245.大盾と老騎士の復活
王城の鍛錬場、大盾を持つ大柄な男が駆けて行く。
黒い大盾の表面に刻まれているのは龍と剣。魔物討伐部隊の紋章だ。
灰色の鎧の者達が対面から走り来ると、大盾に剣を当てつつも、左右に跳ね飛ばされる。
おそらくは回避練習でもあるのだろう。飛ばされた先、くるりと回転して起き上がれる者がほとんどだ。
だが、時折、ガツンという重い音と共に、派手に宙を飛ぶ者がいる。大盾に跳ね上げられたためだ。
赤い鎧を身に着けた騎士がものすごい勢いでそちらに走り、落ちてくる騎士を受け止める。
残念ながら全員がそのような助けを受けられるわけではない。
中にはそのまま地面に背中や尻から着地し、動けなくなる者もいる。
そちらは回復役であろう魔導師と、ポーションを持った騎士が走って行く。
ランドルフは大盾を持ったまま、くるりと来た方向に戻っていく。
どうやら、もう一度やる気らしい。
「凄いです……」
「ランドルフは元々盾の使い方がうまいのですが、さらにいい形になりそうです」
ダリヤの居る場所から少し距離はあるが、訓練の迫力はひしひしと伝わってくる。
剣と盾が次々とぶつかる音、宙を舞う隊員達は、少々怖いほどだ。
けれど、厳しい訓練ではあるが、死人もひどい怪我人も出たことはない。大盾を持つ騎士の練度が高くないとできないことだという。
ダリヤの横、副隊長のグリゼルダがそう教えてくれた。
今日の午後から、魔物討伐部隊棟で大盾の強化を行った。
とはいえ、作業は単純で、大盾の裏にイエロースライムからできた衝撃吸収材を貼るだけだ。
ランドルフの希望により、大盾の裏、持ち手の部分からその下である。
全体は指三本分ほどの厚みで、持ち手の部分は邪魔にならない程度に、全身で止める際に肘と膝が当たる部分には、拳一つほどと厚めにした。
ダリヤには持ち上げることも難しい大盾を、ランドルフは片手で振り回して確認していた。
試しに、戦闘用の革手袋にも衝撃吸収材を付けてみたが、そちらはランドルフには合わなかった。
彼は大盾の他、剣も使う。魔物と対峙したときには、咄嗟に大盾を手放して剣に替えるときもある。
衝撃吸収材を付けた手袋では、剣の握りがかなり変わる。今の形では切り替えるのは難しいとのことだった。
ただ、弓騎士と戦鎚使いの騎士が、手袋に興味を持ったらしい。
弓騎士は弓を持つ側の押さえ指、そして矢を引く指に部分的に使えないかと聞かれた。
もう一人の騎士には、戦鎚の衝撃を軽減できないかと尋ねられた。
試してみないとわからない部分が多いので、後で詳細を聞くことにした。
使えるようであれば、ヨナス、そして武具職人と相談することになるだろう。
「次はヴォルフ達の出番ですね。彼らがうちの大猪を転がすところが見られるかもしれませんよ」
「え? 回避の練習じゃないんですか?」
意外な言葉に、思わず聞き返してしまった。
「前回の本物はヴォルフが頭上から仕留めました。夏から背中に見えない羽根が生えたらしいので」
悪戯っぽく笑ったグリゼルダに納得する。
背中の見えない羽根――ヴォルフが身に着ける天狼の腕輪、そのことだろう。
「ヴォルフは、以前の訓練で鳩尾に盾が入ったと聞きましたが……」
つい心配になって視線を泳がせると、鍛錬場の端、長めの模造剣を振る彼がいた。
ちょうどこちらを見たヴォルフは、笑顔で左手を挙げる。横のドリノも両手を上げた。他の二人の騎士も笑っている。
これから大盾とぶつかるのに、緊張はないらしい。
「大丈夫です、ダリヤ先生。我々は丈夫ですし、赤鎧はさらに丈夫ですので」
自分の心配が筒抜けなのが、少し恥ずかしかった。
大盾を頭上に上げたランドルフに、『いつでもいいぞー』と、ドリノが返す。
うなずいた大男は、大盾を構えて走り出した。
最初に飛び込んだのはドリノだ。
真正面から向かい、模造剣を大盾へ叩き込む。
ガチンと音がしたと思うと、模造剣が折れ、その切っ先があらぬ方へ飛んでいく。
続いて、ドリノ本人が大盾で跳ね上げられた。
派手に飛ばされたものの、その先でくるりと一回転して着地する。無傷らしい。
続く二人の騎士は、一拍ずらしで飛び込んでいく。
先を行く騎士が、右から大きな模造剣で大盾を叩き、続く騎士が左から、先をつぶした槍を動かす。
しかし、ランドルフは大盾を大きく振ると、器用に双方の武器を弾いた。そして、ぐるりとその場で勢いよく横に回転する。
大盾の端で打たれた騎士達は、地面を転がって衝撃を逃がし、すぐによけた。
最後に待つのはヴォルフだ。
長身痩躯が赤い影のように揺れたかと思うと、大盾に激しくぶつかる。
前三人と同じく、はじかれたヴォルフも宙を舞ったが、着地後、即座に方向転換、再度ランドルフに向かった。
「まだまだ!」
「来い!」
両者、予想通りだったらしい。
模造剣を手に鳥のように舞い上がった黒髪の主が、大盾の主目がけて落下する。
ランドルフは大盾を持ち直して防ぐかと思いきや、一瞬で膝を下げ、体勢を低くした。
「おうっ!」
次の瞬間、落ちてくる青年を、大盾が一気に打ち上げる。
形容しがたい重い衝撃音と共に、ヴォルフが高く高く宙に舞った。
「ヴォルフっ?!」
ダリヤは思わず叫んでしまったが、他の隊員達も驚きは同じだったらしい。慌てて駆け寄っている。
彼は大盾で完全に迎撃され、ボールのごとく跳ね飛ばされた形だ。
前世の言い方なら、まるでホームランである。
どさりと落ちてきたヴォルフは、一度立ち上がった後、そのまま地面に座り込んだ。
ダリヤも駆け寄りたかったが、グリゼルダに『怪我の確認があるので』と、そっと止められた。
確かに、怪我の対応では自分は邪魔になるだけだろう。
どこか硬い笑顔を浮かべたヴォルフは、そのまま隊員達に囲まれ、小声で話している。
心配が増すばかりでいると、魔導師が自分のローブをヴォルフにかけ、そのまま連れて行ってしまった。
「あの、ヴォルフは大丈夫ですか? もしかしてひどい怪我を……」
自分の元に走ってきたドリノに問うと、明るい笑顔を向けられた。
「たいした怪我はしてねえから大丈夫。汚れた服を替えに行っただけだ。すぐ戻るよ」
「そうでしたか……」
半分はほっとしたが、半分はやはり不安だ。
すぐに動けないあたり、じつはどこか折っていた、切れていたということもありえる。
後できちんと本人に尋ねてみよう――ダリヤはそう決めた。
「ダリヤ先生がとても心配していらっしゃいますね。着替えたら、すぐに向かわれた方がいいでしょう」
部隊棟に向かいながら、魔導師は黒髪の男に囁く。
自分のローブは今、ヴォルフの肩の上である。彼はその両手できつくきつくローブを押さえていた。
「すみません、気を使って頂いて……」
「いえ、男の情けです。しかし、思わぬ負傷でしたね」
「はい。今までにないことなので、かなりあせりました……」
苦笑するヴォルフに、魔導師も苦笑で返す。
「それは鍛えようがありませんからね。でも、戦闘用のズボンは、もう少し臀部を強化するべきでは? そこまで大きく破けるとは……」
「思いきり同意したいです……」
ひそひそと声を交わしながら、二人は足早に部隊棟に入って行った。
・・・・・・・
その男は、王城の馬場に降り立ったときから、ひどく目立った。
白髪白髭の老人が身に着けるのは、濃灰の鎧と濃紺の戦闘靴、そして、青空色の義足。
身体を支える杖はなく、左右に介添えの従者もおらず、護衛騎士が後ろに一人だけ。
貴族では、義足や義手は外側からはわからぬようにすることがほとんどだ。
故に、注目の的である。
すれ違う際につい振り返りかける者、遠目でその姿を追う者、窓からそっと背中を見る者――
だが、誰も通常の挨拶以外の言葉はかけない。いや、かけられないのだろう。
背はまっすぐに、一歩は大きく、その赤茶のつり目は鋭く先を見る。
この王城内、一目でわかる義足をつけ、ここまで堂々と歩く者はおそらく初めてだ。
ベルニージは当たり前のように魔物討伐部隊棟を通り、鍛錬場へ向かった。
「グラートはまだ会議中とか。こちらを見学させてもらってもかまわんか?」
「もちろんです。ようこそおいでくださいました。ベルニージ様」
グリゼルダは丁寧に挨拶をすると、その足元に目を向けた。
「美しい義足ですね。使い心地はいかがですか?」
「ああ、最高だ。使う私が足りておらんがな」
答えた老人は、ひどくなつかしそうに、そして少しだけうらやましげに鍛錬場の隊員達をみやった。
大盾の訓練は終わり、全隊員での基礎訓練が始まろうとしているところだ。
「ベルニージ様、見学だけでよろしいのですか?」
「『水の魔人』と対するには、まだ鍛錬が足らんな」
尋ねたグリゼルダの二つ名を呼び、老人は赤茶の目をまっすぐ向けてきた。
その強い視線を受けつつ、グリゼルダは無言で笑顔を作り、内で嗤う。
『水の魔人』などと呼ばれる自分は、ある程度の魔物を水魔法と槍で狩れる自負はある。
だが、この老人と戦って地に伏せさせる様が、どうしても想像できない。
どうやら、まだまだ足りないらしい。
「この老体も基礎訓練中でな。あちらの若人に交ざってもかまわんか?」
「はい、どうぞご指導ください、『ベルニージ先輩』」
老人は大きくうなずくと、自分の差し出す模造剣を受け取った。
武具関連の打ち合わせの後、グラートはイヴァーノを引き連れ、鍛錬場にやってきた。
大盾の調整をしているのだろう。鍛錬場の端、ヴォルフとランドルフを横に、ダリヤがせっせと衝撃吸収材を貼り足している。
こちらにはまったく気がついていない。
鍛錬場の中央は、隊員達が入り乱れて鍛錬に励んでいた。
それぞれが手にする武器は剣に槍、そして大剣に盾。
相手を代えて打ち合い、攻めと守りを確認する基礎訓練だ。
灰色の鎧と、数少ない赤の鎧。
それに交じり、時折、青が見えた。
今日は曇り、その青空色のなんと目にしみることか。
「グラート隊長、ベルニージ様がいらっしゃいまして、基礎訓練にご参加を――」
少々言い迷った副隊長に、すべてを察した。
青い義足のベルニージは、ひどく目立つ。
筋力が衰えても、技の抜けはないようだ。
全盛期と比べれば動きは遅くキレはない。だが、妙なほどフェイントがうまくなっている。
義足のせいもあるのだろうが、元々、ベルニージは乱戦も得意な騎士である。
翻弄されている若き隊員達には、いい勉強になりそうだ。
打ち合いながらも、ベルニージはこちらに気づいたらしい。
するりと輪を抜けて、自分の元へやってきた。
「グラート、皆、力がとても強いな。基礎もしっかりしている。ここまでそろっているとは驚いたぞ!」
「ありがとうございます」
うれしげに褒める老人は、先日とは比べものにならぬほど血色が良かった。
ありえないことだが、まるで身体が一回り大きくなったようにさえ感じる。
「ベルニージ様、それが新しい義足ですか?」
「ああ、ダリヤ先生に無理を言った。すこぶるよい『魔導義足』だ。かっこいいであろう?」
確かに、義足自体なかなか美しい。
その上、杖もなく、歩幅は大きく、踏み込みも強い。耐久性だけではなく、筋力の衰えまでもカバーしそうな仕組みは、恐れ入ったとしか言いようがない。
「この義足に合わせ、春までには身体を作り直すつもりだ」
「春に、何か?」
「一度、お前と本気で打ち合ってみたいと思うてな、『現隊長』殿」
一音上がった声に、グラートは目を細める。
ベルニージの顔は、達観した老人のそれではなく――獰猛さをにじませた、じつに魔物討伐部隊員らしいものとなっていた。
ロセッティは衝撃吸収材と共に、動きやすい魔導義足も開発したとは聞いていた。
青空色の魔導具は、先輩騎士の闘争心まで巻き戻してくれたらしい。
「望むところです、『元副隊長』殿」
自分が隊に入り、最初に剣を教わったのが、このベルニージだ。
白状すれば、先輩との再戦は心が躍る。
確かに自分も老いを迎えたが、技量でのカバーは可能だろう。
若き頃はまるで歯が立たなかったのは認めるが、こちらは現役、ましてや、今は魔物討伐部隊の隊長である。
一度引退した先輩相手に負けてなるものか。
グラートもまた、自分でも気づかぬうちに獰猛な笑顔となっていた。
「ああ、追加で魔導義足を作っているから、今度は三人で見学に来させてくれ。春には皆で鍛錬ができればよいな」
名前の挙がった二人は、ベルニージの後輩――ただし、グラートの先輩である。
なかなかに厳しい指導やダメ出しをされた若き日が思い出され、少々乾いた笑いが浮かんでしまった。
引退した先輩方というものは一言多い傾向があり、実績があるが故に返答に苦慮することもあり――ようするに、ややこしい。
そんな思いが透けたのか、ベルニージが、くつくつと喉の奥で笑う。
「義足の他に、義手や補助具ができないかも話し合っておる。隊だけではない、騎士団で、動けなくなっての引退後、暇と金を持て余している者は多いのだ。この際、まとめて巻き込んでやろうと思ってな」
動きやすくなる者が増えることも、他の者を応援する立場になることも、どちらも喜ぶべきことだ。
来年の王城は、今年よりもずっとにぎやかになるに違いない。
そして、まだ動き足りなかったらしいベルニージは、隊員達が打ち合う場へと戻って行った。
再び模造剣を振るう老人の背を、グラートとイヴァーノは、しばし遠い目で眺めた。
「イヴァーノ、魔導義足の件は聞いていたが、あれほどというのは報告になかったな……」
「申し訳ありません。私も存じ上げませんでした……」
「責めてはおらん、少々驚いただけだ。しかし、衝撃吸収材と布、その他に魔導義足か……」
「その、追加のご報告となりますが、スカルファロット武具工房より、衝撃吸収材を馬車の移動のクッションにしたものと、鞍に使った試作が、あと、フォルト様より、微風布の改良版が間もなく上がって参ります……」
とても言いづらそうに続けられ、笑うしかなくなった。
次々と上がってくる魔導具は、魔物討伐部隊にとって本当にありがたいものばかりだ。
魔物討伐部隊の魔導具師殿は開発ペースが早すぎるとか、巻き込む人間が多すぎるとか、どの方向に行くかまるでわからぬとか――そういったことは、口が裂けても言うつもりはない。
ちなみに、すべての発端の魔導具師は今、真剣な顔で、衝撃吸収材を手にしていた。
『死神』の二つ名を持つ隊員が笑顔で手袋を広げ、弓騎士が貼り付け位置に迷っている。
弓騎士の後ろ、戦鎚使いの騎士が自慢の武器と手袋を持っている。子供のようにわくわくとした表情だ。
その横、愛用の槍と手袋を持った副隊長が、いい笑顔で並んだ。
どう見ても順番待ちである。
「イヴァーノ、隊ではなく個人的に頼みたいものがある。ロセッティ商会で薬の扱いは――」
「グラート様、こちらをお試しください」
できる商人は、すでに準備していたらしい。
内ポケットから取り出されたそれは、自分の望みのものだった。
「熊の胆からできた胃薬です。よく効くと皆様がおっしゃっています。私も手放せません」
イヴァーノは整った笑顔を浮かべているが、紺藍の目に少々疲れを感じる。
そしておそらくは、自分も同じような目をしているのだろう。
この先さらに、色々と忙しくなりそうだ。
「春にはこれも大量に必要になるだろう。よろしく頼む」