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一騎打ち4

あの人、暗躍


 愚弄された。

 何も知らない人間に、師をもう一人の父を、そして愛する人を。

 一点の曇りもない怒りがミカエリスの中に渦巻き、溢れ出していた。

 ぽた、ぽたと剣先から雫が落ちる。真っ赤な雫。それは血ではない、大地に落ちると音を立てて銀色の塊になった。血は触れた傍から蒸発し、消し炭すら残らない。

 ミカエリスの魔力に負けたミスリルの剣が溶け始めている。

 物静かだったミカエリスの豹変に、ヴァサゴだけでなく周囲も呆然としている。

 怒号に近い問いはびりびりと響き渡り、気の弱い者はへたり込んだ。


「気が変わった。答えろ――答えないのであれば、お前以外の奴らに聞いてもいい。逃げ出した連中も引きずり出して、贖わせる。

 誰だ? あの人の哀悼を貶めたのは」


 ヴァサゴは吐血しながらも何とか立っていた。

 しかし、表情こそ不遜だが満身創痍だ。

 鞘の一撃で肋骨と内臓はやられたし、距離を取ろうにも足を切られて力が入らない。腕や肩、首筋にも深くはないが浅くもない――即座に致命傷になるには足りないが、ほっといたまま時間が経てば致命傷に十分な傷をいくつも負った。

 だが、威勢は変わらず減らず口も健在だった。


「なんだ、スカした顔をしているかと思ったら意外と女には熱い方か?」


「答えろ」


 ヴァサゴもタイミングも悪かった。

 キシュタリアから伝えられた、ラティッチェの霊廟のこともまだ蟠ったままだった。

 今の自分には何もできないが、全く何事もなかったように感情を平らげることはできなかった。

 通常であれば受け流せていた。時間とともに平らげることのできる感情。だが、まだ早すぎた。

 まだ、その傷は生々しくあった。血の流れはかろうじて止まっても、ことあるごとにじくじくと痛みを繰り返していた。

 ミカエリスのささくれ立っていたところに、思い切り塩を塗りこまれた。

 感情的になるべきではないとどこかで理性が喚いているが、それを蹴り飛ばす。


「切れ者かと思ったら、存外青いな」


 はっとヴァサゴが笑おうとしたようだが、大きく吐血しただけだった。周囲の獣人達がどよめく。

 鞘の一撃が相当来ているようだ。

 だが、あの一撃が本当に怖いのは時間が経ってからだ。じわじわと内臓を痛めつけていく。放っておけば、死に至らしめる手ごたえがあった。


「当たり前だろう。私はラティッチェ公爵閣下の亡くなった現場にいた。閣下は、王太女殿下を狙った凶刃を庇い、負傷したのだ。

 魔物が暴れて貴族たちが我先にと逃げようとする中、閣下たちを慮り結界魔法を倒れるまでお使いになった王太女殿下は立つのもままならない程だった。

 閣下を殺したのはレナリア・ダチェスの放った凶手だ。

 殿下は……アルベルはその場にいたが……」


 ミカエリスは知っている。実際この目で見たし、聞いた。己の無力さに打ちのめされた出来事として、未だに鮮明だった。身が引き裂かれそうなほどの哀しみと絶望に嘆く姿を、見ているしかできなかった。

 意識が飛びそうなほどの激情。コントロールしきれない。感情が混じる。

 体が魔物になったグレイルが暴れだした時、グレイルの無事だった首を抱きしめたアルベルティーナは死すら恐れない様子であった。

 誰もがグレイルだった魔物がアルベルティーナを殺すと思っていたあの時、彼女は微笑んで目を閉じた。

 グレイルの死は拒絶しても、グレイルから与えられる死は受け入れる。

 敬虔な殉教者のように穏やかさだった。

 あの愛情深い少女が、最愛の父親の死を望むはずなんて天地がひっくり返ってもあり得ない。

 あり得ない冗談だ。疑うのも馬鹿らしいほど。

 現在進行形で恋慕を圧倒的ファザコンで粉砕されているミカエリスは、脊髄反射のように怒りがこみ上げた。


「レナリア、だと?」


 唖然としたようなヴァサゴの顔に、引っかかりを覚えるミカエリスだが肯定した。

 口にするのも汚らわしい名前だ。出来れば極力言いたくも、聞きたくもない。


「ああ、レナリアだ。もう姓はないか。ダチェス家との縁はもう切れているし、男爵家ごと取り潰しになったからな」


 ミカエリスは「いっておくがその女の妄言と放蕩ぶりは有名だぞ」とバッサリという。

 学園内でも、散々アルベルティーナを貶めていたがこんなところでもやっていたとは。苦々しいものがこみ上げる。アルベルティーナが傷つけられ、悲しみを背負う時には必ずと言っていいほどあの女が絡んでいた。

 ミカエリスは、何か大切な物が折れたようなヴァサゴの無防備なその首に燃え盛る剣を突き付けた。

 少しずらせば、ヴァサゴの首は焼け落ちる。


「その女はかつて貴族が多く通う学園に居たが、王子殿下たちだけでは飽き足らず多くの男性と関係を持っていた。

 私やラティッチェの令息も散々纏わりつかれたが相手にはしなかった。

 だが、当時は公爵令嬢だった王女殿下は義弟のキシュタリア様や私の妹たちに会いに訪ねてきた。我々は寮生活だったから、暫く会っていなかったからな。

 彼女は体が弱く、心配する閣下の意向もあり学園すら通えなかった。

 学園内を見学する際、キシュタリア様と私がエスコートさせてもらった。

 閣下は、会ったこともない娘に酷い風評を流すレナリアについて、学園長との話し合いがあったからな」


「王太女は会ったことも、無い?」


 正確には周囲が会わせなかった。口を揃えて「ラティッチェの天使が汚れる」と満場一致であった。


「ああ。学園で辛うじて声くらいは耳にしたかもな。

 会わせなかったと言った方がいいな。王太女殿下は上辺の噂を聞いて、レナリアを貴婦人の模範のような素晴らしい女性だと思っていたからな……本性は周囲の人間を蹴落とし、食い物にする毒婦だ。とてもではないが、同じ場所には居させられない」


 ミカエリスの言葉は苦々し気だ。ミカエリスも、レナリアに散々付き纏われたうえに妹のジブリールを貶されたことがある。

 レナリアは「ジブリールは根暗なブスじゃない!」と隠れて貶していたことを知っている。

社交界の華と言われるほど人気のジブリールには男女ともにファンが多い。憤慨した人間が告げ口か愚痴か分からないような吐露を何度もしてきたのだ。

 ジブリールは「まあ」と悲しそうにしていたが、あれは間違いなく「あの女ぶち殺す」と内心は思っていだろう。

 売られた喧嘩は買うし、勝つタイプである。ジブリールは勝負強いし、執念深いところあった。事実、何度もレナリアを優美な言葉の凶器でコテンパンにしていた。

 ルーカスたちに気付かれない様に、女のプライドをずたずたにしまくっていた。


「王太女殿下をエスコート中の我々を、レナリアが行きたくもない茶会に誘いに来たから。勿論、礼儀知らずの彼女に辟易していた我々は断った。

 彼女は学園でも、社交界でも常々マナーを守らず鼻つまみ者だった。

 婚約者のいる子息に平気でしな垂れかかる女だったからな。

 王太女殿下は学園内や社交界の彼女の爛れた関係を知らず、レナリアを王子殿下に見初められるほど素晴らしい令嬢だと思っていたようだ」


「お前たちがレナリアとは懇ろではないのか!?」


「冗談でも言っていいものと悪いものがある。覚えておけ」


 眉根が寄り、思わず口調も吐き捨てるようになったミカエリスは悪くない。

 その唾棄するような硬い声に、ミカエリスのレナリアに対する心象が察せられる。ミカエリスがレナリアを語る言葉には、棘なんてものではない鋭さがあった。

 キシュタリアのことを言えないと、ミカエリスは内心自嘲する。

 一時期、アルベルティーナも無邪気に勘違いをしていたがあれはない。

 たとえアルベルティーナどころか他の女性が絶滅しても、あの女と懇ろになるなら生涯独身でいたほうがマシだとすら思う。世界が破滅するといっても嫌だ。


「あの女は顔と家柄のいい金のある男が好きなだけだ。私たちがレナリアと懇意になった覚えなど、一度もない。

 王子殿下らの手前、顔を立てることはあったがそうでなかったら会話も拒否していた」


 最後はレナリアの無礼三昧で没交渉になっていた。

 それでもレナリアは諦めずしつこく声をかけてきたが、キシュタリアの魔王ジュニアモードにすらめげないのはある意味凄かった。


「どういうことだ? ドミトリアス伯爵や魔王の倅とは親しそうな口ぶりだった。あの女が嘘をついていたようには見えなかったが」


「言っただろう。あの女は妄言や虚言が多い。本人は本当だと思い込んでいることが、現実とは限らない。

 嘘をついている自覚のある詐欺師よりたちが悪い」


 理解しがたいのだろう。だが、思うところがあったのか頭を抱えたヴァサゴ。のろのろと視線を上げて静かに怒るミカエリスを見る。

 絶望したような、希望を見出したような複雑な表情だ。



「……投降する。全てを話すから、できればそちらの情報も教えて欲しい」




読んでいただきありがとうございました!


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