286.赤熊と水の槍
(すみません、区切りの関係で短めです)
先に行く隊員達の準備が整うのは早かった。残る半分の隊員に片付けを任せ、武具の確認をする。
「ランドルフ、まだ本調子ではないかと思いますが、馬車の守りを頼みます。もしかすると、他の赤熊や熊が降りてきているかもしれません」
「わかりました、副隊長。ご武運をお祈り致します」
グリゼルダの声に、ランドルフはいつものように答えたが、その後に唇を噛みしめていた。
ワイバーンを馬車に積んでいる以上、その匂いで獣も魔物も逃げるだろう。
ある意味、馬車の周囲は一番安全な場所である。
「んじゃ、ちょっと行ってきまーす!」
短剣四本を腰のベルトに入れたドリノが、友の肩を勢いよく叩く。
「ランドルフ、戻ったら蜂蜜少し分けてくれよ。黒パンに塗って赤ワインと食べるとおいしいって、ファビオラちゃんが言ってた!」
「わかった、戻ったら分けよう。それと王城に帰ったら家から送られた小瓶を一つ渡す。次に行くとき、お前の彼女へ持っていくといい」
「うわ、お前の貴重品をくれるのか。んじゃ、赤の熊さん、さっさと倒してくる!」
底抜けに明るい声のドリノに、周囲から笑いがこぼれる。
だが、そのまま歩み進むにつれ、表情は引き締まり、それぞれ馬に乗った。
そうして、魔物討伐部隊は、残る者、村に移動する者とに分かれた。
グリゼルダが村人と一緒に八本脚馬に乗り、先頭を駆ける。その横にはヴォルフ、後ろにはドリノ、そして精鋭達が続く。
選りすぐりの馬とはいえ、夜半少し過ぎ。照度を上げた魔導ランタンで照らしても、道は暗く先は見えぬ。
より早くと気は急くが、全隊の進みもある。
村までの距離が、より遠く感じられてならない。
そうして、ようやく馬を止めたのは、街道から山間に入る道だった。
「村は、この道を入って、少しのところです……」
助けを求めた村人が、きつく拳を握りしめて説明する。
家族を含め、村の者達の安否が気にかかり、駆け出したい想いだろう。
だが、赤熊相手では、魔物討伐部隊といえど、準備と作戦なしでの戦いはできない。
馬を止め、装備を確認する。熊の攻撃力を考え、近接戦の可能性があるものは兜をつけた。
直接対峙の可能性があっても、赤鎧達と副隊長のグリゼルダは兜をつけない。視界を優先させるためである。
「人員は二班に分けます。それぞれ赤熊へ、赤鎧が先駆けで熊を釣り、弓騎士と魔導師で中距離攻撃を、その後に第一陣の騎士が進みます。赤熊と距離がとれなくなった場合は各自の判断で近接戦を。どちらかの班が済み次第、援護に回ってください」
声を低めに説明するが、隊員全員がきっちりうなずいた。
ここからはいかに赤熊を短時間で仕留めるか、それだけだ。
「どうか、どうか、村の者達をお願いします――」
村人は深く頭を下げたまま、両手を白くなるほどに組んでいる。
山沿いの空が白み始めていた。
・・・・・・・
村の二階建ての集会所、必死に弓を構える者達に、村長の息子が魔導ランタンを振ってから顔を見せる。
その後、鎧姿の騎士が横に立ち、助けが来たことを知らせた。
赤熊とまちがえて、隊員達を射られては困るからだ。
「左、近いな。俺が行ってくる」
「じゃあ、俺は右で」
ドリノとヴォルフは別の班、左右に分かれた。
先に赤熊へ向かったのはドリノだった。
村人の視線が向く先、あるのは大きな鶏小屋。
山から下りてきた赤熊にしてみれば、餌の宝庫である。けたたましい鶏の鳴き声がそれを伝えていた。
「うおりゃ、出てきやがれ!」
ドリノが一人で踏み込み、赤熊の背中へ向けて短剣を投げた。
くわえていた鶏のせいか、グオゥとくぐもった咆吼が響き、熊がようやくこちらを向く。
ドリノが外に出ると、怒れる熊もそのままついてきた。
卵と血で全身どろどろになった上、鶏の茶色い羽根が身体中に付いている。
「うわ、絶対くっつかれたくねぇ!」
大変素直な感想が叫ばれた。
「足止めします!」
「土捕縛!」
弓騎士達が赤熊の足を剛弓で射る。
それに続き、魔導師二人が土魔法で足を捕縛した。
「出番だ、ミロ先輩! カーク!」
近くの家の屋根に上がっていた弓騎士が、疾風の魔弓を射る。
その隣、若い騎士が無手でありながら、その矢の軌道を補助した。
ギュン、と弓が鳴いた次の瞬間、ドリノの目の前、赤熊の首と右腕がごろりと落ちる。
「はあ?!」
「おぁっ?!」
弓を構えていた村人達から、ひどく疑問を込めた声が上がった。
「ああ、首だけ落とすつもりだったのに……!」
「惜しかったな、カーク。次で挽回しよう!」
無手の騎士と弓騎士が話しつつ、屋根から降りてくる。
地面の赤熊の目は、何も理解できていない丸さだった。
ヴォルフ達二班は、村の奥へ走っていた。
鍬と鋤を持った村人数人が、倉庫らしい建物に入ろうとしている。
「我々が行きます、下がってください!」
ヴォルフがそう叫ぶと、男達は必死の形相で叫びを返した。
「騎士様、ここの熊は手負いだ!」
「俺達にも行かせてくれ、女子供がそこの地下蔵にいるんだ!」
男達の話をまとめると、矢に片目を射られて狂乱状態になっている赤熊が、倉庫の厚い戸をぶち破り、中に踏み入った。
石の床下には女子供が隠れているという。おそらく熊は、近い人間の気配を追ったのだろう。
地下蔵の木の扉は括りつけられたロープで上に引き上げる形だ。赤熊に力任せに開けられないとも限らない。
「俺達は魔物討伐部隊です。任せてください!」
その声に、男達は祈るように頭を下げ、距離をとってくれた。
「行きます!」
ヴォルフは、一人、倉庫に飛び込んだ。
暗い倉庫は荒れ放題で、床には穀物が散乱している。
その奥、赤熊は唸りながら地下蔵の扉を引っ掻き壊していた。
扉には、すでに赤熊の手が少し入るほどの隙間が出来ている。
そのまま開けられては、下にいる者達に被害が出てしまう。
地下蔵からはいくつもの悲鳴と泣き声が上がっている。
残り時間は、そうない。
ヴォルフはそのまま全力で駆け、太い首筋を狙って剣をふるう。
だが、野生の勘か、赤熊がいきなり姿勢を変え、肩を浅く斬るにとどまった。
グワーッと高い咆吼を上げ、熊はそのまま自分に突進してくる。
地下蔵の扉に戻らぬよう、ぎりぎりに距離を測りながら、なんとか外へ飛び出した。
「やったな、ヴォルフ! よく釣ってきた!」
「あとは任せろ!」
仲間達の声にほっとする。
あとは弓騎士と魔導師の攻撃ができるよう、速度を上げて赤熊と距離をとって――そう思った瞬間、がくりと右膝が抜けた。
「ヴォルフっ!」
何が起こったのかがわからない。
とりあえず鍛錬通りに地面を横に回転し、状況を把握しようとする。
赤熊からの攻撃ではない。
昼、ワイバーンを背に走ったときに、身体強化を限界まで使った。
そのせいで、膝がすでにもたなかったのだろう。把握できなかった自分が悪い。
転がった先へ、獰猛な気配が追いかけてくるのがわかる。
とっさに飛び起き、剣を構えた。
しかし、一瞬動きの遅れたヴォルフが見たのは、後ろ足で立ち上がった赤熊、その振り上げた右腕。
間近で見ればまるで丸太かと思えるそれが、眼前に迫る。
攻撃は無理、回避は間に合わぬ、防御は腕二本でも足りぬ、当たればすべて終わり。
思考が滝のように流れる中、一人の女の笑顔が浮かび――怒鳴り声にかき消された。
「馬鹿野郎、一人で戦おうとすんな! 俺達がいるだろうがっ!」
ドリノが風のように駆け、赤熊を真横から斬りつける。
熊の敵意が彼に切りかわったとき、ヴォルフはいきなり後ろに引きずられた。鎧をつかむ赤茶の髪の騎士が、声高く言う。
「毎回、お前にいいところを持って行かれては、娘達に自慢ができぬのでな!」
「アルフィオ先輩、かっこいい!」
「褒めても酒は奢らんぞ!」
その間に、ドリノがフェイントをかけて赤熊から逃げる。
弓騎士達は即座に熊の足に矢を射かけた。続いて、魔導師達も足止めの土魔法を放つ。
先ほどの赤熊よりも一回り大きいせいか、それでもまだ勢いを殺し切れない。
「ニコラ! 婚約者殿にかっこいい話を持って帰れ!」
弓騎士がそう言うと、剛弓を引き絞り、熊の膝を貫いた。
「礼を言うっ!」
飛び込んだ青い目の騎士は、赤熊を胸から腹へと勢いよく斬り裂く。
その傷の深さは、誰がどう見ても致命傷だ。
しかし、熊はそれでも倒れなかった。
多量の赤を地面に流しつつも、再び四つ足になって逃げようとする。
皆に緊張が走る中、熊の目前へ青髪の巨体が進み出た。
「一番おいしいところは、私が頂きましょう」
手にする青の長槍か、それとも得意の水魔法による水槍で赤熊を貫くのか――隊員一同がそう思ったとき、聞き慣れぬ詠唱が響いた。
「来たれ、水の精――水箱!」
手元の青い槍がほのかに光り、赤熊の頭を中心に、四角い水の立体が生まれた。
水は流れ落ちることなく、そのまま停止した。
「は……?」
熊に隊員、そして、鋤や鍬を持っていた村人達も、唖然としたまま動けない。
最初に動いたのは赤熊だった。
おそらく咆吼しようとしたのだと思うが、口を開けた瞬間に水を飲んだらしい。が、げほげほとする動作はあっても、水の箱に頭がすっぽり入っている状態である。暴れてもどうにもならない。
「うわ、あれ、絶対溺れてるわ……」
「おい、誰かトドメを刺してやれよ……」
「いや、副隊長がやっている以上、そうしていいものか……?」
ぼそぼそと隊員達が話す中、くたりと赤熊が倒れ――それきり、動かなくなった。水の箱は当たり前のように流れ去り、地面に染みこんでいく。
「新しい槍を購入したのですが、固定魔法が役立ってよかったです。これからは爬虫類に近づかず、確実にとどめが刺せます」
青い目を細め、にこやかに笑む副隊長に、居合わせた多くの者が寒気を覚える。
「と、討伐完了!」
誰の声か、勢い任せに告げたそれに、ようやく歓喜の声が上がった。