305.魔物愛好店とレッドスライムの唇
(魔物料理後編:苦手な方はご注意ください)
店長が次に持って来た皿を前に、ダリヤはここが魔物料理の店であることを痛感した。
黒とも濃灰とも言える、うねりとした蔓草。海藻のようにも見える。
その周囲に飾られるのは、外側が漆黒、中が血のように赤い果実。
黒と赤のコントラストの中、蔓草の上に載る黄と緑の野菜らしきものがアクセントに――なりきれていない。
「棘草魔と、ブラッドオレンジのサラダです」
「棘草魔……」
思わず眉間に皺が寄る。
棘草魔というのは、蔓草の形状をした魔物だ。
近づいてきた獲物に巻き付き、死ぬまで血を啜る。
道を誤った旅人や馬が犠牲になるという、なかなかに怖い魔物である。
現在は立て看板や柵で対策もしているが、被害はゼロにはなっていないそうだ。
オルディネ国内には生息域が点在し、街道沿いの草原地帯にもある。
絶滅させられないのは、何年かに一度流行る冬の流行病の特効薬だからだ。
採取してから四日で効力がなくなるため、棘草魔の群生地は保護されている。
しかし、こうして食用として見るのは初めてである。
正直、おいしそうには見えない。あと、気になることが一つある。
「こちらは隣国の栽培品で、温泉地で周囲を熱湯で囲み、魚介と薬液で育てたものです」
店長の説明に安心した。と同時に、隣国はこういった栽培までしているのかと驚いた。
そして、ダリヤはようやく皿に向かう。
食べやすく切られた棘草魔には、すでにドレッシングがかけられていた。
フォークに小量を載せて口に運び、そっと噛みしめる。
それなりの硬さに、ダシを思わせる風合いを感じた。
そして東ノ国の調味料を使ったらしいドレッシングが、すばらしく合う。
「ひじき……」
思わぬなつかしい味に声を出しかけ、思わず口に手を当てた。
ひじきよりだいぶ太くて大きいが、味わいが似ている。野菜風味のひじき、と評したいところだ。
ダリヤは、なつかしさを噛みしめるように食べ続けた。
「こちらは食感が楽しくて、魔魚とよく合いますね」
ヴォルフの言う通り、上に載る黄と緑の色合いは野菜ではなく、からりと揚げ、細く切られた魔魚だった。
ウロコは外し、皮の色合いを活かしてあるらしい。
白身魚のさらりとした味わいと、ひじき、いや、棘草魔はよく合った。
そして周囲に飾られたブラッドオレンジもよかった。
さらりとした酸味と甘みが共存した味は、サラダのいいアクセントになった。
外が真っ黒で、中が真っ赤なこの果実は、オルディネの海に浮かぶ島の特産品である。
「小型の魔物が大変好むので、引退した冒険者が島に移り住み、ブラッドオレンジを守る仕事をすることがあります」
店長がそう教えてくれた。
おいしいものには、魔物も人もないらしい。
ブラッドオレンジを狙う魔物も食材になるという話を聞きながら、棘草魔とブラッドオレンジのサラダを完食した。
グラスを替え、店長お勧めの、きりりとした赤ワインを口にする。
ここまでの料理の充実度に浸っていると、最後のワゴンが引かれて来た。
「デザートは紅牛のバターとコカトリスの卵を使ったスポンジケーキ、紅牛のミルクアイス添えです。ミルクアイスにはお好みで、蜂蜜、ブランデーをおかけになってください」
赤い花が大きく描かれた皿の上、左に三角のスポンジケーキ、右に半球のミルクアイスが載る。
見ただけでおいしそうだ。
ダリヤはスポンジケーキから食べることにした。
見た目はシンプルで、やや黄色みの強いスポンジケーキといった感じだ。
ジャムやクリームもないので、隣のアイスとのバランスを取るのだろう、そう考えて口にする。
しっかりした甘さの後、濃い卵の味わいと、バターのとてもいい香りが同時にきた。
高級洋菓子の上品な味とは違う、みっちりとした密度を感じるケーキである。
これはジャムやクリームもいらないわけだと納得した。
「このアイスは濃厚でおいしいですね。あまり甘くないのもいいです」
隣では、ミルクアイスにブランデーをたっぷりとかけたヴォルフが、しみじみと味わっている。
アイスの甘さはかなり抑えてあったので、ダリヤは蜂蜜をしっかりかけた。
本日、カロリーは考えたら負けである。
「どちらもとてもおいしかったです」
ダリヤが素直にそう言うと、店長は目尻を下げて笑った。
「お気に召して頂けてよかった! こちらはサービスです。よろしければお召し上がりください」
ワゴンに載っていた最後の半球のクローシュ。
それが開けられると、純白の皿の上、半透明の赤がふるりと揺れた。
「……レッドスライム?」
「おわかりになりましたか! こちらは『レッドスライムの唇』と名付けたゼリーです」
店長にさらに笑みを大きくされ、否定できない。
ダリヤはそのままミニサイズのレッドスライムかと思ってしまっていた。
「レッドスライムのこの弾力は、お若い方の唇ぐらいですので、そう名前をつけました」
自分の唇をつい意識したが、よくわからない。それにしても、レッドスライムの唇――そう考えるとスライムはどの部分が口なのか、溶解液を出す面が全部そうだろうか? 答えの出ぬことを考えていると、ヴォルフが目の前の皿に微妙な表情をしていた。
「……お若い方の、唇……」
おそらく自分と同じく、よくわからないのだろう。
ダリヤとしては、弾力よりもこの赤さに目を奪われる。
「清潔な場で養殖したスライムを加工、完全無毒化した上、安全な粘体部分だけをゼリーと合わせました。飼育時には新鮮なリンゴと焼き小麦、バターを与えております。どうしても赤が薄くなるので、レッドスライムの色素を追加しました」
まさかのスライム入りゼリーだった。
この透明度、この色合い。本当にスライムっぽい。
いや、材料にスライムが入っているので当然かもしれないが。
「では、いただきます……」
スプーンで分けようとすると、思わぬ弾力に阻まれた。
小さくスプーンで削り、恐る恐る口に含む。食感はゼリーより少し硬めだ。
噛んでいると、口の中で突然ぽわんとほどけるのが面白い。
リンゴの風味がかすかに、そしてどこか焼き菓子の風味もあり――不思議な味わいにいいたとえが出てこない。
「おいしいですね……」
「ああ、おいしい……味は、アップルパイ風味のゼリー?」
「なるほど……!」
ヴォルフの言葉に、深く納得した。
これはなかなか癖になりそうな味である。
二人の感想に、店長は満足げに笑み、こくこくとうなずいていた。
この後も他の客を回るのだろう。ごゆっくりお話しください、そう挨拶をして部屋から出て行った。
皿の上にはあと半分ほどのレッドスライムのゼリー。
ゆっくり味わっていると、ヴォルフに問いかけられる。
「他のスライムも、加工したらゼリーになるんだろうか?」
「グリーンスライムは葉物が好きですし、鳥も食べますから、加工次第じゃないでしょうか?」
グリーンスライムはサラダっぽくなりそうだ。
レッドスライム、グリーンスライム、ブルースライム、イエロースライムとゼリーになるところを想像し――最終的に行き着いた先が同じだったらしい彼が、先に口を開いた。
「ブラックスライムだけは無理な気がするし、無理であってほしい……」
「ブラックスライムの場合、調理前にこちらが溶かされる可能性の方が高いかと……」
黒さが欲しいならコーヒーゼリーにしようではないか! 安全だ。
「そういえば、この前の付与で、レオーネ殿が第二形態の魔剣の話をしていたよね」
「ええ、していましたね」
「ある意味、兄の短杖もそうだよね……」
うるりとその黄金の双眸がゆるんだ。
あの短杖は単純に一段伸びるだけなのだが、魔剣で一段長くしてどうするのか。
いや、それともヴォルフの魔剣には、違う機能を入れるべきなのだろうか。
「ヴォルフの魔剣も第二形態を入れたいですか?」
「ぜひそうしてほしい! いや、危なくない範囲で、できればだけど……」
勢い込んだ後に踏みとどまったようだが、希望ははっきり聞いた。
魔剣にふさわしく、ヴォルフの役に立つ機能をぜひ考えてみたいところである。
「第二形態で思い出したけど最近、地域特化した魔物が増えて――沼蜘蛛なのに火が効きづらいとか、牙鹿が風を放ってくるとかもある。スライムも、いつかそんな進化をするんだろうか?」
「イデアさんのところにも、どのスライムか判定できない『グレースライム』がいましたから、ありえない話ではないかと……」
「『グレースライム』……あれってブラックスライムが薄まっただけじゃないかな?」
「薄まる……」
ヴォルフの言葉にふと考える。
スライムの色合いは薄まることがあるのか、それで特性も変わるのだろうか。
いつかイデアが解明してくれるかもしれない。
そういえば、先日塔に来たイデアには、『ダリヤさんのブルースライムは、ますます色艶がよくなっていますね!』と褒められた。
もしかすると食事の残りをあげるようになったせいで、栄養バランスがいいのかもしれない。
「食べ物でも変わってくるのかもしれませんね」
「食べ物……」
黄金の目を細め、ヴォルフはスプーンの上の透明な赤を、ぷるりと揺らした。
「おいしいアップルパイを毎日食べさせたら、いつか『アップルパイスライム』が生まれるかもしれないね」
「そのときは、塔で飼いましょうか」
ダリヤは笑いながら答えた。
二人の頭の中、大変おいしそうなレッドスライムが跳ね逃げていった。