287.八本脚馬と薬草煎餅
「本当にありがとうございました! それにしても、魔物討伐部隊の皆様は本当に凄いのですね……」
「魔物討伐部隊のお話は伺っておりましたが、強さに感服致しました……」
助けを願いに来た村人が、父である村長と共にしみじみと言う。
朝焼けの中、村の中央にはたき火が燃やされ、魔導ランタンがまだ淡く光っていた。
村人達が見守る中、赤熊が解体され、そのまま焼き肉とスープになりつつある。
村人は赤熊の襲撃を受けてから食事をしていないうえに、家畜も穀物貯蔵庫も被害を受けている。
魔物討伐部隊の馬車は、すでにワイバーンでいっぱいだ。
グリゼルダの判断で、赤熊の肉は皆の朝食になることとなった。
猟師がいない状態での、赤熊の急襲。家畜はかなりやられたが、一人の犠牲者もいない――それが村人を大いに沸かせていた。
その上、オルディネ王国で有名な魔物討伐部隊と共に赤熊で食事をするというのだ。
家から酒や作り置きの料理、菓子を持ってくる者も多く、最早、宴会のようになってきた。
もっとも、怪我人は少し出た。
ヴォルフが膝を傷めていたこと、弓の連射で手首を傷めた弓騎士が一人。
そして、討伐完了に喜び、屋根の上から跳ね落ち、足を打撲した村人が一人。
転がる赤熊を見て驚き、腰を傷めた村人が一人。
赤熊の解体中に手を滑らせ、手のひらを切ったものが一人。
地下室で泣いて転んだ幼子の赤い膝も含め、全員、神官が治療済みである。
滅多に見ることのない高魔力の治癒魔法に、村人達は大変感激していた。
誰一人欠けなかったことを、村人も隊員も喜び合い、朝食会はにぎやかに進んだ。
そうして、朝日が完全に昇った頃、待機していた魔物討伐部隊の残り半数が、馬車と共に村に追い着いてきた。
互いの状況を確認し、伝令の隊員が、周辺の村に警戒を伝えに向かう。
ここに来るまでは商隊と運送ギルドの馬車としか会わず、彼らからも動物や魔物の話はなかったという。
他の村に被害が出ていないことを祈るばかりだ。
魔導師達はワイバーンの肉や皮が腐らぬよう、馬車の氷を作り直し始めた。
馬達はワイバーンの匂いに落ち着かぬらしく、恨めしげだったので、追加でリンゴを渡されていた。
ヴォルフは赤熊の朝食会には加わらなかった。
神官から膝の治療を受けると、パンを赤ワインで喉に通し、馬車の壁によりかかって休む。
弓騎士達は治癒魔法を受けた後、村人との歓談に向かった。
彼らに一緒に行かないかと声をかけられたが、治癒魔法を受けた後は少しだるくなる、それを理由に断った。
「……情けない」
ヴォルフは目を閉じたまま、浅く吐息をつく。
少しでも誰かを助ける力になりたいと、ダリヤのお披露目に行かないことを選択し、その結果がこれである。かっこ悪いことこの上ない。
昼間にワイバーン討伐で走ったのが原因だとしても、隊の足を引っ張ってしまった。
自己管理不足に判断不備――深く反省することばかりだ。
ここから馬を走らせても、ダリヤのお披露目には絶対に間に合わない。
それに、今から一人王都へ戻らせてくれと願うのもだめだろう。
お披露目を祝えないのは残念だったが、王都に戻ったら花を持って緑の塔へ行き、お祝いの言葉を告げることにしよう――そんなことを考えていると、瞼が下がった。
今日の疲れは、それなりに重かったらしい。
少しばかりうとうとした後、小石を踏む足音に目を開く。
馬車の小窓から、グリゼルダが歩いてくるのが見えた。ヴォルフはすぐに馬車を降りる。
「副隊長、さきほどはご迷惑をおかけして、申し訳ありません」
「謝ることはありませんよ。ワイバーンも赤熊も見事に釣り上げた、赤鎧として素晴らしい働きです、『ヴォルフ』」
自分の謝罪を否定されたことより、名を短く呼ばれたことに驚いた。
隊の多くが『ヴォルフレード』から『ヴォルフ』呼びに変わる中、副隊長はそのままだったからだ。
それでも呼ばれたことに違和感はなく、むしろ馴染みがよいようにさえ感じる。
「体調はもう大丈夫ですか?」
「はい、膝に治癒魔法をかけて頂きましたので」
「体調管理に関しては、自分ではわからぬこともあります。次から連戦になる場合は、全隊員に注意を促すようにしましょう。さて――体調が戻ったなら、伝令役をお願いできますか? これを王城の騎士団窓口へお願いします」
「はい、お預かり致します」
ヴォルフは不思議に思いつつも、封書を受け取った。
すでに閉じられ、封には封蝋の代わりに、グリゼルダのサインが青いインクで綴られていた。
伝令役を頼まれたのは初めてだ。
赤鎧は基本、伝令役をしない。
そして、伝令役の騎士がいない場合でも、通常は馬に負担の少ない小柄な騎士が代理になる。
なぜ自分がと思ったとき、グリゼルダが言葉を続けた。
「こちらの村に関する補助と、街道・町村の見回り強化に関する書類です。ワイバーンの影響で他の魔物や動物が移動している可能性があります。急ぎですから八本脚馬を預けます。出発前に神官に健康確認をしてもらってください。王城での健康確認がいらなくなりますから。その後はもう一つ――あなたしかできない任務があります」
「何でしょうか?」
ヴォルフは気を引き締める。
今日の失態を埋めるためであれば、どのような任務でも引き受けよう。
だが、気負う自分に対し、副隊長は碧い目を細めて笑んだ。
「魔物討伐部隊相談役、ダリヤ先生のお披露目、そのお祝いです。舞踏会には間に合わなくとも、ダリヤ先生にお祝いを述べるのはヴォルフの役目でしょう。商会保証人でもありますし、魔物討伐部隊に推薦したのもあなたなのですから。きちんと花を持ってお祝いに行ってください」
「ありがとうございます、副隊長! そうさせて頂きます。では、神官の方に願ってきます」
その役目は絶対に引き受けたい――ヴォルフは足取りも軽く進み始めた。
・・・・・・・
「大丈夫そうですね」
グリゼルダの視線の先、ヴォルフの早足は駆け足に変わっている。膝は本当にきっちり治ったようだ。
微笑ましく見守った後、入れ替わりにランドルフとドリノがやってきた。
ランドルフが連れてきたのは大きな黒い八本脚馬。いつも彼が乗っている一頭である。
ドリノは携帯食料とワインの入った革袋、そして、瓶入りの水やポーション、包帯、各種魔石などを馬にかける鞄に詰めて持って来た。移動中の食料ともしやに備えた物資である。
もう片手にはヴォルフの防寒用の黒い外套と、顔を隠せる兜を持っている。
冬、速度の出る馬はなかなかに寒いからだ。
「調子はどうでしょう?」
そう言って、八本脚馬と目を合わせてみたところ、ついとそらされた。その視線はちらちらとランドルフへ向いている。
おそらく、慣れた彼以外、乗せたくはないのだろう。
「君には少々頑張ってもらわないと――」
グリゼルダは懐から薄型の魔封箱を出すと、中に入っていた緑の平たい物体を持ち上げる。
その途端、八本脚馬が首を大きく曲げて自分を見た。
「特別ですよ」
そう囁くと、八本脚馬は黒い目を輝かせていなないた。
その口元に、グリゼルダは手にした緑の平たい物体を、そっと差し出す。
「グリゼルダ副隊長、八本脚馬に何食べさせているんです?」
「『薬草煎餅』です。本当は怪我をしたとき用ですが、ちょっと頑張ってもらおうと思いまして。八本脚馬にとっては、甘くておいしいらしいですよ」
「……甘い……」
じっと馬の口元を見るランドルフに、ドリノと共に苦笑する。
「人間には不向きですよ」
「やめとけ、ランドルフ、腹壊すぞ」
八本脚馬が大変おいしそうに食べている薬草煎餅――
実際はグリーンスライムの粉に魔法の付与を行った加工品だ。
イヴァーノから受け取ったそれに関する経緯、そして効果のほどはグリゼルダも聞いている。
もし隊員に何かあった場合の搬送、魔物の急襲による移動など、非常用にと一定数をもらった。
少し数を多く渡されたのは、こういったときのことを予測したためなのか――判断はつかない。
ただ、イヴァーノという男がとことん有能な商人であり、ロセッティ会長の片腕なのはよくわかる。
咀嚼した薬草煎餅を飲み込んだ八本脚馬は、高くいなないた後、前足で地面を抉る。
いつも乗っているランドルフに顔を向けると、早く乗れと言わんばかりに鼻息を荒くした。
乗り手のランドルフと似て、落ち着いた気性だと思っていたが、意外な一面もあるらしい。
「これから、自分ではなく友が乗る。王都までよろしく頼む」
八本脚馬の首を撫でながら、ランドルフが優しい声で告げる。
「自分が王城に戻ったら、角砂糖を沢山やろう」
八本脚馬は再び高くいななき、鼻面をランドルフの肩にぐいぐいと擦り付けた。
甘い物好きは一緒だったらしい。
口角が上がるのを止められずにいると、八本脚馬は虫歯にかからないのかと、ドリノに小声で尋ねられた。
それに関しては――今まで聞いたことはない。
そうこうしているうちに、ヴォルフが戻って来た。
「身体に異常はありませんでした。確認のサインを頂いて来ました」
神官はすでに宴の酔いが回っていたらしい。
書類には、いつもより二回りほど大きいサインがあった。
「ヴォルフ、気が急くかと思いますが、途中で人や馬車を跳ね飛ばさないように、安全な手綱捌きを願います」
「はい、気をつけて参ります」
「この八本脚馬には『薬草煎餅』を二枚食べさせました。早駆けにもついていけるでしょう」
ヴォルフも薬草煎餅に関しては知っている。
王都まで休憩を最小限に、かなり速く進めるかもしれない。
「副隊長――お気遣いを、ありがとうございます」
深く一礼した後、黒髪の青年は八本脚馬の高い背にひらりと飛び乗った。
「気をつけてな、ヴォルフ!」
「武運を祈る」
「ドリノ、ランドルフ、ありがとう! 安全に急ぐよ」
やわらかな笑顔で言うと、ヴォルフは八本脚馬の手綱を握る。
ここから王都までは、馬で約一日半。日はすでにそれなりの高さ。
いくら八本脚馬の足が速くとも、夕刻からのお披露目には間に合うまい。
だが、舞踏会の華を守る騎士とはなれなくても、明日、最初にダリヤ先生へ言祝ぐ役ぐらいはさせてやりたい。
魔物討伐部隊員として一人前になった後輩への、ささやかな祝いだ。
「さて――『薬草煎餅』の効果のほどを祈りましょう」
駆け行く八本脚馬は一陣の風のごとく、たちまちに見えなくなった。
なお、この数日後、魔物討伐部隊に対し、街道の偵察依頼が複数寄せられる。
目撃されたのは、漆黒の八本脚馬と、その背の黒い影。
『人も馬車もその場に無いかのごとくすり抜け、この世の者ではありえぬ速さで駆け去って行った。首をつけた状態の首無鎧の恐れがあり――』
書類を手にした副隊長は、しばらく額を押さえていたという。