280.装飾品店店主の見た騎士
その男が店に入ってきた途端、客の声と動きがぴたりとやんだ。
高めの背、黒檀のごとき黒髪にひどく整った面差しは、ひどく人目を引く。
何より、窓からの陽光を揺らす黄金の目は、自慢の装飾品さえ色あせそうなほどだ。
名乗りなどなくてもわかる。
義父、商業ギルド長のレオーネ・ジェッダから届いた手紙、そこにあったヴォルフレード・スカルファロット、その人だろう。
固まりかける店員を止め、店主は自ら応対することにした。
スカルファロット伯爵家は、来期に侯爵に上がる。
本来であればこちらを屋敷に呼びつけて当たり前だが、その子息が自ら足を向け、一人の客として訪れた。
際立つ美貌を持つ青年は、王城騎士団の魔物討伐部隊の赤鎧、そして女達の華やかな噂で有名である。
今、店にいる女性達の多くが、彼に視線を向け、耳をそばだてている。
明日には彼がこの店に来ていたことが噂となるだろう。
義父レオーネは、店の宣伝をよくよく考えてくれたらしい。
「ようこそ、お越しくださいました。私、店主のロレンツ・ブレッサンと申します」
「ご挨拶をありがとうございます。ヴォルフレード・スカルファロットと申します。本日、探しているものがあり――」
前置きもなく切り出そうとする彼に近づくと、その目の下、隈が見えた。
華やかな噂通り、いろいろとお忙しいのかもしれない。
「スカルファロット様、どうぞ上の部屋へ。お探しのものについてくわしくお伺いさせてください」
店内では、装飾品よりこの男が鑑賞品になりつつある。
こんな視線を受けながら装飾品を探すのは、この青年でも落ち着かぬだろう。
せめて椅子に座ってもらい、落ち着いて選んで頂きたいものだ――そう思いつつ、ロレンツは彼を二階へと案内した。
応接室の一つに入ると、ロレンツは店員の一人に紅茶を頼む。
テーブルをはさんで座ると、疲労感漂う青年に尋ねてみた。
「スカルファロット様、本日はどのようなものをお探しでしょうか?」
義父レオーネの手紙にあった条件は、『素材は金・二十代女性が着けるに向いたもの・侯爵家でも通るもの』だ。
そこから外れたものは除外しろということだろうが、身に着ける相手のわからぬ装飾品は、慎重にならざるをえない。
「女性向けの金のイヤリングをお願いしたいのです。特にそれ以外は決めておりません。レオーネ様のご紹介に与り、拝見してからと思いまして」
そこまで言うと、黒髪の青年はひどくまっすぐに自分を見た。
どうやら、気軽な贈り物ではないらしい。店の格さえも判断されるかもしれぬ。
この青年は、スカルファロット家の一員である。
かの家の別名は『水の伯爵』。
だが、今はもう一つの方が有名になりつつある。
『氷の侯爵』――爵位が上がること、氷の魔石の増産、そして、その関係者が氷魔法の強さを誇ることが理由だ。
そして、敵となった者には容赦なく、その動きを凍らせるとも聞こえ伝わる。
そんな家の者が相手なのだ、希望から外れた品を推すことは避けたい。
スカルファロット家の一員である青年ならば、目は肥え、それなりにこだわりもあろう。
店に置いている装飾品の価格帯は広いが、それなりに良い品ばかりだ。好きなだけ見て判断して頂ければいい――背筋を正し、話を続ける。
「もちろんですとも。三百ほどありますので、こちらに分けて持って来させましょう」
「え、三百もですか?」
黄金の目が丸くなり、その後に影が宿った。
もしかすると、考える時間が惜しいか――いや、これは店主である自分が試されているということか。
組んだ腕、青年の左手首に腕輪が光った。
白銀の上、絶妙な金の輝きを放つそれ。貴金属はそれなりに目の利く自分が、見ただけでは判断ができぬ。
付与のある魔導具かもしれぬが、それにしては魔力の揺れを感じない。
ただわかるのは、ひどく稀少な腕輪であろうことだけ。
ロレンツは緊張しつつ切り出した。
「よろしければ、お勧めをお出ししてもよろしいでしょうか?」
「ぜひお願いします。私はこういったものにうといので、ご助言頂ければと……」
女性への装飾品など贈り慣れているであろう、いや、山ともらい慣れてもいるだろうが――その美貌の青年が、声低く自分に願う。
まったく、どんな冗談だ。
ここは店主である自分の目利きとセンスの試されどころであろう。
ロレンツの緊張はさらに高まった。
「贈る方の髪と目、肌のお色、特徴、好んでお召しになっているお洋服の感じなどをお教え頂けますでしょうか? 合うと思われるものを、こちらにお持ち致します」
「ええと……髪は明るくやわらかな赤で、目は透明度の高い翠玉……肌はわずかに薔薇色の入った白です……普段の服は、ワンピースや上下揃いの上品なものが多く……作業着であることもあります。色は白、紺、濃い緑、茶など、落ち着いた色合いが多いように思います……」
目を伏せ、とても大切そうに記憶をたどる青年に、いろいろと察した。
そして、相手が貴族女性ではないらしいことが引っかかった。
「日常でお使いでしょうか? それとも式典のご予定が?」
「イヤリングを着けるのは、舞踏会でのお披露目です。友人は来年、男爵位の叙爵が決まりましたので。できれば、それ以降も使えるものをお願いします」
まるで我が事のようにうれしげに言う彼に、つられて笑んでしまう。
「叙爵とは大変おめでたいことです。では、プレゼントであり、『お祝い』でもあるのですね」
「はい、そうです。できれば、ずっと着けていてもらいたいのですが……」
祈るように言葉を終えた青年は、あまりにやわらかに、そして、はかなく笑った。
まるで女へ渡す己の形見を探しに来たようだ――そう思いかけて、瞬時に振りきった。
縁起でもない。
美しい黄金の目に、いつの間にか自分も呑まれかけていたらしい。
その黄金から視線をずらし、ふと机の上に組まれた青年の手を見――失礼ながら、二度見してしまった。
幾本かの爪にはヒビがあり、手の内側、指と手のひらに血のにじむ剣ダコがいくつも見えた。
服の上からでもわかる鍛えられた体躯、剣の負荷による右肩の少しの下がり――
華やかな噂通り女遊びに興じていたならば、こんな手には、こんな身体にはならぬ。
ああ、そうか、その黄金の下の隈も同じ。
女遊びなどではない。遠征か、きつい鍛錬の後か、魔物討伐部隊員の過酷な任務の合間、無理を押して来店してくれたのだろう。
そして、義父からの『素材は金・二十代女性が着けるに向いたもの・侯爵家でも通るもの』という条件を思い出し――ロレンツは悟った。
金のイヤリングを贈る相手は、身分差のある恋人だろう。
女性はこの男のため、苦労に苦労を重ね、男爵位を得ることになったに違いない。
庶民と伯爵家の子息という立場の違い、ましてこの美丈夫だ。
想う女性への摩擦を減らすため、貴族の見合いを避けるため、この男はあらぬ噂を立て続けてきたのだろう。
その想う人こそを、『友人』としか呼べぬままに。
だから義父は手紙に、『侯爵家でも通るもの』と書き添えたのだ。
いずれこの青年の隣にその女性が並び、同じ姓を名乗る日を願って――
「努力家の……とても大切な、ご友人なのですね」
「はい……!」
ロレンツの言葉に彼は深くうなずき、今度は少年のように笑んだ。
それはまごうことなき、深い恋慕をこめた表情で。
駆け引きのいる相手だと思い込み、ただ店をよく見せようとしていただけの己を恥じる。
相手をただ大切に想い合う二人。
先の道はまだ長く険しくとも、その想いが成就することを願いたい。
この青年にとっても、受け取るその女性にとっても、最高の贈り物となる一品を――
それこそが、装飾品店を営む己の務めであろう。
ただ一つだけ悔しいのは、おそらくはすべて予測済。
店を増やし広げた自分の慢心を見抜き、商売の礎、客への心を思い出させんと、この青年を紹介してきた義父。
いまだその手のひらの上、レオーネ・ジェッダに商いは敵わず――
我が道もまだまだ長そうである。
「スカルファロット様、お勧めのイヤリングを持って参ります。本日はお時間の許す限り、どうぞごゆっくりお選びください」