叡智の塔2
ヴァニア卿は本来ならカイン・ドルイットのライバルキャラ。
ヒール役になったはずですがカインの立場が大きく失墜したので狂気に陥ることも敵対フラグは立ちません。
本当に不安だわ。
なんで王宮の一角なはずなのに蝙蝠だの鼠だのが出るの。打ち捨てられた古城や洞窟やダンジョンではないのだから……
どんな場所に案内されるか不安でいっぱいでしたが、意外なことに応接室はまともでした。
ちょっと古めかしい感じではありますが、立派な部屋です。ここには鼠も蝙蝠もいませんし、割と掃除が行き届いています。
そう待たずしてよれよれの白衣を着たヴァニア卿がやってきました。あのぅ、御髪も随分乱れていますし頬っぺたに何やらインクの跡が……
もしや書類の上で寝てしまっていたのかしら? ちゃんと寝る時間もないくらいい忙しかったのかしら?
部屋にはフォルトゥナ公爵やクリフ伯父様、ジュリアスもいたはずなのにヴァニア卿は真っ先にわたくしを見てへらっと笑った。
「あっれぇ~? お姫様、どうなさったんですかこんなところで?」
あ、クリフ伯父様のこめかみに青筋が……お怒りの気配察知。
基本、声をかけるのは身分が高い方からです。まあヴァニア卿ですので、多少は看過するべきでしょう。
侮っているわけでも悪意があるわけでもないのです。寝ぼけてはいそうですが。
「少々お話がありまして参りましたの。折り入って依頼がありますの」
「んー、姫様が?」
「ええ。受けてくださるなら貴族院が出し渋っている予算、こちらでご用意します」
無駄な駆け引きはせずヴァニア卿に伝えます。
予算という言葉にヴァニア卿は居住まいを変えた。やはりというか足りていないのだろう。覿面に効果がある。
どの世界のどの分野も、研究費用というのはいくらあってもキリがないものだ。
需要と供給が噛み合わなければ削られ易い。サンディス王国は貴族が幅を利かせていますので、純魔法使いである専門家はやや軽んじられる傾向もあります。
全く……職人や技術者は人という宝ですのに。他国に流出して一番困るのは王侯貴族であるわたくし達でしてよ?
「別にいいけど、不老不死とか無茶言わないでよ? 本気で考えるなら人間捨てることになるからぁ」
「そんなけったいなお願いではありませんわ。メギル風邪への医学的、そして魔法学的なアプローチをお願いしたいの。
まだわたくしの仮説なのですがその検証をしていただきたいの。もし有効性が確認されれば、メギル風邪の特効薬を作ることが可能です。
少なくとも死病ではなくなるはずです」
一応、個人ではストックは持っている。体内の魔素や魔力を抑えるものだ。
根治治療薬ではないが症状を大幅に和らげることができる。メギル風邪から引き起こす高熱は、後遺症を生むことも珍しくない。
だが、これはわたくしが前世の記憶に基づいて用意したもの。この世界では認知がされていないし、そもそもメギル風邪の原因すら判明していない状態。
王侯貴族たちに甚大な被害が起き、発症すると悪化することしか分かっていない。恐怖ばかりが蔓延しているといっていい。
わたくしの言葉に、ヴァニア卿は「ふーん?」とやる気のない答えを返してくる。
あのぅ、この方もかなりの魔力持ちだから他人事ではなくてよ?
やる気なさそうにわたくしの文書を眺めていたヴァニア卿。手を伸ばす気にもならないのか、書類は机上から離れていません。
「まー、お金出してくれるならやるけどねぇ? あんまり期待しないでよぉ? この手の議論は何度もやっているからさぁ」
「勿論、わたくしとて根拠なくいっているわけではございません。
以前、ヴァニア卿がわたくしにお話ししてくださいましたこと、覚えておりますか? 王城の下には遺跡があるとおっしゃっていたでしょう?」
欠伸をかみ殺していたヴァニア卿気配が変わる。
やや潜めた、でもよく通る声で「……あるの?」と静かに聞き返す。
「どうやら、王家の血筋のみ入れるようですの。この文献が本物か否かも含めて是非調査をお願いしたく――」
「やるーっ! 今まで王子や王女に話しても眉唾状態で全然調べようともしてなかったんだよねぇ! だして! ぜぇんぶ出して!」
机を乗り越してわたくしに肉薄するヴァニア卿を、横からスパァンと小気味いい程の音を立てて吹き飛ばした。きょとんとして、伸びた腕を視線で追う。吹き飛ばしたのはフォルトゥナ公爵の様のようですわ。
ジュリアスは無言でわたくしを抱き寄せていますが、一番分厚い本をしっかり握りしめていますし、クリフトフ伯父様も腰が浮きかけている。
「近い。騒がんでも聞こえておるわ」
「いたたたた……酷い、すごぉくいたーい」
「ふん、抜かせ。吹き飛ばされる直前、防護壁を張っておっただろうが」
「あれー? ばれた? ……こんな面白い話、受けないワケないじゃん。国どころか、大陸初じゃない。王太女殿下、謹んでお受けいたします」
前半は軽いノリで言いますが、後半は『王宮魔術師』らしく流れるように優美かつ恭しく一礼をするヴァニア卿。
薄汚れたローブも一瞬だけ式典礼装に見えるくらい優雅な所作でした。最後に転ばなければ。
「ありがとう。でもそう難しくないところにあったのだけれど……」
「いっとくけど、筆頭王宮魔術師でもいけないよー。古代魔法の術式が網羅された伏魔殿だし~。
魔力や血族認証パターンかもしれないけど、入って戻ってこなかった王族も少なくない。
多分、姫様は魔力が強くてサンディス王家としての血も濃いからサクサク出入りできんじゃないかな?」
「ぴゃっ!?」
じりじりじりと床を這いながら近づいてきたヴァニア卿。
超怖い! ゴキブリというより高速ナメクジみたいな妙な生々しさを感じる動きですわ! この人霊長類ですわよね!?
思わず肩をはねさせ、脚を浮かせてしまいました。
びくびくするわたくしを抱き上げて膝に乗せたのはジュリアスでした。
「だから言ったでしょう。あと古代遺跡? それは初耳ですが……まだ何か隠しごとがあるんですか?」
「まだ真偽は解りませんわ! ちょっと仕掛け扉を見つけて入っただけですもの!」
「ほぅ? そんな安全の分からない場所へのこのこと入ったと? 賊潰しの罠があったらどうするんですか?」
違った。抱き上げたのではなく逃げられない様に捕獲されましたわ。
わたくしが「いや~」と首を振りながら自供を拒否するとほっぺたを両手で挟まれうにうにとされました。
あああ! これ久々ですわ! 温室で転寝してあわや失踪と大騒ぎになった時と同じ怒り方! これはちょっと危ないですわ! ジュリアス、結構怒っている……
わたくしはもにょもにょと小さく呟く。
「レイヴンもいたもの……」
「あのクソチビ……」
「ジュリアスよりもう大きいのではなくて?」
今のレイヴンは、座ってもらわないと頭をなでなでできないサイズですわ。
あの丸い頭が堪能できない距離になってしまいました。
レイヴンはいい子なので「撫でさせて」といえば頭をすぐに下げてくれるでしょうけれど、無意味に撫でては悪いですわよね。
「もう、ジュリアス。なんでそんなにレイヴンに厳しいの? 可愛い後輩でしょ? とってもいい子なのに」
「アルベル様がご理解ないようなので言わせていただきます。レイヴンの態度や言動ではなく、アルベル様の寵愛目出度く可愛がられているという事実が非常に不愉快です」
そんな大人げないことをはっきり言わない! キリッとしか顔で言われても騙されませんわよ!
「えー、公子ってば嫉妬? 平民から子爵と思ったら、次は四大公爵家へ婿入り。
王太女殿下の婚約者レースに一躍踊り出た今を時めく貴公子がそんなに嫉妬剥き出しとか、その『レイヴン』って子はダークホース?」
「護衛の子よ。とっても素直で可愛くて、黒猫さんって感じの男の子」
可愛いレイヴンは大きくなっても可愛いままだ。
わたくしがニコニコとレイヴンの可愛さを伝えようとするがジュリアスがかなり胡乱な目で見ている。
「あれが可愛いとか目が腐ってるんじゃないですか?」
「失礼ですわね! もう、意地悪!」
なんで水を差しますの!? 折角わたくしがレイヴンの可愛らしさをプレゼンしようとしましたのに!
わたくしが怒ると、なぜかジュリアスはものすごく楽しそうな笑顔です。ジュリアスのサディストめ……この男、わたくしの事本当に好きなのかしら?
思わずじっとりと疑いの眼差しをエリート従僕から公爵子息へジョブチェンジをしたジュリアスへ注ぎます。
でも、こんなに気安くしてくださったのは久々のような気がしますわ。幼い頃はズケズケしていましたもの。
この図々しさが懐かしくて安心する。あの甘ったるいほどの態度は幻想でしたわ。
王城に誘拐されるように連れてこられ、軟禁状態になっていたわたくしに対して周りからの腫物扱いが残っているのもまた事実です。丁重に接してはいますが、遠巻きにされてもいるのです。
「うわぁ、イチャイチャしてるー。これマクシミリアンのところのご子息が見たら喧嘩吹っ掛けにくるよ?」
「返り討ちにして差し上げます。あちらの強みは『侯爵家』であることのみですから、それ以上に何ができるか楽しみですね」
「ハイハイ、御馳走様。じゃあ殿下の資料とやらに目を通しまーす。読み込むので帰って帰ってぇ~」
どこがイチャついておりますの! わたくしが意地悪されただけですわ!
わたくしが苛立ちのままにジュリアスをぺちぺち叩きますが、全然効果が見当たらない。でもこれ以上叩くと本当に痛そうだし…………
読んでいただきありがとうございました。