248.茹で蕪と青年の逃走と迷走
緑の塔にヴォルフがやってきたのは、夕方に近かった。
塔に来る頃には体が冷えているかもしれないと、ダリヤは少し早めの夕食を準備して待っていた。
「ヴォルフ、どうでした?」
「その、兄と話してきたのだけれど……」
黄金の目が色合いを一段薄くし、揺れて自分を見る。
おそらく話し合いが思うようにいかなかったのだろう。
言いづらいことをどこから切り出すか迷っているような彼を、ダリヤは笑顔で止めた。
「先に食事にしませんか? 食べた後、ゆっくり話しましょう」
「わかった。ええと、ダリヤ、これは……芋?」
ヴォルフの目の前、大鍋から深皿に盛った、てらりと白い大きな半球。
彼には芋に見えるらしい。
「塩を少し入れて茹でた、蕪です」
両手の指で包めぬほど大きな蕪を半分にし、ひたすらとろ火で煮たものだ。
つぶしてスープにする予定だったが、そのみっしりとした甘そうな身を見て、茹で蕪にした。
「これにバターと塩をかけて、スプーンですくって食べます。あと、こちらが鳥挽肉の味噌ソースです。味を変えたくなったらかけてください」
ヴォルフには少々味が薄いかもしれない、そう思って、鳥挽肉に味噌を加えたタレを多めに添える。
味噌は先日、魔物討伐部隊から分けてもらった。感じとしては、前世の赤味噌に近い。
「ずいぶん大きい蕪だね。料理するのは大変じゃなかった? 毎回こんなに作ってもらって本当にすまない……」
「いえ、蕪はとろ火で放置ですし、あとは作り置きなので。大体、ハムとチーズはこの前、ヴォルフが持って来てくれたものじゃないですか」
ここのところ忙しかったので、茹で蕪以外はほとんど作り置きだ。
温野菜サラダと白菜の塩揉み、ハムとチーズをカットしたもの、鶏のスープには蕪の葉を刻み、卵を溶いた。
そえる酒はかなり薄めた蒸留酒だ。
少し冷える今日、氷は入れずにレモンを搾った。父カルロいわく、『風邪防止の薬』である。
前世の記憶で言うならば、ビタミンCが加わって確かにいいのかもしれない。だが、父の場合、むしろ深酒が心配だった。
「冷めないうちに、蕪からどうぞ」
バターが固まってしまっては台無しである。
湯気が立ち上る半球に、二人そろってスプーンを入れた。
白い湯気がゆらゆらと上がる中、ふうふうと息を吹きかけて口に入れる。
噛んだ途中でとろりとつぶれる蕪の身、口いっぱいに広がる密度の高い味と甘み、それを塩入りのバターが引き立てる。
秋、限界まで大きくした遅採りの蕪。今の季節だけの特別な味である。
しばらくそのままで食べた後、鶏挽肉の味噌だれをかけた。
塩が強めの味噌、鶏挽肉の味わいと少し入れた砂糖。それが蕪の味と口内できれいに混ざる。時折感じるバターの風味がなかなかいいアクセントになった。
『味噌』という名前は同じだが、前世のものと味わいはかなり違う。塩みが強めで、大豆の甘さは少ない。
それでも口に残る風合いに懐かしさがこみ上げ、目の奥がかすかに痛んだ。
そして、目を伏せて飲んだ蒸留酒に、カルロを思い出す。
できることなら今世の父にも、これを食べさせたかった――重なった思い出に、目の奥の痛みが一段強くなった。
「反則だと思う」
突然の断言に、ダリヤは慌ててヴォルフを見た。
目を閉じて片手を額に当てている彼は、ひどく悩んでいるように見えた。
「反則って、何がですか?」
「この茹で蕪、そのままでおいしい、バターがけはさらにおいしい、タレがかかるとさらにさらにおいしい……何、この三段跳躍は?」
「三段跳躍って、体育の競技じゃないんですから」
「じゃあ、おいしさの三段階急速成長」
味のアレンジ違いに関して、成長と呼んでいいものなのだろうか。
ヴォルフの料理に関するおいしさの表現は、どうもずれている気がする。
そう思いつつも、スプーンを丁寧に入れて食べている彼を見るのはとても楽しい。
「蕪ってこんなふうに食べたことがなかった。スープの具に入っているか、塩漬けとかが多くて」
「これぐらい大きいと、お店で丸のまま料理するっていうのは少ないですからね」
「蕪って、大きければ大きいほどおいしいとか?」
この質問にうなずいた日には、ヴォルフは市場から一番大きい蕪を探してきそうだ。
ダリヤはしっかりと否定することにした。
「いえ、大きさはおいしさとは比例しません。蕪は種類やお天気、畑の状況で味が違います」
「そうなんだ。角兎や森大蛇と一緒じゃないんだね」
「はい?」
なぜか魔物に話が飛んだ。
角兎はともかく、何故ここで旅人の恐れる魔物第一位と言われる『緑の王』が出てくるのだ。
森大蛇は稀少素材となる魔物であり、隊でも食べたとは聞いたが――基本、一般的食材ではない。
「角兎も森大蛇も大きい方がおいしかった、脂がのってて」
「……そうですか」
「甘ダレがすごく合うところも一緒なんだ。角兎のハムはおいしいから、森大蛇もいいハムになるんじゃないかって、皆で話してる。残念ながら、最近全然見ないけど」
いい笑顔で話すヴォルフに、森大蛇への同情を禁じ得なかった。
人を襲わず、隊に襲われず、ぜひ山野の奥の奥で、ひっそりと暮らしていてほしい。
「そういえば、あの八本脚馬の名前は、もう決めた?」
「瞳がきれいな黒で、光が当たってきらきらしていたので、虹の意味で、『イーリス』はどうかと思っています。皆と相談してからですが」
「イーリスか……いいね! それにしても、ダリヤがつける名前にしてはこう、幻想的というか、かっこいいというか……」
言いかけて自分と目があったヴォルフが、グラスを持ち直して濁そうとする。
ダリヤは彼をじっと見つめつつ尋ねた。
「ヴォルフ、私がどんな名前をつけると思っていたんですか?」
「……紫葡萄が好きだから『グレープ』」
「……そこまで簡単につけません」
実は上位候補にあったが、絶対に言わないことにする。
なお、身体の色で『グレイ』、目の色で『クロ』も候補の内であった。
「ダリヤ、それで……兄との話のことなんだけど」
話の区切り、姿勢を整えて向き直ったヴォルフに、言いづらさが見え隠れする。
ダリヤもまた背筋を伸ばして答えた。
「大丈夫です、遠慮なく言ってください。全部が全部、うまく進むわけじゃないことはわかっています。私は使う人が便利でいい方向にいける魔導具だけを進めたいと思っています」
「わかった。実は――」
八本脚馬にあのグリーンスライムの固形物を食べさせると、飼料は最小限で済み、移動距離は大幅に伸ばせる。
その効果は大変大きい。
そのため、八本脚馬の乱獲や確保での争いの可能性、馬の飼育者、飼料関係者への影響もありえる――そう説明を受けた。
予想をはるかに超える話に、つい遠い目になってしまう。
そして、軍事利用の可能性、隣国の話が続く。
自分への危険性については、スライムを利用しすぎたツケが回ってきたとしか思えない。
固まりかけた自分に、ヴォルフは慌ててフォローを入れてくれた。
グイードはダリヤの貴族後見人だ。できるかぎり守ってくれるし、何かあれば助けてくれる。
開発物にしても、外部に出す前に、グイードやヨナス、そして、各ギルド長に相談すればいい。
いざとなれば、侯爵家である魔物討伐部隊長のグラート、武具部門のベルニージもいる。
皆、口は堅いし、ダリヤの魔導具で利益を得ている、あるいは助けられているのだから、きっと力になってくれる――そう懸命に話すヴォルフに頭が下がる思いだった。
「……ありがたいです」
心底、そう思える。
開発品の影響で政治や国が絡むことについては、ダリヤには考えもつかないことばかりだ。
それでも、申し訳なさについ、言葉がこぼれた。
「……私、少し、自重しないといけないのかもしれませんね」
「ダリヤは、このままでいい」
反省を込めて口にしたが、ヴォルフに即座に止められた。
「君の作る魔導具で幸せになった人は多いじゃないか。俺もそうだし、隊のみんなも、最近はベルニージ様も。その、俺が守るって、そう言えないのが残念だけど、できるだけのことはする。皆もいる。だから、ダリヤには自由に魔導具を作っていてほしい――」
最後の言葉は願いというよりも、祈りにも似た声で。
こちらを見る黄金の目、その真摯な光に、言葉を失う。
「……ありがとうございます、ヴォルフ」
間を空け、そう答えるのだけで精一杯だった。
身体を傾け、グラスに新しく蒸留酒を注ぐ。
何も言わずとも、ヴォルフがレモンを搾ってくれた。
何に乾杯をするわけでもなくグラスをかちりと合わせると、彼は視線を微妙に伏せた。
「あと、例えばなんだけど……ダリヤをうちの養女にすれば、守れるんじゃないかと……」
「え? 私がヴォルフのお家の、ですか?」
「ああ。来年は兄が侯爵に上がるから、守る力はそれなりにあると思う……」
グイードが侯爵になる話から脱線し、兄弟での悪ふざけでそんな思いつきになったのだろうか。
自分は死ぬまで『ロセッティ』を名乗るつもりだが、ヴォルフの家の養女になったと仮定すると、姓が変わる。
ダリヤはちょっとだけ想像した。
「『ダリヤ・スカルファロット』、ですか……冗談にしてもすごく合わないですね」
「……ええと、ダリヤ、そんなに合わなくはないかと……」
気を使い、合わぬと言い切れぬ彼が、その黄金の目を泳がせ、困惑した声を出す。
「話の一つですが、もし養女になったら、ヴォルフが私のお兄さんになるわけですか?」
「……そうだね。父の養女になったら、そうなるね」
以前、二人で酒器を扱うお店に行き、店主に兄妹と間違えられたことがある。
なつかしさとおかしさが同時にこみ上げ、思いつきが口からこぼれた。
「『ヴォルフお兄様』……」
「ぶっ!」
ヴォルフが飲みかけの酒を派手にふいた。冗談の度が過ぎたらしい。
ふざけて貴族的に言ったのがまずかったか。『ヴォルフ兄さん』の方がまだましだったかもしれない。
「すみません! そこまで笑うとは思わなくて……ええと、お水とタオルを持って来ます!」
口元を押さえるヴォルフにハンカチを渡し、ダリヤはパタパタと台所へ駆け出した。
「……ふう」
ヴォルフは借りたハンカチで口を押さえ、どうにか呼吸を整えた。
驚きか、笑いか、大変混乱していて、自分でもちょっとわからない。
「ダリヤ・スカルファロット、か……」
不意に兄の勧めが思い出され、振りきるべく首を横にぶんぶん振った。
自分を友と思ってくれる彼女に対し、あまりに失礼だろう。
そして、考え直す。
ダリヤが妹であれば、子供時代から毎日がとても楽しかったに違いない。
いや、今からでもダリヤの兄となれば、自分が常に隣にいても問題ないではないか。
おかしな者が近づいて来たら、グイードと共に全力で排除できる。
そして、彼女を危険から守り、手助けをし、この先ずっと側に――
「……『ヴォルフお兄様』、悪くないかもしれない……」
青年の逃走と迷走は、いまだ終わらない。
(全力の言い訳:「ヴォルフとダリヤが姓をそろえる方法が夢にみたいです」と枕に願った結果……そのうちに絶対に追い込むのです……)