276.水ギョウザと氷
ダリヤはヴォルフと共に緑の塔に戻った。
一階の作業場に入ると、ヴォルフの視線が壁際に流れる。
「スライムの瓶、ガラスケースになったんだ」
スライムは、前の二倍はある四角いガラスケースに入れられている。
丈夫さは折り紙付き、ダリヤが乗っても壊れないそうだ。
「はい、このケースだと、外からスポイトで栄養液があげられるので」
「もしかして、ヨナス先生が入れ替えを?」
「いえ、イデアさんが来てくださって、取り替えてくれました」
「ええと、大丈夫だった?」
主語をぼかし、視線をずらして尋ねてくれるのはありがたい。
ブルースライムの脱走は、思い出してもいろいろと恥ずかしい。
「はい、イデアさんは身体強化が少しあるみたいで、簡単に開けて、ブルースライムを片手でつかんで入れてくれました。ブルースライムもとてもおとなしくて、まったく動きませんでしたよ」
「安全でよかったんじゃないかな」
「私のときはあんなに跳ねてたのに、人を見るんでしょうか?」
二人の視線がそろって、ガラスケースへ向いた。
ブルースライムは広くなった家を満喫しているらしい。中央で丸い身体を平らにしている。
その体内、核と共に薄く赤いものが見えた。
「このスライム、まだ持ってるのか……」
「何がです?」
「いや、スライムの中の、赤いのって、その……」
「違いますよ! あれは今朝あげたリンゴの皮です!」
つい声が大きくなってしまった。
赤い破片は先日のスカートの切れ端ではない。
正真正銘、今朝食べたリンゴの皮である。
栄養水だけでは食べごたえがないから、先日、スカートを溶かしたのかもしれない――そう思ってちょっとずつ野菜や果物の端を与えているのだ。
それにスライムの溶解液は、意外に強い。
一日あれば取り込んだ分はまず消化するほどだ。
だが、ヴォルフはスライムの生態にくわしいわけではないのだ。勘違いされても仕方がない。
「ええと、ダンスを合わせるお話でしたよね!」
話題を切り換えようと、ダリヤはわざと明るい声を出した。
ヴォルフも軽く咳をする。
「あ、ああ、そうだね」
「うちで二人でダンスができる広さとなると、庭か屋上しかないんですが」
塔は階段がある関係で床面積が少なめだ。
広いのは屋上と庭だが、どちらも屋外である。この時期、ちょっと寒い。
「二人きりでダンスの練習……ええと、一応、第三者に立ち会ってもらった方がいいと思う」
「あ、そうですよね。自分達が踊っているのは見えないので、きちんと踊れているかわからないですし……」
合わせるだけなら塔でも問題ないかと思ったが、踊る姿勢などは自分達では見えないのだ。
わかる人が一緒の方がいいだろう。
いろいろと考えてくれているらしいヴォルフに納得した。
「うちの屋敷で、見てくれる人をお願いしておくよ。ダリヤの予定になるべく合わせる」
「それなら、先に私が一度か二度、ガブリエラに紹介して頂いた先生に習ってきます。ええと、ヴォルフはアルテア様と踊っていて、慣れてるんですよね?」
「ああ、一応。最近は行くことが減っているけど」
今年の初夏から、ヴォルフはダリヤとの予定が合えば、緑の塔に来ている。
結果、アルテアと踊る回数が減っている。
もっとも、高等学院卒業後、ダンスをしたことのないダリヤとであれば、差は明白だ。
「やっぱり先に私が少し練習してきます。なので、今日はのんびり、と言いたいところですが、夕食がギョウザなので、包むのを手伝ってください」
「喜んで。今度は具の入れすぎで破裂させないようにするよ」
話しながら二階に上がると、温熱座卓の上、銀の箱とスケッチブックが出しっぱなしだった。
「それは魔封箱? 新しい魔導具とか?」
「いえ、魔魚のウロコです。カルミネ副部長から頂きました」
蓋を開けて中身を見せる。
白、赤、青、黄、緑の半透明、半円のウロコがガラスケースの中で光っている。
どう使おうかと考えて、テーブルの上に置いたままにしていた。
「……宝石みたいだ」
ウロコはきらきらと輝いて、どれも美しい。
確かに宝石を削ったもののようにも見える。
「そうですね。魔導ランプや手鏡の背なんかに合わせると、きれいに仕上がりそうです」
魔導ランプの傘、擦りガラスと共に入れ込めば、色とりどりのやわらかな光になるだろう。
手鏡の背には、黒地に小花を描いて見るのもいいかもしれない。
つい想像をふくらませていると、ヴォルフが微妙な表情をしていた。
「ヴォルフ、調子が悪いですか? それとも、疲れてませんか?」
「いや、別に――」
「無理はしないで休んでください。作るのは一人でもできますから」
「違うんだ、昨日、ちょっとよく眠れなかっただけで――その、兵舎はにぎやかだったりすることもあるから」
兵舎に住むのは独身男性だ、にぎやかになることもあるだろう。
騒音で寝付きが悪く、疲れがたまっているのかもしれない。
そこでふと思い出した。
王城で作られていた仮眠ランタン、あれをヴォルフ用に作ればいいのではないだろうか。
幸い、王城魔導具制作部長であるウロスの薬液レシピ、そして、月光蝶の羽根などの材料もある。
ウロスからは『ご自身とご友人に作る分は研究用としてかまわぬ』とのお言葉ももらっている。
今世にクリスマスはない。
だが、冬祭り近くには、家族や恋人、親しい友人に贈り物をすることがある。
友人には、縫いとりのあるハンカチや手袋、髪留めなどが多い。
こっそりと仮眠ランタンを作り、ヴォルフに贈るのもいいかもしれない――
思いつきに口元がゆるむのに気づき、あわてて止める。
これに関しては内緒にし、渡す日にヴォルフを驚かせたい。
ここからは表情筋との戦いになりそうだ。
「じゃあ、夕食の準備を――ギョウザのタネは作ってあるので、皮包みをお願いします」
ダリヤはヴォルフを伴い、台所へ進んだ。
「こっちは皮が薄いね」
とても薄い皮と普通のギョウザ用の皮、二種類を手にするヴォルフが、怪訝な顔をする。
「はい、今日は『水ギョウザ』ですから」
「水ギョウザ……皮が二種類あるんだけど?」
「こちらはスープで、こちらは主食ですね」
「水ギョウザで水ギョウザを食べるの?」
目を丸くしているヴォルフに、くすりと笑う。
本日の自分は確信犯である。
「はい、ひたすらに水ギョウザです」
ボウルに入ったタネは二種、中身によって皮が違う。
ちなみに、包む小麦の皮については、中央区の食料品店で購入した。
サイズは少し大きめだが、角形・丸形ともあり、とても便利だ。
そこからは、二人横並びで雑談をしつつ包む作業となった。
高く重なっている皮でタネを少なめに包み、トレイに移動させる。
ひたすらに作り続けた結果、大きなトレイ二つがいっぱいになった。
そこからはまた居間に戻る。
温熱座卓の天板の上、見慣れた小型魔導コンロが二台。
それぞれお湯とスープを載せて温める。トレイを横に置き、作り置きのおかずと酒を並べれば、夕食準備は完了である。
「ライ麦のウィスキーですが、あまり辛くない銘柄だそうです。マルチェラさんからもらいました」
マルチェラは遠い親戚から数本もらったそうだが、最近、酒を控えているからと分けてくれた。
『たぶん、ヴォルフが好きな味だ』と言われたのは、なんとなく内緒にしておく。
今日も忙しく、ここまでで少々の疲れと喉の渇きがある。
食前酒となるので、最初のグラスに氷は一つだけ、水多めでかなり薄くした。
「ダンスで失敗しませんように、乾杯」
「きっと大丈夫、ロセッティ商会の発展に、乾杯」
後ろ向きな乾杯の言葉に、ヴォルフが笑顔で答えてくれた。
ライ麦のウィスキーは初めてだが、薄めすぎたか――そう思いつつ口に含むと、きりりとした味わいが広がった。ライ麦の味なのだろう、独特な強さと苦みを感じる。
喉を通りすぎる酒にほっと息を吐けば、柔らかく華やかな香りが通った。
「おいしい酒だ……」
黄金の目は細められ、じっと酒瓶を確認している。
マルチェラの予想は当たったらしい。食後はこれを濃いまま、氷多めで出すことにした。
鍋がぐつぐつと音を立て始めたので、こちらも食べることにする。
左の鍋は鶏の水ギョウザ。
鶏挽肉と刻んで軽く蒸した野菜を多めに、これを通常の皮で包んだ。できあがったものは、お湯で茹でて、好みのタレをつけて食べる。
右の鍋が豚の水ギョウザ。
豚挽肉と細かく刻んだ長ネギ、これを薄い皮で包み、味噌味のスープと共に頂く。
ヴォルフには二つとも水ギョウザと説明したが、こちらは前世の味噌ワンタンに近い。
最初に箸をつけたのは、鶏の水ギョウザ。
タレはおろしショウガ、すりゴマ、刻みトマトに塩胡椒、酢、香油、魚醤から好みで合わせてもらう。
鶏肉は新鮮で脂身が少ないものを選んだ。パサパサしそうだが、そこは白菜やニラを刻み、片栗粉を少し入れてまとめてある。
多少食べ過ぎても問題ない。最近のウエストを考慮した、健康的な一品である。
二つに割って白い湯気を吐いたところに、おろしショウガをちょっとだけ載せて口に入れる。
熱と共に広がるのは、とても素直な鶏肉と野菜の味だ。
はふはふと噛んでいくと、ショウガが別の味を告げてくる。
素直な味は飽きづらいので、量は進みそうだが。
ヴォルフは最初の一個をそのままで食べたらしい。
目を閉じ、丁寧に咀嚼するのは、おいしいものを楽しむときの彼の定番だ。
おそらくは気に入ってくれたのだろう。
だが、ダリヤには一つの予想があった。
それを確かめるために、右の鍋から深皿に水ギョウザとスープを入れ、そっとヴォルフの前に置く。
「ギョウザもおいしいけど、水ギョウザもおいしい……」
「そうですね。では、スープ付きの水ギョウザもどうぞ」
タネの豚挽肉は脂身のしっかり入ったもの、ネギは辛みが強いものを選んだ。
スープはネギの青いところや野菜の余り、そして豚の脂を少し入れて出汁とし、味噌味で仕上げた。
そこにぷっくりとふくらんだ水ギョウザは、視覚的にもおいしそうだ。
水ギョウザの方はワンタンに近い形で小さめに仕上げたが、つるりと口に飛び込んで小気味よい。
噛めばふんだんな汁気がうまみと共に広がり、脂の甘さまでがわかる。
次にスープを飲んでみたが、少し強めの味噌味で、なかなかよく仕上がっていた。
おそらく、鶏の水ギョウザよりもこちらの方がヴォルフの好みである。
予想を確認したくて、そっと視線を向ける。
彼はめずらしく咀嚼が少なく、つるりつるりと水ギョウザを食べていた。
すべて食べ終えると、深皿を両手で持ち、丁寧にスープを飲み干す。
無言で深い吐息をついた後、黄金の目がうるりと揺れて自分を見た。
「これは罠だ……」
言いがかりも大概である。料理に罠では、まるで犯罪ではないか。
「何の罠なんですか?」
「俺が、緑の塔から出られなくなるという……」
本来、ヴォルフを捕まえる罠など、よほど大型で丈夫なものでないと無理だろう。
それが味噌味の水ギョウザで済むなら、ずいぶん安上がりだ。
片手で額と目を押さえ、彼が苦悩しているうちに、その深皿にスープと水ギョウザを山と盛っておく。
「そのときは貴重な労働力として、魔導具制作の助手をお願いしますね。食事は三食出しますから」
「なんという好待遇……」
真顔で答えるヴォルフに、吹き出してしまった。
なのに、次に彼に勢いで問うた言葉は、自分でも少し驚いた。
「ヴォルフは、いつまで赤鎧を続けるんですか?」
「決めてないけど、隊では三十くらいまでが多いかな」
「……大変なお仕事ですからね」
「先輩方は『膝と肩にくる』って言ってた。俺も『お前は飛んだり跳ねたりしてるから、早く膝にくるぞ』って脅されてる」
それならば、鶏の軟骨スープなどをこまめに摂れば――そう言おうとして、止めた。
膝関節にくるようになったら、ヴォルフは危ない赤鎧を、魔物討伐部隊を辞めるのが早くなるのではないか。
そうすればもう遠征に行くことはなく、王都にいて、いつでも会えて――
「ダリヤ?」
「え、あ、すみません、ちょっとお酒でぼうっとして……」
どうやら、空腹だったせいで、少ない酒でも回ったらしい。
だが、酔っているとはいえ、ずいぶん失礼なことを考えてしまった。
ヴォルフの能力の高さも任務に対する真摯さも知っているのに。
お披露目で不安になっている、自分の甘えかもしれない。
「ダリヤの方こそ疲れてない? ここのところかなり忙しそうだから」
「大丈夫ですよ、休むときはちゃんと休んでますから。さあ、冷めないうちにしっかり食べましょう!」
ヴォルフに心配をかけたくはない。
ダリヤは笑顔で答えると、今度は自分の深皿に水ギョウザを盛る。
この後、トレイに山と盛られた水ギョウザは、すべて二人の胃袋に収まった。
満腹になりすぎた食後、一息入れようとグラスを傾ける。
口に含んだ酒は、思いの外ぬるくなっていた。
氷を入れてもすぐ冷やすということはできない。
氷で酒の温度が変わっていく、その違いも味わいと言えるけれど――そう思いつつ、氷と酒を注ぎ、マドラーでかき混ぜる。
いっそ、このマドラーに氷魔法の付与ができればと思ってしまった。
「どうかした?」
「このマドラーに氷魔法をつけて、お酒をすぐに冷やせればいいかなと思ったんです。でも、マドラーの素材と付与材料を考えると、製品として売れない値段になりますね……」
「貴族向けならいけるかもしれないよ」
確かに、貴族の金銭感覚はゼロが一つ以上違う。案外、珍しがられるかもしれない。
それに、試作して自分達だけで使うのもいいだろう。
「コップ自体を冷やすというのはどうだろう?」
「それもありですね。ちなみに、父が挑戦してコップの中身ごと凍らせたそうです。氷の魔石をいきなりつけるとか、酔った勢いだったらしいですけど」
「それは……溶けるまで飲めないよね」
手のひらを真っ赤にして帰宅した父に、問答無用でポーションをかけたのは内緒である。
似た者親子とは言われたくない。
「魔導具だと『冷却盆』がありますが、ヴォルフは使ったことがありませんか?」
「ああ、深めのトレイみたいなところに、グラスを入れるへこみがあるタイプだよね?」
「ええ、そうです」
「隊にあったんだけど、皆ペースが速いから、冷える前に飲みきってしまって。しまいこんでそれっきりになってる……」
流石、魔物討伐部隊員と言うべきか。
酒に関しては、ウワバミならぬ、王蛇と大海蛇しかいないらしい。
冷却盆の存在意義がない。
「氷と言えば、ダリヤは氷の結晶模様は好き?」
「ええ、好きです。ヴォルフはどうですか?」
「きれいだから、好きかな。小さい頃、母が窓ガラスに氷魔法でつけてくれて、溶けるまで眺めていたことがあるよ」
ひどくなつかしそうな目で、ヴォルフが言う。
氷の結晶模様は、彼の大切な思い出なのかもしれない、そう思えた。
「お披露目って、やっぱり緊張する?」
「はい、正直、できるだけ目立ちたくないです……性格的に向いていません……」
「白状すると、俺もできることなら眼鏡をかけて出席したい。女性からは遠ざかりたいし、君に余計な迷惑をかけたくない……」
ヴォルフと共に本音がこぼれまくる。
まちがいなく、自分よりヴォルフの方が目立つ。その上、女性にからまれる可能性もある。
「すみません、ヴォルフを巻き込んでしまって」
「いや、俺もある意味、お披露目のようなものだし。今まで舞踏会も晩餐会も避けてて、そろそろ場を覚えなきゃと思っていたところだから」
やはり、ヴォルフも貴族の一員だ。
兄であるグイードが侯爵になるのだ。いろいろと準備しなければならないことがあるのだろう。
だが、叙爵に向け、最初に踏み出す場がヴォルフと一緒なのは、本当にうれしい。
「じゃあ、二人のお披露目みたいなものですね」
「……二人のお披露目……」
数秒の沈黙の後、カランと音が響いた。
アイスペールの最後の氷が溶け、底で滑ったらしい。
「あ、氷が少なくなったので持って来ます。ヴォルフは飲んでてください」
「ああ、ありがとう」
台所に向かうダリヤの背を見送った後、ヴォルフはグラスの残りを干す。
視界にふと入るのは、棚に移動された魔封箱。
カルミネから贈られたという、宝石のごときウロコが入っている。
ダリヤが蓋を開けたとき、腕輪につける石かと思い、カルミネの墨色と藍鼠色を探してしまった。
もっとも、ダリヤならその色が入っていても気づかないかもしれないが。
そして、さきほどの言葉。
貴族が『二人のお披露目』といえば、婚約を周囲に知らせる意味合いもある――
その指摘がどうしてもできなかった。
ダリヤには髪の毛一本ほどもその意図はないだろうが、貴族の言い方に慣れぬ彼女は、どうにも危うい。
自分だからよかったようなものの、受け取り違いをする者がいたらどうするのか。
面倒だと逃げていた貴族関係だが、ここから学ばなくてはいけないだろう。
その身の護衛だけではなく、少しでも彼女の手助けができるようになりたい。
その話がよりわかるように、魔導具の勉強ももっとしたいところだ。
そしていつか、ダリヤの魔導具作りの助手ができるようになれば、その隣で――
「ずっと三食つき……いや、酔いすぎだろう、俺!」
黒髪の青年は、己を本気で責めつつ、天板に突っ伏した。
活動報告(2020/06/05)に、コミカライズ連載とコミックス二巻のお知らせ・書籍に関するお返事をアップしました。
・コミックガーデン様2020年7月号からとMAGCOMI様で連載開始となりました。
・コンプエース様にて連載して頂いた『魔導具師ダリヤはうつむかない』2巻の発売が決まりました。
応援に心から感謝申し上げます。