260.緑の野菜ジュースと粉砕機
「緑の野菜ジュース、か……」
王城、魔物討伐部隊棟の会議室、グラートがグラスに懐疑的な目を向けている。
同席しているのは、ダリヤとイヴァーノ、そして魔物討伐部隊の六名、王城の魔導具制作部から一人、何故か財務部長のジルド。
書類を配るために聞いた人数から二人増えているが、誰かは確認はしない。
全員の前にあるのは、小さめのグラスに入った緑の野菜ジュース――いわば青汁である。
市場によく出回る青菜、前世の小松菜のような葉物を中心に、旬の野菜とリンゴを加えた、苦さを抑えた飲みやすい味だ。
基本の配合はメモしたが、実際に作って調整してくれたのは王城の調理人達である。
大きめの粉砕機で野菜とリンゴを粉砕、少しだけ水を加えた、滑らかな出来だ。
果物ジュースに関しては王城内で一定の需要があるそうで、手慣れたものだった。
「これは処々の体調不良に大変効きそうですね」
魔物討伐部隊の副隊長、グリゼルダのグラスはすでに空だ。
彼が手にしているのは、ロセッティ商会の配った書類である。
野菜不足のマイナス点やお通じの話など、イヴァーノがオブラートに包んで格調高い文章にしてくれた。
口頭で事細かに伝えなくていいのはありがたい。
「妻もこちらを愛飲しておりますが、肌にも効果があるそうです。遠征ではいろいろと不快なこともありますから、導入したいところです」
すでにグリゼルダは乗り気らしい。
彼の言葉に、茶金の髪の騎士が身を乗り出す。
「肌にも? 遠征が長くなるとかゆみが出るので――水虫ではなく、湿疹が出やすいというのもありますので、改善されるならぜひ飲みたいところです」
「確かに、遠征が長くなると肌は荒れるな。鎧ですれたところも治りづらい。まあ、ゆっくり風呂に入れぬのもあるだろうが」
水虫と汗の問題が減っても、かゆみと皮膚の荒れは残っていた。
こちらもなかなか切実である。
「……緑の野菜がなくても、人は生きていけると思うのだが」
話し合いが進む横、迷いを込めた小さなつぶやきが落ちたが、微妙に聞き返せない。
「これは青臭さも苦みもなくていいですね。そのへんの食堂の野菜ジュースより、ずっとうまいですよ。二日酔いの朝にも効きそうです」
明るいドリノの声に、何人かが深くうなずいた。
野菜ジュースは庶民女性の美容法の一つでもあり、それなりに普及している。
飲んだことのある者も多いようだ。
二日酔いのときに飲むというのは初めて聞いたが。
「ダリヤ先生、こちら、遠征へはどのようにして持って行くのがいいでしょうか?」
「冷凍するか冷やして、状態保存のかかった容器に入れて頂ければと思います」
「冷凍……では、氷の魔石の消費がそれなりに要りますな」
「一日分ごとに分け、順次に開ける形にすればいいでしょう。氷の魔石の使用では、開け閉めをするのは非効率的です。冷凍庫では重量が増しますので、クラーケン革の袋をお勧め致します」
見事な提案をしたのは、墨色の髪に藍鼠の目をした男だ。
ダリヤより一回りほど上の年齢だろうか。
会議前に、『王城魔導具制作部・副部長のカルミネ・ザナルディ』と名乗りを受けた。
挨拶を返しつつ、その名の響きに父カルロを重ねて思い出したのは内緒である。
「それであれば魔石の消費も抑えられ、追加の八本脚馬の費用も不要ですな。緑の野菜ジュースの導入は、今期の予算で賄えそうです」
すでに導入予算を計算し始めているらしいジルドがいた。
相変わらず仕事が大変に早い。
その隣、グラートは赤い目でいまだ手を付けていないグラスを見ている。
「隊長、もしかして、野菜ジュースがお嫌いです?」
「そんなことは、ない」
よほど嫌いらしい。
勇気ある質問をしたドリノだが、隊長の眉間の皺に、先を続けられず口を閉じた。
「青臭さや苦みはどうしてもありますので、苦手な方は無理をしてお飲み頂かなくてもいいと思います」
「人には好みというものがありますからな」
ダリヤの後、ジルドがフォローを入れてくれたが、その表情が微妙に険しい。
食べ物には好き嫌い、向き不向きがあるのだ。仕方がないだろう。
「隊長、問題ありません。青臭さや苦みは蜂蜜を入れれば消えます」
ランドルフが瓶の蜂蜜を取り出し、スプーンを使用することなく、手元のグラスにたふりと入れる。
一口二口しか残っていない野菜ジュースに、同量以上の蜂蜜――
彼に関しては、栄養問題より糖尿病が心配になってきた。
「ランドルフ、その入れ方はやめた方がいいと思う……」
「おい、森の熊、虫歯になるぞ」
「ならん。歯磨きはしている」
隣に座る茶金の髪の騎士が、ささやき声でからかう。
真顔で否定するランドルフに笑ってしまいそうになった。
「そういえば、長い遠征中は歯磨きが適当になるからか、虫歯よりも歯茎がゆるむことが……いや、年だな」
黒茶の目を伏せたのは、常にグラートの隣にいる騎士だ。
『歯茎がゆるむ』という部分が妙にひっかかった。
「あの、長い遠征では、怪我をした後、血が止まりにくくなったりすることはありませんか?」
「いや、魔導師に治療をしてもらうかポーションを使うので、そういったことはないが。もしや、遠征のときに歯茎がゆるむのは別の原因だろうか?」
言われて認識した。
今世、魔法とポーションがあるので、怪我の治療は速度と価格が先で、血が止まるまでの時間を確認するという感覚はない。
「歯磨きの問題もあるとは思いますが、野菜や果物を摂らないでいると、血が止まりにくくなったりすることがあると、どこかで読んだ覚えがありまして……」
言いかけて濁す。
前世で聞いたことのある『壊血病』
あれは確かビタミンC不足が原因で起こる病気ではなかったか。知識がないのが悔やまれる。
遠征食にはドライフルーツもあるので違うかもしれないが、どうにも気がかりだ。
「『大船乗りの病』ですね。海は周りが塩だらけだから、酢で中和するためにリンゴ酢を飲むのだとか。遠征は陸地がほとんどで、周囲に塩はないので大丈夫だと思いますよ」
にこやかに教えてくれたのはグリゼルダだ。
壊血病、ビタミンCに関しては前世の知識である。
海の塩を酢で中和するわけではないと、言うに言えない。
それに、もしかしたら今世では本当にそうだという可能性もある。
「北の地方では、寒さで血が淀むので、夏の間にリンゴ漬けや酢キャベツを漬けるそうだが……」
ジルドが顎に手を当てて考え込んでいる。
理由はそれぞれだが、どうやらこちらにもビタミンC不足の解消方法、もしくは不調の対策がなされているようだ。
「次の中期遠征で試し、隊員にアンケートを採ってみてはいかがでしょうか?」
「そうすることにしよう」
副隊長の提案を受け、グラートはうなずいた。
そして、そのままグラスを手にし――眉を寄せつつも、一気に飲んだ。
「……飲めたな」
数秒後、拍子抜けしたように言う彼に、緊張の解けた隊員達が笑う。同席者もそれぞれに表情をゆるませた。
「昔、ひどくまずいものに当たってな。以来、匂いで避けていたのだ」
ちょっと苦笑したグラートだが、いつもの表情に切り換える。
「ロセッティ、こちらの製造はどこにする予定だ? 商会で新部門を立てるか?」
「いえ、王城の食品関係か、もしくは干し野菜とドライフルーツを納入している業者さんに、お願いできないかと」
「それならば導入は早いでしょうが、今後は定期的な利益になりますので、せっかくですから立てられては?」
気に掛けてもらえるのはありがたい。
だが、これに関してはすでにイヴァーノときっちり打ち合わせをしてきた。
ロセッティ商会では、きっと手が届かない。
「お言葉をありがとうございます。残念ながら、当方では野菜にくわしい者がおりませんし、野菜は時価なので、いいものをそのときにまとめて購入し、冷凍したいので――それは今まで携わっていた方の方が適任かと」
「安全面の問題もあります。輸送時の腐敗や処々の混入を防ぐには、現在の関係者や業者様の方が信頼できます」
ダリヤの言葉の後、イヴァーノが補足してくれる。
確かに、輸送時間は気になる。調理後すぐに冷凍なり冷蔵の上、状態保存のできる容器に入れられた方がいい。
異物混入はやはり気をつけたい。輸送中に虫でも入ったらことである。
「ロセッティ商会長、粉砕機はどうなさいますか?」
不意にカルミネに尋ねられ、ダリヤは急いで声を返す。
「できましたら、すでにあるものをお使い頂ければと思います」
「これは少々繊維が気になりませんか? もう一段細かくてもよろしいかと」
手元のグラスをゆらりと動かし、藍鼠の目でじっと観察する。
確かに、繊維感が多めに残っていた。
これでもよいかと思ったが、気になる者はいるかもしれない。
だが、濾過してしまうと食物繊維が少なくなってしまう。悩ましいところだ。
「そうですね。その場合、今回より小さい粉砕機を使った方がいいでしょうか?」
「いえ、大型で一気にできる粉砕機を制作した方が早いかと。風の魔石を五つ以上使い、刃の数か形状を変更すればいいのではないでしょうか?」
「なるほど……!」
風の魔石の五つ以上とは恐れ入った。
ダリヤは三つ以上を使ったものを作ったことはない。なんとも憧れる。
「では、魔物討伐部隊用粉砕機は、ロセッティ会長の方で制作なさいますか?」
「いえ、それに関しては魔導具制作部の皆様にお願いできればと思います」
即座に刃の数と形状が出てくるあたり、すでにカルミネの頭の中では試作が組まれていそうである。自分よりずっと早く作ってくれそうだ。
それに、人にはやはりできるできないと向き不向きがある。
「ご遠慮なさらずとも。当方では魔物討伐部隊の相談役として、ロセッティ商会長に敬意をもっております。場所は魔導具制作部で準備致しますし、助手が必要であれば当方から出しましょう」
「お気遣いありがとうございます。ですが、私では魔力が足りず、大型の魔導具制作ができません。風の魔石三つ以上を使った魔導具を一人で制作したことはありませんので――ですから、魔導具制作部の皆様にお願いできればと思います」
初対面の自分に魔力数値は聞きづらいだろう、そう思い、風の魔石三つ以上と告げた。
「……そうですか」
カルミネは一言の後、口を開きかけてやめた。
唇を内側に、白くなるほど閉じている。
魔力の少なさをあきれられたかと思ったが、自分が庶民なのはすでに名乗りで知られている。
となると、他に考えられるのは、魔導具制作部の予定が厳しいのではないだろうか?
忙しいところに、追加で丸投げされる面倒な案件、丸投げした本人は逃走――絶対に許せん。
自分一人では作れぬにしろ、できる範囲で関わるのが最低限の礼儀だろう。
前世、ただただ働いて過労死した職場を思い出し、ダリヤは拳をきつく握る。
「ザナルディ副部長、もし叶いますなら、大型の粉砕機の制作に関し、ご教授を願えませんでしょうか?!」
つい声が一段大きくなってしまった。
勢い込んで言った自分に、周囲が一斉に振り返る。
かなり恥ずかしい。
斜め向かいのカルミネにいたっては、藍鼠の目を自分に向け、二度、瞬きをした。
完全にあきれられた。
『申し訳ありません。ご無理なお願いを大変失礼しました』
そう言おうと口を開きかけたとき、彼は大きく破顔した。
「喜んで。私もぜひ、ロセッティ商会長にご教授願いたいと思っていたところです」