289.白薔薇とお披露目
ダリヤとベルニージ、そして護衛騎士が向かったのは二階の奥、ソファーが壁際にある広い部屋だった。
ジルドと従者が遅れて入ってくると、ベルニージは姪の娘を呼びに部屋を出て行った。
今は貴族の歓談の時間。飲食をしつつ、互いの近況を語らうそうだ。
庶民であるダリヤがお披露目のために広間に行くのは、もう少しばかり後である。
「少し時間があるな。慣れぬ場だ、一度歩幅合わせをしておくか?」
「お願いします」
ジルドの提案を、ダリヤは即座に受けた。
彼に向かい合い、その肩と手に白手袋を着けた手を合わせる。
そして、従者の手拍子に合わせ、ダンスの出だしのステップを踏み、歩幅の確認をする。
ジルドはダリヤの歩幅に完全に合わせてくれ、ターンが早すぎても見事に修正してくれた。腕で支えてはくれるが、身体は密着せず、常に一定の隙間がある。
流石、高位貴族である。慣れているのだろうが、上手だとしか言いようがない。
「ずいぶん意外そうな顔をしているな」
五分の一曲ほどの歩幅合わせを終えて離れると、ジルドに苦笑された。
感心と驚きが自分の顔にはっきり出ていたらしい。
「いえ、私が下手なのでありがたいです……ジルド様は、いつ頃からダンスを始められたのですか?」
「充分うまいと思うが。私が始めたのは物心つく頃、まともに踊れるようになったのは十二、三か。幼馴染みだった妻を補助することが多かったのでな」
どうやらジルド夫妻は幼い頃からのお付き合いらしい。
貴族で幼馴染みの婚約者――ちょっとロマンチックな響きである。
「一曲で靴の艶が無くなるほどに踏むので、ダンスパートナーが絶滅したそうだ。幸い、私に靴の替えは多かったのでな、今日までパートナーとして踊ることになった」
真顔で冗談を言うのはやめて頂きたい。
そして、話していると本人がやってくるというのは本当らしい。
入ってくる妻に対し、ジルドは目だけで笑っている。
ダリヤは慌てて表情を整えた。
「間もなくベルニージ様がいらっしゃいますわ。ダリヤさん、そんなに難しいお顔はなさらず、本日は気軽な練習とお思いになって」
「ど、努力します……」
ティルの優しい気遣いにも、咄嗟に、はい、と言えなかった。
自分でもわかってはいるのだが、おどおどとした感じが抜けない。
豪華な部屋と調度、まばゆい魔導シャンデリアの灯り、きらびやかな貴族の装い。
自信と優雅さに満ちた、華やかな者達。あの中に庶民の自分が入って行くのは、とても場違いな気がする。
せめてヴォルフがいれば――そう思ってしまう自分の弱さが情けない。
気づかれぬよう深呼吸を繰り返していると、部屋の扉が開いた。
入って来たのはベルニージと、水色のドレス姿のかわいらしい少女だ。
少女の年の頃は十四、五か。艶やかな薄茶の髪に、鳶色の目、白い陶磁器のような滑らかな肌が印象的だった。
「ああ、お会いしたかったです!」
花が咲くように笑った少女を、ダリヤは微笑ましく思った。
主催のジルドに挨拶をするのだろう、すでに知っている間柄なのかもしれない。そう思って、邪魔にならぬよう少し距離をとる。
だが、少女はジルドの横をゆっくりすぎ、ダリヤの真正面に立つ。
そして、思いきり笑みを深め、この自分の両手をとった。
「ロセッティ様! 私に自分で歩ける喜びを取り戻してくださって、ありがとうございます!」
「え?」
感極まった声で名を呼ばれ、咄嗟の返事が出てこない。
この少女とは初対面のはずだ。必死に記憶をたどっても、顔に覚えはない。
目を丸くしているダリヤの前、少女はドレスの裾を膝まで持ち上げる。
「魔導義足です、ベルニージ様より頂きました! 本日、服飾ギルドのルチアさんが、きれいに飾ってくださいました!」
そこにあるのは、空色の義足。
右の膝下からのそれは、繊細な白いレースと、艶やかな青のサテンリボンで飾られている。
足首あたりの高さには咲き始めの白薔薇が飾られ、その芳香を漂わせていた。
ドレスの裾はやや短め、そこに隠すことはなく、美しく飾られた義足に、服飾師である友の真剣な横顔を思い出す。
「きれいですね……」
「はい、ルチアさんがとてもよくしてくださって! あ、申し訳ありません! 私ったら名乗りもせず――北のグッドウィン子爵家の次女、ユリシュア・グッドウィンと申します」
鳶色の目の少女は、頬を染めながら名乗った。
「魔導義足は本当にすばらしいです! 関わった方、皆様に御礼を申し上げたいです」
「お言葉をありがとうございます。皆、喜ぶと思います」
「私は、この春、足に怪我をしてひどく化膿してしまい……神官が他地域の怪我人のため、街にいらっしゃらず、ポーションでも治りませんでした。王都に参りますときに途中で大雨に遭い、神殿に着いたときには七日を過ぎており、治すことはできませんでした」
「そうだったのですか……」
王都には神殿があり、いつでも神官が多くいるが、他の地域はそうではない。
魔力のある神官か、治癒魔法持ちの魔導師がその場にいなければ、重い怪我の治癒は難しい。化膿していればなおさらだ。
「それで、足に似た見た目の義足を作りましたが、歩くことはできなくて。領地に戻れば皆が嘆くかと思うと帰れず、かといって学院に行く勇気もなく……ただ自分の不運を嘆いて、王都の屋敷の部屋から出ずにおりました。そうしたら先日ベルニージ様がいらして、ドアを蹴破られました」
「え?」
待ってほしい、落ち込んでいる少女に対し、もうちょっと穏便な方法はなかったのか。
思わずベルニージの顔を見ると、赤茶の目をすっとそらされた。
「立て付けの悪い扉でな、致し方なかったのだ」
しれっと扉に責任をなすりつけるのをやめてほしい、絶対に嘘だ。
「ベルニージ様は、それでもベッドにしがみついていた私を、シーツと毛布でぐるぐる巻きにして、脇に抱えて運ばれました」
少女は笑んでいるが、それは運んだというより連れ去りだ。
どう想像しても、絵面が完全に犯罪である。
「あの、お屋敷の皆様はご心配なさったのでは?」
「いや、『急ぎ、歩けるようにしに行く』と言ったら、皆、すぐ廊下を空けてくれたぞ」
「物は言い様ですね……」
思わずそうつぶやくと、ユリシュアが吹き出した。
「そうですね、でなければ屋敷の者達は止めていたと思います。私は『神殿に行ってももう無理です』と申し上げたのですが、神殿ではなくベルニージ様のお屋敷に行き、そこで魔導義足と魔導義手を教えて頂いたのです」
「そんな形のものがなぜ足の代わりに動くのかと聞かれて、仕組みの説明に難儀してなぁ……」
「よくわからなくて考えていたら、ベルニージ様が護衛騎士の皆様と、剣を折るほど激しく戦うのを見学させてくださいました」
ちょっと待ってほしい。
魔導義足や義手を説明したいのはわかる。
だが、それと仕組みは別の話だ。大体、なぜそこまで激しい戦いを見せねばならないのか。この少女が、戦いを見てひいたらどうしていたのだ?
「皆様格好良くて、とても感動致しました! 魔導義足や魔導義手なら、いずれあんなに動けるようになるのかと!」
「そう、ですか……」
きらきらと鳶色の目を輝かせるユリシュアに、大変納得した。
ベルニージの姪の娘とのことだが、彼と似た気質でもあるらしい。
ただし、魔導義足や魔導義手を着けたからと言って、すべての者がベルニージや護衛騎士のように動けるようになるわけではない。
元々の運動神経や体力、魔力、魔導義足や魔導義手との相性など、いろいろなことが影響するのだ。
しかし、今、それがかなり言いづらい。
「見学後から、魔導義足を作って合わせ、訓練して頂きました」
「訓練、ですか?」
「はい。ベルニージ様はすぐ動けたとのことですが、私は運動神経があまりよくないので、初日は一歩も進めず……絨毯の上に毛布を沢山敷いて頂き、転ぶ練習から始めました」
「ユリシュアはとても頑張り屋なのだ。アザだらけになってもなかなかポーションを飲まんでな」
「ベルニージ様、それは内緒にしてくださいと……!」
顔を赤くした少女が、ベルニージの袖を引っ張る。
老人はすまぬすまぬと言いながら、愛しい孫に向けるような目で彼女を見つめていた。
「その、杖無しで少し歩けるようになったのが最近で、ダンスはまだできないのですけれど。本日、開発に携わったロセッティ様がお披露目と伺って、どうしても御礼を申し上げたくて――」
後ろに一歩下がり、どこにも寄りかかることなく立った少女は、ドレスの裾を少しだけ持ち上げた。
「魔物討伐部隊相談役、魔導具師ダリヤ・ロセッティ様、心より感謝申し上げます」
ユリシュアはそう言うと、ドレスから手を離し、胸の前で両手をきつく組む。
「私は――これまで高等学院の文官科を勧められておりましたが、何度でも試験を受けて、必ず魔導具科に入ります。沢山勉強して、一人前の魔導具師となって、魔導義足や魔導義手を作りたいと思います!」
「……どうぞ、頑張ってください」
決意あふれる鳶色には、一切の迷いはなく――
彼女に応援の言葉を続けようとして、喉がつまる。
「あの……失礼なお願いとは承知しておりますが、よろしければ、魔導具科に合格したら、『ロセッティ先輩』と呼ばせて頂けませんか?」
「もちろんです。いいえ――どうぞ、今からダリヤとお呼びください」
「ありがとうございます! 私のことも、どうぞ『ユリシュア』とお呼びくださいませ。どうか敬称は無しでお願いします、『ダリヤ先輩』!」
「わかりました、『ユリシュア』」
ユリシュアは、はい!とうれしげに返事をすると、まぶしく笑った。
その途端、少しだけバランスを崩し、すぐに立て直す。
それを見たベルニージはメイドに目で合図し、膝を曲げ、少女の顔に高さを合わせた。
「ユリシュア、これからダリヤ先生はお披露目準備がある。今少し、茶菓子を味わってくるといい」
「はい! ダリヤ先輩のダンスの前には迎えにいらしてくださいね、ベルニージ様!」
少女は笑顔で挨拶をし、メイドと共に出て行く。
その少し危うい歩みを、ダリヤはドアが閉まるまで見送っていた。
「ダリヤ先生」
「はい、なんでしょう?」
少しあらたまった声のベルニージに、ダリヤはドレスの裾を揺らして向き直る。
「ヴォルフから頼まれた。自分がお披露目に間に合わず、ダリヤ先生がもし緊張しているようなら、勇気づけてほしいと」
「そうでしたか……私は、大丈夫です」
ヴォルフが自分を気遣ってくれたことがありがたい。
それに、今の少女が魔導義足で動けるようになり、魔導具師を目指してくれると聞けたのもうれしい。
せめてこれから、お披露目で恥ずかしくないようにしたいと思う。
「ダリヤ先生、あなたはいろいろな魔導具を作ってくださるが、誰かに褒められるといつも、他の者達のおかげだ、共にやったことだと、そうおっしゃるな……」
「はい、でも実際にそうですので。一人ではできなかったことばかりですから」
「だから――『本当は、自分に男爵位はふさわしくない』、そうお考えなのか?」
「……これからふさわしくなれるよう、努力をしたいと思っております」
目の前の老人は、お見通しだった。
誰かに教えてもらい、材料をもらい、手伝ってもらい――本当に一人きりでできたことなど、何もないかもしれない。
それに、男爵位は魔物討伐部隊の相談役となったおかげであり、それさえも自分を守ってもらう手段のようなものだ。
自分自身が爵位をもらうのに値するかと聞かれれば、とてもうなずくことなどできない。
「まったく、勘違いも甚だしいな。ダリヤ先生は、これほど取り返してくれたではないか」
「取り返す、ですか?」
突然の言葉、そして思い浮かばぬことに、ダリヤはベルニージを見つめる。
その赤茶の目が、自分に向けて優しくゆるんだ。
「魔導義足を最初に考え、儂とユリシュアの歩みを取り返してくれたのは、あなただ。見た目だけ足に似た義足では、我々は前に進めず、こうして笑うこともできなかった」
「ベルニージ様……」
その足は、ユリシュアと同じ空色の義足を、靴で隠すことなく見せている。
数歩近づき、ダリヤの目の前に立ったベルニージは、最初に会った日よりもずっと大きく見えた。
「手伝いがあろうが、素材をもらおうが変わりはないではないか。儂の家族と彼女の家族に、安堵と笑顔を取り戻したのはあなただ。儂を含め、泣く泣く引退した騎士達を再起させ、その笑顔を取り戻してくれたのもあなただ。魔物討伐部隊の環境を整え、隊員に快適さと笑顔を取り戻したのもあなただ。だから、ダリヤ先生――いいや、まだ王印なき今、この場だけではあるが、先取りで呼ばせて頂こう」
ベルニージがその両腕を大きく広げ、ひどくまっすぐ自分を見た。
「『ロセッティ男爵』、大いに誇れ! あなたはまちがいなく、爵位を持つべき方だ!」
壁に反響するほど高らかに言いきった彼は、一点の曇りもない笑顔で――
それがみるみる滲んで、見えなくなった。
「ベルニージ、様……」
声がかすれる。鼻の奥がツンと痛い。
耐えようとして、耐えられなくて――目の縁ぎりぎりからあふれた涙を、早足で近づいてきたティルがハンカチで押さえてくれた。
「お泣きになってはいけませんよ、ダリヤさん。せっかくの美しいお顔に影がさしてしまいます」
「す、すみません……」
「使うといい」
近くのジルドがティルにハンカチを渡すと、彼女はダリヤの鼻の部分にそっと添えてくれた。
最早遠慮もできず、必死に鼻を押さえる。
ティルはダリヤの肩に手を置いたまま、ベルニージに顔を向けた。
「ベルニージ様、お披露目前に淑女を泣かせて、どうなさるおつもりですか?」
「いや、これは、その――誠に申し訳ないっ!」
あわあわと態度を崩すベルニージに、涙は止まり、つい笑ってしまう。
ここで泣いては、本当に皆に迷惑をかけることになる。
懸命に呼吸を整えていると、ベルニージが深くため息をついた。
「ここにヴォルフがいたら、何かこう、緊張をほぐすようなことを言って笑わせてくれたのだろうが……どうも儂は、がさつでいかんな」
その言葉に、ヴォルフの笑顔を鮮やかに思い出した。
自分の開発した魔導具で人の笑顔を取り戻せたというのなら、これほどうれしいことはない。
がっくりと肩を落とすベルニージに、ダリヤは一段声を大きくして礼をのべる。
「いえ――ベルニージ様、お言葉、本当にありがとうございました」
少女の笑顔、引退騎士達の笑顔、魔物討伐部隊員達の笑顔、そして、ヴォルフの笑顔。
それをしっかりと胸に抱き、今日この日、一人の魔導具師として誇ろう。
うつむかず、胸を張り、お披露目を受けよう。
魔物討伐部隊の相談役魔導具師として、そして、ヴォルフの友として。