THALIA
――使者だけではない。
あそこにいるのは、かつて人間に攫われた魔族、獣人の子供たちだ。
そう言って、外に出たアロマが指さしたのは、うっすらと見える城下町の向こう側だった。
「貴女の目なら見えるでしょう。奴らのテントの上に、何が書かれているか分かるかしら?」
「……数字だな。一から……駄目だな、位置が悪くて幾つあるかは分かんねぇ」
「正解。だけど、ついさっきまでは零もあったのよ」
「……あん? あった?」
「そう、あったのよ。まあ……冗談のように爆発四散しましたけれど」
「ば……はああ!? なんだそりゃ!」
アロマ・サジェスタは淡々と言うが、まさしく冗談ではない。
人間達は、一体何を考えているのか……。
「最初の爆発はただのパフォーマンスでしたわ。けれど、ただの威迫行為でもなくて、ひどく効果的な……いいえ」
性根が腐っていなければあんなことはできない、とアロマは続ける。
彼女が吐き捨てた言葉は、テントを見やるガロンの目に映った光景によって、その意味を無理矢理に理解させられた。
「……ああん? ……おいアロマ……あのテント、あれは、あの中には……」
「…………」
遠く見える光景は、酷く平和的で、だからこそ歪だった。
七と書かれたテントの前で、お揃いの衣装を身に着けた獣人の子供たちが、楽しそうに笑って、輪になって踊っていた。
終わり間際であったのだろうか、子供たちがテントの中に戻ると同時に、八と書かれたテントから、今度は魔族の子供たちが現れて、同じように、同じ姿で、同じステップを踏んでいく。
その表情までもを補足したガロンの視力は、彼ら彼女らの腰回りに身につけられたモノまでも明確に見て取った。
「爆薬だと……奴ら、あんな……クソ、クソが……ふざけんなよ、ふざけんな、ふざけんな……!」
「……子供たち。奴隷売買で、不自然な程に出回っていないと最近聞いていたけど……この時のためだったのね」
――ガロンは、ふざけるなと、口の中で何度も言葉を転がす。
身を乗り出し、窓枠を握るその手は、ふるふると震えていた。。
激情が限界を超え、余りの無体に、人間の残酷さに、その目尻に涙すら浮かべた。
ガロンには理解が出来ない。
強い者には、弱い者を分かってやることなどできない。
人間と違い身体強く、人体を素手で裂ける怪物には理解が出来ない。
人間と違い精神強く、正々堂々を旨とする人狼には理解が出来ない。
……誇りを、正義を、倫理を全て捨てれば、なんだって、どんなことだって出来ることを彼女は理解する必要がなかった。
彼女には、己を捨てて他者に仕える弱さがある。誰かを許し、捧げて尽くす母性もある。
卑怯だけは持っていない。
サリアに、そのように作られたから。
そして、魔族や獣人がそれを学習する機会は、人間が丁寧に奪ってきた。
――――――――
『――魔族の話をしましょうか。獣人の話でもあるけれど。
クリステラがずっとずうっと知りたがっていた、彼女らがどこから来たのかというお話。
……旧世界においてね。サリアが、彼女らを創ったのよ。人間達に望まれて。労働力として、あるいは愛玩用として。
だからね、下種な話だけれど、元々が愛玩用として創られた魔族には女性が多く生まれるのよ。その方が都合がよかったから。魔族に男性が少ないのは、その所為。種さえあればいいからね。
獣人にも、裏切りを許さない機能を付けたのよ。今の世代では、例えば人狼の『己の名に誓う』というスイッチがその名残なのかしら。
……あら。
まあ、確かにそうね。
今まで話すことはなかったから、その疑問はもっともなこと。話が前後してごめんなさいね。
……サリアとは、一体何か。
勿論教えられるわ。私はその始まりに、深く、深く関わっているから。
あなたには知る必要があるでしょうしね。
サリア。それは人間の祈りそのもの。旧世界でヴァーラ・デトラが作り上げた、人間を助けるために構成された、人々の集まりの事。
『THerapeutic ALIgnment Agency』……通称THALIA。
旧世界において、孤児達の福祉事業にも力を入れていた新進気鋭の女性医師、ヴァーラ・デトラ。裏に表に、彼女が様々なコネクションを用いて作り上げた……国境の垣根を超えた、古今東西類を見ないほど高度な医療総合研究機関。
それがサリアの起源であり、正体よ。元々は医者の集まり。今の世では宗教団体に成り代わっているけどね。
ギリシアの……ああ、旧世界の国名よ……古い女神になぞらえて、タレイアとも呼ばれていたわね。
ともあれサリアは、人々の繁栄を祈る世界最高の医療技術の集大成として存在した。
そこに所属する最高峰の頭脳を持つ人々は、医療技術に関してありとあらゆる研究成果を上げていったわ。
……始まりは、ヴァーラ・デトラが、自身の養う孤児が患っていた病を治療するために。
彼女は……ヴァーラは、とても優秀だった。安定したゲノム重複発生技術や世界でも研究が始まったばかりの新規的な細胞融合の技術を確立して、その分野の歴史を百年以上進めたと称されたわ。
……倫理的な問題を解消することを無視して、彼女はその研究を続けたのよ。死刑囚を裏でこっそり回収して、治験……いいえ、人体実験に利用してね。彼女が愛した、血の繋がらない自分の子供たちを助けるために。
……だけど、彼女の理想から、どんどんサリアは外れていった。
進みすぎた医療技術を、利益の為に、欲望を満たす為に悪用しようと言う者は、それこそ星の数ほどいたわ。
例えば、農耕や軍事に用いる奴隷の安定的な生産。
例えば、人間の命令に忠実な、見目麗しい人間の姿に似た生物の創製。
例えば、普通の人間にはなしえない事を可能とする、まさしく超人的な能力の付加。
労働力として、忠実に命令を聞くように、獣の遺伝子を融合する操作が成されたのが、『獣人』。
愛玩用として、あるいは特殊な用途の為に見目麗しい様々な装飾や改造を施されたのが、『魔族』。
暇つぶしに、私がこっそり作ったのが、人間という種だけを狙い、襲い、喰らう『魔物』。
例外と言えば、エルフくらいかしら。あれは、人間の正当な進化の証拠だから。
――話が逸れたわね。
ともかく、サリアはそのいずれも実現していったわ。圧倒的な知識と、軍事的転用を目途とした、大国からの莫大な支援を受けながらね。
……私? もちろん彼女を手伝ったわよ。だってヴァーラ・デトラは真実、聖人であったから。
人を救うために、道徳も、自分の人生も全てを投げ出せる人間だったのよ? あれだけの精神を持つ人間がなす事業よ、成功するって確信していたわ。むしろ手伝わない理由がないと思わない?
だって、人間が救われるのよ? つまり、人間が増えるのよ?
だから私、サリアが彼女の手を離れて暴走してからも、ずっと手伝い続けてきたわ。
……食事に困らないって、本当に素敵なことだと思わない?
……ええ、蛇の力も借りたわ。科学技術だけでは届かない部分については、世界に繋がる存在であるあの女の能力が必要だった。マナ……生命の通貨。世界を流れる、不可視かつ大いなる力。魂を通じて魔力に変じる、唯一のそれ。それは私には上手く扱えないものであったから……だからこそ使いやすいように、色々と。
……彼女、寂しがりだからね。人間に必要とされるのが、嬉しくて幸せで仕方がなかったんでしょうね。私が関わっているって知っていたなら、むしろ逆に、絶対に潰しにかかったことでしょうけれど。
本当に滑稽だったわ。人間から忘れられていたのが余程堪えていたのかしらね。愛に飢えた蛇が目の前の餌に食いつく様子は、最高のエンターテイメントだった。
ああ、今でも思い出せるわ。
人間を救おうと、救えると。
ようやく自分が顧みられると信じた蛇が、自身が世界を滅ぼす原因となったと気付いて。
人間から手のひらを返すように糾弾された時のあの表情は、最高に……最高に無様だったから――』
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