337.魔導具師と魔物討伐部隊員
小雨の降る中、ダリヤはヴォルフと共に神殿へやってきた。
馬車から降りると、彼は大きな木箱二つを軽々と持ってくれる。
ヴォルフにお願いしたのは、差し入れの野菜スープとレバーとチーズのペースト、そして彼が屋敷から持ってきた焼き立てパンだ。
野菜スープの入った鍋は大きな木箱に入れ、氷の魔石を入れている。食べる分だけを小鍋に移し、魔導コンロで温めてもらう予定だ。
神殿内には簡易の調理場があり、魔導コンロが設置されているのだという。病人や付き添いの食事の際に利用できるそうだ。
ちょっと量が多すぎた気もするが、氷の魔石もあるので問題ないだろう。
ダリヤは自分の肩掛けバッグとミルクプリンを入れた蓋付きバスケットだけを持った。
「ダリヤ、ごめん、ちょっと待って。眼鏡に、滴が付いてしまって……」
片手に木箱を持つと、ヴォルフが妖精結晶の眼鏡を外す。
馬車の屋根から雨が溜まって落ちたのか、それとも風の悪戯か、右のレンズに大きめの水玉がいくつか付いていた。これでは前が見えづらいだろう。
「私は手が使えますから、拭きましょうか?」
「すまない、お願いする」
ダリヤはバスケットを肘にかけ、眼鏡の滴をハンカチで拭う。
そして、ヴォルフにそれを返したとき、呼びかけの声が響いた。
「騎士様! 先日はありがとうございました!」
馬場の端から走ってきたのは、まだ若い茶髪の青年だ。ダリヤは初めて見る顔である。
「ええと……」
ヴォルフは眼鏡をかけぬまま、その青年に視線を向けた。
「急にお声をかけてすみません! 昨年末、赤熊二匹に襲われていた村の者です。どうしてもお礼を申し上げたくて――」
「お言葉をありがとうございます。でも、当然のことをしたまでですから」
年末、ダリヤがジルドの屋敷でお披露目をしてもらったとき、ヴォルフを含む魔物討伐部隊はワイバーン、そして村に出た赤熊を連続で討伐していた。そのときの村人らしい。
「失礼ですが、村の方で何かありましたか? また、魔物や獣の被害が?」
「いえ! 村は平和なものです。今日は神殿に非常用の結界石を買いに来ました。避難場所の扉を鉄にしたので、そこに付けようということになりまして」
「なるほど、そうすれば赤熊もそうそう開けられませんね」
「はい。あれから魔物も動物も来ていませんが、もしもに備えることにしました」
王都の外は魔物の被害があるところが多いのを、ダリヤは改めて認識した。
王都は高い塀で囲われている。おかげで魔物の被害はほぼない。
王城にワイバーンがいるせいか、王都の上空を魔物が飛ぶこともまずないのだ。
時折入って来るのは、港近くの海の魔物や、飛行系の小さな魔物――蝙蝠型や小鳥型だけである。
もっとも、攻撃魔法・身体強化を使用しての事故や乱闘、巻き込まれての怪我などがあるので、王都は魔物より人間が怖いと言われているが。
「本当にありがとうございました。あんな大きい赤熊二匹を倒してもらって……魔物討伐部隊の皆様が来てくれなかったら、うちの村はもうなかったと思います。皆が生きてて、怪我もすぐ治してもらって――うちの祖父さんがぎっくり腰になったのまで治してもらって、申し訳ないぐらいで」
「いえ、皆様がご無事でよかったです」
「騎士様、膝の方はもう治られましたか?」
「はい、すぐ治療致しましたので」
ヴォルフは戦いで膝を痛めていたらしい。
長期の遠征ではポーションの数や魔力の残りを気にして治癒を先延ばしにすることもあると聞く。ポーションか治癒魔法かはわからないが、すぐ治せて本当によかった。
「本当にありがとうございました! あ、馬を待たせておりますので。奥様もご一緒のところ、お引き止めしてすみませんでした!」
「え? あ、違い――」
「あの、私は違い――」
一礼した村人が走り去って行く中、ヴォルフとダリヤの声がきっちり重なる。
今、ヴォルフは妖精結晶の眼鏡をかけていない。それでなくても釣り合いなど取れるわけもないのに自分を『奥様』など、どんな見間違えなのか。
「すまない、ダリヤ! 君に失礼な勘違いを……」
ぐるぐると思考を困惑に浸していると、ヴォルフに謝られかけた。
「いえ! 気にしないでください!」
つい力一杯言ってしまったが、自分と夫婦など、ヴォルフに対しての方が失礼だろう。
ダリヤはミルクプリンの入ったバスケットを持ち直し、前を向いた。頬が赤く染まらぬよう、とりあえず深呼吸する。
「さて、行きましょう! 早く赤ちゃん達に会いたいです」
「うん、そうだね」
ヴォルフも木箱二つを抱え直す。
そうして、二人そろって神殿の入院棟へ入って行った。
・・・・・・・
「やあ、ダリヤちゃん、ヴォルフ。なんかすごい大荷物なんだが……」
「おめでとう! マルチェラさん、たっぷり差し入れを持ってきたわ」
廊下の途中、迎えにやってきたマルチェラに出会った。頭には目立つ寝癖があり、少々目が赤い。
「おめでとう、マルチェラ! その、疲れてるみたいだけど、大丈夫かい?」
「ちょっと泣くのが交互になっただけだ。ベルノルトもディーノもすごい元気がいいんでな。あ、心配はいらないぞ。家族で交替してるし、イルマは耳栓してでも休ませてるから」
赤ちゃんの名前は『ベルノルト』と『ディーノ』。なかなかかっこいい名前である。
しかし、やはり双子の育児は大変らしい。
「今、会っても平気? イルマが休んでいるなら、時間をずらすわ」
「いや、さっき起きて、ダリヤちゃん達を待ってるところだ」
そうして、マルチェラの案内で廊下を進む。
イルマのいる部屋は、神殿の少し奥まった場所にあった。
双子なので広い部屋で、手伝いの者も入りやすく、家族が泊まれるスペースもあるそうだ。
「じゃあ、俺はここで待つよ」
ドアの前まで来ると、ヴォルフが足を止めた。
「ああ、ヴォルフも入ってくれ」
「いや、産後の女性には二十日は会わないようにって言うじゃないか。気を使わせたくない」
「それは大丈夫だ。イルマが、ダリヤちゃんとヴォルフの二人に会いたいと言っているから」
マルチェラの言葉に、結局、三人そろって部屋に入った。
白い壁に囲まれた部屋は、ミルクなのか、少し甘い匂いがしていた。
ヘッドボードに寄りかかったイルマが、にっこりと笑う。
「ダリヤ、ヴォルフさん、来てくれてありがとう」
「おめでとう、イルマ!」
「おめでとう、イルマさん」
「ありがとう、本当にうれしいわ」
イルマは髪を三つ編みにし、紺色のガウンにクリーム色の上着を羽織っていた。
その手首の腕輪は吸魔の腕輪ではなく、マルチェラとの結婚腕輪に戻っている。それになんだかとても安心した。
マルチェラに差し入れをまとめて渡し、イルマの近くに歩み寄る。すると、彼女は毛布を外してベッドから降りようとする。
「ちょっと、イルマ、起きないで、そのままでいいわ」
「大丈夫よ。ずっとこうしているのも腰にくるし」
ベッドから出たイルマは、ベビーベッドの横に立った。
「さっきまで嵐のように泣いていたのに、魔石が切れたみたいに寝てるのよ」
「二人とも、かわいいうちの子達をぜひ近くで見てくれ」
夫婦の似た笑顔に、ダリヤ達はベビーベッドにそっと近づいた。
赤ちゃんというのはここまで小さいのかと、ちょっと驚く。
どこもかしこも丸みを帯びてやわらかそうで、とてもかわいい。
顔立ちはまだわからないが、少しある髪は紅茶色。イルマと同じ色である。
枕元には、それぞれの名前を書いた紙があった。
ベルノルトの名が書かれた文字は、少し癖があるが味わい深い感じがする。赤ん坊が握ったのかもしれない、紙の端がぐにゃりと曲がっていた。
その隣、ディーノと書かれたものはとても流麗な筆跡だ。重要書類を書く筆記師のものと言われてもおかしくない。こちらは赤ん坊が泣いたときのものか、少しだけにじみがあった。
「『ベルノルト』君と『ディーノ』君、かっこよくていい名前ね」
「ベルニージ様と奥様が書いてくださったんだ。貴族では『名書き』というのがあるそうで、ご高齢の方に書いてもらうと、健康長寿のお守りになるとか」
「じゃあ、二人ともベルニージ様ぐらい長生きして元気になるね。そして強く……あれぐらい強くなれたらすごいよね、うん……」
ヴォルフが少しばかり遠い目になっている。
ベルニージはあの高齢でありながら、魔物討伐部隊に新人騎士として入隊した。
その上、ヴォルフとも互角に、いや時々は指導を受けるほど打ち合いができているそうだ。
その元気さをぜひ、この二人の赤子にも与えてほしいところである。
ただし、家族のためにも夜泣き少なく、しっかり眠ってほしいが。
「抱っこしてみる?」
「かわいそうよ。気持ちよく寝ているみたいだから、抱っこは今度させて」
皆、自然と声が小さくなっている。
抱っこは今度起きているときにさせてもらえばいい。今日はこのかわいらしい寝顔を見るだけで充分だ。
「その――改めて礼を言わせてくれ」
少し硬い声に目を向ければ、マルチェラとイルマが横並びにそろっていた。
「二人がいなかったら、きっとこうして家族四人そろえなかった……本当にありがとう。ダリヤちゃん、ヴォルフ」
「ダリヤ、ヴォルフさん。私達家族を助けてくれてありがとう」
二人そろって深く頭を下げられ、ダリヤは慌てる。
「二人とも、お礼なんて、もう……」
「俺はただ兄に伝えただけで、何もしてないよ。頑張ったのはダリヤで、教えてくれたのはオズヴァルドで……」
自分に続き、同じようにヴォルフが言い迷う。
「違うさ、二人がいなかったら、ベルノルトとディーノはここにいない」
「あたしもここにいなかったかもしれないわ」
気を使わないで、たいしたことではないと言いそうになり、そうではないと思い直す。
ヴォルフにオズヴァルド、トビアス、グイード、スカルファロット家の力がなければ、確かに、ここでイルマ達のそろう未来はなかっただろう。
だから、ダリヤが言えるのはこれだけだ。
「じゃあ、これから目一杯幸せになって。イルマ、マルチェラさん」
せっかく四人そろったのだ、家族で幸せになってほしい。その想いを込めて言うと、マルチェラが頭をかく。
「俺はすでに目一杯幸せなんだが」
「そこはさらに輪をかければいいよ。ここから子育てという幸せがあるわけだし」
「ヴォルフ、それはもう一日通して味わってるよ」
「家族仲良くっていうのもあるわね」
「それなら完璧よ、ダリヤ。うちの子達、一人が泣くと寝たばかりの一人も泣くという兄弟連携が完璧だもの」
吹き出しと笑い――慌てて皆、声の大きさを落とす。
それぞれに笑顔になった後、ダリヤとヴォルフは部屋を後にした。
・・・・・・・
「イルマさんもマルチェラも大変だけど、すごく幸せそうだった……」
馬場にやってくると、ヴォルフがしみじみとした声で言った。
その金色の目が、じっと自分を見る。
「ダリヤは本当にすごいね」
「何を言うんですか、ヴォルフと一緒じゃなかったらできなかったんです。それにすごいと言うならヴォルフもです」
「いや、俺は兄に頼んだぐらいで――」
「それもできなかったらうまくいかなかったんです。それに、神殿に入る前に会った村の方も、幸せそうな笑顔でしたよね」
「え?」
ヴォルフがその目を丸くした。本人は気づいていなかったらしい。
「村の皆さんがご無事だったんですよね。ヴォルフ達は全員を守りきったんです。それって、すごいことじゃないですか」
ヴォルフは魔物討伐部隊として、村人全員を守ったのだ。
それは本当にすごいことで、もっと誇っていいはずだ。
「……ああ、そうだね」
彼はしばし自分の右手を見た後、やわらかな笑みとなった。
「俺達の腕は、少しは長かったみたいだね」
「ええ、きっと」
『大丈夫、きっとうまくいく。俺達の腕は、少しは長いはずだ』
あの日、朝焼けの始まる空の下、ヴォルフはそう言った。
不安と迷いで押しつぶされそうだったけれど、自分達はイルマ達の幸せを守れた。
それが、たまらなく誇らしい。
ヴォルフもきっと、魔物討伐部隊として守れた人々を思ったのだろう。
その目の光が、一段濃くなった。
「私、魔導具師でよかったと思います」
「俺も、魔物討伐部隊員でよかったと思う」
互いに笑顔で言いきれた。それが、とてもうれしくて――
ヴォルフも同じ気持ちだと、なぜかわかった。
続ける言葉がうまく出ず、そろって空を見上げる。
勿忘草色の空には、薄淡く虹がかかっていた。