268.防水布を作る者
「大型の粉砕機に関するお話をするはずが、予定外のことが入りまして申し訳ありません」
魔物討伐部隊棟に戻る馬車の中、向かいのカルミネが謝罪してきた。
ジルドはすでに財務部の入った事務方の棟に送り、馬車の中はダリヤとヴォルフ、カルミネの三人だけである。
「いえ、見学と付与体験をさせて頂き、ありがとうございました。それに貴重なものを頂いて……」
「それはウロス部長からですので、どうぞお気になさらないでください」
仮眠ランタンの薬液レシピと月光蝶の羽根の結晶、そして氷龍のウロコは、カルミネがそろえてくれた。
魔封箱に入れて革紐で封をし、隣に座るヴォルフが持ってくれている。
「大型の粉砕機の件ですが、風の魔石を五つ以上、刃の数を二枚に増やし、硬質化したいと考えております。仕様書案を描きましたらご覧頂いてもよろしいですか?」
「はい、ぜひ拝見させてください。その、風の魔石を五つ以上使うとなると、魔力はどのぐらいいるものでしょうか?」
「概算で、十二、三ほどでしょうか」
おそらくはその数字が王城魔導具師の当たり前なのだろう。ちょっとうらやましい。
自分も十一まではいずれ上げたいものだ。
もっとも、この十の魔力すら完全に制御しきれていないのだから、父が生きていたら苦笑されそうだが。
「先程、風の魔石三つ以上を使った魔導具をお一人で制作したことはないとのことでしたが、ダリヤ会長は大型給湯器などをお引き受けにならないのですか?」
「はい、私では魔力的に無理ですので。以前から風の魔石二つ以下だけを制作しております」
「先程も付与には魔力が足りないとおっしゃっていましたが、失礼ですが、今後のために魔力値をお尋ねしても? ああ、こういったことは私から言うべきですね、十九です」
「十九、ですか……」
隣のヴォルフが息を呑んだのがわかった。
だが、ダリヤは深く納得した。
先程の付与、あの布のような魔力は、強い上によく制御されたものだった。
カルミネは誇ることはなく、むしろ自嘲めいた笑みを浮かべる。
「魔力値などただの数字にすぎませんよ。私は公爵家の血が入っておりますが、攻撃魔法も治癒魔法も皆無。身体強化すらできず、付与魔法以外使えません」
不意に、以前、ヴォルフに聞いたことを思い出す。
子爵以上の貴族で五要素魔力がないのは、扱いや立場、婚姻にも大きく差し支えるという。
伯爵家のヴォルフが辛い思いをしたのだ。
公爵家のカルミネは、どれほどの苦渋を味わったのか。
だが、さきほどのあの付与は、魔導具師としては最高峰だと思える。
高魔力を布の如く馴染ませ、一度で完全に包み込んでいた。あんな付与を見たのは初めてだ。
あれほどの付与が自由に行えるならば、魔導具師としてどれだけ仕事の幅が広がるか、素材を選ばずに作ることができるか――申し訳ないが、そこはうらやましくすらある。
「カルミネ副部長、魔力はどうであれ、王城魔導具制作部、その副部長としてご活躍なさっているのは、すばらしいことではないですか」
自分より先にそう告げたのは、ヴォルフだった。
彼にも思うところがあったのだろう。
世辞ではないとわかるまっすぐな声に、カルミネが藍鼠の目を伏せる。
「ありがとうございます、ヴォルフ殿。しかし、一人の魔導具師としては、発想と開発力があり、確実な付与を行えるダリヤ会長の方が上でしょう。お持ちの魔力だけであれほど見事な『防水布の天幕』や『疾風の魔弓』をお作りになるのですから」
カルミネは勘違いしている。
オルランド商会経由で王城に納品した天幕の付与は、父かトビアスだ。
それに魔物討伐部隊に追加で納品された疾風の魔弓、あれを作ったのは自分ではない。
「いえ、どちらも私ではありません。王城向けの天幕は父か兄弟子の作だと思いますし、疾風の魔弓は、スカルファロット武具工房の魔導具師によるものです。私の魔力値は十ですので」
「そうなのですか、制作もダリヤ会長だとばかり――」
「大きい天幕は私では均一性が足らず、魔弓の方は開発時に少しのご協力程度です。私では魔力も技術も足りませんので」
王城の天幕は大きさ故に一定魔力で付与を続けるか、高魔力で一気に付与する必要がある。
ダリヤではどちらも難しかった。
魔弓に関しては『開発時に少しのご協力程度』――この言い方はヨナスによる勧めだが、実際にそうだ。
疾風の魔弓の原型を作ったのは自分とヴォルフだが、隊に追加で納品されたものは、スカルファロット家の魔導具師による付与だ。
弓自体も短剣も、武具の専門家がよりよい素材で制作、形も改良したと聞いている。
一人の弓騎士に対して適切に調整され、弓自体が強く、魔法の付与もより強く――すべて一流の職人達が行っている。
威力がかなり上がったため、事故防止に、紅血設定で本人しか使えないようにされているそうだ。
その本人も、安全性を考え、人に向けぬという神殿契約を結んでいるという。遠征で魔物と対峙し、混乱した場合などの同士討ちを防ぐためだそうだ。
安全確認をしたいので、万が一の事故や故障は知らせてほしいと伝えているが、制作とカスタマイズについては、もう自分の力の及ぶところではない。
「スカルファロット家の武具部門というのは、技術力のある方々がそろっているのですね」
「ありがとうございます。カルミネ副部長にそうおっしゃって頂けたと聞けば、皆、喜びます」
ダリヤより少し前に身を乗り出し、ヴォルフが笑顔で答えている。
「では、数日中に西区の緑の塔へ、大型の粉砕機に関する仕様案をお送りしてもよろしいでしょうか? 次に隊へいらっしゃるときに、予定を合わせてお話ができればと思いますので」
「はい、お願い致します」
答えて、ふと引っかかりを感じた。
自分はカルミネに住まいを教えていない。
「カルミネ様、どうしてダリヤの住まいをご存じなのですか?」
自分が言う前に、隣のヴォルフが尋ねてくれた。
「以前、王城でカルロ殿とご一緒したことがございます。そのときにお教え頂きました。いつか、緑の塔に酒を持ってこっそり遊びに来ればいい、娘を紹介するからとおっしゃいまして……」
「え、私ですか?」
「お恥ずかしながら、カルロ殿に願ったのですよ、ぜひご息女にお会いさせて頂きたいと」
父が王城へ仕事に出向いたことは確かにある。
だが、カルミネについては父から聞いたことがない。それとも自分が忘れているのだろうか。
必死に記憶をたぐり寄せていると、ヴォルフがまた先に尋ねてくれた。
「カルロ様のお招きがあったのに、いらっしゃらなかったのですか?」
「急な仕事で忙しくしているうちに月をいくつか越え、他からダリヤ会長のご婚約のお話を伺いました。流石にその後にご連絡というのも気がひけまして……」
「そう、ですか……」
大変微妙な空気が漂う。
これではまるで、カルミネが自分に心を寄せていたように聞こえるではないか。
それは絶対にあり得ない。
ダリヤはどんな理由があったのかを率直に尋ねることとした。
「カルミネ副部長、どのような御用があったのでしょうか?」
「その――私は防水布に感銘を受けまして、いわば、防水布のファンと申しましょうか」
「防水布の、ファン……」
ヴォルフが平らな声で復唱している。
ダリヤの頭の中を、複数のブルースライムが規則正しく跳ねていった。
「以前、私は防水布と同じ機能のものを目指して、革で研究しておりました。革の軽量化に硬質化、各種魔物素材の付与、様々に試しましたが撥水効果が足らず――そこに王城へ納品されてきた防水布の天幕を拝見し、雷に打たれた思いでした」
カルミネが感動したというのであれば、その天幕は父の付与だ。
大きい布でも端から端まで均一、ムラも抜けもなくて当たり前、端だけを二重にくるむぐらいはしていたに違いない。
「防水布をカルロ殿のご息女が開発したと伺って、ぜひお話を伺いたいと思ったのです。天才のひらめきというのは、どのようなものかと――」
「いえ! 私は天才などでは全然なく!」
声を大きくしつつ、罪悪感で胸が痛む。
自分には前世がある、それ故に作れたものが多いのだ。天才のひらめきなどまったくない。
「ご謙遜なさらずとも。防水布や乾燥中敷にスライムの粉を使うなど、考えもしませんでした。私のように試行錯誤がまるで無駄な者からすれば、うらやましい限りです」
「あの、それは違います。試行錯誤と失敗は山のようにしましたので……」
それだけは言える。
防水布に関しては山のように実験し、父もトビアスもイルマまでも巻き込み、迷惑をかけまくった。
「防水布はどこから取りかかられました? やはりスライム粉や他の魔物の粉や結晶を試すところからでしょうか?」
「ええと、スライムの粉を作るために、スライムを干すところが最初でした」
「え? 粉は冒険者ギルドに頼まなかったのですか?」
「当時はスライムそのものが一般的ではなく……スライムの核を壊して獲ってきて頂き、それを干した後、粉にしておりました」
「その作業はどちらで?」
「塔の床から屋上まで、あとは庭ですね。でも、雨が続くとカビてしまうので困りました」
「スライムにカビ……他にも問題などはありましたか?」
「ブルースライムに脱走されて探したり、干していたグリーンスライムを鳥に食べられたりもしました。なので、本当に冒険者ギルドで粉を作って頂けるようになって、ありがたいです」
今でこそ、スライム粉は魔物素材の中ではお手頃な価格だが、当時はなかったのだ。
冒険者ギルドの生産体制の整備をぜひ褒めて頂きたい。
「防水布の配合や付与は、どのように導き出されたのですか?」
「総あたりです。ええと、各種スライムを粉にしたものと薬液を合わせて小さい布で試して、ブルースライムと決めました。そこから各種薬剤を試し、良さそうな四種を選び、一長一短なので混合にしました。混合割合も五十ほど組みました」
「本当に、総あたりなさったのですね……」
その通りである。凡才なので試行回数による開発だった。
なので、自分に天才のひらめきを求めるのはやめて頂きたい。
「防水布開発で一番大変だったのは、どのあたりでしょうか?」
「そうですね……耐久試験として、小型洗濯機で百回洗ったときでしょうか。手が痛くなって大変でした」
「小型洗濯機で百回……」
小型洗濯機は小さな樽状の洗濯機に、水の魔石をセット、上部の手動ハンドルを回転させ、水流で洗うものだ。
短期間で耐久試験を終えたいと必死に回し、連日、筋肉痛となった。
「ダリヤは確かにひらめきに優れていますが、それ以上に熱意のある努力家です。様々な実験を行い、ブラックスライムの粉で火傷を負うほどだったのですから」
「ヴ、ヴォルフ」
待つのだ、それは努力家ではなく、ただの不注意な愚か者だ。
ヴォルフのフォローが斜めに突き抜けた状態に、ただあせる。
「ブラックスライムで火傷……」
「いえ、いつもそんな無茶なことをしているわけではなく! そのときはたまたまで……」
「今、思い出しました。カルロ殿が『一時も目を離したくない魔導具師』だとおっしゃっていました……」
父、他人に自分の娘を紹介するにしても、あんまりではないだろうか。
そこまで自分が心配だったのか。
いや、カルミネと話したことで、防水布の実験を思い出したのだろう、そうに違いない。
「申し訳ありません。横から申し上げて――でも、ダリヤは本当にすばらしい魔導具師です。確かに勢いで試すこともありますが、いつも懸命で、人のことを想って、魔導具を作ってくれます」
ヴォルフの言葉に、うれしさと恥ずかしさが波のように押し寄せた。
口を開きかけて閉じ、顔が赤くなるのを止めようとして失敗する。
ダリヤは頭を必死に動かし、話題を変えることにした。
「カルミネ副部長! 革を軽量化し、魔物素材を付与なさったものはどのような感じだったか、お伺いしてもよろしいでしょうか?」
「はい、軽量化した馬、八本脚馬、鹿、猪などの革に、クラーケンや大海蛇や砂漠蟲、鎧蟹などを付与しました。どれも撥水効果が足りないか、重量が重く、最終的に革鎧の素材ができあがってしまいましたが」
「革鎧向けの素材、それも凄いことだと思います」
「あとは、折りたためぬテントに、張りづらい幌ができあがりまして……しかも価格は防水布の十倍値という……」
はるか遠い目をするカルミネの思いはよくわかる。
魔導具というものは、あらぬ方向に進むことも多いのだ。
あと、確かに使い勝手がよくないまま、価格十倍は悩むところかもしれない。
「革に防水布と同じくブルースライムの粉を付与してみたこともあります。しかし、革では剥離しやすくてだめでした。布のようにきちんと染みこまないのが原因だと思いますが……」
「革で剥離……刻んではだめでしょうか?」
「刻むとは?」
「ええと、私はコートの穴を塞ぐのに、強化をかねて、裏側にブラックワイバーンの余った皮を刻んで貼っているんです。ボロ皮というか、廃棄するような端の部分や古い皮も刻めば薬液も魔法も通りやすいですし、お得ですから」
そこまで言って口を閉じる。
王城の魔導具師に向かい、お得だからと廃棄用のボロ皮を勧めてどうするのだ。新品を刻んでもいい話ではないか。
カルミネは目を丸くして聞いていたが、その後に口角をきれいに吊り上げた。
「廃棄している皮は山ほどあります。ダリヤ会長、その案、お借りして実験させて頂いても?」
「もちろんです」
「では、こちらの結果も緑の塔へお送りさせて頂きます」
彼の言葉の後、ちょうど馬車が止まる。
ヴォルフが先に降り、ダリヤに右の手のひらを向けてくれた。
ドアにローブの裾がはさまらないよう、細心の注意を払っていると、カルミネが笑む。そして、そっと片側のドアを押さえてくれた。
礼を告げて馬車を降りたダリヤは、目の前の魔物討伐部隊棟とヴォルフのエスコートに安堵する。
その背、カルミネのつぶやきが届くことはなかった。
「あの日、すぐ塔に伺わなかったことが、本当に悔やまれます――」