深夜の侵入者1
ミカエリスのターン
横からレナリアに舐めるような視線で見られていたジュリアス。そして時折目移りして、ミカエリスにも視線を向けていた。煌びやかな貴公子然とした美形たちを、陶然と眺めている。
立場上、二人は見られることには慣れている。とはいえ、ねっとりと粘着質に欲を向けられ続けるのは気分が良くない。何せ、距離が近い上、相手は気づいていないと思って凝視し続けてくるのだ。
武術も嗜んでいるため、二人とも気配に敏感だ。
(すごく見られていないか?)
(無視しましょう。我々から声をかける義務はないのですから)
怖気とも寒気ともつかない気色悪さを感じながら、二人は国王の言葉を粛々と拝聴し続けていた。
その後、宴は和やかに行われていた。
ダナティア伯爵も、その後ろに控えていたレナリアも特に目立った行動は起こさなかった。特にレナリアは非常に大人しくしており、時折勧められる飲食物を控えめに受け取り、礼を言う時や、挨拶や自己紹介などでしか喋らない。
最初気にしていたミカエリスやジュリアスも、いつまでも彼らばかり警戒しているわけにはいかず、宴を楽しむことにした。
楽しみたかった――が、できなかった。
未婚で婚約者もいない二人には凄まじい数の人々が群がり、次から次へと娘や姪孫を紹介しようとする輩が後を絶たなかった。
王配候補を狙っているというのを分かっていても、まだ選定されていないのなら付け入る余地があるとゴリ押してくる。
時間が過ぎれば減ると思いきや、一向に変わる気配はない。
(いい加減、少し休ませて欲しい)
ある程度は覚悟していたが、引かない人垣に嫌気がさしてくるミカエリス。
断りを入れ、人気を嫌ってバルコニーや庭園に移動しても、女性が列をなして追いかけてくる。
最初は頑張って防波堤をやっていたジブリールは、彼女自身を狙う子息たちに追い回されて、気づけばバラバラになっていた。
だんだんと付き纏い方がストーカーじみてきて、トイレの前で待ち伏せしてくる始末である。
しかも、行く先々で慰労の杯を勧められ、大分飲まされていた。ミカエリスは酒に強い方ではあるが、全く酔わないわけではない。既にほろ酔いの域はとっくに過ぎていたが、鋼の精神で持ち堪えていた。
ここで正体を無くし、醜態を晒せばそれこそあちらの思うつぼだ。
もし泥酔の挙句に眠ってしまえば、その間に何をされるか分かったものではない。
(ここで会場に戻ればまたしこたま飲まされるか、女性に追い回される)
ミカエリスが女性に対して強く出られないのを知っていて、強引に迫ってくるのもいた。
強情で我儘な女性は苦手だ。欲望にぎらつく目を光らせ、甘えるふりをして嵌めようとしてくる。
しっかり塗った脂粉と強烈な香水の臭いが混ざると最悪だった。どんな美女が艶然と微笑んでいても、汚物に見えてくる。
今は建物の柱の陰に隠れているが、そう遠くない場所でドレスを翻しながらミカエリスを探す人影が何人も見える。
おちおち風にも当たっていられない。少し熱くなった頬に、夜のひんやりとした空気が心地よい。少しぼんやりした意識の中、空を見上げれば思ったより傾いた場所に月が見えた。大体の時間を把握できる。
既にミカエリスの想い人は夢路にいるだろう。夜遊びなんてしない人だ。
そう思うとミカエリスは華やかな上っ面だけのパーティに、萎えてしまう。本当に来たかったのは――ミカエリスの会いたかった人はここにはいない。
送り狼ならぬ、送り女豹が出る前にさっさと屋敷に帰りたいものだ。
いっそ領地に帰りたいが、まだ宴は数日残っているので帰れない。貴族街には、ドミトリアス家のタウンハウスがある。ミカエリスの代で新調した屋敷で、社交シーズンには広めに作った庭でガーデンパーティを開くこともあった。
いつか来てくれるかもしれない誰かのために、庭はかなり手間暇を掛けて、粋を凝らしている。
(……結局は、一度も来なかったけれどな。まあ、十七年の人生で数回しか領地の外に出ていないのだから、そのうちの一回に我が領地が入っているだけかなりの奇跡だ)
そもそも、彼女は己の家のタウンハウスにすら足を踏み入れていない。
一度目は王宮で誘拐され、二度目はドミトリアス領の保養所を満喫し、三度目は学園で濡れ衣を着せられ負傷、四度目は王女エルメディアの求婚からミカエリスを守るために剣技大会に。
(ああ、でも今の状態も一応は領地外に出ているな……拉致されたようなものだが)
五度目の今はかつてないほど最悪な長期戦になっている。圧倒的なアウェイであり、敵も多い。
しかも、アルベルティーナの絶対的守護神がいない。
(守らなくては。絶対に……守る。あんな覚悟、二度とさせないために)
アルベルティーナに、グレイルの血を感じたあの一瞬。
柔らかくて温かくて陽だまりのような少女があのような覚悟を二度としてはいけない。
身を焦がすような復讐から解放されてほしかった。ゆっくりと静かに心を癒して欲しい。出来ることならば、その時隣にいるのが自分であればと夢想する。
思い出せば、逢いたくなってきた。本当は、ずっと逢いたくてたまらない。
待ちわびて、恋焦がれ、待ちくたびれてしまった。
ミカエリスは首から下げたチェーンに服越しに触れる。少しずつ辿り、ずらしていくとチェーンより大きさも厚みのある塊に当たった。
今日の宴の会場は王宮。
アルベルティーナから渡された隠し通路の地図では、確かヴァユの離宮まで繋がっていた。確か、ここから近い入り口もあったはずだ。
こんな暗い時間帯、正面からヴァユの離宮を尋ねれば、当然追い返される。
(使ったのは廃墟からのあの入り口だけだが……)
ミカエリス一人で宴を抜け出せば、後でジブリールがカンカンに怒るだろう。
自分だけ置いていかれて、しかもアルベルティーナに会いに行ったなど知ったら正拳突きくらい放ってきそうなのがジブリールである。
それでも喧騒から離れるように足が向いてしまうのだった。
おあつらえ向きのように月が雲かかって、一段と濃くなった暗闇が全てを覆い隠していく。ミカエリスのよく目立つ燃えるような赤毛も、鍛えられた体躯も新月のような暗さが闇に溶け込ませていった。
読んでいただきありがとうございました。