見つけた、やりたいこと
翡翠のように深い、緑色のドレスを着た少女の出現に、俺は一瞬あっけにとられた。
その大人びた表情からして「上級生?」と思ったものの、声に残るあどけなさから同い年なんだろうということがなんとなくわかる。
「……ダメ、でしょうか?」
頬をほんのりと染めた彼女に、わずかな残照が注いでいる。
あ——と俺は思わず声を上げそうになった。
「君、碧盾クラスの……ごめん、見違えたよ。そのドレス、よく似合ってる」
オリザちゃんに言ったのと同じセリフを口にすると、うれしそうに彼女ははにかんだ。
そう、彼女は碧盾クラスの女子寮長だ。
5月の統一テストのときに、俺が碧盾クラスに乗り込んだことがあったよな。あのとき、ヒステリックな先生にキーキー絞られていたのが彼女だ。
彼女とは、実は定期的に会っている。ルチカ大先生の傑作物語の販売のために、である。碧盾側の窓口が彼女だからな。
俺はフード付きのローブをしっかりと着込んでいるので俺が何者かなのかは彼女も気づいていない。ふふふ、俺の変装は完璧なのだよ。
「俺なんかでいいの?」
カーテシーは膝を曲げている状態だからつらそうなので、手を貸して立ち上がらせる。
ふだんとは違ってメガネもしていない、三つ編みもほどいて編み直している——それだけでこんなにも印象が違うものなんだなと驚く。
「あのとき、碧盾クラスを救っていただいたお礼をまだ果たしていませんわ」
「そんな……気にしなくていいのに。あれは俺が勝手にやったことなんだから」
「でしたらこうしてわたくしがダンスを申し込んでいるのも、勝手にやっていることですから」
にこりとする彼女に一瞬ドキリとするが、俺は知っている。ルチカ大先生の傑作を受け取るときの彼女の目が血走っていることを。
「……大丈夫? 黒鋼クラスに来たりして」
俺はこそっと彼女にたずねる。
「お優しいのですね。ですが、ダンスをする前にそのような質問は無粋ですのよ」
「おっと、確かに」
彼女の家は伯爵家なんだっけ。
きちんとした家柄で、なおかつこういう場での会話もばっちり板についている。
ええ子や……。あのときのことまだ覚えててくれたんだなあ。
それなら一曲お願いしようかな——と思ったとき、
「あら? ソーマとはアタシが踊る約束をしていたんだよな?」
左から腕をぐぐいと組まれた。
「え? そうだっけ、オリザちゃ——いてぇ!?」
そんな約束なんてしていなかったはずだけど思いっきり足を踏まれた。
痛いよ! ていうかオリザちゃんは男子から人気なんだから(主に○×◇)アイツらと踊ればいいじゃん!
俺としてはそろそろ頃合いなので、フルチン先輩に寄生しつつ上級生に狙いを定めていきたいところなんだが……。
「そうなのですか? ソーンマルクス様は『違う』と仰ろうとしていたように見えましたが」
「アンタにはわからないだろうけど、ソーマのことはアタシがちゃーんとよくわかってるんだ」
「なるほど……?」
すっ、と目を細めた碧盾の彼女は、
「ソーンマルクス様、わたくしもあなた様のことをソーマ様とお呼びしても?」
「え? もちろんいいけど……ていうか『様』づけとかむずむずするから呼び捨てでいいよ」
「そ、そんな、殿方を呼び捨てなんてはしたないですわ」
頬に手を当てて恥ずかしがる彼女。……なんだろう、この初々しい態度は。たくましい黒鋼女子たちも見習って欲しいものである。
「……おいソーマ。クローディアのこれは演技だからな」
俺氏、今さら商売相手の彼女の名前を知る。クローディアちゃん。覚えた。
「え、えぇ〜? 演技じゃないよ。きっと彼女は純情なんだ——いでぇっ!?」
「目を覚ませボケ」
また足を踏まれたよ!? オリザちゃん、そういうとこ! そういうとこ直してよほんと!
オリザちゃんとクローディアちゃんの視線がバチバチぶつかっている。モテる男はつらいね……なんて思わないよ。なんかもう成人を経験済みの俺からするとふたりの争いとかほんと微笑ましいくらいだ。
「まあまあ、おふたりとも。せっかくのドレスアップが台無しでしょう? どうせならそちらのテーブルで心ゆくまでおふたりで話し合ったらよろしいのでは? さ、ソーマくん、僕らは行こうか——」
「少々お待ちを、フランシス様」
「ちょっと待てやフランシス」
横から割り込んできたフランシスが流れるような手つきで俺を誘導しようとすると、その右肩をクローディアちゃんに、左肩をオリザちゃんにつかまれていた。
「いやですねぇ……女子の問題は女子で解決なさってはいかがでしょうか、と僕は申し上げているのですが」
「フランシス様もパートナーの方とダンスされてはいかがでしょうか? オリザ様との組み合わせもとても素敵だと思いましてよ」
「あ? なにさらっと厄介払いしようとしてんだよ。かぶったネコ、さっさと脱げや」
「やれやれ」
「まあ怖い」
「あ?」
今度は三つ巴で火花が散り始めたぞ……。一体なにが起きてるんだ?
「ソーマくん」
「ソーマさん」
とそこへやってきたキールくんとリエリィのふたり。
バチバチやっていた3人がぎょっとしてそちらを見る。
「ソーマくん、あちらに美味しそうなローストビーフがありましたよ。確保してあるのでいっしょに食べませんか?」
「なにぃぃ!? ナイス、キールくん!」
「ソーマさん、王都では珍しい果実を使ったジュースもありましたもの。飲んでみますか?」
「いいね! 飲む飲む!」
ふたりの提案に、一発で食いついてしまった俺の背後、
「しまったっ、強力な伏兵が……!」
「キ、キ、キルトフリューグ様にリエルスローズ様……!?」
「食い物で釣る方法があったのかよ!」
バチバチやっていた3人がそれぞれに叫ぶ——そのとき俺はふと、
「ねえ、キールくん、リエリィ。そんな美味しいものがあるならみんないっしょに行っても……いい?」
いやさ、色気より食い気の男子たちがぎらぎらした目でこっち見てるんだもん。
あいつらまだ食い足りないのかよ……俺もだけどな!
「ソーマくんなら、そう言うと思いました」
キールくんは苦笑しながらも、こう言った。
「是非皆様、ごいっしょしましょう」
男子たちから歓声が上がったのは言うまでもないだろう。
それから——キールくんの権力によるのだろうか。テラスの一角にテーブルやイスが出され、俺たちはそこで食事を楽しんだのだった。太陽が沈んで涼しい風が吹いてくる。会場内からは弦楽の音、生徒たちの笑い声が聞こえてくる。
「や、楽しんでる?」
遅れてやってきたのはリットだ。ばっちりタキシードを着ているけど、リットが着るとまだまだ背伸びしている男の子って感じで可愛らしい。
「おいおい遅いぞリット」
「あはは。ちょっといろいろあってさ——僕が食べるぶん、もちろん残ってるよね?」
そう言いながら、先ほど「用事があるのでこれで失礼します」と去っていったキールくんが座っていた席へとつくリット。
その横顔は——なにか憑きものが落ちたかのようだった。
「あーあ、みんな食べ方が雑だなぁ。大皿にまだまだお肉残ってるじゃないか。食べちゃおっと」
「……なあ、リット」
「ん〜?」
俺は、リットに起きていた事情を知らない。きっと苦しむようなことがあり、リットはひとりで戦っていたように思う。
そしてきっと、それは解決したのだろう。
「……お前、目元になんかキラキラしたラメっぽいのがついてんぞ」
「え、ええ!?」
手の甲でごしごしとこするリット。「取れた?」とか聞いてくる。こいつ……もしや逢い引きしていたのでは!? そんなところに化粧の一部みたいなラメがついてるなんておかしいだろ!
だけども、まぁ、そこにつっこむのは野暮だな。
リットのことだからいつか俺にも話してくれるんだろう。それを信じていられるくらいの付き合いはあると思ってる。
そのときは「末永く爆発しろ」とお約束を言ってやるのだ。
「なあ、ソーマ、聞いてるんだけど? 取れた? 取れた? ねえ! ソーマってば〜! こんな時間まで来なかったこと怒ってるのかよー?」
「おう、怒ってるぞ」
「……えっ!?」
「せっかくの夜なのに、俺たちがいっしょに楽しまないなんて……もったいないじゃないか」
リットは目をぱちぱちとした——それから少しして、
「ほんと、楽しまなきゃウソだよね」
ニッと笑うと肉を食べ始めた。
そんなリットを、オリザちゃんとリエリィが、優しい目で見ていたのがちょっとだけ気になった。
俺は空を見上げた。
この世界の星空はとてもきれいだ。
雲ひとつない満天の星空は、貴族の上にも平民の上にも存在している。このテーブルで飲み食いしている俺たちが、貴族平民ごちゃ混ぜのように、平等に。
「なあ、リット……貴族って怖えーな」
「どしたの、急に?」
フランシスが、いつの間にか黒鋼男子たちと話で盛り上がっている。屈託のない笑顔だ。
あいつ、あんなふうに笑えるんだよ。
「怖いけど……でも、話せばわかるヤツもいる。フランシスみたいにさ」
「……うん」
リットもまた思うところがあるのか、神妙な顔でうなずいた。
この国の貴族制度というか、意識の違いというか、そういうものにだいぶ辟易していたのは事実だ。
これを正すとか無理じゃね? とか思ったのも事実だ。
だけど——仲間は作れるんだよな。最初にキールくんとつながりができて、リエリィとも衝突しながら(されながら)仲良くなって、クラス内もまとまった。フルチン先輩だって気安く話しかけてくる。
今じゃフランシスも、クローディアちゃんも、ふつうに話せる間柄だ。
「こんなことができるのは……俺たちがまだ子どもだからだ」
20歳過ぎて出会っていたら、きっと相手の意識を変えるのはとても難しかったと思う。30歳を過ぎたらさらにもっと難しいだろう。
俺が——この世界で、幼い時分に前世の記憶を思い出したのにはなにか意味があるんじゃないかと思ってた。他に誰も持っていない天稟「試行錯誤」なんてものを手に入れたりしたことにも、なにか意味があるんじゃないかと。
「リット……俺さ、フランシスみたいな仲間を増やしたい。俺たちの世代がまとまれば、きっと次の世代はもっと楽しくなれるって思うんだ」
もしもなにか意味があるのなら……俺にできることは、この世代を引っかき回して、貴族平民の出自に関係なくまとまっていくことなんじゃないか?
派閥を作るんじゃなく、まだいくらでも意識を変えることができるこの学園時代を通じて、人と人とをつなげていくこと……それなら、できるかもしれない。
「次の世代がもっと楽しくなれば、その次の世代はさらに楽しくなる……そうじゃないか?」
「……それが君のやりたいこと?」
俺のやりたいこと、か。
「そうだな、そういうことだと思う」
変、だろうか。変だよな。急にそんなこと言い出して。
だけどリットは、
「いいと思うよ」
さらりと言った。
「ほ、ほんとうか?」
「うん。ボクも応援するよ」
「リット、お前やっぱいいヤツ——」
「格安でね」
「…………」
バチコーンとウインクをしたリットを見て、呆れ、それから俺は笑い出した。
そうだ。こいつはそういうヤツだった。
でもな、そういうところも全部含めて、
「俺、お前のこと大好きだわ」
最高の友だちだよ。
「————」
だというのにリットはみるみる顔を真っ赤にすると、
「バッ、バババババカじゃないの!? なに言ってんだよもう!」
ガタッと立ち上がるとこちらに背を向けてどこかに行ってしまった。
え、えぇ〜? なんだよそれ?
「ソーマさん、今のはちょっと……」
「え、リエリィ、男同士で好きとか言ったらまずい?」
「……そういうことではないのですが、とはいえ、今のところはそれでいいと思いますもの」
「???」
リエリィって、小難しいことをふんわりわかりにくく言ったりするんだよな。
「それよりソーマさん……お、踊りませんか?」
「ん、そうだね。腹ごなしに——って」
俺の付け焼き刃ステップを見せるときが来たか……と思って立ち上がったところで、わぁっという歓声とともに鐘が鳴った。
どうやら……閉会らしい。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
俺、リエリィ、オリザちゃん、クローディアちゃんとで視線を交わした。
結局……一度も踊らずに、俺の初舞踏会は終わったのだった。