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演技と演戯

『――クリステラ・ヴァーラ・デトラは、弱い王だった。


 過去に怯え、周囲に怯え、自分の地位に怯え、人間に怯える少女。

 それが、今代の魔王の姿である。

 逃げることが許されず、仮面を被って生きてきたこの少女は、自分の内にある恐怖の処理の方法を知らない。


 誰よりも強い力を持ちながら、誰よりも弱かった。

 優しさを持ちながら、その心のままに生きることも出来なかった。


 その矛盾した本性は、まさしく『サリアの起源・・・・・・』たるヴァーラ・デトラの名を継ぐに相応しい。あの者も、まったく人間らしい女性だった。


 部下の心も、妹の心も、親友の心も、全てが己から離れていくのを、結局指を咥えて見ている以外に何もできなかった臆病者。

 その肢体は成熟を迎えながら、彼女の精神は未だに幼少期を脱することが叶わない。誰かに手を引いてもらえるのをひっそりと期待している、ガロン・ヴァーミリオンを笑えぬシンデレラのような夢想主義者。

 唯一己が断固として為そうとしたのは、人間を滅ぼすというその一点。しかし、己の臆病さから端を発した大層なこの事業を成し遂げようというのは、彼女の弱い性根では負担が重きに過ぎた。

 そして、彼女自身が気付かない矛盾。今の自分が声高に叫ぶ、『人間は悪だ』という信念は、一体どこから来たものか。


 少女の時分、彼女はそれに疑問を持っていた。大人の叫ぶその信念を、不思議に、他人ごとに眺めるのみだった。


 誰が、いつ、彼女にその意思を与えたか。

 彼女自身も気付いている。しかし、今更引き返すことも出来ない。

 彼女は、本当に人間が全部憎いのか。いいや、どうだろう。それは、彼女の周り、弱い民を救うための方便。

 間違ってはいないけれど、けして真実とは言えない。


 ……そう、引き返すことはできない。人間を滅ぼそうと言い、幼馴染のアロマ・サジェスタを巻き込み、民を巻き込み、魔族や獣人全てを巻き込んだのは彼女だったのだから。

 周りはそれに賛同してくれた。

 疑問を持つのは己だけ。

 何故って、こんなことを言い出した本当の理由を知っているのは己だけだから……。


 クリステラがこんな、大それた反逆をしでかした本当の理由っていうのは……。


 くすくすくす。


 滑稽な魔王。可哀想な魔王。


 そして被捕食者にして人間であるナインは、その天敵の心を容赦なくしゃぶり切る為に、今こそ全力を尽くすこととした。


 最早ナインは、哀れな孤児は、僅かにあった……結局人と変わらない、いや寧ろ善良さすらある魔族や獣人……彼女らに対する罪悪感を飲み込み、最初の目的に向かって邁進することを心に決めた。


 ……まあ、とはいえ人間の決心など、魔族や獣人の決心と同じくらいうつろわしい……いや、みだりがましいと言っても差し支えないのに。


 人間に迫害され続けた魔族の中から生まれた希望が、クリスと言う存在ならば。


 魔族の復讐によって人間の中から生まれた呪いが、ナインと言う存在なのだろう。

 熟成された、良い味の人間。


 しかし。


 畢竟これは、滑稽な生き物が哀れな生き物を駆逐するための精いっぱいの工夫と努力。

 どちらが滑稽で、どちらが哀れかは言うまでもない。どちらも同じ、その一言で事足りる。


 罪と罰が回り続ける。それは見ごたえのある、飽きることなき万華鏡の相。


 ほら、今も――』




「ナイン。寄れ」

「はい、クリス様」


 ナインが傷を負った、その翌日のこと。

 一日の務めを終え、自室の寝台に腰かけたクリスに呼ばれ、ナインはその足に手を伸ばした。

 靴の踵に手を添え、つま先をもう一方の手で押さえながら、ゆっくりと脱がしていく。

 反対側も同様に脱がせると、靴下に手を伸ばす。万が一にも伸縮性のあるそれをはじいて粗相を働くことの無いよう、丁寧に、丁寧に作業を進める。



『――クリスは、その臆病さ故に正しい方法を選択した。恐ろしく感じるものを身近に置くのは、対症療法としては優秀。それが危害を与えることがなければの話――』


「……終わりました」

「馬鹿が、何が終わったというのか。綺麗にせよ。やり方は……言うまでもないな?」


 クリスの言葉を受けたナインは、表情を変えぬまま、いつかやったように、彼女の右足、裸の爪先にそっと舌を伸ばした。

 靴を脱がした時と同じように、踵にそっと手を添える。

 ぶる、とほんの一瞬クリスの震えを感じるが、それをやんわりと無視して、唾液に塗れた舌を親指に這わせる。

 くるくると、執拗に。情愛すら感じさせる執拗さで、ナインは一つ一つ、クリスの指を余さず舐めていく。

 5本。人間と同じ本数を舐め終えると、今度は指の股に着手する。

 優しく親指と示指を摘み、ほんの少しだけ開くと、その隙間にハーモニカを吹くように咥え込んで、舌を上下させた。

 それも終えると、母指球に。つうっと横になぞらせ、小指の付け根まで進む。

 何度か往復させた後、母指球に戻した舌を、踵までなぞらせていく。

 土踏まずを辿った辺りで、クリスは何も言わないながらも、顎を跳ね上げた。

 そんな彼女の反応に気付きながら、事務的にナインは足裏、次いで甲までも綺麗にした。

 靴と同様、反対の足にも淫らな清拭せいしょくを施す。その間、二人の間に言葉は一切交わされることがなかった。


『――クリスは臆病だけど、この点愚かではない。誰も彼女に危害を与えることが出来ないのは、疑いのない事実だから、ただ恐怖を感じるだけであれば、その存在に慣れればよいだけの話――』


 踝より下、ナインの唾液が全てを覆った後、清潔な布で改めてナインがクリスの足を拭き取り終えた頃、クリスはようやく口を開く。


「ナイン、服を脱がせろ」

「……はい、クリス様。ですが」


 言い切ることなく、ナインはクリスの左足で頬を叩かれた。


「『ですが』なんだ。何なのだお前は、どれだけ物覚えが悪い」

「……」

「劣等種。お前は余に口答えが許されると、まだ思っていたのか?」

「……いいえ。失礼します」


 かつての様な、……ナインが一方的に感じていたような、あるいはクリスもその気安さを楽しんでいたような、そんな一滴の親愛の混じる関係性など、どこにもない。クリスはただひたすら冷たい目で、恥など一切覚えない表情のまま、ナインに服を脱がさせようとしている。


 ナインも、クリスを辱めるとふざけていた時の様子など一切頭にないかのように……実際ないのだろう、感情の伺えぬ目で、立ち上がったクリスの服、そのスカートの裾に手をかけた。

 ワンピース型のそれを脱がせるには、当然まくり上げる必要がある。

 クリスはそれを分かっていて命じたし、ナインも既に躊躇する様子もなくそっと裾を掴んだままの手を、上にあげていく。


 クリスの華奢な肢体の膝下までを隠していたそれは、徐々にその役目を放棄し、太ももまでを露わにした。その清純な白さは、魔族というに依らず、まさしく魔性と表現すべきであった。

 種族問わず、老若男女全てが、そこに口を寄せたいと思うことだろう。

 しかしナインはそこを見つめたまま、クリスの命を果たす為、更に裾を捲り上げていく。


 ついに下着までが露わになった。

 腰のあたりを紐で結ばれていた。黒と赤に彩られた、繊細な透かしが入ったそれは、やや派手ながら自身の魅力によりそんな印象を忘れさせる、とても煽情的なものだった。

 服の中に秘されていた香りが、やや広がる。それはけして不快なものではなく、柑橘を剥いたような錯覚すらナインの鼻に与えた。

 努めて無視して、ナインは更に手を上に動かしていく。

 ナインの目に映るのは、骨盤の上、見事にくびれた腹部。そこは久方ぶりの照明の光を浴びて、真珠のように艶めいて輝いていた。臍は、つつまし気に、整った様子でそこにあった。

 ナインは更に手を上げる。

 アロマやガロン程にはないが、女性らしい膨らみが、下腹部を覆うものと揃いの下着で守られている。ほんの少し、裾が引っかかった所為でその双丘が僅かに揺れたとき。お互いが一瞬硬直し……何事も無かったかのように、ナインは服の背中に空いた穴から、クリスの翼をゆっくりと抜き取り、全てを脱がせた。


 ふわりと広がる、艶やかな白髪と純白の翼。今や下着のみでその身を隠す、魔王。

 整えた服を右腕にかけ、その幻想的な光景を見た。魔王に傅く、人間。


 ナインも、クリスも。

 表情には出さず、言葉にも出さないが、その頬をほんの僅かに赤らめていた。

 どうしようもない生理的な反応については、お互いがお互いのそれらを、暗黙の了解のように無視していた。

 ナインは、ただ目の前の女は復讐対象であると見なす為に。

 クリスは、ただ目の前の男は……なんでもない、怯える必要もない、ただの人間であると見なす為に。


 二人は、しばしそのまま見つめ合った。

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