312 我慢の限界(退屈)
下に戻ると、弛緩しかけていた空気がまた緊張するのが手に取るようにわかった。
戻ってきた瞬間、その場にいるほぼ全員の視線が私に突き刺さった。
おう。
私の存在はそんなに皆さんにストレスを与えますか、そうですか。
草間くんはまだ戻ってないし、それ以外にも戻ってきてない人がちらほらいるから、まだ小休止は続けていいかな。
ということで、この視線の嵐から私は脱出する!
なんか荻原くんが床に正座してるけど、見なかったことにしとこう。
突き刺さる視線を無視し、そのまま外へと続く扉に向けて歩いていく。
私が通り過ぎようとした時、漆原さんが立ち上がりかけたけど、それを両隣に座っていた女子二人に止められていた。
そのやり取りには気づかないふりをして、そのまま扉を開けて外に出ていく。
ふう。
なんだこの針の筵感。
居心地悪いわー。
このままバックレていいっすか?
ダメっすか?
そうっすか……。
この小休止が終わったらまた説明会を再開しなけりゃならんのだけど、優秀なサポート役の鬼くんがあの調子だとなぁ。
鬼くんのサポートはちょっと望めないかもしれん。
そうなると、誰かほかのサポートが必要になるんだけど、その候補は一人しかいないんだよなあ。
その候補、吸血っ子はと言えば、召喚したらしい黒い狼を背もたれにして、日向ぼっこに勤しんでいた。
おい、吸血鬼。
いいのかそれで?
それでいいのか吸血鬼?
なんか、全世界の吸血鬼に喧嘩売ってるような光景を作り出している吸血っ子。
吸血鬼じゃなければほのぼのとした光景なんだろうけど、吸血鬼だからなあ。
「なに?」
イヤ、なに? じゃねーよ。
お前は全日光を克服していない吸血鬼に謝れ!
「いい天気ねー。臭いさえどうにかなれば気持ちよくてこのまま寝れそうだわ」
謝れ!
全世界の吸血鬼さんに謝れ!
確かにいい天気だけどさあ。
燦々と照り付ける太陽。
吸血っ子が背もたれにしている黒い狼は、モフモフしてていい感じのクッションになってる。
焼け野原から漂ってくる臭いさえ何とかなれば、確かに気持ちよく寝れそうな陽気ではある。
とか言ってる間に、ホントに吸血っ子は目を閉じて寝る体勢になってやがる。
「痛!?」
なんとなくイラっとしたので、軽く吸血っ子の脇腹を蹴る。
何すんだこいつって感じで吸血っ子が睨みつけてくるけど、これは不可抗力ってやつでしょうがないんだ!
全部吸血っ子のせいだ!
「何よ? 寝ちゃ悪い?」
悪いわ!
「いいじゃない。どうせあの集まりに私がいてもしょうがないんだし。いなくてもいいなら欠席したっていいじゃない」
確かにさっきはこいつ空気だったけど、鬼くんがサポートから外れ気味の現在、それでは私が困るのだよ。
なんとかこいつに説明役を押し付けなければ!
……説明、こいつにできるの?
なんかいろいろと不安しかねえんだけど?
「退屈で眠くなっちゃったんだもの。しょうがないじゃない」
そう言ってかわいらしく欠伸を漏らす吸血っ子。
気だるげなその態度がやたら色っぽい。
まったく。
無駄に色気づきおって。
そのけしからん胸をもいでやろうか?
あ、いえ、何でもないです。
脳内で魔王が黒い笑みを浮かべながら手をワキワキさせている姿が浮かんできて、慌てて胸の話題を忘れる。
「大体からして、あいつらにご主人様が説明してやる義理ってあるの? あの勇者はなんか聞く権利があるだろとかほざいてたけど、別にそんな権利なくない? だって私たちが気を利かせて教えてあげてるだけだもの。別にこっちは教えてやる義理なんてないんだから、放っておけばいいのよ」
うわー。
なんか、吸血っ子、思った以上にあの説明会でストレス溜めてたっぽい。
まあ、吸血っ子の気持ちもわからんでもない。
吸血っ子は前世とスッパリけじめをつけている。
前世は前世、今世は今世と割り切っているので、転生者にしても昔ちょっと交流のあった顔見知り程度の認識なんだと思う。
むしろ顔見知り未満かも。
だから、自分たちが優しくしてやる義理はないと思っている。
ぶっちゃけその認識は間違ってない。
転生者たちに説明してやる義理は、正直ない。
ただ、彼らは彼らで被害者だから、訳もわからずに放り出すのはさすがになあ、という、ただそれだけの理由で説明してるだけだし。
こっちには義理も義務もない。
吸血っ子が言うように、山田くんが言う聞く権利ってやつも、実は私たちのさじ加減でしかないんだよなー。
「むしろ、ご主人様が何であんな懇切丁寧に説明してやってるのか。そっちのほうが不思議でならないわ。説明するのとか苦手なくせに」
おいコラ最後の一言!
お前、それは事実かもしれないけど言っていいことと悪いことが世の中にはあってだね!
「情の欠片もない冷血人外のご主人様が」
さらになんか追加された。
吸血っ子、君、ちょっと裏で話し合おうか?
私たちにはまだまだ相互理解が足りないらしい。
「ハア。いいわよ。説明役、代わってあげても」
私がマイホームに吸血っ子を拉致してOHANASIしようとしていたところ、そんな提案をされた。
なん……だと……!?
あの吸血っ子が、空気を読んだ!?
「何その予想外って顔? ご主人様は私のことなんだと思ってるの?」
ポンコツ吸血鬼。
私の内心の感想が伝わったのか、吸血っ子は不愉快そうな顔をしながら立ち上がった。
背もたれにしていた黒い狼が、吸血っ子の影の中に吸い込まれるようにして消える。
「ふう。どうせご主人様に任せといたら茶番が長引くだけだし。京也くんもいろいろしがらみがあってうまくいなせそうにないし。あんな退屈なこと、さっさと終わらせるに限るわ」
そう言って颯爽と転生者たちが待つツリーハウスに戻っていく吸血っ子。
誰だ?
あのできる系ウーマンな雰囲気を発しているのは?
「何してるの? さっさと始めてさっさと終わらせましょ」
吸血っ子が扉の前で振り返り、私を呼ぶ。
私は魂が半分抜けたような気持になりながら、フラフラーッとその後を追った。