310.冬祭りの仮面
王城から商業ギルドの商会部屋へ着いたのは、夕方だった。
明日から七日間、ロセッティ商会は冬期休暇に入る。
イヴァーノが自分は五日でかまわないと主張したが、ダリヤは会長権限で全員休みとした。
商会員の誰一人、冬祭りに休日出勤などさせてなるものか。
「本年はありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いします」
「ありがとうございました!」
ありきたりな挨拶だが、これで商会も今年の仕事納めである。
ダリヤの隣にはヴォルフ、向かいにはイヴァーノ、その隣にマルチェラ、メーナがいる。
一人で始めた商会は、気がつけば、頼れる者達ばかりになっていた。
「忘れ物はないように出てくださいね。会長に来年七日まで開けてもらえませんよ」
休み中は安全管理のため、商会部屋の二本の鍵を商業ギルドの金庫に預けることにした。
あらかじめ期間を設定し、取り出せるのは商会長のダリヤのみとしてある。
イヴァーノの休日出勤防止だとは言っていないのだが、本人には筒抜けらしい。苦笑しつつ了承された。
「マルチェラはこれから神殿?」
「ああ、追加の食事を持って行って、またレンガを持ち帰ってこないと……」
胎児の魔力がまた上がったらしく、イルマは手からバケツへ砂を出し、マルチェラはそれをレンガに変え、こっそりと持ち帰っているという。
なお、現在のイルマの食事量は四人前だ。
『噛むのも面倒』というので、野菜スープを鍋ごと差し入れにしたこともある。
話しながら、それをすべて平らげた友に、しみじみと高魔力持ちの双子は大変なのだと思った。
「マルチェラさん、漬け物石からきれいな赤レンガになりましたよね」
「まだまだだ。レンガの角に丸みがあって、きっちり四角くないと合格点がやれないって、ベルニージ様に言われてる……」
土魔法の得意な先生にみっちり教わった成果で、漬け物石にしかならなかった砂は、それなりにきれいなレンガになったという。
しかし、角の丸みを指摘するあたり、ベルニージはなかなかに厳しい先生らしい。
遠い目になったマルチェラに、ダリヤは思わず素で声をかける。
「マルチェラさん、そのレンガ、もらえない? 塔の石が傷んだら組み替えるから」
「もちろん、好きなだけいいぜ!」
石とレンガ、組み替えられないのは互いにわかっているのだが、笑顔で返された。
「……それはどうなんだろう?」
「僕もちょっとどうかと思います」
異素材なので使えない、真面目にそこを指摘されるかと思ったとき、ヴォルフが自分を見る。
「ダリヤ、赤レンガになったら緑の塔じゃなくなるから、新しく来る配達人が困らない?」
一体どこまで取り替える気だ。そう思ったが、黄金の目は悪戯っぽく笑っていた。
「この際、いい感じにあちこち取り替えて、『まだらの塔』にすればいいですよ」
メーナの斬新で芸術的な提案に、それぞれに笑う。
彼はそれを見越したかのように尋ねる。
「ところでマルチェラさんを除いた皆さん、冬祭りは行かれます?」
俺は除外かよ、とマルチェラがメーナにつぶやくが、笑いのうちに流された。
「ええ、行く予定です」
「ヴォルフ様も一緒ですよね。屋台です? それとも買い物?」
「屋台を回りたいと思ってる」
「お二人とも、『冬祭り』の仮面はもう買いました?」
「いや、当日に買おうかと……」
ここまで店に買いに行く暇はなかったので、当日に仮面を売る店か屋台に行くつもりだった。
仮面をつけていれば誰が誰と歩いているかはわからない――それも理由の一つだ。
「当日の仮面売り場はかなり混むから、先に買ってった方がいいぞ、ダリヤちゃんもヴォルフも」
「よければ僕から買ってもらえませんか? 彼女の一人が仮面を売ってて、いくつか預かってるんで。ギルド職員さんにも頼まれていくつか渡したので」
「じゃあ、お願いするよ」
「お願いします、メーナ」
ヴォルフと二人、同時に答えてしまった。
あまりのタイミングに思わず固まっていると、メーナはそのままイヴァーノに顔を向ける。
「副会長はいかがですか? 冬祭りのお出かけ、娘さんに」
「うちの娘達には冬祭りの仮面はまだ早いです。家族で店を回った後、家でうまいものを食べる予定ですので」
「あー、ですよね。娘さんが恋人と出かけるまであと何年かの、貴重な時間ですもんね……」
「メーナ、そういう考えたくないことをっ!」
くわっと表情を変えたイヴァーノに、思わず言葉が出なくなる。
が、彼はコホンと咳をすると、営業用の笑顔に切りかわった。
もっとも、その紺藍の目だけが笑っていない気がするが。
「『メッツェナ・グリーヴ君』、男親にそういうことを言うのはやめなさいとだけ言っておきます」
「……肝に銘じます」
上司の丁寧な教示に、メーナが姿勢を正した。
イヴァーノの娘は二人、七歳と四歳だと聞いている。
恋人同士で行く、または恋人を探しに行く者も多い冬祭りだ。確かに仮面はちょっと早いだろう。
もっとも、友人同士で行くことも多く、高等学院ではグループで行く者も多かった。
ダリヤは父とおいしい夕食を食べるのが楽しみで、行ったことがないが。
「ええと、仮面はヴォルフ様と会長の二つで、食事がしやすい上半分の形でいいですか?」
「その方がいいな。屋台を回る予定だから」
メーナは自分達に尋ねつつ、床の大きなトランクをテーブルに載せた。
蓋をぱかりと開けると、冬祭りの仮面が八つ並んでいた。
ダリヤはその仮面に思い出す記憶がある。
前世、イタリアという国のカーニバルを何度かテレビで見た。
売られている仮面は、あのベネチアンマスクと呼ばれる物にちょっと似ている。
逆に、他の動物や生き物などを模したお面はない。
冬祭りで食事をするときは、仮面を外すか、鼻までしか隠さない物を利用する。
トランクの中、四つが顔半分タイプのそれだった。
「頬の紅はありでいいですか?」
「ええと、頬が赤いのは決まった人がいるときですよね? だと、無い方で……」
頬というよりは、顔半分タイプは目の下なのだが、左頬に赤い絵筆の線がある仮面がある。
恋人と来ている、あるいは恋人がいるので声がけはお断りというサインだそうだ。
それを思い出して答えたが、メーナが水色の目でじっと自分を見つめてきた。
「会長、頬に紅がないと、片っ端から声をかけられますよ。二人で屋台を回るなら紅ありの方がいいかと。それとも、会長もヴォルフ様も、途中から好みの相手が見つかったら別行動で、恋人探しです?」
「俺は探してないから」
「私は探してません」
同時の返答は、本日二度目。
ヴォルフとは、つくづくと気が合うと思う。
しかし、今回も微妙に固まり――それをメーナがあっさり止めてくれた。
「じゃ、頬の紅をつけた仮面で二つですね。ありがとうございます!」
そうして、勧められるがままに、ダリヤは白い仮面に金色の装飾、ヴォルフは白い仮面に深緑の装飾のついたものを購入――彼にまとめて支払われた。
当日、絶対に屋台で奢って返さねばと思う。
仮面を布袋に包んでもらうと、再度挨拶をし合い、皆で商会部屋を後にした。
・・・・・・・
ヴォルフに馬車で塔まで送ってもらい、下りるときにエスコートを受けた。
夕暮れの赤が消え、街灯がつき始める頃合いだ。
いつもならまだ一緒に食べたり飲んだりしている時間帯だが、ヴォルフはこのまま帰るという。
魔物討伐部隊棟から魔導具制作部、そして商会の仕事納めまで付き合ってもらった。
だが、もしかしたら友達との飲み会、あるいは家の用事があったのかもしれない。
「ヴォルフ、予定があるのに付き合わせてしまったんじゃないですか?」
「いや、予定はないよ」
尋ねかけると、彼は即座に首を横に振った。
それでも気になって、じっとその顔を見れば、にっこりと笑われた。
「明日が楽しみで……今日は夕食を抜いて早く寝て、明日に備えようと思う!」
お前はイベント前日の子供か! まだオルディネのよい子も寝る時間になっていないではないか。
そう頭はぐるぐるしたものの、本当に楽しげに答える彼に、できることは一つである。
「……私もそうします」
「じゃあ、待ち合わせは昼前じゃなく、午前のお茶の時間――いや、朝食後でもいいかな?」
「はい」
待ち合わせが一気に数時間早くなった。
もっとも、冬祭りの屋台は朝からやっているので、問題はないだろう。
塔に戻ったら明日の準備をし、すぐに入浴し、髪を乾かして眠ればいいだけだ。
いや、正直、すぐに眠れるとは思えない。
時間が早すぎるのもあるが、ダリヤも明日がとても楽しみなのは確かで――
『また明日』、そう言い合って門の前、笑顔で別れた。
この夜、二人は月光蝶の仮眠ランタンの性能に、心から感謝することとなった。
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コミカライズ「魔導具師ダリヤはうつむかない ~Dahliya Wilts No More~」3巻、1月9日発売です。どうぞよろしくお願いします。




