324.イシュラナの商会長
「会長、間もなく、ハルダード商会の商会長がおみえになります」
「わかりました」
ダリヤはイヴァーノの言葉にうなずく。
ここはヴォルフの屋敷。
ダリヤが緑の塔で一人暮らしのため、ロセッティ商会の書類上の住所はこの屋敷を借りている。
本日は他国の商会長との初顔合わせ、失礼のないよう、こちらの屋敷の客間を使わせてもらうことになった。
なお、本日、ヴォルフは王城で鍛錬である。
ハルダード商会は、砂漠の国イシュラナを本拠地とし、三国に二桁の支店を持つ大商会。
王蛇や砂蜥蜴などの各種魔物素材や各種宝石などを幅広く扱う――イヴァーノから渡された書類にはそうあった。
「ハルダード商会長とお目にかかるときに、気をつけることはありますか?」
「イシュラナで役持ちの男性は、まず頭を下げません。一見横柄に見えるかもしれませんが、それが役持ちだと普通です。あと、女性に対してはオルディネと違い、距離があるというか、守るべきものという面が強いというか――感覚差が少々あるかもしれません」
「わかりました」
男女で態度が違うとあらかじめ思っておく方がいいらしい。
これは国の歴史や文化の差なのだろう。
「あと、書類には書いてませんが、商会長のユーセフ・ハルダード様は、ヨナス先生のお母様が再婚なさった方です」
周囲の話ですでに知っていたので、驚きはない。
だが、引っかかることがまったくないというのも嘘になる。
「あの、ハルダード会長は、こちらのお屋敷でヨナス先生と偶然会ったりしないでしょうか?」
ちょうどヨナスが武具工房に来て、鉢合わせしたらまずくはないか? そう思って尋ねてみたが、イヴァーノはあっさり答えた。
「そのあたりは大丈夫です。ある程度交流もあり、今回もグイード様達と歓談なさるそうですから。それと――ハルダード会長は、ヨナス先生のことをそれなりに気遣われているようです。オルディネにいらっしゃる際は、必ずスカルファロット家へご挨拶に行かれ、付け届けもかかさないと」
母は父と離縁し、イシュラナに帰った。裕福な商人と再婚したのでなんの心配もない――ヨナスからはそう聞いている。
ダリヤは自分の母を思い出し、少しだけ内にざらりとしたものを感じる。
ハルダードがヨナスのことを気遣うのは同情か、それとも、妻の子だからか――そんな埒もないことが頭に浮かぶ。
だが、自分がどうこう考えるのはヨナスにもハルダードにも失礼だ、そう思って振りきった。
・・・・・・・
丈が長く、襟のあるモスグリーンのワンピースに、長袖のホワイトベージュの上着。
髪は後ろでまとめ、右手に腕輪、左手の中指に指輪、そして、雪の結晶のイヤリングを落ちぬように着け直す。
イシュラナの商会関係者と会うときは、肌の露出は少なめ、それなりに貴金属をつけること――ガブリエラから勧められた装いである。
従僕のノックに、イヴァーノがドアを開くと、二人の男性が入って来た。
褐色の肌に、砂色と黒の髪。目は二人とも黒だ。
砂色の髪をした年上の男性は、短い髭を生やしている。
イシュラナらしい砂色のゆるやかな長衣に、同色のズボン。腰の飾り帯は、鮮やかなサフラン色と茜色だった。
「お越し頂きありがとうございます。ロセッティ商会、商会長のダリヤ・ロセッティです」
「ようこそおいでくださいました。副会長のイヴァーノ・メルカダンテです」
「お招きをありがとうございます。私はハルダード商会、通訳のミトナと申します。こちらは当商会長のユーセフ・ハルダードです」
自分達の挨拶に、黒髪の青年がにこやかに答える。
「よろしく、お願いします」
ハルダードが区切るように続けた。
そして、イヴァーノとハルダード、続いてミトナが握手をする。
ダリヤには、目礼のみがなされた。
こちらもガブリエラから聞いている。
イシュラナの男性は女性にあまり触れないようにするそうだ。
「小型魔導コンロです。初回お取引ということで、どうぞお納めください」
「ありがとうございます。こちらからも初回取引のお祝いで、王蛇の魔核です。お納めください」
ローテーブルの上、互いの封筒を交換する。実物は別の場にあり、これは目録という形だ。
互いの商いで扱う手軽な物を贈り、今後の商売を願うイシュラナの風習である。
王蛇の魔核と小型魔導コンロが釣り合うか、ちょっと不安だ。
このやりとりの後、スカルファロット家のメイドが、緑茶をテーブルに並べてくれた。
なぜかローテーブルの上、砂糖壺とスプーンも並んでいる。
「どうぞお召し上がりください」
「ありがとうございます。失礼致します」
イヴァーノの勧めにミトナが緑茶を一口飲み、それをハルダードの前に移動させる。
そして、自分の前にもう一つの器を置き直した。それにスプーンに山盛りにした砂糖を三つ入れる。
甘すぎないかとつい見つめてしまったら、彼は自分に向かって目を細めた。
「失礼、毒見ではありません。うちの会長は、とても猫舌なのです」
「いえ、あの、そうではなく――ミトナ様は甘い物がお好きですか?」
「はい、大好きです」
青年が目を一本の線にして笑む。隣のイヴァーノを見ると、こくりとうなずかれた。
後で本日の宿に、甘いお菓子を差し入れることにする。
ハルダードがイシュラナ語で、ミトナに何かを告げている。
何度かうなずいた彼は、ダリヤにその黒い目を向けた。
「ロセッティ会長は、大変腕のよい魔導具師だと伺っております。王蛇の他にも、イシュラナの魔物素材がご入り用でしたら、ぜひ当方へお声がけを」
王蛇は砂漠に棲む魔物である。
うっかり人間が縄張りに入ると、一呑みにされると言われている。
しかし、魔物なのに酒好きで、大きい壺に酒を入れると泥酔するまで飲む。そこを捕まえるか退治するそうだ。
その王蛇の脱皮した皮は、ダリヤが今関わっている魔導具のイエロークッション――衝撃吸収材にも大事な材料の一つである。
今までは、王蛇や砂蜥蜴など、イシュラナの魔物素材に関しては、スカルファロット家を通して仕入れている。
今後は直接取引も行う予定だが、素材に関しては、ヨナスにも相談しておく方がいいだろうか。スカルファロット武具工房長であり、ハルダードの義理の息子でもあるのだから。
いや、それとも言わずに進めた方がいいのか――判断がつかずにいると、イヴァーノが代わりに話を続けてくれた。
「ありがとうございます。その際はご相談させてください。ところで――不勉強で恐縮ですが、イシュラナでの王蛇の抜け殻というのは、冒険者が砂漠に獲りに行くのでしょうか? それとも大きい壺に酒を入れておびき寄せるのでしょうか?」
「いえ、うちの商会員が、ワイバーンに乗って釣ってきます」
「釣ってくる?」
意外な言葉に、ついオウム返しに尋ねてしまった。
「はい、うちの商会に王蛇を採るためのワイバーンが二頭おりまして、それに乗った者が、空から釣り竿でひっかけて釣ってきます」
「釣り竿で……危なくはないのですか?」
「ええ、王蛇はワイバーンを襲いませんし、抜け殻にも執着しません。釣るのも長く糸を垂らして、皮にひっかけるだけなので。稀に王蛇が絡んだら、糸を切ってすぐ離れますから」
お互いにとって危険の低い『皮釣り』らしい。
有用な素材なので、そうやって安全に入手できるのはありがたい。
「王蛇の抜け殻専用で、ワイバーンが二頭ですか……」
イヴァーノが紺藍の目を丸くしている。そちらの方が驚きらしい。
「小さめの砂色ワイバーンですので、輸送には向きませんが、よく働いてくれます」
国ではなく、商会がワイバーンを所持しているのはすごいことだ。
大商会と言われるのは支店の数だけではないのだろう。
そこでまた、ミトナはハルダードとイシュラナ語を交わす。
ミトナは何度かうなずくと、イヴァーノに向き直った。
「ロセッティ商会では、小型魔導ランタンも多くお作りになっておられるとか。色ガラスを使った小型魔導ランタンは、お取り扱いがありますか?」
「はい、赤、青、緑など七色、形状も何種類かございます。絵の入ったものもございますが――一度ご覧になりますか?」
「お願いします。百は仕入れたいと思っておりますので、ご相談させてください」
「ありがとうございます」
イヴァーノが明るい声で礼を述べた。
初顔合わせで商談がまとまりそうである。
ありがたいことなのだが、ダリヤはほとんど話しておらず、ちょっと落ち着かない。
ハルダード達はオルディネに一ヶ月以上滞在するとのことで、予定が合えば会食でもということで話がまとめられた。
「では――よいお取引、よい商売をお願いします」
ミトナが挨拶をして立ち上がると、ハルダードの椅子を引こうと待つ。
だが、彼は動かない。
その黒い目が、ダリヤだけに向いた。
「ロセッティ会長、お話、あります」
「はい、どのようなことでしょうか?」
「人払い、お願いします」
数秒、どうするべきか迷った。
考えられるのは商会長同士の内輪話か、誰かしらを紹介してくれという内容だ。
だが、商い関連だとしたら、イヴァーノ抜きで自分が対応しきれるだろうか?
しかし、ハルダードの真剣な表情に、断ることはできないと思えた。
ダリヤで判断ができぬなら、素直に謝罪してイヴァーノを呼べば済むことだ。
無理な背伸びはしない方がいいだろう。
「――イヴァーノ、廊下にお願いします」
「わかりました。会長、こちらを置いておきますので」
いつから準備していたものか、イヴァーノが氷結腕輪をダリヤの目の前に置く。
護身用の腕輪で、近づく者の手足を凍らせることのできる魔導具である。
ハルダード達に気を悪くされないかと心配したが、二人とも顔色一つ変えていなかった。
貴族や商売関係の本に記載はなかったが、これが普通なのかもしれない。
イヴァーノとミトナが出て行くと、部屋はひどく静かになった。
「ロセッティ会長、いえ、ダリヤ・ロセッティ様、お願い、あります」
「どのようなことでしょうか?」
彼は立ち上がり、椅子から離れる。
ローテーブルを回り込むと、ダリヤの近くで足を止めた。
そして、砂色の長衣を翻し、片膝をつき、深く頭を下げる。
『イシュラナで役持ちの男性は、まず頭を下げない』、先ほど、イヴァーノからそう聞いた。
三国に二桁の店を持ち、ワイバーンまで所有する商会の商会長が、小さな商会、しかも目下の女性である自分に礼をとる――
あわてて立ち上がったダリヤに、彼は頭を下げたまま、言葉を続ける。
「ヨナス・グッドウィン・ハルダード、私の妻の息子、私の息子、どうぞ、お願いします」
「ヨナス先生、ですか?」
目の前の男が、ヨナスの母の再婚相手ということは聞いている。
だが、ヨナスを息子としてお願いします――そう言われる意味がわからない。
「ヨナス、危ないとき、困ったとき、助けてくれるなら、金貨、王蛇、私が、渡せるかぎり」
区切られた言葉なのに、ひどくまっすぐな声で。
彼やその商会の益は一銅貨もない。むしろマイナスになることを引き換えに、ただ、ヨナスの安らかな日々を願われた。
それが少しだけ不思議に思えて――床につく衣の裾で理解した。
きっとこの人は、ヨナスの父であろうとしているのだ。
血がつながっていないことは、関係なしに。
「どうぞお戻りください、ハルダード会長。何も要りません。ヨナス先生は仕事仲間です。できるかぎり、助け合います」
「ヨナス、仕事、仲間?」
「ええと――ヨナス先生と私は、共に魔物討伐部隊の相談役で、大事な仲間です」
言葉を選んで必死に説明する。
異世界転生特典で万能翻訳でもあればよかったのだが、イシュラナの言葉はまるでわからない。
ようやく立ち上がったハルダードが、首を傾げる。
「……大事、仲間……友人、『友朋』、『女友達』?」
ハルダードがオルディネ語と隣国エリルキア語の単語を並べ、懸命に意思疎通を図ろうとしてくれている。
「ええと、仲間ですから、助け合います。今まで、私がヨナス先生に助けて頂く方が、多かったですけれど」
「ヨナス、顔、硬い。友達いない、心配」
顔が硬いというのは、護衛や従者として無表情であることが多いからだろう。
それ以外の場の彼はそれなりに笑っているし、たまに冗談も言う。
何より、グイードとは親友だ。
「大丈夫です。ヨナス先生は笑っているときもありますし、親しいお友達もちゃんといます」
そう答えたところ、彼は安堵したように息を吐いた。
「ロセッティ様、ありがとう。私、安心した」
白い歯が大きく見えるほど笑ったハルダードに、ダリヤも笑み返す。
まるで似ていないのに、なぜか父を思い出した。