行方と考察4
別名、猫の皮を被ったデスライガル。キシュタリア、魔王の継嗣として着々と成長中。
太陽が地平線より登る前にキシュタリアは砦を発った。
夜と朝の混じる冷えた空気の中、一人でミカエリスから伝えられていた廃坑近くまで行く。
警戒しているし、身を隠す魔道具と魔法を重ねて使用している。
(ミカエリスは甘いよな、僕だったら嵌めてきた女が年下だろうが許さないけど。年端もいかない子供じゃないし……十五か十六なら善悪の分別が付くのに)
深く息を吐きだすと、気持ちを切り替え手の平に魔力を込める。
練り上げて、強く、濃密に、そして純粋なエネルギーとして精度を上げていく。
キシュタリアは馬に乗ってきていない。周囲が吹き飛べば、驚いて混乱して振り落とされる恐れがあるからだ。馬はもともと繊細で臆病な生き物なのだ。
キシュタリアが行使しようとしているのは、学園でレナリアから貰ったというか強引に押しつけられた異臭のする本である。
あれは古代にあった魔導国家の遺産。亡国の魔導書である。
どうやってそんな遺物を手に入れたかはさておき、利用価値は高いものだった――あの異臭さえなければ、胡散臭さを差し引いても少しは好感度が上がったかもしれないくらいには。
恐らく、レナリアが愛の妙薬に近い香水でも沢山振りかけていたのだろう。嫌らしいほど甘ったるい胸やけのしそうな臭いがした。
魔法使いとして本の内容には興味があったが、本にある防護の魔法のせいでしこたま付けられた異臭を取り去るのが難しかった。
結局は鼻を摘まみつつ、風を常に送りながら臭いを散らして外で読む羽目になった。
余り吸い込み過ぎると、肺から摂取するのか心なしか怠くなるのだ。
そんなものをグレイルの誕生日にやるのはどうかと思ったが、内容はかなり良かったからだ。
非常に強力な魔法が数種類記載されていた。
使用者に複数属性の行使や魔力量や技量が求められるという難はあった。レナリアでは間違いなく宝の持ち腐れだろう。
自分の他に使いこなせそうな知り合いが、グレイルしかいなかった。
グレイルも気に入ったようだったし、突き返してこなかった。
(でも父様はあっさりあの異臭を取っ払っちゃったから、その辺は本当に敵わないよなぁ)
会得した魔法は強力である。
純粋な無属性の為、特定の属性特化の障壁による相性補正が期待できない。全てにおいて平等に攻撃できるので、こちらの力が勝れば破壊可能だ。
逆に特効が掛からないという難点もあるが、一律というのは殲滅戦において重要だ。
取りこぼし率が低いのだ。
練り上げた魔力を術式へと通す。うねり暴れようとする勢いすら利用し、一気に魔法を展開した。
膨大な魔力が大気を震わせ、廃坑を見下ろすような魔法陣が黎明に透ける。
山や森を照らしたのは、魔法陣の魔光か、それとも朝日か。
「喧嘩を売る相手、間違えたんじゃない?」
じゃあね、と短い言葉と振り下ろされたキシュタリアの腕。
それを合図に、全てを穿ち殲滅する閃光が無数に舞う。
木を、大地を、岩を、山を、森を、無数の光の雨が打ち砕く。
その光は恵みの慈雨ではなく、須らく破壊をもたらす殲滅の死の雨だ。
その雨は止むどころか増えていき、やがて巨大な光の柱となって全てを押しつぶす。
太陽すら眩む光の洪水。神々でも降臨しそうな眩い光景は、美しくも残酷である。
やがて残ったのは、砂ぼこりが濛々と立ち上ったけぶる景色。
魔力の光が消え終わり、代わりに朝日が降り注ぐ。
照らされたのは無数の瓦礫と、無茶苦茶になった木々の残骸、恐らく森の中に紛れるようにして罠らしきものがあった。あくまでらしき、であってひしゃげた木枠や折れた矢、均一な大きさの岩から推測しただけだ。恐らく、敗走して廃坑に逃げる際、追っ手を妨害するためのものだろう。
けほ、とその煙さに軽くせき込むキシュタリア。
少々風向きが悪かった。
(この範囲なら、もっと遠くからやればよかった)
遠くに、呆然と無に帰した全てを見ている人影がいた。
元奴隷かゴユラン兵かなどは知ったことではない。
既に戦意を喪失し、武器を取る気力もなく立ち尽くしているのは解ったからだ。
ミカエリスの目的は、相手の戦力を削る以上に戦意を削ぎ落すことだ。
(これに懲りて投降すれば、ミカエリスがいるうちなら扱いもましだろう)
鏖殺までは望んでいない。
ミカエリスが大きな魔法に頼らずに行くならば、相手を徐々に徹底的に追い詰めていくしかない。
手堅く、詰め将棋のように追い詰められ、八方ふさがりになれば亜人たちは最終的に廃坑の中で立てこもるしかなくなり、餓死するか焼き払われることとなるだろう。そうでなければ坑夫によく発症する中毒で死ぬかだ。
採掘年数の経過もあって採掘量が落ち込んだ以外にも、中毒者数も廃坑になった大きな要因でもある。
(この鉱山は落盤もあったけど、妙な病気も蔓延していたんだよな。鉱山の奥に入る労働者だけがよく罹る、職業病みたいなのが)
肺を患うものや、視力や聴力といった五感が急激に衰えるなどもあった。
それもあり、ミカエリスは山狩りをしてまで廃坑の中に踏み入れたくなかったのだろう。
「さてと、帰りますか――まだ討伐が残っている」
一人ごちるキシュタリアの声は、埃っぽい風がさらっていった。
読んでいただきありがとうございました。