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貴族令息の明暗

時間を有益に使う人と、無駄にする人



 ――お任せ下さい、坊ちゃま。このセバス、必ずや旦那様と姫様のお役に立って見せましょう。


 そういって旅立った老執事は、ほどなくして連絡が途絶えた。

 すぐに捜索隊を組んで探すように命じたが、漸く見つかるのに二週間ほどかかったのだ。

 彼を乗せたと思しき、最後の目撃談があった馬車は見つかった。だが、調査費用としてキシュタリアが持たせた金子は消え失せ、彼が乗ったという馬車はラティッチェ霊廟へ行く道からだいぶ逸れた崖下に落とされていた。

 馬車は大破して、直しようもない残骸となっていた。御者も馬も死んでおり、野犬や狼や魔物に食い荒らされ骨も疎らだったという。未だに見つからない亡骸のほうが多い。

 セバスの消息が途絶え、嫌な予感を感じてすぐさま探すように人を放った――その結果がこれだ。

 ラティーヌからの手紙を読んだキシュタリアは、顔を青ざめさせて口を覆う。


(あのセバスが? セバスは父様付きの執事になるほど有能だし、そもそも老人とはいえ腕に覚えのあるはずだ。

 いったい誰が? その辺の傭兵や騎士、暗殺者でも難しいはずなのに……)


 あのおっとりとした好々爺とした老人の笑みが脳裏に浮かぶ。

 アルベルティーナが無邪気に本の朗読をねだったり、勉強に根を詰めていたキシュタリアに温かい夜食を持ってきてくれたりした祖父のような使用人。

 天才だが冷酷で苛烈な父についていける程優秀な執事だった。穏やかな物腰だが、しなやかで強靭でもあった。


(マクシミリアンを隠れ蓑に、誰かいる? いや、まだ断定は早い。死体は見つかってない)


 死肉を漁る獣に食いつくされた可能性もある。近くに川や森もあったし、飛ばされたり、運ばれて流されたりしたのかもしれない。

 でも、セバスが何とか逃げ切ってどこかに身を潜めている可能性もあるのだ。

 事故現場は凄惨でありどの骨がだれの死体かも判別がついていないものも多い。解明には時間がかかるという。

 目を覆いキシュタリアは腹に凝った気持ち悪さを溜息とともに吐き出す。

 何か不愉快で恐ろしいものがラティッチェを飲み込もうとしている気がする。こういった嫌な勘こそ、キシュタリアはよく当たるという自負があった。


(恐れて思考を放棄するな。やることを成して、進まなくちゃだめだ。

 立ち止まるのはすべてが終わった後でいくらでも出来る。ああ、でも―――)


 アルベルティーナになんと伝えればいいのだろう。

 あの義姉はセバスをとても大好きだった。比較するのも烏滸がましいが、実の祖父よりはるかに懐いていた。

 いや、アルベルティーナにとっての『お祖父様』はセバスだったのだ。だから、グレイルやラティーヌに対するような甘えを見せていた。

 また泣かせてしまう、と唇を噛み締めた。キシュタリアは自分の哀しみも押し込めて目を伏せたのだった。

 その時、胸に何かが差し込むような違和感を覚える。


「僕は……何か見落としている……?」


 これだけ警戒しているのに?

 いや、まさかそんなはずは――首を振って、険しい顔立ちで報告書を魔法の施錠があるチェストにしまった。





「くそぉ、なんで……なんでだよぉ。アルベルティーナ様」


「兄様、飲み過ぎです」


 マクシミリアン侯爵邸ではヴァンが管を巻いていた。

 吐き出す呼気にも濃厚なアルコールを感じる。顰めかける顔をなんとか我慢しなが宥める。

 弟のライネルは弱弱しく制止するが、テーブルに拳を叩きつけたヴァンにびくりと震えてすごすごと戻っていった。

 ヴァンは正妻との嫡子だが、ライネルはメイドに手を出した――妾との間にできた微妙な立場である。

 マクシミリアン侯爵夫人はプライドが高い女性であり、自分の息子として引き取った。だが、その差は歴然としていた。当然ヴァンばかり可愛がっており、オーエンは見て見ぬふり。

 ライネルは息を殺すようにして過ごし、ヴァンや夫人の機嫌を損ねない様にしていた。

 マクシミリアン家にはこの二人しか子供がいないため、念のためスペアとして置かれているのだ。

 ライネルはヴァンの世話や尻拭いばかりをし、侍従のような扱いだった。

 そして今も、謹慎を受けて屋敷から出られないヴァンの相手をしている。ここ最近は酒を浴びるように飲んでは暴れている。

 ライネルの目から見てもヴァンの『恋煩い』は相当の物だった。

 だが、基本ヴァンは横柄で自己中心的だ。婚約者にするように無意識に乱暴な態度で王女殿下にまで接したのだと察した。

 大柄で力も強いヴァンは人一倍気を使わなくてはいけないはずなのに、ヴァンは根本から理解していない。プライドが高い母、自分勝手な父の悪いところを受け継いだような男だと評したのは、誰だっただろうか。

 そして、それを反面教師にもせずいつも自分を正当化している。

 ライネルは見たことがないが、悲劇の姫君に同情した。


(そもそも、うちは確かに歴史だけはあるが全然経済的に豊かではない。どうやって婚約者の話を持ってきたんだろう……)


 気弱なライネルではあったが、愚かではなかった。

 ここ最近、父が上機嫌ではあった。そして怪しげな魔法使いの男と懇意になっていることを知っていた。

 金回りが良くなると夫人にも話しており、夫人も上機嫌だった。そんな宛て、どこにあっただろうか。

 深酒している兄がふらふらと立ち上がった。そして、外出用のインバネスコートを出せと使用人に銘じていた。


「ど、どこにいくつもりですか!? 兄様!」


「うるさい! お前なんか弟じゃない! 貴様のような卑しい血がマクシミリアンを名乗れるのは温情なんだからな!」


 乾いた音を立てて伸ばした手を払いのけられた。その拍子に、爪が手の甲をひっかいて皮を抉る。ライネルの手の甲には血が滲んでいた。

 それでも、気を奮い立たせてライネルは抵抗した。


「兄様! 父様にも言われたでしょう!」


 乱暴に閉められた扉とともに、遠ざかる足音。

 暫くして、馬車がマクシミリアン邸を出て行った。

 非常にまずい。何故他の使用人も、執事やメイドたちも止めないのか。

 顔を上げればくすくすとさざめくような嘲笑う声が落ちてきた。三日月になった目や口元が、その意味を物語る。

 彼らはヴァンの機嫌を損ねて暴れられたくない。そして、止める役をライネルだけに押し付けて咎めさせるつもりだったのだ。最初から、ライネルに味方などいない。

 一人きりになったアルコールの匂いが漂う部屋で、一人俯くライネル。

 父の愛も、母の温もりも知らずに育ったライネル。

 物心つく頃には実母はいなかった。優しかった年老いた乳母、庭師の気のいい青年、厨房のおじさん、年の近いメイド――全員がヴァンやマクシミリアン夫人に追い出されてしまった。

 マクシミリアン侯爵家は没落している。

オーエン達は認めていないが、ここ数十年以上碌に修繕もしていない屋敷に、枝が好き勝手に生い茂りやぼったい庭。絵柄に傷のあるティーカップに、型落ちしたドレスや装飾品を見れば明らかだ。

 そんな家が王太女殿下に暴力を振るって謹慎されたなんて、醜聞もいいところだ。フォルトゥナ公爵家に凄まじく睨まれている。

 この前だって、フォルトゥナ伯爵夫人にコテンパンにされたマクシミリアン侯爵夫人がカンカンに怒って泣いて帰ってきた。パーティの途中だったにも関わらず締め出されたのだ。

 オーエンもコソコソ出かけているが、社交場では全然振るわないと聞く。

 喪中でさえなければ、ラティッチェ公爵夫人からも追撃があっただろう。


「……こんな家、なくなってしまえばいいんだ」


「ライネル様……」


「エミリア……すまない、また父の機嫌を損ねてしまう」


「いえ、それより手を。手当をさせてください」


「あ、ありがとう」


 エミリアは色白で丸顔の可愛らしい雰囲気のメイドだ。そばかすの少し散った顔を心配そうにしている。

 使用人遣いの荒いマクシミリアン侯爵邸は、古参以外は頻繁に入れ替わる。

 彼女は老舗の商家だったそうだ。没落しなければこんな悪い場所に来なかっただろう。

 優しい彼女は、あとどれくらいここに居てくれるだろうか。それとも、いつかは他の使用人の様になるのだろうか。

 そう思いながら軟膏を塗られる手を眺めていた。



読んでいただきありがとうございました。

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