252.友人とのお祝い
「ダリヤ、男爵決定、おめでとう!」
「ありがとうございます、ヴォルフ」
夕刻、約束通りヴォルフが塔にやってきた。
入ってくるなり渡されたのは、可愛らしい花束だ。
中央のピンクから外側の白へグラデーションになったバラは、とてもよい香りがしていた。
お礼を言って受け取ると、ヴォルフはまた馬車へと戻って行った。
何をしに行ったのかを確かめる間もなく、彼は黒い酒瓶と三段の平たい木箱を持って来た。
「これ、お祝いのお酒と肴」
黒い酒瓶はワイン瓶よりも小さく、中身がわからない。
だが、金色のラベルは東ノ国の流麗な文字で『喜び』とある。お祝い向けのお酒なのかもしれない。
二人そろって二階に上がり、夕食とすることにした。
温熱座卓の上に置かれた三段の木箱は、前世の重箱と似ている。
艶やかな木目の蓋を開けると、色とりどりの料理が入っていた。
一段目は鴨肉のソテーとエビの香草焼き、からりと揚げられた赤身と白身の魚のフライ。
二段目は色とりどりの野菜を入れたテリーヌ、そして、凝った飾り切りの野菜と食べられる花のサラダ。
三段目はたくさんのミニカップケーキ。花に蝶、子猫に子犬と、カップケーキの上の砂糖細工が見事で、このまま飾っておきたいほどだ。
「すごいですね……」
「ヨナス先生が家の者に知らせてくれて、兄からこの酒を持って行くように言われて……俺は何もしていなくて、すまない」
言わなければ知らぬままになったはずのこと、それを残念そうに語るヴォルフに、ダリヤは首を横に振る。
「ヴォルフのお家から頂いたんだから一緒です。それにお祝いに持って来てくれたんですから、ヴォルフのおかげです。きれいなお花も頂きましたし、とてもうれしいです」
そこでふと台所の深鍋を思い出す。
本日用意していたのは、野菜がごろごろ入った庶民向けのシチューだ。一応、牛肉を使ってはいるのだが、入れたのはお手頃価格の首部分で、ちょっと硬い。
今日のヴォルフは鍛錬もあると聞いていたので、脂もしっかり、味も濃い目だ。
高級で繊細な味わいであろうこちらの料理と、合うかどうか疑わしい。
「ダリヤ、どうかした?」
「野菜のシチューを作っていたのですが、こちらと合うか考えていました。その、シチューのお肉が硬めで庶民味なので……」
「わがままを言わせてもらえるなら、俺はそのシチューの方がいい」
ヴォルフがきっぱり言い切った。
朝晩は冷える季節である。塔まで馬で移動してきたヴォルフには、温かいシチューの方がいいのだろう。
「よかったです。じゃあ、シチューも出しますね」
台所に向かおうとしたとき、門のベルが鳴った。
窓から下を見ると、門の前、黒に独特な灰銀の飾りがある馬車が駐まっている。
手紙か、贈り物か、どちらにしても送り主の予想がついた。
「お届け物だと思うので行ってきます」
「俺も行くよ。重い物だといけないし、一応」
「そうして頂けると助かります。できれば後で、お礼状の文面を考えるのも手伝ってほしいです」
「ダリヤ、送り主がもうわかるの?」
「……あの馬車、きっとジルド様です」
「ジルド様……」
黄金の目を細め、眉間に薄く皺を寄せるヴォルフに思う。
きっと、今の自分も同じような顔をしているに違いない。
・・・・・・・
届けに来た者に礼を告げ、荷物を受け取って二階に戻る。
予想通り、馬車はジルドの家のものだった。
予想外だったのは、手紙の差出人がジルドとグラートの連名だったことである。
手紙には叙爵への祝いの言葉と共に、魔物討伐部隊、そして王城への貢献に関する感謝が綴られていた。
贈られたのは赤と白の花々を組み合わせた豪華なブーケと、それにちょうどよさそうな水晶の花瓶。
他の箱二つには、それぞれ紅茶の葉とドライフルーツの砂糖がけが入っていた。
礼状の返信とお返しには後で悩むとして、二つの名が並ぶ便箋を、ダリヤは感慨深く見つめる。
「グラート様とジルド様、本当に仲直りされたんですね」
「ああ、隊長室に行くと一緒にお茶を飲んでいるときがあるよ」
「よかったです」
魔物討伐部隊員であったジルドの弟が、遠征帰りに落馬して亡くなった。
原因は遠征中の食事による栄養不良と貧血だったという。
それから長く断たれていた関係は、ようやく修復されたらしい。本当によかった。
それと共に思うのは、やはり遠征中の食事の大切さだ。
移動も戦いも体力を使うのだ。栄養は偏りなくしっかりとってほしいところだ。
そう思いつつ、ヴォルフの差し入れとシチューを居間の温熱座卓の上に並べた。
二人とも空腹だったので、そこからは食事をしながらの会話となった。
ヴォルフは主にシチューを食べ、ダリヤは差し入れを中心に食べる。
一通り食べ終えると、先ほど気にかかったことを尋ねてみた。
「ヴォルフ、遠征中の食生活で気になることはありませんか? 貧血になりやすいとか、こういったものが足りないとか……」
「貧血は肉類が増えたからないけど、野菜不足はあるかな……でも、最近は遠征用コンロがあるから、スープの干し野菜を少し増やしたりしてるし。冬はリンゴや梨なんかを持って行けるから、馬と一緒に食べているよ」
「遠征中、口の中が荒れたりしません?」
「よくある。それと『通じ』が……いや、ごめん、忘れて!」
「いえ、健康管理では大事なことだと思いますので!」
あわあわしつつも懸命にフォローする。
真面目な話、やはり野菜が足りないせいだろう。だから口内炎や便秘にもなりやすいのだ。
ヴォルフの話に、ちょうどいいものが冷蔵庫にあるのを思い出した。
ダリヤはすぐに立ち上がり、それを取ってくる。
「ええと、口の荒れなどに、これが効くかもしれません」
冷蔵庫からとってきたのは、緑の液体。
庶民女性の美容法の一つ、『緑の野菜ジュース』である。
前世で言うなら『青汁』に近い。
青汁の代表格、ケールは残念ながら見ないが、小松菜などの緑の野菜は今世もそれなりにある。
小松菜やレタスの緑の部分など、青物中心のジュースだ。余分にあれば人参やトマトを入れたり、飲みやすいようにリンゴや蜂蜜を入れたりすることもある。
「時間をおいてしまったので、色がよくないんですけど……」
朝、多めに作って冷凍しておいたため、濁りのある暗い緑色だ。
グラスにでろりと注いだそれに、ヴォルフが大変懐疑的な目を向けている。
「ダリヤ……この緑の物体は、グリーンスライムを液状化したもの?」
「違います、『緑の野菜ジュース』です。野菜を刻んだものです」
なぜグリーンスライムを飲まねばならないのだ。
八本脚馬なら喜ぶかもしれないが、自分達では味以前に口が火傷をするだろう。
「野菜を、刻んだもの……」
グラスを見つめ、いまだ納得できない表情をしたヴォルフがいる。
緑の野菜ジュースを作るのは『食材刻み器』という名の魔導具である。
前世のミキサーやチョッパーと似た仕組みで、大きなコップやバケツのような容器の底か側面で、三枚から八枚の刃を風の魔石で回すものだ。
大きさと刃によって、いろいろなものを細かく切ったり砕いたりができる。
父、カルロが作った魔導具である。
元々は友人の屋台向けに、野菜と肉を粗く刻むものだったそうだ。
きっと友達を助けるために作ったのだと感心した自分に、『ツケがあってな』と答えた父は、正直者と言うべきかどうか。
いろいろなサイズと刃の形状があるが、すべての名称は『食材刻み器』。
その後の改良型は、食材刻み器の中型・小型・極小型と大きさで登録されている。
『わかりやすさを最優先にした、けして考えるのが面倒だったわけではない』そうも言っていた。
自分の名付けのセンスは、父譲りらしい。
「よかったら、試してみてください」
「……うん」
ヴォルフの表情が疑いから苦悩に変わっている。
ここは彼の不安を取り除くために、自分が先に飲むべきだろう。
ダリヤはグラスをとると、一息に飲んだ。
少し青臭さはあるが、リンゴのおかげでそう強くはない。よく冷えているのもあり、それなりにおいしい。
飲み終えて向かいを見れば、ヴォルフが両手でしっかりとグラスを持ち、こくこくと飲み始めていた。幸い途中で止まることはなく、そのまますべてを飲みきる。
「苦くないね。後味に少し緑っぽさがあるけど、これなら普通に飲める。俺はもっとすごい味を想像してたよ」
「苦くてすごい味というと……ピーマンをジュースにした感じとか?」
「……ピーマンはおいしく食べられるようになったよ、君のおかげで」
少しすねた声と、ちょっとだけ尖らせた口が子供のようだ。
出会ってしばらくの頃、ヴォルフはピーマンが苦手だった。
『ピーマンに嫌われている』と主張していたのを思い出し、笑ってしまいそうになる。
ダリヤはこらえつつ話題を変えた。
「この『緑の野菜ジュース』を一食分ずつ冷凍したら、遠征で飲めるのではないかと。ボウル半分の青野菜でグラス一つですから、野菜不足の解消になると思います」
「なるほど、これならいけそうだ! 箱に入れて氷の魔石を一つ入れておけば数日は保つし。魔石の交換を定期的にすれば大丈夫だね。遠征用コンロのおかげで、野草やキノコの炒めものなんかもできるようになったんだけど、冬は採取が減るんだ。これがあると体調がよくなるかもしれない」
「じゃあ、次に王城に行くときにレシピを持って行きますね」
「ありがとう、ダリヤ」
今冬、魔物討伐部隊の野菜不足が少し解消されるかもしれない。
魔導具からは離れた内容だが、遠征中の体調が少しでも整えばうれしいことだ。
「さて、食事も済んだし、改めて乾杯だね」
ヴォルフが開けたのは、持参の黒い酒瓶だ。
グラスに注がれたのは、透明な東酒。
魔導ランプに透かすと、酒がところどころきらりきらりと光る。
「きれいですね……」
「東ノ国から初めて入って来た酒なんだって。本物の金粉で、結婚式に出されることが多いと兄が」
「お祝いのお酒なんですね」
「ぴったりだね。じゃあ、ダリヤの男爵決定に乾杯!」
「ええと、爵位に恥じぬよう頑張ります、乾杯!」
グラスをカツンと合わせると、細かい金色が生きているように酒の中を泳いだ。
それが止まらぬうちにそっと口に運ぶ。
室温と同じぐらいの東酒は、癖のない素直な味だった。
香りも穏やかで、すっきりとした味わいは濁りなく、そのまま喉に落ちる。
一口飲み終えて息を吐くと、ふわりとした甘い香りを感じた。
記憶を辿って浮かぶのは、白い梅の花。なんとも不思議な組み合わせだ。
「何の酒なんだろう? 飲んだ後、花の香りがある……」
「梅みたいですね、どうやって作っているのかわかりませんが」
金色の輝きと共に、甘やかで不思議な酒をしばらく味わった。
「ダリヤ、明日の予定を聞いても? 俺は休みが入ったから」
「午前中はイルマのところへルチア達とお祝いの品を聞きに行きます。午後はオズヴァルド先生のところで授業です。午前中、一緒に行きます?」
「ああ、俺もマルチェラにお祝いをしたいから。午後は――マルチェラが護衛?」
「いえ、マルチェラさんはイルマを神殿に連れて行く日なので。イヴァーノも納品があるので、一人です。でも、オズヴァルド先生のところは、隣の部屋にエルメリンダ様がいらっしゃいますし、授業もラウル、いえ、ラウルエーレがいることが多いので」
オズヴァルドが既婚の貴族であり、自分が独身女性なので、隣室に人を置くなどの配慮をしてもらっている。
今日のヨナスといい、貴族はなかなかややこしい。
「ラウルエーレ、さん?」
聞き慣れぬ名前のせいか、ヴォルフがオウム返しに問いかけてきた。
「オズヴァルド先生の息子さんです。時々、授業を一緒に受けているので。高等学院に入ったばかりだそうですが、とても腕がいいんです」
「そうなんだ。ダリヤから見たら、弟弟子?」
「いえ、私はオズヴァルド先生の弟子ではなく、生徒だと言われていますので。それに、ラウルは私のことを『ダリヤ先輩』呼びなので……魔力も同じぐらいですし、負けないように頑張ってます」
ラウルは魔力が高めで、魔法を付与する際の勘がいい。
魔法制御はまだ荒削りだが、父であるオズヴァルドのような繊細さが身につけば、素晴らしい魔導具師になりそうだ。
追い越されないよう、気合いを入れて頑張らなくてはいけなそうである。
そんなことを考えていると、ヴォルフがグラスに酒を注ぎ足してくれた。
「来年の春には『ロセッティ女男爵』、だね。ダリヤはお父さんに追いついたわけだ」
「爵位はともかく、魔導具師の腕はまだまだ遠いです。でも、魔物討伐部隊の相談役として、恥じないように頑張りますね」
「ダリヤは今でも十二分に頑張っているよ。このままだと『ロセッティ子爵』になるかもしれないぐらい」
「ありえないですよ。でも、男爵位が頂けたら、ちょっとだけヴォルフに近づけますね」
それでもヴォルフは今度は侯爵家の一員になってしまうのだから、実際の距離は変わらないかもしれないが。
正直、より遠くならなかっただけでもほっとしている。
「兄が侯爵になるだけで、俺自身は変わりがないよ。でも、ダリヤの叙爵が早くてよかった。これで俺もマルチェラ達のように普通に喋ってもらえる」
それは以前交わした約束だ。
ダリヤが爵位をとったら、ヴォルフに対し、マルチェラ達と話すように砕けた口調で話すこと――それを待ち望んでいたように言われると、ちょっと気恥ずかしい。
「あの……口調のこと、ずっと気にしてたんですか?」
「……いや、それほど深く気にしていないけど。どうもマルチェラ達より俺がダリヤから遠い気がして、こう、残念というか……」
「ヴォルフの方が近いじゃないですか、会っている頻度だってずっと多いわけですし――」
なぜ友人に対して、距離が近い遠いを語り合わねばならないのか。
なんだか頬が少々熱い。
金粉入りの東酒は、案外度数が高いのかもしれない。
「そうだ、爵位決定のお祝いをしよう! お互い忙しくて先延ばしになっていたけど、魔物の食べられるレストランを予約するよ」
ヴォルフの提案にほっとした。
魔物を素材ではなく食材にというのも、ちょっと興味がある。
「ありがとうございます。楽しみにしていますね」
「よかった。あとは記念になるような贈り物をしたいんだけど、何か欲しい物はない?」
「ええと……じゃあ、あまり高くない長剣を買ってきてください」
「長剣? 短剣じゃなく?」
「魔導書の写しが届いたんです。その中で試したいものがありまして。久しぶりに、魔剣を作ってみませんか? 私の魔力では、攻撃力はなく、魔剣っぽく見えるだけになりそうですが」
強い魔力は入れられないので、あくまで見た目と雰囲気だけになると断っておく。
それでも、とてもきらきらとした対の黄金が、自分に向いた。
「もちろん! 俺ちょっと今すぐ付与用のいい剣買いに行きたいんだけど惜しくも営業時間外」
声に句読点がなくなっているヴォルフが、大変面白い。
温熱座卓の向かいなので気づかれないと思っているようだが、掛け布団の下、じたばたしているのが丸わかりだ。
今からこれでは、当日どうしているのか謎である。
もっとも、そんな彼を見ながら、ダリヤも浮き立つ気持ちを抑えられないのだが。
「最近はグイード様にご迷惑をかけることが続きましたので、今回は塔の中だけで、内緒の方がいいですよね」
「そうだね。二人だけの秘密だね」
悪戯を約束し合う子供のように、二人、ちょっぴり悪い笑顔を浮かべ合った。
同日、すでに各事情により胃薬を飲んでいる者達がいたが、この二人の頭には浮かばぬ話である。