328.赤ワインの理由と白ワインの理由
夕食の片付けを終えると、ヴォルフが持って来た白ワインの甘口を飲むことにした。
再び乾杯した後、ダリヤは昨日の話を始める。
「昨日、神殿に差し入れを持って行ったんですが、イルマもマルチェラさんも元気そうでした。イルマはあまり動けないので暇で仕方がないと言ってましたが。マルチェラさんはレンガを作ったり、料理の本を読んだりしているそうです」
イルマのお腹にいるのは双子である。
出産の際、何事もないようにと神殿にいるが、いつ生まれるかはわからない。
生まれてからは二人ともとても忙しくなりそうだが。
「二人とも待ち遠しいだろうな」
「ルチアも待ち遠しがってましたね。ベビー服のデザインがまた増えたらしくて――今、赤ちゃんや小さい子向けに、クッションリスや子熊の上下つなぎを作ってるんだそうです。お腹が冷えなくていいと」
「確かに、あれは小さい子が着たらかわいいだろうな。俺達が着ると、真面目にやっているのにこう、笑ってしまうことがあって……暖かいし、便利なんだけど」
ルチアの遠征夜着の試作は、視覚的インパクトが大変強かった。
彼女の斬新な発想のおかげで、より安全に魔物討伐ができるかもしれないのだ。
本当に笑ってはいけないのだが――思い出すと、つい口角がゆるんでしまう。
「クッションリスの遠征夜着の方は、あれからカルミネ様がいろいろ改良してるらしい」
「より遠くに飛ぶようにとかでしょうか?」
「ああ、距離は少し伸ばせたって聞いてる。もうクッションリスっていう見た目じゃないし、布はかなり丈夫にしたって聞いた。ただ、着地がうまくいかないらしくて。なんとか安全にできないか話し合ってるって」
「着地……そうですよね、人間はクッションリスよりずっと重いですし」
前世、空を飛ぶグライダーはあったが、その着地に関する知識はダリヤにはない。
こんなことなら、もっといろいろなことを学んでおけばよかったと少し思う。
王城や遠征の話を聞いた後、一息入れるように白ワインを飲む。
渋みも辛みも少ないそれをソルトバタークッキーと交互に味わっていると、じっとこちらを見る視線に気づいた。
「どうかしましたか、ヴォルフ?」
「いや――その、赤ワインは白より辛めなのが多いけど、ダリヤは甘口が好きだっていうよね。もしかして、白の甘口は苦手?」
どうやら、持って来た白ワインが苦手ではないかと心配されたらしい。
ダリヤは慌てて否定する。
「いえ、白の甘口もおいしいですよ。その、赤ワインの甘口が好きというのはですね……飲んでむせないのはそれだけだったんです」
「むせるって、ダリヤが、ワインで?」
黄金の目を丸くして問いかけられた。
そんなに不思議がらないでほしい。
自分は最初から今のように酒が飲めたわけではないのだ。
「ええ。成人したとき、父と笑顔で乾杯したかったんですが、父の好きな銘柄は辛いのと渋いのが多くて……むせそうになって、こらえてました。でも、父にはばれてて。それから飲みやすい赤の甘口を探してきてくれて、それはむせなくて……二人でやっと笑顔で乾杯できたんです」
二人で食卓を囲んでも、父カルロはワイン、子供の自分はブドウジュース。そんな日々が長く続いた。
父はいつも、とてもおいしそうにワインを飲んでいた。
だからダリヤも楽しみにしていたのだ。
だが、ようやく成人した日、乾杯して飲んだ赤ワインは、期待に反してまずかった。
単純に自分がまだ子供舌だったのだが、むせるのをこらえるのに必死で、笑顔になどなれなかった。
父が飲みやすい赤ワインを探してくれ、笑顔で乾杯できた日――
このワインはダリヤの髪の色と似た赤だと、ついにダリヤと一緒に飲めるようになったと、父がとても喜んでくれたのを覚えている。
それが少し気恥ずかしくて、それでもうれしくて、ちょっと飲み過ぎた夜だった。
「うまく言えないですけど……私にとっての赤ワインは、父の思い出と結びついて甘いんだと思います」
それから新しい魔導具ができたとき、納品したとき、節目節目に、赤ワインで乾杯した。
気がつけば、父と同じような酒飲みになっていた。
そして、今は目の前のヴォルフと共にこうして飲んでいる。
「ダリヤにとって、赤ワインの方が甘い理由がわかった気がする。誰と一緒に飲んだかで、味も変わるものだね……」
グラスに残るワインをゆらしながら、ヴォルフがうなずいた。
そんな彼に、ふと思い付いて尋ねる。
「ヴォルフが白の辛口が好きなのに、思い入れはありますか? それとも味の好みです?」
「思い入れは特に――いや、違うな、ダリヤとは、たぶん逆なんだ」
ヴォルフは左の手のひらを、一度握りしめてほどいた。
「その……初めて小鬼を討伐した日、戦い終わっても血の赤さが目に残る気がして……赤ワインがどうにも飲めなくて、白にして。それからなんとなく、白ワインのままになったんだ」
伏せた目と少しだけ小さくなった声に、戦いの辛さが透けた気がする。
だが、ヴォルフはそれ以上表情を陰らせることなく、ソルトバタークッキーをぱくりと口にした。
「今はどちらもおいしく飲んでるよ。大体、『黒の死神』だの『魔王』だのロクな呼ばれ方をしてないし」
「それはヴォルフが強くてついた二つ名ですから、あきらめてください」
ダリヤがそう言うと、彼はいつものように笑った。
そして、その笑顔のままに言葉を続ける。
「ああ、塔に来る前、本邸で父と話をしてきたんだ。魔導ランタンの絵柄は本邸の庭がいいって。春の庭を描いた絵があるそうだから、写しをもらってくるよ」
「じゃあ、それをランタンの傘に絵付けしてもらいますね」
絵付けはフェルモの妻である、ガラス細工職人のバルバラに頼む予定だ。
ガラスへの絵付けと色ガラスの加工が得意なので、きっときれいに仕上げてくれるだろう。
「やっぱり、長く話していないと少し緊張するね。父も同じなのかもしれない。今日も目が合わなくて――でも、父の大きな笑い声を久しぶりに聞いたよ」
「楽しいお話をなさったんですね」
「ああ。ダリヤに助けられたこととか、隊での遠征のこととかを話して……あ、水虫のことは話してないよ!」
「ヴォルフ、どうしてその話題を掘り返してくるんですか……?」
真顔で問いかけると、彼はそうっと目をそらした。
『水虫の女神』などの話をしていた日には、ヴォルフを『スカルファロット様』呼びにしようと固く誓う。
「ええと……父が、ダリヤへ、『叙爵おめでとう』と伝えてくれって」
「『もったいないお言葉です。ありがとうございます』とお伝えください。じゃあ、魔導ランタンは絵をお預かりしたら進めていきますね。バルバラさんがお忙しいので、時間がかかるかもしれませんが」
フェルモの妻は、制作の予約がとても多いと聞いている。
絵付けはそれなりに時間がかかるだろう。
「急がなくていいんだ。完成したら俺が領地に届けに行くと、父に言ってあるから。気が向いたらいつでも来いと言われたよ。『スカルラットエルバ』の温室を増やしておくって」
スカルラットエルバはサルビアを巨大化させたような花だ。
その蜜はとても甘く強い酒で、なかなかおいしい。
生育が難しく、スカルファロット家の領地では、護衛をつけ、温室で大切に育てているそうだ。
ヴォルフの父であるスカルファロット伯爵は、代替わり後、領地で特産品作りを進めるのかもしれない。
「それと、領地の屋敷に水関係のかなり古い魔導具があるんだって。水質確認をしたり、水流変更をしたりするものがあるから、ダリヤに興味があれば一緒に来たらどうかって」
「ぜひ、拝見させてください!」
思わず声を大きくしてしまった。
水の魔石の普及により、使われなくなった魔導具も多いと聞く。ぜひ実物を見たい。
水質確認は、一角獣か水魔馬の素材だろうか?
水流変更といえば、やはり大海蛇だろうか? もしかしたら大海龍の素材もありえるかもしれない――
たちまちに脳裏を魔物と魔導具が埋め尽くした。
「じゃあ、できあがったら一緒に届けに行って、魔導具の見学をしよう」
そこまで話したヴォルフが、グラスをテーブルに置き、こちらに向けて姿勢を整える。
不意のことに、ついダリヤも背筋を正してしまった。
「ありがとう、ダリヤ。俺は君に出会わなかったら――兄とも、父とも、心から笑えないままだった」
とても深い声。そして、まっすぐに自分だけを見る黄金のまなざし。
ヴォルフは、今までで一番澄んだ笑みを浮かべていた。
それを目にした瞬間、どうしていいかわからず、なんとも落ち着かない気持ちになる。
きっと恥ずかしさがメーターを振りきったに違いない。
「あの、それを言うなら、私こそありがとうございます。ヴォルフと会ってから、いろんな魔導具が作れるようになりましたし、王城にも出入りさせて頂けるようになりましたから……」
言いながら、語尾がかき消える。
そうではないのだ。
確かにヴォルフに仕事の場を広げてもらっているのも、商会に貢献してもらっているのもありがたい。
でも、それよりも、ただ会えたこと、こうして共にいられること――
『ヴォルフと会えてよかった』と、その一言がどうにも口にできない。
「ヴ、ヴォルフ! 久しぶりに魔剣作りをしませんか?!」
「もちろん! うれしい限りだ!」
ぐるぐるした頭で思い付いたのは、どうにか話題を変えることだけ。
ダリヤはヴォルフを背に、半ば逃げるように作業場へ向かった。
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