魔王の城1
お父様のお部屋は危険がいっぱい
キシュタリアはラティッチェ本宅に戻っていた。
失踪したセバスがなにか残していないか調べに来たのだ。
セバスの仕事部屋にも、自室として宛がわれた上級使用人部屋にも目ぼしいものは見つからない。
きちんと整理整頓された室内には、セバスらしい几帳面さが見て取れた。
キシュタリアやラティーヌに頼まれた仕事や、家宰としての仕事を手掛けた形跡はあるが不自然な物はない。
直近の仕事ではラティッチェの霊廟を訪れる旨を墓守達に伝え、霊廟の中を確認したい――その理由として、アルベルティーナからかつて贈られた品物を一緒に追加で入れたいという記載があった。
それは刺繍入りのハンカチや誕生日に贈られたマントもあった。王宮魔術師から返却された特殊な魔道具もあった。ラティーヌが遺品として預かっていたらしい。
中でも最高級のサンディスライトにアルベルティーナの高度な結界魔法が施されたお守りはモノがモノなので、と態々ゼファールが信頼できる人間に預けて届けさせたという。
恐らくセバスのことだ。キシュタリアの見立てに、ラティーヌも頷いている。そして、代行役としてそのまま先に霊廟に届けさせるように言ったらしい。
「あの子からの物だけは、戻ってこなかったら墓を壊してでも、這ってでも奪い返しにきそうだもの」
「確かに……」
グレイルの中で愛娘は常に別枠だった。
セバスも同意見だったのだろう。常々あの魔王公爵に振り回されていた一人だ。
キシュタリアは忙しく動き回っていたので、王都に居ても人目を避けて捕まえるのが難しかったそうだ。逆にラティッチェ邸にいたラティーヌのほうが預けやすかったそうだ。
「本当は少し前にもう手元にあったのだけれどね」
色々と騒がしくてきな臭さもあった為、ラティーヌは受け取った後もそっと沈黙を貫いていたそうだ。
弁えない分家が幾度と尋ねてきたこともあり彼らへの警戒もあったという。
広大なラティッチェ邸は本宅以外にも、別宅が敷地内だけでも複数ある。花やハーブティーを好むアルベルティーナの為に四季を問わず採れるように温室もある。来客用の屋敷や調度品類などをの家財だけをしまっただけの倉庫もいくつもある。
使用人や騎士の宿舎もあるし、騎士や護衛、馬車用の厩以外にも、グレイルやキシュタリア用の厩、ラティーヌやアルベルティーナの愛馬であるポニーたちがいる厩もある。
各屋敷や施設を移動するだけで馬車が必須な広さなのだ。
(……せめて、父様の私室や部屋を調べられればな)
当主だけが持つラティッチェ伝来のモノの一つがあれば、墓守達が説得しやすい。
どうもこちらへの反応があまり良くないのだ。
マクシミリアン家の息がかかっていると考えれば、よりこちらに正統性があると主張するに値するものがいい。アルベルティーナに手紙を書いてもらうのも手だが、アルベルティーナに頼るのはなるべく最終手段にしたい。
父の私室へ続く扉を見る。
キシュタリアにとって絶対的な存在だった。
この扉の前に立つときはいつも緊張していた。
重厚なブラックチョコレートのような色合いの扉。最初は地獄の門にしか見えなかったけれど、アルベルティーナがチョコレートといったのでチョコレートなのだ。
キシュタリアだけでなく、セバスやラティーヌ、ジュリアスもこの扉の前では多少緊張していた。アルベルティーナだけが、恐れなくノックをしていた。
(いつもニコニコ、お父様に会いたくて仕方がないって顔をしていたな……)
瞼の裏に幼いアルベルティーナがはしゃいだ声で笑いかけてくる。
弾んだ声で父や自分の名を呼びながら、屈託のない笑顔を咲かせる。
歪な箱庭に閉じ込められた彼女を僅かに憐れんでいた。だが、彼女は確かに幸せだったのだ。今の姿を見れば痛いほどよくわかる。
(この扉さえ開いてくれれば……)
諦観に近い感情でドアを見つめた。
指を伸ばし、手袋越しにドアに触れる。
カチリ
なにか音がした。
まさかと思いドアノブに触れると、何事もなかったように回る。
今まで、どうあってもこの扉は開かなかった。何重構造の防護壁と封印などの高度魔法が施されていた。迂闊に吹き飛ばすこともできずに放置されていた。下手に攻撃を銜えれば、部屋ごと木っ端になる恐れもあったからだ。
キシュタリアはなぜこうもあっさり開いたか分からず疑問を持つ。その疑問が蟠り、ノブを持ったまま開けない。
ふと、手袋――指に視線が行く。よく気を付ければわからないくらいの僅かに凹凸のある薬指。
(……アルベルの、指輪)
サンディスライトとミスリルの指輪はアルベルティーナの魔力がある。
その魔力に反応したのだとすれば、一気に疑問は氷解した。
ドアを開け放てば少し籠った匂いと、ほんのり懐かしい香水が感じ取れた気がした。
数か月見ていないだけで懐かしい室内を見回した後ろで、扉がひとりでに静かに閉まったうえに施錠された。
焦ってドアに手を伸ばせば、あっさりと開いた。余計な侵入者を防ぐための措置らしい。
(アルベルの為だろうな……中をゆっくり見て過ごせるように)
ちなみに勝手に入ろうとした命知らずはいた。
少なくともキシュタリアやラティーヌや古参の使用人はドアやノブには普通に触れられるのだが、一度強引に押しいった分家の人間は利き手が吹き飛んだ。
比喩ではない。指は砕けた消し炭となり原型はとどめていなかったし、手首、肘、二の腕、肩ギリギリまでが吹っ飛んだ。あと少し扉に身を寄せていたら、首や頭も吹き飛んでいただろう。ドアに仕掛けられていた魔法により雷撃と風刃が同時に発動し、容赦なく招かれざる客に相応しい『歓迎』をしたのだ。
その一件があったので、ラティッチェ公爵邸本宅はあまり過激な連中は奥に来ない。
次は腕が吹き飛ぶだけじゃすまないかもしれない。風刃で腕が切り落とされてなかったら、全身が消し炭になるような攻撃魔法を仕込まれた屋敷だ。
グレイルらしいと言えばらしい。
(おそらく、布一枚程度ならば問題なく開くんだろうな。
アミュレットでは反応しなかった……あっちはずっと身に付けていたけど。距離が少し足りなかったのかもしれない。
たまたま僕が指輪を付けていたから入れたんだ)
私室から繋がる寝室や書斎。
どれも落ち着いたデザインで、華やかさより機能性が重視されている。
私室の一角に隠れるように扉があった。
窓のないその小さな部屋にはテーブルと、アームチェアが一脚だけ。周囲を囲うのはチェストやガラスケース。壁にはアルベルティーナの肖像画がある。中にはグレイルと並んでいるものもあった。ケースの中には可愛らしいドライフラワーのブーケや手作りのランチョンマット、タペストリーが飾ってある。
(うわぁ、これ聖水晶のケースだ……)
まるで宝冠の様に大事に入れられているのは、少し歪なシロツメクサの花冠。一つではなく、いくつもある。それが一つ一つ大事そうにケースにしまわれている。
アルベルティーナは時々、誰にも言わず屋敷の庭にふらふら出ては熱中して作っているのだ。キシュタリアやラティーヌにも贈られたことがある。
一時期ラティッチェ邸に滞在していたジブリールやミカエリスもそうだ。
(アルベルはなぁ……大好きな人に被せるのが好きだったから)
手を緑色になることも気にせず編んでは、にこにこして被せてくる。
たまに途中で眠ってしまい、どこからかジュリアスが回収してくることがあるが、大抵すぐにセバスかグレイルが受け取って運んでいた。
それ以外にも一輪挿しに活けられたクローバーがあった。四つ葉のそれは、気のせいでなければ二年ほど前にアルベルティーナが「お父様に良いことがありますように」と贈ったものだ。それに対し、グレイルは自分で庭に出て四つ葉のクローバーを探し「アルベルが幸福でずっと健やかであるように」と贈ったのだ。
アルベルティーナはそれを大事に押し花にした。
だが、グレイルは持ち前の魔法の才能を以てして保存魔法をかけたのだろう。一輪挿しの周囲にも薄ガラス板のケースがある。それにも似たような魔法をかけてあるのだろう。
微笑ましさより執念を感じる。
グレイルが居ない間も魔石により魔力の供給が続いていたのだろう。
見ればわかる。
グレイルに本当に大切な物は、何の変哲もない愛娘からの贈り物なのだ。
良く調べれば、この壁は部屋より強力な防火や防護の魔法が施されている。
はっきり言って、王城の警護を凌ぐ重警護状態だ。アルベルティーナの結界に匹敵するレベルの守りを、グレイルは叡智と才能を駆使して作り上げていた。
まだ色々と仕掛けがある可能性は十二分にある。
読んでいただきありがとうございました。