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グレグルミーの砦4

トリオの中で一番甘いのはミカエリス。でも優先順位の序列ははっきりしているので比較すらしない。




 軍議を終え、鍛錬をこなし軽く汗を流した。

 ミカエリスは軽くのつもりだったが、それに付き合った周りは泥まみれ、汗まみれだったので半ば強制に風呂場にまとめて追い立てられた。

 どんな鍛錬もグレイルの地獄の扱きに比べれば他愛なしといったレベルである。

 何せ、グレイルは「終わりだ」と言って気が緩みかけたところに、頭蓋をめがけて突きが飛んでくることがある。

 そのあと治療は施されるのだが、気が緩んでいてもすぐに対応できるようにしろと何度か食らった。

 逆にミカエリスも終わりの合図の後に仕返しとばかりに仕掛けたことがある。

 鞘で打ち据えられるのは良い方で、見向きにもされず顔を踏みつけられることもあれば、鳩尾に血反吐が出るような蹴りを食らったこともある。

 トドメに「動きが荒い。気配が五月蝿い。とにかく汚い」と扱き下ろされた。

 見るに堪えない一撃だとある意味太鼓判を押された。屈辱以上に激しい羞恥心を覚えた。

 卑怯な手を使ったのに完全に読まれていたうえ、怒りではなく憐憫すら含む呆れ交じりの感想を述べられたのだ。

 まだ、手合わせ時間内に仕掛ける方が加減もされていた。

 鍛錬や手合わせ中は、一本取るどころかマントの端を掴むことすらできない。

 ちなみにアルベルティーナには「つかまえた」だの「だーれだ」などと児戯のような問いかけや悪戯には激甘に引っかかっている。

 アルベルティーナの気配に気づくと、魔王モードがOFFになるのでわかりやすい。

 小さなアルベルティーナが届く様に、そっと屈むこともしばしばだ。

 愛娘が相手とならば喜んで悪戯されている節すらあった。

 そんなこと他がやれば良くて手首が飛ばされるか、腕がへし折られる。

 グレイルに弟子入り願い素気無く断られることは珍しくない。幼いころ門前払いを食らっている人間を何十、何百と目にしたことがある。これだけ抜きんでた武人を師と仰げ、手解きを受けられるだけミカエリスは見込みがあるほうだ。

 普通はそこまで激しい鍛錬はしないそうだが、なまじ昔から剣の才能が突出していたこともありミカエリスは無茶苦茶に扱かれていた。

 キシュタリアも剣はそこそこだが、魔法の訓練で扱かれていた。

 お陰でミカエリスもキシュタリアも国で有数の剣と魔法の使い手と有望視されている。

 他の人間がパワハラ紛いの稽古をつけてこようとしても難なく跳ね返せる。

 だが、グレイルの訓練や稽古の内容を他で話すと同情され、引かれる。

 グレイルは嫌がらせのつもりなくただスパルタなだけである。

 悪意も悪気もなく、ナチュラル鬼畜教官系の指導がデフォルトなのだ。

 今となっては懐かしい――懐かしいか? むしろちょっとまだトラウマ? 疑問を覚えるがそれでも今のミカエリスの為になっているのは事実である。

 ふう、とミカエリスは溜息をつく。

 軽く現実逃避をしていた。

 今、ミカエリスは私室の――寝室の前にいる。

 だが、そこで奇妙なことに気付いたのだ。人の気配がする。

 よくよく観察してみれば、ドアの中から漂うややけぶるような纏わりつく匂いにも気づいた。

 独特の蜜のような匂いは麝香に少し似ていたが、僅かに既視感のあるような気がする。何処で嗅いだか解らないが、なんとなくミカエリスは嫌な気配を感じていた。

 腕を組み、僅かにいら立つように首をかしげて少し年季が入った木製の扉を睨む。


(ついに強硬手段に出たか)


 品性を疑うというか、人間性を疑う行動に打って出たことに僅かな失望と苦々しい決意が固まった。

 女性に手荒なことはしたくないし、アルベルティーナが粗暴な言動をする男を毛嫌いしているのを知っている。心に落ちる影から恐怖と嫌悪の対象になっているのだ。


(食べ物を貰わず正解だったな。何を仕込まれているのか分かったものではない)


 ビーンは何もいっていなかったし、他に下げ渡した相手も変わった様子はなかったからおかしなものはなかったのだろう。

 少なくとも、味や目に見えた形には。

 おまじないなどと称して、血液や髪を入れるのが一時期流行った。

 学園に居た時、色々とプレゼントを貰うことはあった。その一つでキシュタリアがとある令嬢から頂いたチョコレートのホールケーキをクラスメイトに「大きくて一人ではとても食べきれない」という名目で分け合う――ただし、貰った本人は微塵も食べる気はない――ということが度々あった。

 既製品でもキシュタリアはアルベルティーナやジブリールといった親しく、信頼できる相手からのものでないと食べない。

 食欲旺盛でカロリーに飢えていた青少年たちは、嬉々としてケーキを切り分けたところで中から糸を引く何かが出てきた。

 最初は首をかしげた。チョコレートやクリームがべたつくことはある。ケーキにジャムやフルーツソースが塗られているのは珍しくない。

 だが、それはやけに細く長く均一でやけに丈夫そうだった。

 糸にしては細い、線のような何か。うっかり入ったにしては多すぎる。

 訝しんで、行儀悪いと分かりつつフォークやナイフでチョコレートケーキの中をほじった。

 そこから出てきたのは人間の毛髪という、恋の隠し味だった。

 キシュタリアは冷めた顔で「やっぱり」と言っていたが、食べ盛りの男子学生たちの三大欲求が消えうせて嗚咽に変わるほどの大恐慌となった。

 途中、チョコレートケーキを解す過程で欠片を食べていたとある伯爵の次男坊など泣きながら吐いていた。

 それで貰い物を食べるのをやめればいいものを、彼らはそのあともキシュタリアからの横流し品をせっせと解体しながら食べていた。

 曰く「物凄くドキドキしてたまらない」とのことだ。スリルが癖になると。

 だが、彼らが試しているのは恐怖のサドンデスに近い。何かあったらメンタルが粉砕される。

 その向こう見ずといえるヤバすぎる肝試しに、あのキシュタリアどころかジュリアスすら引いていた。

 鉄やミスリルどころか、オリハルコンハートの持ち主でも命知らずの馬鹿は時に恐ろしく見えるらしい。

 とまあ、そういったこともありミカエリスも食べ物には特に警戒していた。

 レナリアの使った愛の妙薬のように、徐々に危険性を増すものや、遅効性の中毒性の高い薬物だってあるのだ。

 

(しかし、休みたいのに面倒だな。女性騎士でも呼んで追い出してもらうか?)


 どんな格好でいるか分かったものではない。

 これは催淫香の一種だろう。生れたままの姿で寝台に横たわっていて、それを目にしただけでも十分ミカエリスには責任問題に発展する。

 やり方はどうあれ、メリルは未婚の貴族令嬢であるのだから。

 彼女がミカエリスに誘われたと吹聴して泣き付いたら余計に厄介だ。

 いずれにせよ、部屋に何が仕込まれているか分かったものではない。

 進んで罠にかかりに行く義理もないのだ。


「おや、ミカエリス伯。如何なされましたか?」


 踵を返そうとしたところで、ミカエリスに声をかけたのは傭兵上がりの騎士、ガストン・ウォールである。

 背はミカエリスより高く、筋骨隆々としているのが鎧の上からでもよくわかる。てかてかとした油を刷いたような禿頭に太い眉とぎょろりと大きな目、鷲鼻のしたにひげを蓄えている。大きな口に豪快な笑みがよく似合う。

 声がでかく顔のどのパーツも主張がいちいちデカくて鬱陶しい、粗暴だと言われることもあるが人柄はけして悪くない。

 竹を割ったような豪放磊落な気の良い性格をしているので、友人は多いしグレグルミー辺境伯からも信頼が厚い。

 グレグルミーの村を襲った魔物を撃退したことによって、十数年前に騎士候として辺境伯家に召し抱えられたと聞いたことがある。

 戦下手なグレグルミーが何とか持ちこたえたのは、彼の勇猛さと指揮官能力の高さ故だろう。

 職務に実直であり、今日も夜警をしていたのだろう。彼は辺境伯令嬢のメリルがいるのもあり、積極的に警備にあたっている。

 その前向きな姿勢は士気向上に一役買っているし、どこか狸を感じさせるグレグルミー辺境伯より印象はよい。


「私の執務室に何者かが侵入したようで――」


「なんと! このガストンがひっ捕らえてやります!!」


 玉に瑕なのは、ちょっとフットワークが軽すぎることだろう。

 ちゃんと止めれば止まるし、人の意見にも耳を傾ける素直さもある。

 ミカエリスが全てを口にする前に、ガストンはドアノブに手をかけて素早く明かりをつけた。

 ドアの蝶番か少しイヤな音を立てるくらいドカーンと開け放ち、隠密も糞もない勇んだ足並みでドカドカと入室した。


「この部屋をどなたのものと心得る! ドミトリアス伯爵家がご当主ミカエリス様のお部屋であるぞ!!! 不届き者めが、いざ尋常に居直れぇ!!!」


 背中に背負った、切るというより打撃に向いていそうな大剣を掲げるガストン。

 廊下では、開け放った衝撃で煙くせき込むほどの香の匂いが充満する。口にハンカチを当てたミカエリスが窓を開けて避難していた。


「我こそはグレグルミー辺境伯の騎士、ガストン・ウォ……」


 部屋の中でガストンの勢いが一気に萎れる。

 きっと、部屋の中の『侵入者』はガストンにとって思いがけない人物で、予想外の姿を晒していたのだろう。



「メリルさ――」


「キャアアアアアアアアア!!!」



 甲高い悲鳴が、静かな砦の夜を震わせた。







読んでいただきありがとうございます。


策士策に溺れる。墓穴を掘るって感じです。

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