283.ワイバーン釣りと苦い鎧
東街道を進み、山沿いに入った浅い谷。
背の高い木々に身を隠すのは、鎧姿の魔物討伐部隊員達だ。
一昨日午後の招集の後、昨日一日は馬で移動、本日早朝から徒歩で森に入った。
風は冷たいが、濃灰の防寒マントと、背中にある携帯温風器のおかげで冷えはない。
だが、ある一人の周囲だけは、温度が下がっているように感じられた。
「おのれ、ワイバーン……ダリヤのお披露目がもうすぐなのに、ダンスの練習ができなかった……」
黒髪の青年が短剣の黒い刃を見つめながら、呪詛のごとく低いつぶやきをこぼしている。
他をよせつけぬその有様は、魔物以上に近づきたくない。
「うわ、だいぶきてんな、ヴォルフ。こりゃ、魔王に八つ当たりされるワイバーンになりそうだ」
「ワイバーンに同情する、間が悪い」
少し距離をとった魔物討伐部隊の仲間達が、ぼそぼそと話し合う。
「ワイバーンが地面に落ちたら、ヴォルフ先輩が八つ裂きにしそうですね……」
「おい、いざというときはヴォルフレードを止めるぞ、今回は魔導具制作部が丸ごとご所望だ」
「俺はワイバーンより、あのヴォルフを止める方が怖えよ」
今回の討伐相手は、まだ若い緑のワイバーン。
先日、隣国へ手紙を届けた竜騎士が見かけたとのことで、小さめの個体らしい。
とはいえ、飛んでいたのは村々が点在する人の領域である。人も家畜も襲われる可能性がある。
幸い、冒険者達がワイバーンのねぐらを早期につきとめてくれた。
今日は周囲の村々や近い宿場街に警戒を呼びかけ、見張りの騎士を置き、魔物討伐部隊の精鋭が討伐に来ている。
小さめのワイバーン相手なら、戦闘でも警戒でも、竜騎士が対応するのが最も有効だ。
だが、オルディネ王国に竜騎士は少ない。隣国のようにワイバーンの繁殖技術が確立されていないためだ。
このため、騎士団が輸入したいもの第一位が、隣国の調教されたワイバーンだと言われている。
「ワイバーンは今年四頭目だっけ。なんか多いよな」
「どこぞの山で増えているのかもしれん。縄張り争いではじかれた個体は、かなり遠くに移ると言われている」
野生のワイバーンはあまり見かけることのない魔物だ。人の領域に来ることも少ない。
それが、今年はすでに街道や人里近くに四頭目。
移動範囲が広く、その強さ故、過去の戦闘では人的被害がひどかった。
魔物討伐部隊としても最大限に警戒していた魔物である。
「ヴォルフ、そのへんにしておけ。剣の手入れはもう充分だろう」
「ああ、ちょっと集中しようとしてただけ……」
友に声をかけられ、ヴォルフはようやくワイバーンへの怨念を押しとどめ、刃を鞘にしまった。
ダリヤのお披露目まであと数日。
もしや間に合わぬ場合を考え、遠征前にベルニージに頼んだ。
『自分がお披露目に間に合わず、ダリヤが緊張しているようなら、勇気づけて頂けませんか?』と。
彼は自分のような若造の願いを、二つ返事で受けてくれた。
ベルニージなら言わなくてもダリヤを気にかけてくれただろうが、それでもお願いしておきたかったのだ。
舞踏会の主催者であるジルドに言う方法もあるのだが、言いづらいというか、言いたくない。
ダリヤに対する最初の態度のせいか、その後に彼女にいろいろと手回しが良すぎるせいか、どうにもいい印象がない。
なお、ベルニージを含め、魔導義足や魔導義手をワイバーンで試したいと盛り上がっていた大先輩方は、グラート隊長がまだ試験前だと王城に置いてきた。
戻ったら入隊の筆記試験をするそうで、大先輩方一同、新しい魔物が追加された参考書を手に唸っていた。
ちょっとかわいそうだった。
「ヴォルフ、そういえば花はどうした?」
「大丈夫だと思う。今回は本を見て自分で選んだから。ブーゲンビリアの赤」
「……そうか」
先日、ゾーラ家に贈る花で失敗したので、ダリヤに持って行く花はよくよく考えた。
最初にランドルフに相談し、お披露目に避けた方がいい花――暗い色合いのもの、日持ちのしない花などを教わった後、貴族のマナー本を読んだ。
そこで女性のお披露目にお勧めとされる花をメモし、花屋で目についたブーゲンビリアを――ダリヤの髪を思わせる赤で頼んだ。
冬は花瓶の水替えも大変だろうと思い、花籠にしてもらった。
ブーゲンビリアの花言葉は、『あなたは魅力に満ちている』、本にはそう書かれていた。
だから、ダリヤが緊張せず、自信をもってお披露目に向かえれば――そんな願いを込めて贈ったのだ。
「そろそろ時間かな……」
これから赤鎧の一人が谷の真ん中に降り、固まり肉をくくりつけた板を背負う。
肉はワイバーンの好きな若い牛のものだ。
血は別に準備しており、その臭いを上空に風魔法で拡散し、おびき寄せる。
谷を駆け上がった先には、疾風の魔弓と大剛弓を持った弓騎士達と、黒い鎧を身に付け、灰手を持った魔物討伐部隊長が待っている。
隊員の自分が言っていいことではないが、なんともひどい罠である。
「じゃ、足の一番速い俺がワイバーン釣りに行くということで!」
「今日は俺が行くよ。ドリノの方が足は速いけど、この谷底は足元が悪いから、跳ねて逃げられる俺の方が向いてる」
手袋の下にある天狼の腕輪を、指で叩く。
ドリノは一度口元をきつく結んだが、すぐにほどき、勢いをつけてうなずいた。
「よっしゃ任せた! じゃ、今日は俺の華々しい出番は無しだな」
「ドリノ、解体と後片付けの先陣をきる栄誉をもらうといい」
「ランドルフ、お前も一緒にな。ま、気をつけて行け、ヴォルフ。またお持ち帰りはされるなよ」
「武運を祈る」
「ああ。行ってきま……す……?」
友に答えかけた声を散らし、ヴォルフはそのまま動きを止める。
脳内できれいに再生されたのは、ダリヤの『行ってらっしゃい』の声。
「あれ、『行ってらっしゃい』って……?」
小さなつぶやきを拾い上げ、ドリノが怪訝な顔をする。
「ん? 俺らに『行ってらっしゃい』って言ってほしいのか? なんかの縁起担ぎか?」
「王都ではそういうものが流行っているのか。では――気をつけて、行ってらっしゃい」
「行ってらっしゃい、ヴォルフ先輩! 早く帰って来てくださいね!」
「お前らは夫を送る新妻か!」
続く言葉に、ドリノがからかいを入れる。
仲間の笑い声を背に、ヴォルフは少しばかり角ばった動きで準備に向かった。
「……なあ、ランドルフ、ちょっと聞きたいんだけど」
「なんだ?」
「俺もちょい前に、花街で赤いブーゲンビリアとかいうのを買ったんだけど。花売りは『あなたしか見えない』っていう意味だって言ってたぜ」
「本によっては色についての解説がないものもある。それに花言葉は一つではない。良い意味合いも悪い意味合いもあることが多い」
「うわ、まじかよ。せっかく気合い入れて贈ったのに、勘違いされたらやだなぁ」
紺色の髪をがじがじとかきながら、ドリノは眉を寄せた。
そんな彼に、緑の目の後輩が明るく声をかける。
「ドリノ先輩、花に手紙を付けた方が喜ばれますし、勘違いされませんよ」
「無理言うな。俺の作文試験はずっと赤の上を匍匐前進だったんだぞ」
「伝えたい花言葉と名前をカードに書いて、封筒に入れれば手紙になります。きれいなカードと封筒のセットを、前もって何組か準備しておくといいですよ」
「そういうのって、どこで買うんだ? 俺、見かけたことがないんだけど」
「中央区の文具店にお勧めがあります。二階の奥に女性向けの手紙のセットとかカードがあって――」
丁寧に説明するカークに、次第に周囲の隊員達の視線が集まっていく。
顔の向きはそのままに、耳だけを向けている者もいた。
「流石、婚約者持ち! 言うことが違う……!」
「これに関しては、カーク先輩と呼ばせて頂きたい……」
「からかわないでくださいよ。ごく普通のことじゃないですか」
爽やかすぎる笑顔の後輩、その肩を、ドリノはがっちりとつかんだ。
「カーク、次の打ち上げでは、お前が『迷える男達』の講師な!」
目を丸くしたカークだが、周囲の隊員達のうなずきで拒否権はなかった。
・・・・・・・
風の向きがわずかに変わった。
ヴォルフは短剣を懐にしまい直し、底に銀色の短い爪がある靴に履き替える。
危うく靴紐を固結びにしかけ、あわてて直した。
目立つ赤鎧を隠す濃灰のマントを外すと、頬を両手で強めに叩く。
これからワイバーンを誘い出し、追われたら谷を駆け上がってくるだけの簡単なお仕事だ。
谷の途中には、カークを含め、疾風の魔弓を持った弓騎士と魔導師四ペア、そして、強化された大剛弓を構える弓騎士が六人、待機する。
その先にいるのは、隊の最高の戦力、魔剣、灰手持ちの隊長である。
自分が知る限り、最も進んだ形の『ワイバーン狩り』である。
谷底は水に濡れて滑りやすく、砂も小石も多い。
一度でも転べば、二度目のお持ち帰りコースになりかねない。
だが、ヴォルフに警戒心はあっても、それほどの恐怖はなかった。
以前とは違い、自分にはダリヤの作ってくれた天狼の腕輪がある。
フェイントをかけて飛べば、ワイバーンからでも逃げられる自信がある。
その上、万が一噛まれてもいいようにと、赤鎧達の兜と鎧には、空蝙蝠の肉から抽出した液体を被膜にして付けられている。
空蝙蝠の肉はすさまじく苦いので、魔物が囓りづらい、あるいは囓っても吐き出すことが多い。
試作の革を試しに噛んだドリノは、二日間味覚がおかしいと言い続けていた。
だが、この画期的な被膜を作ったのも、鎧に付ける作業をしたのも、ダリヤではない。
王城魔導具制作部の部員達である。
今まで魔物討伐部隊と王城魔導具制作部には、一定の距離があった。
武器や防具に関しては武具関係者に依頼し、その担当者が王城魔導具師に頼むか、他に頼むかを判断していた。
できあがってきたものを試すにも、武具の担当者を仲介とし、何をどうしてほしいかを書面で渡すことが多かった。
それぞれの区分、予算、立場、責任、力関係などの兼ね合いがあったらしい。
よく言えばそれぞれが独立した――悪く言えば距離が遠く時間がかかり、融通も利かない、そんな状態だった。
それを魔導具制作部副部長のカルミネが、『よりよい物を作るため、今後は各部でくわしい者を担当とし、全員横並びで話し、試作をしていきたい』と提案したという。
魔物討伐部隊長と王城魔導具制作部長は、即座に同意。
武具関係者が渋るかと思ったが、『案件担当者に総合的な進行役を、もちろん別途手当付きで』――その追加説明であっさりまとまった。
財務部長のジルドまでが噛んでいるのは、誰の目にもあきらかだった。
もっとも、魔物討伐部隊としてはありがたいばかりなので、一切の不満は出なかったが。
そうしてできあがった苦みのある鎧に、ミスリルの爪をつけられた軍靴。
左手には天狼の腕輪、右手には魔導具制作部から借りた、痛みを一時的に麻痺させる腕輪――自分の装備も過去最強である。
軽量化をかけられた背の板は軽いが、漂う肉の生臭さだけが残念だ。
本来であれば、出てくるワイバーンを自分が魔剣で四つ切りにしたいところだが――残念ながらその力はない。
ダリヤがいずれそんな魔剣を作ってくれると思うので、あせってはいないが。
今は一刻も早くワイバーンを釣り上げ、皆に仕留めてもらい、王都に戻りたい。
お披露目の少し前には着きたいのだ。
ファーストダンスの相手は自分ではないが、せめて緊張する彼女を緑の塔へ迎えに行くぐらいはしたい――そう強く願う。
「早く帰って、『ただいま』と言えたらいいんだけど――」
谷へ駆け下りて行く彼の、小さなつぶやきを聞く者はない。
その背の空遠く、緑の影が近づいてきていた。