277.黒革の鎧と魔導具師
薄曇りの中、ダリヤは従者兼護衛役のマルチェラと共に、王城の魔導具制作部棟、二課を訪れていた。
本日、ヴォルフを含めた隊員の多くは、演習場で第二騎士団との合同演習である。
このところ、第二騎士団は魔物討伐のときにも一定数が同行しているそうだ。
過去には国境沿いに九頭大蛇が出たこともある。有事に備えた訓練なのだろう。
「おお、ダリヤ先生にマルチェラではないか!」
受付の者に案内され、会議室に向かう途中、聞き知った声が響いてきた。
踊り場から廊下へ早足でやってきたのは、鎧姿のベルニージだ。
その後ろ、先日魔導具制作部で会った中年の騎士、そして、初めて会う老齢の騎士が続いている。
ダリヤの挨拶よりも早く、ベルニージがその戦闘靴を軽く叩いた。
「これはカルミネ殿が試作してくれた、スライム成形の靴だ。足型に合わせて作ってもらったが、軽くて動きやすいぞ!」
濃灰の艶やかな靴は、どこにも継ぎ目がない。前世の合革の長靴を連想させる。
カルミネに試作はできたと手紙をもらっていたが、もうここまで機能的になっていたのかと驚いた。
流石、王城魔導具制作部の副部長である。
「――失礼、ご挨拶をさせて頂きたく」
ベルニージが説明を続けようとする中、肩を割り込ませるように白髪の騎士が前に出た。
肉付きがいいとは言い難いが、とても背が高く、肩幅がある老人だ。
魔物と戦ったときのものか、深い傷が額から左目、そして頬に流れていた。その傷のない方の碧の目が、じっと自分を見る。
先に名乗るべきか、そう思ったとき、騎士は自分の前で左膝をついた。
「ロセッティ先生、心より御礼申し上げます。二度と槍を振るえぬと嘆いておりましたが、魔導義手『風掴み』のおかげで、再びこの手にすることができました。それに――初めて、孫を抱き上げられました」
一度握りしめられ、その後に開かれる空色の義手。
その仕組みは、スカルファロット武具工房と王城の魔導具師達、そして職人達の努力の結晶だ。
大きく笑ったこの騎士の顔を、彼らにも見せてあげたい、そう強く思った。
「本当によかったです。私は制作のお手伝いだけですので、ぜひそのお言葉を、魔導義手、魔導義足制作の魔導具師、職人にお伝えくださいませ。とても喜ぶと思います」
「わかりました。これから各所にご挨拶に参ります。そして、この老体、皆様への御礼として、これまでのふがいなさを滅し、魔物と戦って死すときまで、魔物討伐部隊員でありましょう!」
待ってほしい、いきなり魔物と戦って死ぬ話にしないで頂きたい。
孫を抱き上げられると言ったばかりではないか。
ダリヤがどう止めていいかに慌てていると、ベルニージが白い髭を押さえた。
「隊員になるにも、グラートが試験で合格させてくれればだからのう……」
「え、試験ですか?」
「何人か復隊希望がいてな。一度引退しておるので、入隊試験からやり直しになるやもしれん。それに、試験が免除になっても再入隊から半年は見習いだからな」
「見習い……」
むしろ『指導役』の間違いではないのかと思うが、微妙に言いづらい。
「筆記試験さえなければ、なんとでもなりますとも!」
魔導義手を着けたもう一人の騎士が、先日会ったときと同じく、豪快に笑う。
魔物討伐部隊の筆記試験は、高等学院の騎士科の成績が半分。
あとは王国の法律と地理、魔物の知識だとヴォルフが言っていた。
近年、オルディネ王国に出現する魔物の種類は増えているそうだが、そういった内容は加味されるのだろうか。
「なに、筆記試験がわからぬときは、現役隊員に教師役を乞えばよかろう」
「いっそグラートに頼めば良いのではないか?」
本日、魔物討伐部隊員が誰も同行していないのは、幸運なのか不運なのか。
グラート隊長は立場的にどうなのか、真面目に心配になってきた。
斜め後ろを振り返れば、マルチェラも神妙な顔をしていた。
そういえば、彼は初等学院の書き取りで、癖字のため、赤点だったことがあると言っていた。
ダリヤとて振り返れば、筆記試験では解答欄を一段ずらし、魔導具の実技試験では気がつけば指定品以外の物ができあがったりしたことがある。
誰でも試験には困った思い出の一つや二つ――いや十や二十はあるものだ、きっと。
なお、しばらく後――魔物討伐部隊員達の言葉は、これにつきた。
『こんな見習いがいてたまるか!』
・・・・・・・
「ようこそおいでくださいました、ロセッティ会長!」
会議室に入ってすぐ、赤茶の目の青年が駆け寄ってきた。
前回、魔導具制作部一課で会った、ワイバーンの革を加工していた魔導具師だ。
「本日いらっしゃると伺ったので、ブラックワイバーンの鎧を準備しておきました!」
壁際に飾られているのは、一見、鎧とは言い難い防具だった。
廊下からなぜかそのまま一緒に来た騎士達も、目を丸くしている。
丈夫そうな厚手の黒革で作られた、兜、全身鎧、戦闘靴までの一式。
これは本当に鎧と呼んでいいのか、迷いが生まれる形状だ。
ゆるくワイバーンの形に似せてはいるが、頭から背中にかけ、トゲトゲしたものをやたらに足したのは何故なのか。
飾りとなる羽根が小さめなのはわかるとして、尻尾がギザギザで長めなのは、戦うときに邪魔にはならないのか。
「ご提案頂いたように、ブラックワイバーンの部位をできるだけそのまま使って作ってみました! 強度もなかなかですが、見た目も強そうだと思いませんか?」
「そ、そうですね。確かに強そうです……」
すばらしくいい笑顔の魔導具師に、表情筋を整えて答えた。
鎧より前世の怪獣に近い見た目ですとは、口が裂けても言えない。
「最近の鎧は斬新だな! なかなかかっこいいではないか!」
ベルニージは興味津々らしい。
魔導具師に許可を得ると、肩や背中の羽根を触って確かめ始めた。
「確かに、なかなか、見ない形ですな……」
老齢の騎士は言葉と表情を濁している。確かにこれは形容しがたいだろう。
「鎧は強化をかなりかけていますが、手袋と戦闘靴は特に丈夫にしました。指先では邪魔になると言われたので、手袋は甲の部分に、戦闘靴は爪先に、ワイバーンの爪を使って魔法を付与しました。通常の岩ぐらいなら砕けます!」
防御機能も攻撃力も高いらしい。
この際、尻尾などは動きやすいように改良し、赤く塗って赤鎧に着てもらうのはどうだろうか。
いや、それでもワイバーンが寄ってくる可能性があるならだめだが。
「でも、グラート隊長はお忙しいそうで、まだ一度も着て頂けないのです……これならきっと他のワイバーンを引き寄せられると思うのですが」
ジルドの提案通り、本当に他のワイバーンを引き寄せる用に、グラートのサイズで作ったらしい。
目の前の魔導具師は大変残念そうに言うが、隊長の気持ちもわかる気がする。
ダリヤとしては、これを着て囮になりたいとは絶対に思わない。
「なかなか迫力のある良い鎧ではないか。サイズが合えば私も着てみたいのだがなぁ」
「隊長のように灰手は持っておらんから、我々ではワイバーンの迎撃はできんぞ」
「この際、灰手のようなかっこいい剣を、魔導具で作れぬものだろうか? いや、ここはワイバーンが落とせるほどに我が身を鍛えねば……」
魔導義手を着けた騎士二人が、鎧と剣と己に関して話し合っている。
ここにヴォルフがいれば、魔剣の話に参加できたかもしれない。
残念ながら、ダリヤには魔剣、灰手のような高魔力のものは無理である。
先日、ヴォルフに作った紅蓮の魔剣――頑張ってはみたが、照明的火魔法の付与になった。
次にヨナスに作るものは、剣自体がより適したもので、付与は商業ギルド長であるレオーネに頼むことになっている。
ヴォルフにもっと威力のある魔剣を作りたいのだが、自分の知識と魔力では、まだまだ遠いらしい。
魔導具師として研鑽あるのみだろう。
ふと気がつき、自分の斜め後ろ、従者としてずっと無言のマルチェラを振り返る。
初めての魔導具制作部棟に初対面の者達ばかり、さぞ緊張しているだろうかと思いきや、彼はじっと黒革の鎧に顔を向けていた。
鳶色の視線の先、ベルニージがひどく真剣な顔で長い尻尾を引っ張って確認している。
もしかすると、あれにも何か付与が付けられているのかもしれない。
「ええと……マルチェラ、どう思いますか?」
こっそりと尋ねると、いい笑顔と共に、ささやきになりきれぬ強い声が返ってきた。
「滅茶苦茶かっこいい……です!」