表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
325/551

324.イシュラナの商会長

「会長、間もなく、ハルダード商会の商会長がおみえになります」

「わかりました」


 ダリヤはイヴァーノの言葉にうなずく。

 ここはヴォルフの屋敷。

 ダリヤが緑の塔で一人暮らしのため、ロセッティ商会の書類上の住所はこの屋敷を借りている。

 本日は他国の商会長との初顔合わせ、失礼のないよう、こちらの屋敷の客間を使わせてもらうことになった。

 なお、本日、ヴォルフは王城で鍛錬である。


 ハルダード商会は、砂漠の国イシュラナを本拠地とし、三国に二桁の支店を持つ大商会。

 王蛇キングスネーク砂蜥蜴サンドリザードなどの各種魔物素材や各種宝石などを幅広く扱う――イヴァーノから渡された書類にはそうあった。


「ハルダード商会長とお目にかかるときに、気をつけることはありますか?」

「イシュラナで役持ちの男性は、まず頭を下げません。一見横柄に見えるかもしれませんが、それが役持ちだと普通です。あと、女性に対してはオルディネと違い、距離があるというか、守るべきものという面が強いというか――感覚差が少々あるかもしれません」

「わかりました」


 男女で態度が違うとあらかじめ思っておく方がいいらしい。

 これは国の歴史や文化の差なのだろう。


「あと、書類には書いてませんが、商会長のユーセフ・ハルダード様は、ヨナス先生のお母様が再婚なさった方です」


 周囲の話ですでに知っていたので、驚きはない。

 だが、引っかかることがまったくないというのも嘘になる。


「あの、ハルダード会長は、こちらのお屋敷でヨナス先生と偶然会ったりしないでしょうか?」


 ちょうどヨナスが武具工房に来て、鉢合わせしたらまずくはないか? そう思って尋ねてみたが、イヴァーノはあっさり答えた。


「そのあたりは大丈夫です。ある程度交流もあり、今回もグイード様達と歓談なさるそうですから。それと――ハルダード会長は、ヨナス先生のことをそれなりに気遣われているようです。オルディネにいらっしゃる際は、必ずスカルファロット家へご挨拶に行かれ、付け届けもかかさないと」


 母は父と離縁し、イシュラナに帰った。裕福な商人と再婚したのでなんの心配もない――ヨナスからはそう聞いている。

 ダリヤは自分の母を思い出し、少しだけ内にざらりとしたものを感じる。


 ハルダードがヨナスのことを気遣うのは同情か、それとも、妻の子だからか――そんならちもないことが頭に浮かぶ。

 だが、自分がどうこう考えるのはヨナスにもハルダードにも失礼だ、そう思って振りきった。



 ・・・・・・・



 丈が長く、襟のあるモスグリーンのワンピースに、長袖のホワイトベージュの上着。

 髪は後ろでまとめ、右手に腕輪、左手の中指に指輪、そして、雪の結晶のイヤリングを落ちぬように着け直す。

 イシュラナの商会関係者と会うときは、肌の露出は少なめ、それなりに貴金属をつけること――ガブリエラから勧められた装いである。


 従僕のノックに、イヴァーノがドアを開くと、二人の男性が入って来た。

 褐色の肌に、砂色と黒の髪。目は二人とも黒だ。

 砂色の髪をした年上の男性は、短い髭を生やしている。


 イシュラナらしい砂色のゆるやかな長衣に、同色のズボン。腰の飾り帯は、鮮やかなサフラン色とあかね色だった。

 

「お越し頂きありがとうございます。ロセッティ商会、商会長のダリヤ・ロセッティです」

「ようこそおいでくださいました。副会長のイヴァーノ・メルカダンテです」

「お招きをありがとうございます。私はハルダード商会、通訳のミトナと申します。こちらは当商会長のユーセフ・ハルダードです」


 自分達の挨拶に、黒髪の青年がにこやかに答える。


「よろしく、お願いします」


 ハルダードが区切るように続けた。

 そして、イヴァーノとハルダード、続いてミトナが握手をする。

 ダリヤには、目礼のみがなされた。

 こちらもガブリエラから聞いている。

 イシュラナの男性は女性にあまり触れないようにするそうだ。


「小型魔導コンロです。初回お取引ということで、どうぞお納めください」

「ありがとうございます。こちらからも初回取引のお祝いで、王蛇キングスネークの魔核です。お納めください」


 ローテーブルの上、互いの封筒を交換する。実物は別の場にあり、これは目録という形だ。

 互いのあきないで扱う手軽な物を贈り、今後の商売を願うイシュラナの風習である。

 王蛇キングスネークの魔核と小型魔導コンロが釣り合うか、ちょっと不安だ。


 このやりとりの後、スカルファロット家のメイドが、緑茶をテーブルに並べてくれた。

 なぜかローテーブルの上、砂糖壺とスプーンも並んでいる。


「どうぞお召し上がりください」

「ありがとうございます。失礼致します」


 イヴァーノの勧めにミトナが緑茶を一口飲み、それをハルダードの前に移動させる。

 そして、自分の前にもう一つの器を置き直した。それにスプーンに山盛りにした砂糖を三つ入れる。

 甘すぎないかとつい見つめてしまったら、彼は自分に向かって目を細めた。


「失礼、毒見ではありません。うちの会長は、とても猫舌なのです」

「いえ、あの、そうではなく――ミトナ様は甘い物がお好きですか?」

「はい、大好きです」


 青年が目を一本の線にして笑む。隣のイヴァーノを見ると、こくりとうなずかれた。

 後で本日の宿に、甘いお菓子を差し入れることにする。


 ハルダードがイシュラナ語で、ミトナに何かを告げている。

 何度かうなずいた彼は、ダリヤにその黒い目を向けた。


「ロセッティ会長は、大変腕のよい魔導具師だと伺っております。王蛇キングスネークの他にも、イシュラナの魔物素材がご入り用でしたら、ぜひ当方へお声がけを」


 王蛇キングスネークは砂漠に棲む魔物である。

 うっかり人間が縄張りに入ると、一呑みにされると言われている。

 しかし、魔物なのに酒好きで、大きい壺に酒を入れると泥酔するまで飲む。そこを捕まえるか退治するそうだ。


 その王蛇キングスネークの脱皮した皮は、ダリヤが今関わっている魔導具のイエロークッション――衝撃吸収材にも大事な材料の一つである。

 今までは、王蛇キングスネーク砂蜥蜴サンドリザードなど、イシュラナの魔物素材に関しては、スカルファロット家を通して仕入れている。


 今後は直接取引も行う予定だが、素材に関しては、ヨナスにも相談しておく方がいいだろうか。スカルファロット武具工房長であり、ハルダードの義理の息子でもあるのだから。

 いや、それとも言わずに進めた方がいいのか――判断がつかずにいると、イヴァーノが代わりに話を続けてくれた。


「ありがとうございます。その際はご相談させてください。ところで――不勉強で恐縮ですが、イシュラナでの王蛇キングスネークの抜け殻というのは、冒険者が砂漠に獲りに行くのでしょうか? それとも大きい壺に酒を入れておびき寄せるのでしょうか?」

「いえ、うちの商会員が、ワイバーンに乗って釣ってきます」

「釣ってくる?」


 意外な言葉に、ついオウム返しに尋ねてしまった。


「はい、うちの商会に王蛇キングスネークを採るためのワイバーンが二頭おりまして、それに乗った者が、空から釣り竿でひっかけて釣ってきます」

「釣り竿で……危なくはないのですか?」

「ええ、王蛇キングスネークはワイバーンを襲いませんし、抜け殻にも執着しません。釣るのも長く糸を垂らして、皮にひっかけるだけなので。稀に王蛇キングスネークが絡んだら、糸を切ってすぐ離れますから」


 お互いにとって危険の低い『皮釣り』らしい。

 有用な素材なので、そうやって安全に入手できるのはありがたい。


王蛇キングスネークの抜け殻専用で、ワイバーンが二頭ですか……」


 イヴァーノが紺藍の目を丸くしている。そちらの方が驚きらしい。


「小さめの砂色ワイバーンですので、輸送には向きませんが、よく働いてくれます」


 国ではなく、商会がワイバーンを所持しているのはすごいことだ。

 大商会と言われるのは支店の数だけではないのだろう。


 そこでまた、ミトナはハルダードとイシュラナ語を交わす。

 ミトナは何度かうなずくと、イヴァーノに向き直った。


「ロセッティ商会では、小型魔導ランタンも多くお作りになっておられるとか。色ガラスを使った小型魔導ランタンは、お取り扱いがありますか?」

「はい、赤、青、緑など七色、形状も何種類かございます。絵の入ったものもございますが――一度ご覧になりますか?」

「お願いします。百は仕入れたいと思っておりますので、ご相談させてください」

「ありがとうございます」


 イヴァーノが明るい声で礼を述べた。

 初顔合わせで商談がまとまりそうである。

 ありがたいことなのだが、ダリヤはほとんど話しておらず、ちょっと落ち着かない。


 ハルダード達はオルディネに一ヶ月以上滞在するとのことで、予定が合えば会食でもということで話がまとめられた。


「では――よいお取引、よい商売をお願いします」


 ミトナが挨拶をして立ち上がると、ハルダードの椅子を引こうと待つ。

 だが、彼は動かない。

 その黒い目が、ダリヤだけに向いた。


「ロセッティ会長、お話、あります」

「はい、どのようなことでしょうか?」

「人払い、お願いします」


 数秒、どうするべきか迷った。

 考えられるのは商会長同士の内輪話か、誰かしらを紹介してくれという内容だ。

 だが、あきない関連だとしたら、イヴァーノ抜きで自分が対応しきれるだろうか?


 しかし、ハルダードの真剣な表情かおに、断ることはできないと思えた。

 ダリヤで判断ができぬなら、素直に謝罪してイヴァーノを呼べば済むことだ。

 無理な背伸びはしない方がいいだろう。


「――イヴァーノ、廊下にお願いします」

「わかりました。会長、こちらを置いておきますので」


 いつから準備していたものか、イヴァーノが氷結腕輪フリージングリングをダリヤの目の前に置く。

 護身用の腕輪で、近づく者の手足を凍らせることのできる魔導具である。


 ハルダード達に気を悪くされないかと心配したが、二人とも顔色一つ変えていなかった。

 貴族や商売関係の本に記載はなかったが、これが普通なのかもしれない。


 イヴァーノとミトナが出て行くと、部屋はひどく静かになった。


「ロセッティ会長、いえ、ダリヤ・ロセッティ様、お願い、あります」

「どのようなことでしょうか?」


 彼は立ち上がり、椅子から離れる。

 ローテーブルを回り込むと、ダリヤの近くで足を止めた。

 そして、砂色の長衣を翻し、片膝をつき、深く頭を下げる。


 『イシュラナで役持ちの男性は、まず頭を下げない』、先ほど、イヴァーノからそう聞いた。

 三国に二桁の店を持ち、ワイバーンまで所有する商会の商会長が、小さな商会、しかも目下の女性である自分に礼をとる――

 あわてて立ち上がったダリヤに、彼は頭を下げたまま、言葉を続ける。


「ヨナス・グッドウィン・ハルダード、私の妻の息子、私の息子、どうぞ、お願いします」

「ヨナス先生、ですか?」


 目の前の男が、ヨナスの母の再婚相手ということは聞いている。

 だが、ヨナスを息子としてお願いします――そう言われる意味がわからない。


「ヨナス、危ないとき、困ったとき、助けてくれるなら、金貨、王蛇キングスネーク、私が、渡せるかぎり」


 区切られた言葉なのに、ひどくまっすぐな声で。

 彼やその商会の益は一銅貨もない。むしろマイナスになることを引き換えに、ただ、ヨナスの安らかな日々を願われた。

 それが少しだけ不思議に思えて――床につく衣のすそで理解した。


 きっとこの人は、ヨナスの父であろうとしているのだ。

 血がつながっていないことは、関係なしに。


「どうぞお戻りください、ハルダード会長。何も要りません。ヨナス先生は仕事仲間です。できるかぎり、助け合います」

「ヨナス、仕事、仲間?」

「ええと――ヨナス先生と私は、共に魔物討伐部隊の相談役で、大事な仲間です」


 言葉を選んで必死に説明する。

 異世界転生特典で万能翻訳でもあればよかったのだが、イシュラナの言葉はまるでわからない。

 ようやく立ち上がったハルダードが、首を傾げる。


「……大事、仲間……友人、『友朋(ゆうほう)』、『女友達』?」


 ハルダードがオルディネ語と隣国エリルキア語の単語を並べ、懸命に意思疎通を図ろうとしてくれている。


「ええと、仲間ですから、助け合います。今まで、私がヨナス先生に助けて頂く方が、多かったですけれど」

「ヨナス、顔、硬い。友達いない、心配」


 顔が硬いというのは、護衛や従者として無表情であることが多いからだろう。

 それ以外の場の彼はそれなりに笑っているし、たまに冗談も言う。

 何より、グイードとは親友だ。


「大丈夫です。ヨナス先生は笑っているときもありますし、親しいお友達もちゃんといます」


 そう答えたところ、彼は安堵したように息を吐いた。


「ロセッティ様、ありがとう。私、安心した」


 白い歯が大きく見えるほど笑ったハルダードに、ダリヤも笑み返す。

 まるで似ていないのに、なぜか父を思い出した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
更新はX(旧Twitter)でお知らせしています。
コミックス8巻5月10日発売です。
書籍
『魔導具師ダリヤはうつむかない』1~12巻、番外編
『服飾師ルチアはあきらめない』1~3巻(書き下ろし)、MFブックス様
コミカライズ
魔導具師ダリヤ、BLADEコミックス様1~8巻
角川コミックスエース様2巻
服飾師ルチア、1~4巻王立高等学院編2巻、FWコミックスオルタ様
どうぞよろしくお願いします。
― 新着の感想 ―
[良い点] とても大好きで楽しみにしている作品です。続きを毎回まだかまだかと首を長くしてまっています。こちらと、漫画、小説、高等学院編、ルチアの漫画と小説全部購入しています。これからも、たのしみにして…
[一言] 親の心子知らずとは言いますが、ヨナス先生はもっと義理の父の好意を素直に信じていいと思うし、ヴォルフはもっと父と話して不器用な愛情を受け取ればいいと思う。 カルロさんはお母さんのことダリヤさん…
[一言] このヨナス先生のお父様は、ヨナス先生のほのかなダリヤへの気持ちを知ったら。いつかのヴォルフに赤いリボン巻いて塔にほうりこみたい。てもきっと魔道具師の助手の仕事をして帰って来るのだろうが と…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ