ヴェールの下で
相変らず懲りないお人です。
あの砂だらけのゴユランから、漸くサンディスの王都に戻ることができた。
聖女としての実績を重ねるためとはいえ、レナリアは毎日毎日、流民や怪我人の世話と治療に明け暮れ、貴重な聖杯を何度も使う羽目になった。
痩せた孤児や難民が多く、怪我人には肌が爛れたり体の欠損している者もいた。どれもこれも薄汚れている者ばかりだ。コンラッドがどうしてもというから我慢した。
(あれだけ怪我人を治したのよ? この聖杯の力であれば、アルベルティーナ以上の絶世の美女にだってなれたのに!)
レナリアは不服だった。不満はくすぶっていたが、サンディスで指名手配されている。そんなレナリアがいきなり派手に立ち回ったら、あっという間にばれる。なので一度ゴユランに侵入し、亡命者や流民に紛れて徐々にサンディスに移動していったのだ。
最初はゴユランの民ばかり癒していたが、国境沿いの集落に行くにつれてサンディスの民も癒すようになった。
学園で目が肥えていたレナリアにしてみれば、田舎臭く小汚い連中ばかりだった。
だが、その行く先々での治療の功績もありパーティに参加できることになった。知名度が上がったので、漸くコンラッドからの許可が下りたのだ。
ルーカスやレオルドが失脚し、グレアムは薬物中毒。レナリアには貴族の伝手など、ほとんど残っていなかった。
『愛の妙薬』のバイヤーとしての繋がりはあるが、レナリアを連れて行くほどの豪胆さを持った者はいなかった。指名手配された瞬間、逃げていく連中ばかりだったのだ。
コンラッドはレナリアのために衣装を用意してくれたが、宝石が一つもない、白いシンプルなドレスを着せられたのは不満だった。聖女らしい装いとはいえ、こんな白一色では味気ない。何度もコンラッドに訴えても、変えられなかった。ヴェールを被ることを浮かせないためにはそうするしかないと納得させられた。
レナリアは聖杯の奇跡によって、姿を変えている。行く先々で、美しいと思った人々から奪ったのだ――だが、勘の良い者には気づかれる可能性があると隠す羽目になった。
(本当は、この美貌を自慢してゴージャスな王宮デビューをしたかったのに)
顔が違うのだからきっと気付かれない。この美貌を自慢したかった。レナリアは聖杯の万能性に酔いしれていた。
聖杯さえあれば大丈夫と言う過信と慢心があったが、コンラッドは用心深くレナリアの正体を入念に隠すことをやめなかった。
しかし、いざパーティ会場に来たらそれ等をひっくるめて忘れる程、驚く羽目となった。
レナリアは、ヴェールの下で焦る。
ラウゼスの言葉を聞くことなく、目が乾くほどジュリアスを凝視していた。
(あの男、ジュリアスよね。やっぱりイケメン。好み……じゃなくって! なんでアイツが貴族みたいな格好しているの!?)
レナリアの頭の中身は、乙女ゲーム『君に恋して』のままで止まっていた。
新しい情報があっても、レナリアが「そんなはずはない」と更新を拒み続けて、レナリアにとってゲームの情報がそのまま真実のように刷り込まれていた。
学園にアルベルティーナがいなくても、ルーカスの婚約者がビビアンでも、キシュタリアがアルベルティーナを嫌っていなくても、ジブリールが全く根暗でない美少女でも変わらなかった。
レナリアにとって自分が『愛されるヒロイン』であることが全てだった。
不自然さや不都合なところはすべて無視して、ゲーム通りのセリフさえ言っていれば、幸せになれると妄信していた。
だが、久々にサンディスに戻ってびっくりだった。
与太話だと思っていたアルベルティーナの王太女としての話は事実なようだし、グレイルが死亡したのでキシュタリアは分家と次期当主の座を争っている。ミカエリスは陞爵の話が出ており、伯爵ではなくなるらしい。
それらのことにも驚いたが、それ以上にジュリアスの現在の姿のインパクトが凄かった。
ジュリアスは、レナリアが手を差し伸べなければ永遠に悪役令嬢の奴隷のはずだ。
白いシャツと黒の御仕着せ。そして常に従属する立場として後ろに控えている。感情を押しつぶされながら死んだように生きている――そういうキャラクターだ。
アルベルティーナの下僕として暗澹たる日々を送っているはずのジュリアスは、何度見てもそこにいた。
素人目のレナリアですら、素晴らしいと分かる仕立ての服である。上品な色とスラリとした洗練されたタイトなデザインはジュリアスの美貌やスタイルをよく引き立てていた。古典的なコンラッドの服装がやぼったく見える程だ。
(ジュリアス・フランが公爵子息? 孤児が? なんで? アイツはボッチで家族とは無縁で孤独な男のはずよ!)
コンラッドの後ろについて、色々な話を聞いた。
ゲームでは、ジュリアスは天涯孤独だった。孤児だったところを、偶然拾われてラティッチェの使用人になった。その後、幼いアルベルティーナに、その美しい顔立ちを気に入られて直属の使用人になるのだ。
だが、アルベルティーナに気に入られたことがジュリアスにとっての、更なる地獄の始まりである。極悪非道な悪女に、奴隷のように扱われるのだ。時に人を殺め、悪事に手を染め、男娼まがいのことすらさせられる。
日陰の存在であり、薄暗い場所で燻っていた彼を救うのがヒロインのレナリアだ。
レナリアとの出会いにより、人らしい感情を思い出すジュリアス。
少しずつ心を取り戻すとともに、やがて心の中でずっと鬱屈して溜め込んでいた憎悪と憤怒を思い出す。
アルベルティーナがジュリアスの異変に気付き、レナリアを殺すように命じるのだが――それが逆に、ジュリアスの復讐心を爆発させる引き金となるのだ。
バッドエンドではレナリアは死に、ジュリアスは失意のうちにアルベルティーナを殺して抜け殻のような状態でどこかへ消える。グッドエンドやトゥルーエンドでは、ジュリアスはアルベルティーナの今までの悪事を密告し、罪人として投獄されるよう仕向けるのだ。
アルベルティーナは法の下裁かれ極刑に処される。または、多額の賠償金や保釈金と引き換えに、獣のような下衆な貴族や王族に嫁がされるのだ。
エンディングはリメイク版や移植版によって変わるのであるが、概ねアルベルティーナは失墜して終わり、ジュリアスは自由になってレナリアと外国で幸せに暮らすのだ。
そこでようやく彼は家族を作り、孤独ではなくなる。
日陰者ではなく、光の当たる場所で過ごせるようになるのだ。
(こんなの間違っているわ……そうじゃなかったら、きっと新しい家族にも虐待されているんだわ! やっぱり私が助けてあげなくちゃ!)
美しい男たちの慰めとなり、救いとなるのはヒロインである自分の役目なのだから。
ジュリアスの横顔を凝視しながら、うっとりと妄想に浸るレナリア。
彼女には恋焦がれたジュリアスを始めとする男たちに、恭しく傅かれる自分の未来しか見えていなかった。
読んでいただきありがとうございました。