フェンブルク家の憂鬱(前)
1学期後の夏休みです。
* オリザ=シールディア=フェンブルク *
すらりとした身長に、むっちりとした太ももを惜しげもなくさらけ出しているミニスカート。そしてニーハイソックス。
これで13歳(この8月で14歳)というオリザ=シールディア=フェンブルクは、黒鋼クラスでも明らかにひとり、発育がよかった。
だけれど、チャーターした馬車から○×◇の3人が下りたあとはひとりきりになり、彼女は開かれた窓から外を眺めて物憂げな表情をしていた。
7月も末となり、本格的な夏が始まっている。
見渡す限りの草原と、山に森、この辺りは王国でも有数の緑豊かな土地である。
言い替えれば「クソ田舎」だった。
彼女の家、フェンブルク男爵家の領地はここからさらに進んだ僻地にある。
「はぁ〜〜〜……」
もらっていた手紙には、すでに悲壮な内容が書かれていた。
今年は長雨で領地の作物が不作であること。
オリザへの小遣いは減額せざるを得ないこと。
帰郷する場合は数人で馬車を借りて節約すること。
13人目の妊娠がわかったこと。
「……あンのクソ親父ィ! 金がねーなら母ちゃん孕ませてンじゃねーよ!」
オリザが叫ぶと、御者がぎょっとして振り返り、馬車を牽く馬もピンと耳を立てた。
フェンブルク家は大家族だった。
それは貴族にありがちな第2第3夫人がいたりとか、私生児がいたりとかいうこともなく、単に男爵である父が母を好きすぎて子だくさんなのである。
だが問題は、金だ。
オリザは上から3番目の長女なので「王立学園騎士養成校」に通うことができたが、他の子たちは難しいだろう。
そもそも、勉強ができない。
執事が家庭教師をしてくれていたが、領内の仕事が忙しい収税シーズンは家庭教師なんてやっている余裕もないので、その間は自主勉強。
結局は自分でがんばるしかないが、上のふたりの兄たちはフェンブルク男爵領も所属している州の公立軍学校で3年間学び、騎士となった。
軍学校はロイヤルスクールとは違って教養科目なんてものはない。
1に筋肉2に筋肉、34がなくて5に「イエスサー」だ。
長男が軍学校に通い出して1年、2年と、身体が一回りずつ大きくなり、なにか質問をしても「ああ、そうだな!」「軍は、いいところだぞ!」「腹が、減った!」しか言わなくなってきたので怖くなったオリザは死に物狂いで勉強してロイヤルスクールを目指したのである。
それはともかく。
「家に金がないのは……かわいそうだな」
男は軍学校に行けば「一人前」と見られる風潮があるが、女は大変だ。
「一般家庭ならいいんだよ……学校なんざ行く必要もねーし、手に職をつけりゃいい。だけど貴族はな……」
ロイヤルスクールに通い始めてからオリザは知った。
貴族社会はクソ面倒で、クソ厄介で……魑魅魍魎が棲んでいるのだと。
実家のサポートもない、コネもない黒鋼クラスがなにを武器にするかと言えば。
教養と知識しかない。
「……バカソーマめ」
勉強勉強と常に言っているガリ勉くんだと最初は思っていた。
だがオリザのキックを防いだだけでなく、彼は、勉強がいかに大切なのかと言うことを教えようとしていたのだと気がついた。
実際に黒鋼クラスが期末試験で高得点を取ると、他のクラスからの視線が変わったのだ。
それまでの「哀れみ」から、今は「不気味」という視線になり、向こうから距離を取るようになった。
やがてそれは「競争心・ライバル心」に変わるのかも知れない——いや、変えてしまうのだろう、アイツは。
「ほんっとうに、アイツは、勉強ができるくせにバカなんだよな」
そう悪態を吐くオリザの口元は、しかしほころんでいた——。
自分がロイヤルスクールに通い出してから4か月。
たった4か月なので、なにも変わってはいない。
変わっていないはずだ——このボロ屋敷は。
「……前よりひどくなってねーか?」
屋根は破れ、窓枠は外れ、庭の草木はボーボーで、働いている使用人の姿は見えない。
そう言えば領内に入って馬車を走らせていても、領民を見かけなかったし、確かに不作らしい荒れた畑があるきりだった。
チャーターした馬車が去って行き、オリザは荷物を両手に持って屋敷の入口へと向かう。ノッカーを叩いたが誰も出てこない。
「っかしーな。ふだんなら、庭師のダンか料理人のマスが来るはずなのに……」
仕方ないのでドアを開いて中に入ると、ホコリっぽい空気が漂っていた。
「おいおいおいおい……」
なんだこれはと言いたくなる。
絨毯は汚れがひどく、めくれた場所もそのまま。
壁についた泥も誰も取っていない。
二足三文で買った絵も、ずれたまま放置。
そこへ、
「うええええええん!」
「バーカ、アーホ! 悔しかったら逃げてみろ〜!」
「うええええええん!」
通路の奥から声が聞こえてきて、泣きながら走って逃げる三つ編みの少女を、短髪に刈り込んだ少年が枝でぴしぴし叩きながら追いかけてきた。
「…………」
「バーカバーカ!」
「…………」
「バー……あ」
ぴたりと少年が立ち止まると、泣きじゃくっていた少女もそれに気づき、
「オリザ姉ちゃあああああん!」
大声で泣き出してその場にへたり込んだ。
それは8歳の妹のキティーで、追いかけていたのは年子で8歳の弟、テディーだった。
「テディー……」
両手の荷物をぼとりと落としたオリザがゆっくりと歩いていく。
外からの逆光で、オリザは黒い影にしか見えない。
そのショートヘアは邪悪な生き物のようにざわつき、瞳だけがらんらんと光を発している。
「アタシは、家を出る前に言ったよな……? キティーを泣かすんじゃねーってよ……?」
「オ、オリザ姉ちゃ、こ、これは違……」
「違わねーよこのタコがッ!」
きびすを返して逃げようとしたテディーは、遅すぎた。
ロイヤルスクールの武技の授業で鍛えたオリザの俊足は、即座にテディーに追いついてその首根っこをつかみ上げる。
「う、わあああああん! 止めて止めて止めて止めて止めてよおおおお!?」
そしてズボンを下ろすとつるりとした白い尻が現れ、オリザの情け容赦ない平手打ちが襲いかかる。
「男が女をいじめるんじゃねー! カッコわりーんだよ!」
「ごめんなさい〜〜〜!!」
スパーンスパーンと乾いた音が響くと、家の奥から「なんだなんだ」とばかりに何人かの弟妹と使用人たちが現れた。
最後に奥からやってきたのは、
「オ、オリザ……」
「あー、ただいま」
体つきはいいが、おどおどしており、頭がすっかり禿げ上がっている父だった。
「そんじゃ、家がどうなってるのか教えてもらおうか?」
ぽいっ、とテディーを放り出してからオリザは父のところへと向かった。
お湯かな? いや、うっすらお茶の香りはするが……いや、やっぱりお茶かな? というくらいに薄い茶を美味そうにすすっている父の執務室は、これまた猖獗を極めていた。
書類が多いのではない。むしろ紙は高級品なのでさほど多くない。
ただガラクタが多い。
美術に詳しくないオリザが見てもしょぼすぎる壺に絵画、なにに使うのかわからない金属の道具、それに錆びついた甲冑。
それらが未整理に置かれてあったのだ。
「……つまり、だ。親父は『目利き』を名乗る商人からガラクタをつかまされたってわけだ」
「ガラクタじゃない。骨董品だ。これは時期を待って売れば高値になる」
「領内が貧乏だというのに、これを?」
「金を増やす手段がこれしかなかった」
頭が痛くなってオリザは額に手を当てた。
自分がいない4か月になにがあったのかと聞きたい——聞く必要はなかった。父がバカをやったのだ。
「執事のサントスは?」
「……引退した。お前をロイヤルスクールに入れたことを最後の思い出にしたいと」
「それでか」
確かにサントスは老齢だった。
ロイヤルスクールに通うようになってわかる、金の管理の大切さ。
サントスが父の暴走を防いでいてくれたのだろうか。
あとサントスがいなくなったせいでみんなサボッているのだろう。家が汚れていても気にしない男爵なのだから、掃除をするだけバカだと。
「んで、次の執事は?」
「おお、そうそう。州の長官閣下に連絡して寄越してもらったのだが、そやつがまた有能でな」
「どこにいるんだよ」
「そりゃ、州都だ」
「……は? 税収処理は?」
「そのときに来ると」
「そんじゃ有能かどうかわからねーじゃねーか」
「わかるよ。目利きの商人を紹介してくれた」
そいつが犯人かとオリザは納得した。
よし、追放。
あとはサントスにもう一年がんばってもらって、次の世代の執事を育てるしかない。
「……一応聞くけど、他に問題は起きてないよな?」
「他に? 一体今の話のどこに問題が……」
「ウチの貧乏が問題なんだよ」
なるほど、みたいに手を打った父を一発ぶん殴ってやりたくなるオリザである。
「実は、不作と関係しているんだが」
父は眉をひそめて言った。
「大地が怒っておる」
本日、2月15日、コミカライズ2巻が発売されました〜〜!!
白石先生がすばらしい漫画に仕上げてくださっています。
学園騎士に関しては、不定期ながらまた更新して行きたいと思いますので、長い目で見守っていただければ幸いです。