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契約1

シリアスは疲れる……



 草木も眠る深夜。

 街の喧騒からも遠いヴァユの離宮は、僅かな風音と揺れてこすれた草木の音のみが聴こえるだけ。

 その一室でひそやかに招かれた客たちが、それぞれ一人掛けのソファに座っていた。良く磨かれた黒檀のテーブルの上には真っ白なクロスがかかっている。席の前に置かれたティーカップから立ち上る湯気は、芳しい香りを放っている。

 ラティッチェ公爵家子息、キシュタリア・フォン・ラティッチェ。

 ドミトリアス伯爵、ミカエリス・フォン・ドミトリアス。

 フラン子爵、ジュリアス・フラン。

 いつもなら軽口の一つも叩くのだが、今日に限っては誰もが口を噤んでいる。

 こんな時間に呼び出されても、文句ひとつない――むしろ、こんな時間でないと取れないのは解っている。

 人目を避けるには、普通の人なら眠っているだろう時間帯を選ばなくてはならないのも。

 通ってきた通路も、本来なら緊急脱出用の隠し通路というべきもの。本来なら、万一のために秘匿されるべきもの。そして、そこまでして呼びつけたのが事の重大さを伝えていた。今回の呼び出しは、万一に相当する事柄の可能性があるのだ。

 僅かな音とともに、現れたのはアルベルティーナだった。

 喪に服すことを表す真っ黒なドレス。基本的に暗いドレスが多かったが、今夜のドレスはまさに漆黒だった。だが、フリルブラウスにバッスルビスチェを合わせたものであり華やかで妖艶である。このまま夜会に繰り出しても、浮くことのない豪奢さ。

 だが、同時に普段のアルベルティーナの好む装いとは違う。黒いドレスは解るが、そのドレスの趣が違う。彼女はもっと大人しく清楚なデザインを好むはずだ。喪に服していない時も、柔らかく淡い色合いを好んでいたため、大きな違和感を覚えた。

 黒髪も左右から編み上げ、後頭部で綺麗にまとめたシニョンになっている。

彼女を彩るものは金細工一つ、宝石一つないが、その美貌こそが最も比べるものもないほどに圧倒的だった。

 そしてなによりも、その表情だ。

 ここ最近はすっかり気落ちしており、憔悴や悲哀の色が濃かった。精神的に追い詰められ暗い表情を無理に隠していた。優しげで儚げで――非常に危うかった。

 しかし、今は深い緑の瞳に静かでありながら、激情を燃やしている。

 優美に弓なりの弧を描く口元や、柔らかく細められた目は微笑んでいるのに、その奥に宿るものは全てを吞み込まんばかりの劫火、もしくは激流か。それでいて侵しがたい強さを秘めている。

 だけれど、その姿に強烈な既視感がある。


「お待たせして、ごめんなさいね。では、お話をしていいかしら?」


 青白い火花が散った。

 閃きと、違和感、そして懐かしさ。

 優美であり恐怖そのもの――魔王の娘がそこにいた。


「貴方がたには、わたくしの婚約者になっていただきたいの」


 おっとりと微笑みながら、とんでもない発言を落とした。


「もう存じ上げているとは思いますけれど、わたくしは喪が明けたらどこの誰とも知らない権力欲の塊と派閥争いと忖度の結果で選ばれた男が宛がわれる予定なの」


 何でもない様にころころと笑う。でもその目は凍てついている、その下には抑圧された感情が渦巻いている。

 知っている。彼女がそれを口にするのも恐れていたのも、知っている。


「わたくしはね、食い荒らされるつもりはないの。

わたくしの身に流れる血筋を使って、王家に取り入るのはまだ我慢できたわ。でもね、ラティッチェ公爵家への干渉は許せないの。

それだけはダメ。わたくし一人ならよかった。王家だけならよかった。でも、ラティッチェだけは触れさせたくはないの。

 だからね、貴方がたにはわたくしの大切なモノに集る虫たちを始末してほしいの――方法は問わないから、他の候補者たちを潰して構わないし、なんだったら始末してもいいの」


 歌う様に鈴の音のような可憐な声が願いを口にする。

 その柔らかな声音に反し、その言葉は重く絶対的だった。彼女の中で、確定事項だった。


「褒美は……色々考えたけれど、わたくしは立場ばかり高くあっても、実権はないわ。

 確定してあげられるものはない。失敗してしまえば何もない。勿論、ラティッチェもあげられない。ラティッチェは、キシュタリアに任せると決めているの」


 申し訳なさそうにするが、譲る気配はない。

 三人が一様に口をつぐんでいても、ソファに座ってティーカップを細い指で傾ける。

 一人饒舌に喋っていて喉が渇いたのだろう。少し冷めた紅茶が揺れ、小さく白い喉が鳴る。


「だからね、わたくしをあげるわ。確実にあげられるものは、それしかないの。

 わたくしにまつわるもの、わたくしのすべて、ラティッチェ以外のすべてをあげる」


 豊満な胸元に手を置いて、優しい程に穏やかな声で条件を提示した。

 誰かが息を飲んだが、それが誰だかわからない。自分かもしれないし、他の誰かもわからない。

 ただ、アルベルティーナ以外であるのは確かだった。

 アルベルティーナは微笑んでいる。そして、ちょっとだけ小首を傾げた。ほんの少し目を見張った、いつものように窺う時の彼女の癖だ。


「ただ、この話を受ける、受けないに関わらずスクロールで契約をしてもらうわ。他所に話されては困ってしまうの。

 でも、急な話でしょう? 一週間後に答えを頂戴」


「受けるよ。僕は受ける。というより、僕には恩恵がありすぎる」


 アルベルティーナが言い終わるより早く、食い気味に被せたのはキシュタリアだった。

 キシュタリアの反応は少し予想意外だったのか、アルベルティーナが目をぱちくりさせて「まあ」と小さく呟いて、その声を恥じるように口元を隠した。


「あら、いいの? ただでさえ、元老会や分家から圧力を掛けられているのに」


「それならなおさらだよ。ラティッチェの実子を得るほど、奴らを黙らせるにいい手段はない。

 僕にはデメリットがない程だ。当然、一枚でも何枚でも噛ませてもらう。その方が断然動きやすくなる」


キシュタリアがきっぱりというと、アルベルティーナは納得したのか「そう」と呆気ないほどあっさりと受け入れた。

気を取り直したようにすぐににっこりと不自然なほど、自然な完璧な笑みが美貌を模る。


「ありがとう、協力してくれて」


 ぷつ、ぷつと不自然な切れ目のような、不自然な点が浮かび上がる。

 キシュタリアは魔法紙を渡され、それに目を通す。契約にあたり条件がいくつもかいてある。こんなものの作り方、いつの間に覚えたのだろうかと又不吉な違和感が付きまとう。

 こんなことを求めてくるような人ではなかった。


(これはアルベルなのだろうか……いや、アルベルだ。なぜこんなに張り詰めているんだ? こんな彼女、一度も見たことない)


アルベルティーナを模した人形のようだ、と。

いつもの彼女は朗らかで、穏やかでこんな破裂寸前の風船――むしろ、暴発寸前の魔法のような空気を纏っていなかった。

先日、ヴァンがいた時も何か様子がおかしかった。でも、ここまで異常ではなかった。あの時は、まだいつもの良く知る義姉だった。


(でも、酷く追い詰められているようではあった)


猛烈な嫌な予感を押し殺しキシュタリアは契約内容をしっかりと読み込む。

だが、自分の内心を悟らせない様に抑えつけた。あくまで表面上はゆったりとしてみえるだろう。恐怖と焦燥をアルベルティーナに感じるなんて、今までなかった。

 優雅に足を組み替え、熟読する振りをしてジュリアスとミカエリスを盗み見た。

 二人とも表面上は、キシュタリアと同じく焦った様子は微塵も見せていない。

 だが、ジュリアスはいつもの食えない笑みが掻き消えているし、ミカエリスの手はよくよく見れば腕をきつく握りしめている。

 キシュタリアだけではない。二人も、違和感を覚えている。不協和音のような不吉な何かを感じ取っている。


読んでいただきありがとうございました。

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