凱旋の宴3
着々と王都に集まり始める役者たち
金切り声で否定する令嬢だが、それを絶対零度の眼差しで睨みつけたのは母親のレンチェス子爵夫人だった。
「キリー、貴女は売れ残りみたいじゃなくて立派な売れ残りよ。いい加減、格を落とした若い男か、訳ありの男か、どこかの後妻になるかを選びなさい」
「いやよ! 貴族じゃなくなるのも、チビデブハゲのおっさんと結婚するのもイヤ!」
令嬢—―キリーの方は頑として認めないが、貴族令嬢基準では適齢期を過ぎている。レンチェス夫人の方は、聞き分けのない娘を苛立ち気味に諭していた。
キリーの言葉に、夫人以上の反応したのはレンチェス子爵だった。
「なんてことを言うんだ! ふくよかな肉体は裕福さの象徴だし、禿げているのは男性としての能力が高いからだ!」
チビではないが、ハゲでデブという言葉に当てはまるレンチェス子爵は、顔を真っ赤にして怒り出す。
ガンダルフの隣でクリフトフが「自己管理のなさと不摂生の成れの果てでは?」と冷ややかな一言。全く感情の動かない目で、レンチェス一家の漫才を見ている。
クリフトフはガンダルフほど筋骨隆々たる体は持っていないが、剣術や馬術は嗜んでいる。当然、レンチェス子爵よりもすっきりと締まった体躯の持ち主であった。
彼らの言い訳より、髭の形が気になるようで撫でている。
パトリシアは「あらあらあら~」と白ハンカチでジュリアスの頭や額を素早く叩いている。叩くと言ってもソフトタッチだから痛くない。髪からぽたぽたと落ちる雫に対応しようとしている結果、素早い連打になっている。
ジュリアスは心底くだらないと思いつつも、レンチェス子爵一家のやり取りを眺めていた。
「困ったわねぇ。着替えはないわよね」
たっぷり中身の入ったグラスをぶちまけられたジュリアスはすっかり濡れそぼっていた。
ジャケットは勿論、中に着ているシャツもベストも濡れている。ちょっと掛かったというレベルではない。
タイやハンカチくらいの替えはあっても、流石に礼服一式は用意していなかった。
「ええ、流石に全部となると……屋敷に戻る時間もありませんしね」
フォルトゥナ公爵家は有力貴族だから、王都にタウンハウスを持っている。そこにはあるだろうが、行って着替えて戻ってくるだけでも一時間では済まない。
今回の催しに、たくさんの貴族が出席しているし、当然道は混んでいる。それを考えると、倍は掛かるかもしれない。
ふと、思い出したようににっこりと笑ったパトリシア。
「ヴァユ宮に取りに行きなさい。一通りは揃っているはずよ」
その言葉に、一瞬周囲がざわつく。あの王太女の離宮に、服を置いている程度には宿泊していると言ったのだ。
ジュリアスは事業の関係や、アルベルティーナの様子見の為にヴァユの離宮の客間の一つを、半分私室にしている。いつでも泊まれるようにと服は一通り置いてあるのだから嘘ではない。
アルベルティーナは、マクシミリアン侯爵家の大失敗以降、ますますジュリアスとその関係者以外には事業を頼まなくなった。
また、フォルトゥナ公爵家はアルベルティーナの後見人であり、ヴァユの離宮の警護を請け負っていることもあって、周りは口を挟めない。
下手な批判は、そのままフォルトゥナ公爵家への不信や不満や侮辱へ直結するのだ。
「ついでに髪も洗ってきなさいな」
パトリシアに促され、ジュリアスは会場を出ることにした。
じっとりと濡れて張り付く髪は、冷たくて不愉快だった。
(陛下の挨拶には間に合わないかも知れないな)
だが、こんな無様な姿で出迎える方がマナー違反だ。この責はレンチェス子爵家が追うことになるのだろう。
周囲から好奇と当惑の視線が刺さる。中には露骨に面白がっているのもいたが、ジュリアスは態々残って見世物になる気はない。
頭の隅に、ヴァユの離宮にあるクローゼットの中身を思い出しながら早足で向かう。特に上等なものを組み合わせれば、ギリギリ一式といったところだ。
離宮への回廊を通り過ぎるとき、遠くから白銀の髪の背の高い男と白いヴェールを被った小柄な女性とすれ違った。
薄暗くなり始めた空で、デビュタントや法衣を思わせる白いドレスが目を引く。
すれ違うといっても、道が一本ずれていたのでたまたま目に入った程度だ。
だが、妙に気になったのだ。
(見ない顔だな)
大きな催しなので、今回は出席者も多い。
田舎から出てきた貴族か、最近代替わりをした家か、はたまた代理としてきたのかもしれない。それなりに社交界に顔を出していたジュリアスではあるが、知らない顔は多かった。まだまだ上位貴族として日が浅いのは事実である。
肌に張り付く黒髪を不快気に払いながら、ジュリアスは遅くなりかけた歩調を戻すのだった。
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