ティーテーブルと望まぬ観衆
前回あらすじ:
なんかみんな夏休みボケしとる。
キールくんは夏休み中に鍛えられて強くなったぞ。
でも貴族の間では「今年の1年生は黒鋼活躍してるとか。ヤバくない?」という話題。
その日の授業が終わって黒鋼寮に戻ると、見慣れないものがあった。
「あれ? こんなもんあったっけ」
俺の記憶が確かなら、寮の前にはただの空間が広がっていて、石畳もないので地面が剥き出しだったはずだ。
花壇っぽいところには枯れ草が生えていたのでそれはさすがにと思って抜いたんだった。
まあ、今は雑草が生え始めてるけど。
で、そんな寂れた空間に——見慣れぬテーブルとイスが数組。
「俺が置いたんだよ」
振り返るとマテューが立っていた。マテューがいるということは、
「僕もいるよ〜」
フランシスもいっしょだ。
「なんで置いたんだ? あとお前らヒマなのか……?」
「なんで、って、再来年以降はお茶会の授業もあるだろうが。寮内に持ち込むには扉が小さすぎたからここに設置したんだよ。あとヒマじゃねえよ」
「げっ、お茶会……」
マジか。絶対礼儀作法だけじゃなくて話題の選び方とかもあるんだよな。
そうなると学年1位は難しくなりそうだな……。
いや、だってさ、そのときの話がよかったか悪かったかなんて客観的な基準を作りようがないじゃないか。
「そんなら武技の1位を確固たるものにするか……? 今からぶっちぎりでレベル上げまくればさすがに……いや、でも貴族の勧誘がうざいんだよなぁ……」
「……おいフランシス、なんかブツブツ言い出したぞ」
「うん、考え込むソーマもカッコイイよね〜」
「……おいフランシス、お前ほんと変わったよな」
なんかマテューとフランシスが話してる。
「それはさておき、マテューもフランシスもありがとうな」
「お? ああ、まあこれくらい……気にするなよ。俺だって使うし」
「……は?」
「おいおい、俺様がここに来て茶の一杯も出さねえなんて言わねえよな?」
「帰れ」
「あぁん!?」
「帰れっての!」
俺は指差した——このふたりを遠巻きに見ている女子生徒たちを。
「——マテュー様、ここでお茶をなさるのかしら!?」
「——黒鋼寮の前なんてどうかと思ったけど、屋外なら見放題ですわ!」
「——ああ、フランシス様の屈託のない笑顔も可愛らしい……」
このふたりを見学するためだけに女子が集まってるんだよ。
緋剣と碧盾のクラスはまだわかる。
だけど黄槍クラスの女子、お前らはふだんから授業で見てるだろ?
あと黒鋼の女子たちもだよ! さっさと寮に入りなさい、もう!
「ん? ああ、まあ、ここで暮らしてくにゃ、あれくらいの女はついてくるもんだろ」
さらっとなんの悪気もなく言い切るマテューがムカつきます。
落ち着け俺。小さなことに腹を立てるな。こいつはまだ13歳(あるいは14歳)だ……!
「そんならテーブルは要らん。持って帰れ」
「ちょっと待った、ソーマ。勝手に決めるな」
ごん、と頭に拳が乗せられた。軽く殴られたともいう。
オリザちゃんだ。
「あのなあ、ちゃんとした屋外用のテーブルセットなんていくらすると思ってんだよ。もらえるならもっておけ。アンタがいつも言ってるこれから先の後輩たちだって使えるんだよ?」
「うぐっ……」
ド正論!
「そんなこと言って、オリザちゃんだってマテューとかで目の保養をしたいクチじゃないのか?」
「は? ならねえよ。もっといい男はいるだろーが」
今度は俺が「は?」となる番だ。
日本にいたらトップアイドル間違いなし(歌がうまいかどうかは知らんけど)の顔面レベルのマテューとフランシスだぞ。
このふたりより「いい男」? キールくんのこと?
「ま、アンタはわかってないくらいでちょうどいいんだよ。——そのテーブル、アタシたちも使うからね、マテュー」
オリザちゃんの言葉に、「どうぞ」とばかりに肩をすくめて手を広げるマテュー。そういう仕草がいちいちカッコよくて腹が立つ。
小市民の俺です。
俺が危惧していたとおり、マテューとフランシスはほぼ毎日顔を出すことになり、しかも使用人まで連れてきてお茶会を始めるので取り巻きの女子たちによって騒がしい毎日が始まった。
マテューたちが現れるとキャァキャァ言うし、ヤツらが帰るとキャァキャァ言う。
鳥かな?
それを聞かされる黒鋼男子たちも俺に恨み言を言う始末。
「おいソーマぁ〜……あれどうにかしろよ。うるさくてかなわねえよ」
「俺に言うなって。オリザちゃんに言ってよ」
「言えるわけねえだろ。蹴られて喜ぶのは三馬鹿だけだぞ」
○×◇の3人はクラス内でも「三馬鹿」で定着したようだ。
こういうときに騒ぎ出すトッチョは、最近はスヴェンとつるんで裏の森でよく訓練をしている。悪口言い合いながら。仲良すぎじゃね? スヴェンが俺の周りにいないと楽ではあるけど、少しだけ寂しい気もする複雑な気持ちの俺です。
「…………」
そしてマテューが現れていちばん不機嫌になるのはこの人である。
我が同室のひとりにして、絶賛不機嫌で部屋の窓から外を見下ろしている、
「むっすー……」
「……リ、リットさんや」
「むっすー……」
「そんなふうにわざわざ口で言わなくてもわかるよ、不機嫌なのはさ……」
「それなら追っ払ってよ。あれじゃボクが気軽に出歩けないじゃないか」
リットはマテューから逃げてるからな。
でもなぁ。
追っ払うにもなかなかね……。
黒鋼女子寮は1年生だけでなく上の学年の女子たちもマテューが来るのを喜んでる。だって、自分たちの部屋の窓からイケメンが毎日見られるんだもんな。
それにうちの文豪ルチカ大先生も「筆がはかどりますぅ!」って言って「裏☆ロイヤルスクール・タイムズ」の増刊号まで出している。おかげで俺の懐も潤う……のだが、それはともかく、女子たちは概ねマテューが来るのを喜んでいるのだ。
「ま、少し待とうぜ。マテューも飽きたら来なくなるだろ」
「むっすー……」
「それにしてもリットも男ってことだよな。マテューが来て怒ってるのは俺ら男子ばっかりだし!」
俺がそう気軽に言ってベッドに座ると、
「むっすー!」
「うおあ!?」
枕をぶん投げてきて部屋から出て行った。
「おい、リット!? 外にはまだマテューいんぞ!」
「裏口から出るもん!」
とんとんとんと階段を降りていく音が聞こえた。
「不機嫌すぎだろー……」
俺はリットの枕を手に取ってヤツのベッドに戻そうとして、
「ん、なんかやたらいいニオイがする……」
ハッ、としてあわてて放り投げた。
あぶねー。俺に男の娘の趣味はないんだぞ。
キールくんから勉強会のお誘いがあったのはそんな「マテュー問題」が吹き荒れているさなかだった。
白騎寮のテラスにはリエリィもいる。久しぶりだな、この3人の組み合わせも。
「夏休みも終わってしまいましたが、お元気でしたか?」
にこやかに笑うキールくん。
屈託のない笑顔だけれど、どこか——なんだろう、やつれた?
「うん、元気元気。それよりキールくんはどうしたんだ? 体調でも崩したの?」
「いえ。夏はじっくりと鍛錬と勉強をする時間を取れましたので……ソーマくんといえど、秋の試験で1位を取るのは難しいかもしれませんよ?」
ふふ、と小さく笑ったその姿にはどこかすごみがあった。
おいおいおい、キールくんも「夏で化けた」タイプなのか?
そんなキールくんを少し心配そうに見ているのがリエリィだ。リエリィは相変わらずだな。
「リエリィは夏になにしてたんだ?」
「いつもと変わりませんもの。父の手伝いで情報解析、国境の情勢を分析、暗号解読のレポート……」
「…………」
俺はなにか聞き間違いでもしたのだろうか?
13歳の女の子が夏休みにやったことを聞いただけなんだけど……。
「さすがグランブルク家の英才教育ですね……」
さすがとか言ってるけど、キールくんも少し引いてるじゃん!
「剣の訓練はみっちりと受けましたもの。武技の個人成績2位はよかったのですが、いくら『槍のラングブルク家』とは言え黒鋼クラスに1位を取られたこと、もう少しがんばって1位を取れなかったのかということで……あ、わたくしは別に黒鋼クラスをバカにしたわけでは」
「わかってるよ、むしろ正直に言ってくれたほうがありがたいし」
黒鋼クラスの偏見をなくしていこうとしてるんだから、現状がどうなってるか知りたいよな。
「しっかし、そりゃまたスパルタだなあ。あとトッチョの家って有名なんだね」
ラングブルク家はトッチョの家名だ。1位はトッチョだったからな。
「はい。『名家はやはり名家か』ということで、わたくしの結婚相手としてもラングブルク家の名前が候補に入るようになりましたもの」
「えっ、結婚相手!? リエリィの!?」
「はい。泡沫候補ではありますが」
「いやー……すごいな」
リエリィとトッチョが結婚?
ダメだ、想像つかんわ。
むしろトッチョはルチカに執着しすぎて婚期逃しそうなイメージしかない。そしてルチカの結婚相手はかわいそうだな……シスコンの兄が漏れなくついてくるもんな……。
「この学園生活は結婚相手として見定める期間でもありますからね。私もそういう話を父と何度かしました」
「へぇー。キールくんの相手だと高位貴族なの?」
「そう……ですね。あるいは他国の姫君とか」
他国!
そりゃそうだよな、国のトップ貴族「三大公爵家」のひとつだもんな。
「わたくしのお相手としてもキルトフリューグ様の名前はよく挙がりますもの」
「え!? キールくんとリエリィが結婚するの!?」
「あくまでも候補ですもの」
「そ、そうですよ。決まった内容ではないですから、ソーマくん」
「びっくりした……いや、なんか俺がここにいちゃお邪魔なのかなとか考えちゃったよ」
「なにを言うんです。むしろソーマくんに会いたくて呼んだんですから」
笑っているキールくんがかわいい。
いやーこんな笑顔を見たら俺も女だったら確実に恋に落ちてるわ。
「……なんですの?」
と思ってちらりとリエリィを見たら、キールくんなんてまったく見てなくて俺を見ていた。いいや、ほら、横見たら? めっちゃ可愛い男の子いるよ?
「ソーマくん……ふとウワサに聞いたのですが、黄槍クラスのマテュー様が黒鋼寮に頻繁に顔を出しているとか?」
リエリィの手がピクリと動いたような気がした。
「ん? ああ、来てるよ……いやほんと参っちゃうよな。アイツといっしょに他のクラスの女の子たちも来るんだ。黒鋼寮の前にティーテーブルがあるんだけど、そこに居座ってるマテューのところに用事があって行ったりするともう耳が痛いくらいキャーキャー騒いでてさ〜」
「…………」
あれ? なんかリエリィの顔がムスッとしているように見えるぞ?
俺もリエリィとは何度も顔を合わせているうちに、彼女の表情変化が少しだけ読めるようになってきたのだ。
「なるほど……ソーマくん、ちなみにそれはあなたが現れたから騒がしくなったのでは?」
「え?」
俺が? どういうこと?
「あー、なるほどね。そうかもしれないな。俺みたいな黒鋼の野獣が麗しのマテュー様に近づいちゃってキィーッ! て感じだろ? あるある。めっちゃこっち見てくるもん、みんな」
「…………」
「…………」
あれ? なんか違った?
ふたりとも黙ってしまった。
するとキールくんはコホンと咳払いをして、
「……となると、かなり騒がしくなっているようですが上級生の方々はなにもおっしゃらないのですか?」
「最初は言われたよ。フルチ——」
「? フルチ?」
あぶなっ。キールくんの前で「フルチン先輩」とか言いそうになった。
あの先輩の名前なんだっけ……」
「ええと、寮長がいるんだけどさ、その人からは『うるさいから黙らせろ』とかって。でもなんか突然宗旨替えしたみたいで『そのままにしとけ』だって。後で聞いたら寮長の彼女が出入りするのに、女子がいっぱいいるほうが便利なんだとさ」
「……男子寮に、ですか」
「はい、男子寮に女子が出入りするのに都合がいいと」
「…………」
キールくんは眉間にシワを寄せて腕組みして天を仰いでしまった。
わかる。わかるよ。
フルチン先輩は寮の風紀を乱すクソ野郎なんだよな〜。
そんな邪悪な話を天使のキールくんにしてもいいものかとは思ったんだけど、ほら、俺ってウソつけないじゃん? 公爵家の力でフルチン先輩に天罰を与えてくれないかななんて思ってないよ? あとモテない男のひがみでもないよ?
「……ツヴァイ総代はどうなのです?」
「え?」
「総代はなにも言わないのですか」
リエリィに聞かれた。
ツヴァイ総代は——今の黒鋼クラス全体の代表で、俺たちの入学式のときにも壇上にいた。
だけどあの人、寮で全然姿を見ないし、俺がなにかやってても完璧に見て見ぬフリなんだよな。むしろフルチン先輩のほうがじゃれついてくる。
「んん、この件でなにか言われたことはないかな……あ、そう言えば」
ふと思い出した。
「一度、マテューと話してるのを見たな。マテューはさ、黒鋼に限らず黄槍だったり碧盾だったりの上級生を連れてくることがあるんだけど、なんか小難しい話をしてたりするんだよ。先輩たちは黒鋼クラスの前で居心地悪そうにしてるけど」
「小難しい話?」
「んー、たぶん貴族の政治の話なんじゃないかな。それに混じってツヴァイ先輩がいるのも見たことがある」
「…………」
今度はリエリィが難しい顔をして黙り込んだ。
なんだなんだ?
「……実はこの夏休み期間中に貴族間ではいろいろな動きがあったようなのです」
そう言ったのはキールくんだ。
彼はリエリィに視線を向け、ふたりはうなずく。
「あまりこういった話はソーマくんにするべきではないのかなとは思いましたが、学園にいる以上巻き込まれないわけには……いえ、誤解を恐れずに言うなら、私のそばにいると必ず巻き込まれると思われます。であれば話しておいたほうがいいと思うのです」
「ふんふん。それで?」
「っ! ソーマくんは、イヤではないのですか……? 貴族の問題に巻き込まれることが」
「え、めっちゃイヤだけど。でもキールくんのそばから離れるほうがイヤだよ」
せっかくできた友だちだもんな。
貴族の事情っつったって親の事情だろ? そんなことで子どものキールくんが悩むなんてバカバカしいし、俺にできることがあったら手伝ってやりたい。
「……あなたという人は……」
俺から視線を逸らしたキールくんは珍しくもごもごと言い淀む。
すると横からリエリィが、
「そ、それならわたくしはどうなのですか。わたくしも巻き込んでしまうかもしれませんもの」
「おお、そうなんだ。ふたりとも大変なんだな。別に俺は大丈夫だから事情を教えてよ」
「!」
リエリィも目を瞬かせると、ちらりとキールくんに視線を向けた。
「……自分だけではないとでも言いたいのですか?」
「そういうわけではありませんもの。ソーマさんにとってはわたくしも、そ、その、だ、大事な人なのですもの」
「わかりました、今はそういうことにしておきましょう」
おかしいな。なんかふたりの間に視線の火花が散っている気がする。
「……それでは話します」
俺が首をかしげていると、キールくんは背筋を伸ばしてこう言った。
「我が兄たち……クラウンザード第1王子殿下と、ジュエルザード第3王子殿下にまつわる話です。
* キルトフリューグ&リエルスローズ *
話が終わったころには夕陽が傾いていた。
ソーマが帰ったあと、リエリィも帰るべく立ち上がると、
「……ほんとうに話してよかったのでしょうか」
キールがぽつりと言った。
「もちろんですもの。ソーマさんは顔色ひとつ変えませんでした」
「それは……そうですが」
「わたくしが思うに、ソーマさんは、後になって事情を聞くほうがイヤだと思いますもの」
「……はい」
キールはうなずく。そのとおりだと思う。
自分が逆の立場だったら——ソーマが困っている状況で、すべてが終わってから事情を打ち明けられたら「どうしてもっと早くに教えてくれなかったのか」と思うだろう。
「それは無意識にキルトフリューグ様が、ソーマさんを『庇護すべき相手』だと考えているからですもの」
「ッ!? そんな、私は……」
「わたくしはソーマさんにかないませんもの。ですから、少しでも早くあの人の横に立てるようになりたい」
「!!」
キールはハッとした。
夕陽に照らされたリエリィの横顔は厳しくも美しい、決闘に赴く騎士のような表情だったからだ。
「……ですが」
と思ったのも一瞬だ。
「黄槍クラスのマテュー様は危険ですもの! 取り巻きの女子生徒たちの何人がソーマさんを狙っているか……!」
「そ、そうですよね!? やはりソーマくんは自分の魅力に気づいていないんですよ!」
「座学でキルトフリューグ様を抜いて1位。クラス平均も上がっている。グーピー先生との賭けもあり、ソーマさんが黒鋼クラスに影響を与えていることは一目瞭然。女子たちが今のうちにつばをつけておこうと動くのも当然。緋剣クラスでも1日に1度は話題が出る必然……!」
興奮のあまり韻を踏んでしまうリエリィ。
「ソーマくんには……このまま勘違いしていてもらいましょう」
「賛成ですもの」
ふたりはこのとき初めて、共闘仲間が交わすアイコンタクトのような視線を向け合った。
そしてリエリィは去っていった。
「……リエルスローズ嬢、ですか」
彼女が去ったあともしばらくキールはテラスにいた。
考えなければいけないことは多かった。
リエリィに指摘された「ソーマは庇護すべき相手」だと自分が無意識に考えていたこと——そんな考えは捨てたはずなのに。それでも心のどこかにそれが残っていたかもしれない。
それをたやすく見抜いたリエリィ。
「……気の置けない仲間」
ソーマはもちろん、今はリエリィも自分の仲間でいてくれる。
だが本来緋剣クラスの少女は派閥に従順な役割を求められる——なぜなら彼女たちはスパイとして活動することもあるからだ。スパイが、従順でなければ信用できなくなる。
「この心地よい関係がいつまでも続きますように……」
それは少年がつぶやくには重い言葉だった。