281.金のイヤリング
商業ギルド長に紹介された、中央区の装飾品店。
ショーウィンドウに並ぶまばゆい輝きのアクセサリー、それを見つめる着飾ったご婦人方――なかなかに高級そうな店へ、ヴォルフは緊張しながら足を踏み入れた。
幸い女性に声をかけられる前に、人当たりの良さそうな店主、ロレンツが迎えてくれた。
視線が向けられる中で選ぶのは落ち着かぬ、そう思っていた自分を気遣ってくれたらしい。
ありがたいことに、二階の別室で彼が応対してくれることとなった。
ロレンツは、アクセサリーにうとい自分をわずかも見下げることなく、贈る女性について聞いた後、階下にお勧めのイヤリングを取りに行った。
彼を待っている間、ヴォルフは出された紅茶を飲んで一息つく。
ここのところ、ちょっとばかり睡眠不足が続いている。
夢見がいいのか悪いのか、眠りが浅いこと数日。
ダリヤへの装飾品を何にするかで悩むこと数日。
ひたすらに悩み、答えは出ず、兄であるグイードに相談した。
兄はジルドに装いの確認をとってくれ、イヤリングを贈るよう勧められた。
仕立てたドレスは庶民用で胸元の空きが少なく、ペンダントなどは目立たぬのだという。
そして、スタンダードなものから今の流行まで、イヤリングについてまとめられた冊子を渡され――悩みはさらに深まった。
昨日の鍛錬の後、自分の隈を気にかけたランドルフが、兵舎の部屋に来てくれた。
悩みがあるのかと尋ねられたので、隠すことなくダリヤのイヤリングに関して相談した。
ランドルフは話を聞いてくれた後、自分にあっさりと言った。
「自分も装飾品に関してはくわしくないが、ヴォルフがダリヤ嬢に似合うと思うものを、素直に贈ればよいのではないか?」
「その似合う似合わないの判断がつかない……」
「お前がダリヤ嬢らしいと思えるものであれば、それでよいと思う」
ランドルフの言葉に彼女を思い出しつつ、ぱらぱらと冊子をめくった。
ふと目についたのは、細い金の鎖の先、半透明の青く丸い石が下がったもの。
ダンスの際、耳に軽く揺れそうなそれに、つい思い出すものがあった。
「これならスライムっぽいから、ダリヤらしいかも……」
「ヴォルフ、デザインとしてはきれいだと思うが、そのような理由でダリヤ嬢に渡すべきではない。スライムが似合うと言われて喜ぶ女性はいない」
いつもおだやかな友に容赦なく否定され、さらに悩む。
一瞬、スライム養殖場のイデアリーナが浮かんだが、振りきった。
「店員に、『金のイヤリングで、貴族の未婚女性向けのものを見せてくれ』と願えばいいのではないか? その中でお前が似合うと思えるものならば、まず外さないだろう」
うなりかけていた自分に、ランドルフが助け船を出してくれた。
確かに、装飾品店の店員は装飾品のプロだ。素直に尋ねて助言を受ければいい。
友に礼を言い、久しぶりに安堵して眠ったところ、呆れた夢で目が醒めた。
「おのれ、あのスライム……」
ヴォルフは呪詛のごとくつぶやくと、赤茶の布を溶かすブルースライムを、心の深海に沈めきった。
本日、午前は自由鍛錬だった。
とことんこの身を追い込めば、愚かな夢は見なくなるのではないかと思い、同期、先輩と続け、最終的に見学していた大先輩方にまで手合わせを願った。
大先輩方とは魔力不使用の手合わせだ。
勢いで行ったはいいが、丁寧なご指導を受け、見事に地面に転がった。
最終的に、大先輩には同情を込めた顔で言われた。
「ヴォルフレード、自棄を起こすな。若いうちは失恋の一度や十度はあるものだ」
「失恋などしておりませんっ!」
「あはは! やっと肩の力が抜けたではないか」
豪快な笑い声に、からかわれたのだとようやく気づいた。
打ち合う他の隊員に話は聞こえていないだろうが、なんとも居心地が悪い。
「若いうちは何事も経験だ。気がかりなことがあるなら、さっさと済ませてこい」
そう言われ、鍛錬に身が入っていなかった自分を恥じ、午後の休みをとった。
湯を浴びて着替え、そのまま店にやって来ての今である。
「お待たせ致しました」
紅茶が半分ちょっと空いたとき、ロレンツが黒いビロードのケースを二つと白い絹手袋を持ってきた。
「スカルファロット様、こういったイヤリングはいかがでしょう?」
手袋の手がそっと開ける箱の中、白い絹の上に並ぶのは、四つのイヤリング。
どれも濁りのない金で、きらきらと繊細な光を放っている。
一番左のものは、小さな雪の結晶の形だ。その先には長めの細い鎖が付いている。
その右隣は、金の細工と一つの真珠を耳元に、長く伸びる鎖の先、小さな真珠が付いているイヤリング。
そして、繊細な透かし細工が入った、金色の楕円が下がるもの。
一番右のイヤリングは、少し大きめの丸い花。見方によっては金色のダリアのようにも見える。その下には涙の滴を思わせる透明な石が下がっていた。
どのイヤリングも美しく、ダリヤにとても似合いそうだ。
「どれもダンスなど、動きがあるときにより映えます。無爵のうちはこのままで、爵位を頂いた後に、こちらに光る石を足すのがお勧めです」
ロレンツはもう一つのビロードの箱を開けた。
それは細かく区切られ、それぞれに小さな石があった。
赤、黄、緑、青、黒、白――形も丸型、滴型、球体とあるようだ。
「スカルファロット様、こちらを。どうぞどちらも手に取って、じっくりご覧になってください」
白絹の手袋を受け取ろうとし、己の手にはっとした。
鍛錬に必死になりすぎたらしい。手のひらと指の内側、肉刺が破れて血がにじんでいた。
これでは白い手袋を汚してしまう。
貴族は庶民より傷を早く消そうとしやすい。
傷を受けるほどに弱いのか、ポーションも買えぬのか、治癒も受けられぬのかと難癖をつけられることがあるからだ。
魔物討伐部隊では傷は当たり前のことなので、うっかり治療もせずにここにきてしまった。
高級な装飾品店に来る場合、失礼だったかもしれない。
「すみません、このような有様で。手袋が汚れてしまいますので、見るだけで結構です」
「何をおっしゃいますか、民を守る美しい手です。まさに騎士の手ではありませんか」
ロレンツの言葉に、咄嗟に返す声が出ない。
思い返せば、彼はここまで一度も、自分に敵意も羨望も向けていなかった。
家柄にも容姿にもふれることはなく――ただ、庶民から男爵に上がるダリヤを努力家だと、鍛錬で荒れたこの手を騎士の手だと褒めてくれた。
たとえこれが営業用のリップサービスでも、ただうれしく――
ヴォルフはようやく礼を述べ、素直に手袋を借りた。
並ぶイヤリングをそっと持ち上げると、その軽さに驚いた。
自分では、耳から落ちても気がつかないかもしれない。
ロレンツの助言に従い、少しだけ揺らすと、細い鎖がシャランとわずかに音を立てた。
光に当てる角度を変えると、形状も輝きもそれぞれが違い、なんとも不思議だ。
どれも美しく悩み抜き――それでも候補が二つから絞れない。
「こちらとこちらで、迷っております」
選んだのは、小さな雪の結晶のイヤリングと、ダリアを思わせる花のイヤリングの二つ。
先日、ダリヤと話していたとき、雪の結晶が好きだと言っていたことを思い出す。
そして、もう一つの方はひねりがないが、ダリアの花から彼女らしいと思えた。
「雪の結晶のイヤリングは、この時期に合います。夏でも逆に涼しげだからと着ける方も多いですよ。この鎖は取り外せますので、普段はこの結晶部分だけを付けていて頂けます。叙爵後は鎖の先に色石を付けるのもよろしいかと」
「なるほど……」
アクセサリーを変えるという発想がなかったので、驚きつつ聞いた。
確かに、それならば長く使えそうである。
「こちらの花は、中央の小さい花と外側の花弁が分割します。ドロップ部分も外せます。普段は花のイヤリングにすれば、何か作業をするときも邪魔にはならないでしょう。男爵となられてからはこのドロップの水晶を、お好みの色石に変えてはいかがですか?」
こちらも、一つのアクセサリーで変えていけるようだ。
外側を外された小さな花も、ダリヤには似合う気がした。
「どうぞ、こちらの石もご覧になってください」
色とりどりの石を見ていると、一つの石で目がとまった。
そっと持ち上げると、黒の中に光が宿る。それでも、他の石のように華やぎはない。
不意に、商業ギルドでレオーネに勧められたことを思い出した。
ダリヤには、銀よりも金の装飾品が似合う――そう言われて納得した。
そのとき考えていたのは、ダリヤの赤い髪と緑の目であり、けして自分のこの金の目のことではない。
彼女には、自分の髪のような暗い色は、似合うとは思えず――
それにイヤリング自体、このままで完成している気もする。下手に石を付けずともいいだろう。
付けるとしても、ダリヤの希望の色を尋ねればいいのだ。
「そちらは黒瑪瑙です。邪悪なもの、危険なものから心身を守ると言われている石です。お守りになさる方もいらっしゃいますよ」
「そうですか。でも、彼女には黒は……暗い色は合わないような気がします」
答えながら、ビロードの箱に石を戻す。
そこで白い手袋ににじみ始めた血を見て――なぜかひどく目の奥が痛んだ。
指でこめかみを押していると、店主がイヤリングの一つをそっとひっくり返した。
「雪の結晶デザインと、こちらの花のデザインでしたら、耳に当たる部分の裏石に――裏に石を薄くして貼ることもできますよ」
「見えないところに貼るのですか?」
「はい。金属が肌に当たるのを苦手とする方は耳に当たる部分すべてに貼られます。あとは魔導具関係のアクセサリーは、内側に石や素材を付けることが多いです。こちらの石には、ある程度魔法が付けられます。馬車の酔い止めや毒消しなどを付与されることもありますよ」
どうやらイヤリングも魔導具になるらしい。
それならばまさに、ダリヤらしい。
「それは便利そうですね。では、黒瑪瑙を裏石に。最初の付与はなくてかまいません。本人に聞いてみます」
彼女ならば自分で何らかの付与をしそうである。
とても楽しみで――わずかに心配だ。
なお、裏石は二日で付けられると聞いて安堵した。お披露目には余裕で間に合う。
しかし、選択はまだ続いている。
「ただ、雪の結晶かダリアの花かで、やはり悩みます……」
「それでは、雪の結晶を秋冬に、ダリアの花を春夏用にしてはいかがですか?」
「なるほど! そうします」
「ご予算に合わない場合は、来年向けの仮ご予約でもかまいませんので」
「いえ、こちら二つともを一緒にお願いします」
ありがたい申し出ではあるが、あまり使うことがなかったので、貯金はそれなりにある。
今まで無駄遣いをしてこなかった自分を褒めたいところだ。
「花の方も裏石をお付けしますか? 酔い止めなどでしたら、どちらもあった方がよろしいでしょうから。ご一緒にご購入でしたら、こちらの分は当方でもたせて頂きますので」
「お気遣いをありがとうございます。でも、そのままの価格でお願い致します」
黒い石を付けるその分を、店に出してほしくはない気がして――
いや、そうではない、来年は家が侯爵となるのだ、ここではきっちり支払うべきなのだ。
そして、この店主、ロレンツであればと思い、ヴォルフは相談を追加する。
ランドルフにぎっちりと言われた――いや、ありがたい助言を受けたことである。
「来年となりますが、男爵となればネックレスも必要になると思うので、この二つにそろいのものか、添うデザインのものを、追加でそれぞれお願いできればと……」
「わかりました。喜んで、男爵、そして淑女にふさわしい品をご提案させて頂きます」
うなずいた店主が、大変に頼もしく見えた。
「では、できあがりましたら、二つまとめて、記入した住所の方にお願いします」
「スカルファロット様、失礼ながら……お相手の方に、一度に贈るのはお勧めしません」
「え?」
女性にアクセサリーを贈るのに、そんなルールがあるのだろうか。
まとめて渡してしまった方が、己の緊張が少なくて済むのだが。
「一度に贈るより、何かの都度に分けて贈った方が喜ばれることが多いのです。冬に雪の結晶、春少し前に花、叙爵の際にネックレス、というように。それに折々に贈ることが、お二人のよい思い出となるかと思います」
「なるほど……」
「何より――お相手の一度の笑顔より、四度の笑顔をご覧になりたくありませんか?」
ロレンツの言葉に、ダリヤの笑顔を鮮やかに思い出し――とても納得した。
書類にサインをし、購入手続きを済ませる。
「スカルファロット様、本日はありがとうございました。ぜひ、またどうぞお越しになってください」
「こちらこそ良い買い物ができました。アドバイスをありがとうございました」
本当に良い買い物ができた――そう安堵しつつ、ヴォルフは立ち上がる。
そして、もう一度、箱にある黒瑪瑙に目を向けた。
きらきらと光るイヤリングの裏、影のように貼られる黒い石。
ダリヤの背縫いと同じかもしれない。誰にも見えなくてかまわない。
二人共にある日も、その隣にいられぬ日も、こめる願いは一つだけ。
ただ、君を守りたい――と。
活動報告(2020/06/26)にて、次巻(5巻)についてとご質問のお返事をアップしました。
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