていたのだが、今のままではロクサーヌが死ぬかもしれないと思って出てきたのだ。

 

「ほぉ、本当に犬だとは」


 犬人。

 猫人の犬科バージョンと言ってしまうと話が早いだろうか。身を包んでいるのは皮の鎧であり、室内での戦闘を重視した短めの刃物を抜き払っている。犬科の生き物を思わせる頭部のつぶらな瞳には、自らの主人を害しているものへの激しい怒り、そして極小さな恐怖があった。

 踏み込んで攻撃するにしても、ロクサーヌが盾になる。そう考える彼はゆっくりと重蔵を刺激しない程度の速さで回るように移動し始める。


 本来であれば援軍、それも充分に強さを知っている警備兵の登場はロクサーヌの心に安堵をもたらしたはずだ。しかしながら、この場に合ってはまるで安堵を感じさせない。

 ドラゴンを前に、子犬が一匹現れて心の安静が保てるだろうか?

 事実――


「伏せろ、犬」


 たった一言。

 重蔵が行ったのはたった一言。手を向けて、そう言っただけだ。

 ただ、その効果は劇的だった。


 犬人の全身の毛が逆立つ。尻尾が足の間にするりと入り込む。そしてぺたりとその場に座り込んだのだ。歴戦の――ロクサーヌほどではないが――暴力に慣れているはずの彼は、たった一言で動けなくなったのだ。

 別に魔法を使ったわけでもない。

 単におぞましい、人にあらざる気配が『死』を彼に直面させ、その結果として驚愕反応の強いものが彼の全てを奪ったのだ。


「よく出来たな、犬」


 ぞっとする気配を撒き散らしながら、重蔵は褒め称えるように口にする。そしてブルブルと震える犬人から視線を逸らし、全身に鳥肌を立てたロクサーヌに視線を合わせた。


「お前の俺を伺う目が異様で、最初っから警戒していたんだ。最初は顔見知りの人間が、異様な奴を連れてきたために見せているのかと思っていたがな」重蔵はある日から変な目で見られることが多かった。恐怖や警戒という類の。「しかし思い出してみれば、木花之佐久夜姫様からもらったお守りをしてから、そういう目で見られることは無くなった。ではなんで一見の人間に対してそんな敵意を混ぜ込んだような目で俺を見たのか」


 すっと重蔵の目が細くなる。

 まるで冷気が吹き上がっているようだ。ロクサーヌはそんなことを思いながら、重蔵の鬼のような表情から視線を動かすことが出来ない。


「そんな薄汚いネズミみたいな目は心当たりがあったんだよ」

「た、た、たす、たす、たす……」

「……しゃべるな?」

「ふぃっ……」


 きゅっとロクサーヌの唇が一直線に結ばれる。しかし極寒の冷気を浴びた人間のように、その唇は震え、歯がカチカチと音を鳴らしている。


「さて、どうするか」


 ガクガクと震えるロクサーヌから視線を動かした重蔵は、微妙な匂いに顔を歪める。そしてロクサーヌの股の間に出来た染みを認め、僅かにその足を位置を変えた。高級なベッドである以上、直ぐに吸い取られるだろうが、それでも嫌なものは嫌だからだ。


「まず、俺の神、木花之佐久夜姫の神官であられる、ティース様に対して行ったことを許すわけにいかないな」

「ふぃっ」


 おぞましい気配がより強くなり、ロクサーヌの意識は半分飛んでいるような状況だった。近くで伏せている犬人も下を向き、もはや上――重蔵を見ようともしない。まるで伏せていれば嵐が止むと知っているように。


「しかしながら、貴様を殺したらティース様が悲しまれる可能性がある」


 ティースがロクサーヌをどう思っているかは知らないが、友人だと思っていた場合、殺したりしたら悲しむのは事実だろう。せめてこの女がどのような人物か、それを知らしめる必要がある。


「――命は助けてやる」


 言われた内容に、ロクサーヌは一瞬呆ける。自らの死を感じていた人間からすれば、信じられなかったためだ。しかし脳に言葉の意味が浸透するに従い、ロクサーヌの瞳から涙が滂沱のごとく流れ出した。


「ティース様に感謝しろ」

「はひぃ! か、かんしゃします!」

「なら次からの態度、分かっているだろうな?」

「わ、分かります。分かります。ですから、何卒、お許しください。私が悪かったです」


 鷲掴みにしていた手が離れる。

 しかしながら喉に残った痛み、そして舌の上に残る苦い『死』の味は健在だ。


「謝罪を明日早朝に持って来い」

「承りました! 必ず! お望みのものをお持ちします!」


 深々と頭を下げるロクサーヌ。


「……次は……殺すぞ?」


 頭を下げたままのロクサーヌに上から、重蔵の重い声が届いた。ロクサーヌの全身が硬直する。

 冗談ではない。この男は冗談を1つも言っていない。

 殺すと決めたら迷い無く、どのような防御を張っても抜けて来るだろう。そしてその辺りに実っている果実のように、簡単の首を切り落とすだろう。

 ガチガチと歯がリズミカルに再び音を立てる。


 ゆっくりと重蔵が離れていく音を聞き、扉が閉まってなお、ロクサーヌは頭を上げる音は出来なかった。





 1階を外に向かって歩きつつ、ふと、重蔵は思う。

 なんで殺さなかったのかと。


 この世界に来てから重蔵の精神がどんどん悪化していった。この世界の全てを憎悪していた重蔵からすれば、全てが不快だったのだ。だからこそ、敵に回った奴は殺したし、馬鹿にした奴にもそれなりのものを示した。

 そういう意味ではロクサーヌという人物は、いつもであれば殺しておかしくないことをしたと重蔵は判断している。

 しかし――何故、今回は殺さなかったか。


 面倒ごとを避けるためだったのか。はたまたは――


「……血の匂いを漂わせたくないからか?」


 ――扉を開け、外にいたティースに軽く頭を下げながら、重蔵は呟いた。



「早かった……って言っていいんですか? こういう場合」

「……何を考えての言葉かは分かりませんが、別に構いません。それよりロクサーヌさんの件で話したいことがあるんですが――」


 2人で揃って歩き出すと悲痛な面持ちで口を開いた重蔵に、ティースは笑いかけると手を上げる。何かいいたいことがあると悟った重蔵は言葉を途中でやめた。


「クリスタルって本当であれば純金貨で50枚するんですよ。高いですよね」

「…………?」


 突然の話に重蔵は目を白黒させる。そして話の目的を掴もうと、真剣に耳を傾けた。


「でも私は純金貨10枚、それも分割返済、利息担保無しであれを買ったんです」


 元々ひびの入っていた劣悪なものだ。向こうとしてもちゃんとしたものよりはそういったものを渡したかったから、渡りに舟だったんだろう。重蔵は口には出さずに心の中で呟く。


「もしあそこで買えなかったら、佐久夜様はもっと前に消滅していたかもしれません」ニコリとティースが笑う。「効果が無いのなら吐き出しましたけど、効果はあるんですから多少の毒ぐらい飲み込むべきじゃないですか? 薬だってそうですよ、副作用です」

「…………!」


 その笑いに重蔵は度肝を抜かれた。つまりティースは……。


「そういうことです。だから私はロクサーヌさんに対して悪い感情は持って無いですよ。それに心底悪い人じゃないと思うんですよね」

「…………ですか」


 つまりはティースの方が一枚以上上手。

 重蔵は肩越しに後ろを振り替える。それからそこにあったロクサーヌの店――その中の主人に哀悼を示した。

 

重蔵ってこの世界の人にはあんまり優しくないです。だからツンデレにするつもりです。





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