246.若き八本脚馬の悩み
「あれ、馬車が替わりました?」
商業ギルドからの帰り、馬場で待っていたのはいつもの馬車ではなかった。
馬は八本脚馬に、木の馬車が金属扉の箱馬車へと替わっている。
不思議がっているダリヤに、メーナが説明し始めた。
「ああ、いつもの馬がお見合いだそうで、牧場に帰ってます。これから寒くなりますから、副会長が冬向けの暖房のできる箱馬車に替えたんです。それで、若くて力のある八本脚馬がいたので借りました」
八本脚馬らしい大きな身体なのに、子供のようにきらきらとした黒い瞳がダリヤに向いた。
その姿と、うれしげないななきには覚えがあった。
「もしかして……紫葡萄の子?」
「ああ、ダリヤさん、よくご存じですね。この『十二番』は紫葡萄が大好きなんだそうです」
まさかの再会である。
ちょっぴりうれしくなりつつも、耳にひっかかる言葉があった。
「『十二番』というのは何ですか?」
「この八本脚馬の名前です。貸し馬は数が多いので、番号で呼ぶことが多いんですよ」
仕方がないことなのだろうが、ちょっとかわいそうにも思える。
八本脚馬に近づいたとき、鞄を持ったイヴァーノと、納品物を入れた大箱を抱えたマルチェラがやってきた。
「新しい馬車はなかなかよさそうですね。ダリヤさん、八本脚馬は怖くないです?」
「大丈夫です。この子、以前、借りたことがあるんです」
「そうでしたか、縁があったんですね」
イヴァーノは鞄を脇にはさむと、八本脚馬にゆっくりと近づいた。
目を合わせ、ゆっくりとたてがみを撫でる。
八本脚馬はしばらくおとなしく撫でられていたが、ふとイヴァーノの上着の匂いを嗅ぐように鼻をぴくぴく動かした。
「林檎も梨も持ってないぞーって、ああ、忘れてました、これ」
イヴァーノが一歩下がり、上着のポケットから何かを取り出した。
かぴかぴの緑の寒天を思わせるそれは、先日の実験でできた産物――薬液でグリーンスライムの粉を溶き、火魔法を入れたものである。テーブルにくっついたそれを引きはがし、そのままポケットに入れていたらしい。
「フォルト様は、これで繊維を作りたかったみたいですけど、残念でしたね」
「ええ、ルチアも同じことを言ってました。でも、布に使うには細かすぎ、耐久性もなくてダメだとか……」
「グリーンスライムはいろいろ食いますから。草だけってことでもありませんし」
「ですよね。使える物ばかりがそうそう続くわけは……あっ!」
イヴァーノの手に向かい、八本脚馬が素早く首を伸ばした。
長い舌でするりと絡め取ると、そのままむしゃむしゃと咀嚼する。
「ちょ、お前! それ食べ物じゃないから! 吐き出しなさい! ほら、ぴっしなさい!」
八本脚馬に向かい、イヴァーノが父親のように必死に叱る。
それを見て、御者台に乗りかけたメーナがふきだした。
「ダメですよ、副会長。真横で緑色の干し草なんか出されたら、そりゃ食べますって。八本脚馬は食いしん坊なんですから、一度もらったら返しませんよ」
ヒヒンと、同意するように鳴いた八本脚馬。その口はすでにカラである。
「うわ……食べてしまった……」
「メーナ、食べたのは干し草じゃなく、グリーンスライムを加工したものなので、お腹を壊さないかと……獣医さんを呼んだ方がいいでしょうか?」
「お二人とも、そんなに心配しなくて大丈夫ですよ。八本脚馬は普通の馬とは違います。結構、悪食なんで、草も肉も魚も食べますし、胃はかなり丈夫です。森じゃ小さい魔物も食べるぐらいですから」
「でも、魔法付与もしたスライムですよ? いくら乾かして粉末にしているとはいえ、薬液もあるので胃がやられないかと……」
「ダリヤちゃん、八本脚馬はグリーンスライムもそのまま食べるぜ。街道で休憩中に見かけると核を前足でつぶしてから、がぶりといくから」
「そんなことが……」
魔物図鑑にもなかった話だ。なかなかにワイルドな生態であるらしい。
「ほどほどのおやつみたいなものなんでしょうね。休ませているときに自分から取りに行くほどじゃないですから」
「スライムを乾かさずに食べて、口を火傷したりしないですか?」
「しないしない。こいつが言ったろ、悪食だって。大体、飯にしても口に魔力を通して強化して、貝の殻から魚の骨までバリバリいくから」
「え?」
思わず八本脚馬の顔を見てしまった。
きらりと光る白い歯は確かに丈夫そうだが、スライムを食べるところはどうにも想像できない。
「……よっぽどさっきのが気に入ったらしいですね」
イヴァーノの肩、八本脚馬が鼻先を寄せ、きゅうきゅうと甘えた声を出し始める。その後、黒い目をうるうるとさせて彼を見た。
「そんな子犬のような目をしても……ポケットにもう一つあるのがわかってるんだな、お前、賢いな……」
「副会長、弱っ!」
からかいを込めて笑ったマルチェラに対し、イヴァーノが真顔を向けた。
「ではマルチェラ、私に代わってお断りを。この目を見ながらお願いします」
言われていることを理解したのか、今度はマルチェラに首を向ける八本脚馬。
黒い瞳がうるりうるりと揺れて彼に向く。
見つめ合うことしばし、先に視線をそらしたのはマルチェラだった。
「……あー、腹は壊さないと思うので、食わせてもいいと思います」
「でしょう! マルチェラも負けるじゃないですか!」
イヴァーノがうれしげに言っているが、二人とも同じである。
なお、自分も勝てる気はしないので、話には加わらないことにする。
「さすが美人さんなだけありますね」
御者台に乗ったメーナが、笑いながら二人を見た。
「美人さん、ですか?」
「この八本脚馬、雄馬達にすごく人気があるんですよ。本当は母馬にしたかったらしいですけど、強すぎて無理だったって、店の主人が言っていました」
「八本脚馬だから、普通の馬をお婿さんにするのは難しいんでしょうか?」
「いえ、理想が高いらしいです。他の八本脚馬も全部ふられたそうですよ。しつこいのは蹴られて逃げたのもいるそうです。それこそ、『馬が合わない』んでしょうね」
イヴァーノに撫でられ、目を細めている様を見ると、攻撃的なところがどうにも想像できない。
こればかりは本当に相性なのだろう。
「かなりのじゃじゃ馬か……ま、そこまで強いなら、馬車馬には最高だな」
「いいことです。この子にも、いつか好きな人――じゃなくて、好きな相手が見つかるといいですね」
まるでダリヤの言葉にうなずくかのように、八本脚馬は首を縦に振った。
・・・・・・・
翌々日、ダリヤは緑の塔に近い、西区の馬場に来ていた。ヴォルフも一緒である。
ダリヤの持つ籠には、冬場にはお高い紫葡萄が二房入っていた。
馬場の裏手の厩舎には、十二番と名付けられた八本脚馬がいた。
その手前、イヴァーノ、マルチェラが獣医の話を聞いている。
メーナは商業ギルド、ロセッティ商会の留守番役だそうだ。
「先生、どうでしょうか?」
心配そうに尋ねるのはイヴァーノだ。
この八本脚馬は、一昨日の夕方から今朝まで、何も食べていないのだという。しかも夜もうろうろと動いていたそうだ。
本来、八本脚馬は食欲旺盛で、食事がしっかり必要な魔物である。
やはりグリーンスライムの加工品にあたってしまったのだろう――そう判断し、昨夜、魔物も診られる獣医を頼んだのだ。
どうにも気になって、ダリヤもヴォルフと共に様子を見に来たのが今である。
「どこも悪いところはありませんね。すこぶる健康です」
獣医はあっさりと答えると、まくっていたシャツの袖を直し、外套をはおってしまった。
「しかし、八本脚馬なのにここまで食欲がないのは……」
「それは単純に満腹だからです。魔力がみなぎっていれば、食事がいらないのです」
「満腹?」
「食事がいらない?」
聞いている皆で首を傾げる。
獣医は自分の説明不足に気がついたらしく、笑顔で続けてくれた。
「八本脚馬は魔物ですから、普通の馬とは違い、魔力も糧とします。野生では高魔力の魔物の肉を食べたとか、そういったときはしばらく食事が不要になるのです。飼われている八本脚馬では、餌の金額的に考えて少ないですが、魔物の肉とか良い薬草とか……なにかそういったものを食べたのかもしれません。身体強化をかけることもない街中の移動なら、そう魔力は使いませんから、自分で食事がまだいらないと判断しているのでしょう。様子を見て餌を与えれば大丈夫です」
「よかったです……」
「むしろ絶好調でしょう。眠れないのは力が余っているだけですから、遠乗りにでも連れて行って、思いきり走らせてあげてください。ああ、乗る方はくれぐれも慣れている方にしてくださいね」
獣医が帰って行くと、皆が安堵に表情をゆるめる。
当の八本脚馬は、ダリヤの持つ紫葡萄の籠を目で追っていた。
「ダリヤ、おやつは食べられるらしいよ」
「甘いものは別腹って言いますから」
ヴォルフと共に笑いながら、紫葡萄を一粒差し出してみる。
八本脚馬はうれしげにいななくと、手からそっと食べた。
「なんともなくてホントによかった。でも、あんな量で、よく二日も腹がもちますね」
「ああ、よっぽどあれが高魔力で……あっ!」
言いかけたヴォルフが、いきなり声を大きくした。
「あれで八本脚馬の遠征の飼い葉がいらなくなるかも!」
「はい?」
「あー! ちょっと今の医者に口止めしてきます。マルチェラ、この後で、馬場の皆さんへ同じくよろしく」
「わかりました!」
「イヴァーノ、隊と兄、どちらが先だろう? 兄は今日屋敷にいるけど」
「グイード様が先です! できれば早めに行ってください。スカルファロット家の八本脚馬もお借りしたいので、お願いします!」
「わかった! ダリヤ、終わり次第、塔に戻るから」
「あ、はい……」
話がよく見えないが、この急ぎっぷりでは尋ねづらい。
そして、彼らの話はまだ続いていた。
「すみません、ヴォルフ様! 医者の次にあの八本脚馬を買いたいので、お屋敷の前に、俺と一緒に店にお願いします。ヴォルフ様が気に入って購入したいということにすれば、おそらく早く買えるので、お名前を貸してください。うちだと購入に時間がかかってしまうので、いろいろばれる可能性が……」
「わかった!」
「会長、マルチェラに送ってもらって、塔でお待ちください。後でまとめて報告します! うちの馬になりますので、『十二番』じゃない名前でも考えていてくださいね!」
「ダリヤ、また後で!」
ダリヤの返事は間に合わず、ただ駆け出す二人を見送った。
「会長、おそらくピンと来てないと思うので、詳しく説明しても?」
「お願いします、マルチェラさん」
頭が混乱していたせいか、つい、さん付けに戻ってしまう。
お互いにそれに笑んだ後、説明を聞き始めた。
「馬は牧草や乾いた草、果物なんかも食べるけど、魔物討伐部隊みたいな遠征や遠出のときに食べるのは飼い葉が多いです。大体、一日で小麦の大袋の半分くらいの重さ、八本脚馬はその倍近く、一頭で小麦の大袋ひとつ食べます。冬場は馬車の中の三分の一が餌なんてこともあり、スペースがないときはお高い薬草を食わせることもあるほどで」
小麦の入った大袋は確か三十キロ近い。そんなに食べるのかと驚いた。
「それと、馬も八本脚馬も朝晩時間をかけて食事をさせなきゃいけないです。馬は特にまとめて食べるということができないので、食事の時間が長くなります。でも、八本脚馬にあのグリーンスライムの干し物をやれば、一日に一回の食事で済むかもしれません。イヴァーノさんのポケットに入るぐらいなので運ぶスペースもいりませんし、食べる時間もかかりません。ついでに絶好調で動きたくなるときてるので……」
「ああ! そういうことだったんですか!」
ようやくわかった。
あのグリーンスライムの付与品は、八本脚馬の良いご飯になる。
しかも、遠征にとても便利な――ヴォルフが急ぐわけである。
「これが実現できたら、運送ギルドは八本脚馬とグリーンスライムの干し物を何が何でもそろえようとするだろうな……」
古巣を思い返したマルチェラが、遠い目でつぶやいた。
ふと、冒険者ギルドのアウグストの顔が浮かんだ。
イエロースライムだけでも忙しそうだが、そこに第二弾のグリーンスライムが加わるかもしれない――少々申し訳なくなる。
なお、イデアについては想像してもいい笑顔しか思い浮かばなかった。
話を終えると、マルチェラは馬場の者達の口止めに行った。内容的に早い方がいいだろうと思えたからだ。
それを待つ間、ダリヤはまだ紫葡萄をちらちらと見る八本脚馬に、一粒ずつ与えていく。
話題の中心である彼女は一房を食べ終えると、満足そうに水を飲み始めた。
「ねえ、一昨日のグリーンスライムって、おいしかった?」
なんとはなしに聞いてみる。
が、八本脚馬はその黒い目で自分を見ると、ぶんぶんと縦に二度首を振った。
言っていることが通じているようで楽しい。
ヴォルフと最初に会った日、この八本脚馬も一緒だった。
あの日も今日も、とてもおいしそうに食べた紫葡萄。
籠にもう一房あるそれを眺め、ふと気になったことを尋ねてみる。
「紫葡萄と、グリーンスライム、どっちが好き?」
丸く黒い目は一度大きく見開かれ、その後に陰り、地面に伏せられた。
草を食んでいるわけでもないのに、その口元がもしょもしょと小さく動き続ける。
ダリヤはこの日、八本脚馬も悩むのだと、初めて知った。