225.疾風の魔剣と疾風の魔弓
「ありがとうございます!」
王城の魔物討伐部隊棟、応接室でたいへんいい笑顔を浮かべている青年がいた。
明るい緑の目はうれしげにきらきら光り、両手でしっかりと黒革のケースを抱いている。
「レオナルディ様、『疾風の魔剣』をお持ちになる際は、こちらをお使いください」
いつもの従者服ではなく、黒の三つ揃えを着たヨナスが、テーブルに手袋を置いた。
黒の革手袋を受け取り、さらにうれしげになった青年に、ダリヤもつられて笑んでしまった。
横にいるヴォルフ、魔物討伐部隊長のグラート、副隊長のグリゼルダ、そして弓騎士も同じく笑顔になっている。
カーク・レオナルディという青年が持つケースには、疾風の魔剣が入っている。
ちなみに、今ヨナスが渡した革手袋はブラックワイバーン製である。
数日前、きれいになめされたブラックワイバーンの革が一巻き、スカルファロット家の武具開発部門――ヴォルフの屋敷に、疾風の魔剣の支払金と共に届いた。
送り主はカークの祖父、前侯爵当主である。
ダリヤも呼ばれて立ち会ったが、革の巻きを解いて広げると、濃い魔力が室内にあふれた。
上質なブラックワイバーンとはここまで魔力があるのかと驚いた。
余った革は返却不要とのことだったが、手袋どころか、コートも余裕でできる量である。これだけで疾風の魔剣の材料費と作業代をはるかに超えるほどだ。
だが、スカルファロット家には在庫があるとのことで、残りはダリヤがもらうことになった。
開発費名目で渡すから研究素材に回すよう、皆に勧められ、素直に受け取った。
何に使おうか、とても楽しみな素材である。
「ヴォルフ先輩、グッドウィン様。本当にありがとうございます、大事にします!」
「喜んでもらえてよかったよ」
「レオナルディ様、ご購入ありがとうございます。今後、必要に応じて調整・メンテナンスをさせて頂きますので、お気軽にお申し付けください」
「はい、よろしくお願いします!」
カークは目を離したら駆け出しそうだ。きっと早く使ってみたくて仕方がないのだろう。
だが、今日の本題はこれからである。
カークがケースをサイドテーブルに置くと、グラートとグリゼルダ、弓騎士もテーブルに近づく。
全員がテーブルを囲んだのを見計らい、ヨナスが背後にあったとても長い銀の魔封箱を開けた。
そこにあったのは、すべてが深緑色の大きな弓だった。
ヴォルフの身長を超えているのだから、二メートルはあるだろう。
「風の魔法付き大剛弓、『疾風の魔弓』の試作品です。こちらはスカルファロット家武具開発部門所属の者が開発・制作致しました」
先に打ち合わせをした通り、ヨナスがダリヤは関わっていないという説明を遠回しに入れてくれた。
実際のところ、ダリヤは仕様書を確認し、素材のチェックまではしている。
そこから組み立てたのがヨナスと弓職人、魔法を付与したのがグイードの部下だと聞いた。
ちなみに、魔力が十二の者でちょうどだったらしい。魔力値十のダリヤにはできない魔力量である。
「弓はグリーンワイバーンの骨、弦は二角獣の尾、矢は緑馬の骨、二本の矢をつなぐ線はミスリルです。付与に風龍のウロコを使用し、中級の風魔法を入れております。少々引くのに力がいりますが、弓騎士の皆様でしたら問題はないかと」
言いながら、ヨナスが弓を窓にかまえ、矢をつがえずに弦を引いてみせた。
引くと同時に、疾風の魔弓から立ち上る魔力が、ゆらゆらと細く陽炎を作る。稀少素材をそろえまくっただけあって、弓の魔力も相当なものだ。
指を離すと、弦がキュイン!と甲高く鳴いた。
耳が痛みそうな高音に驚いていると、目の前の弓騎士が目を丸くしていた。
「試作上はもう一段強い弦もできますが、魔物の手前、引き続ける時間もそれなりに長いかと思いますので。あとは使い方に応じて調整させて頂きます」
「わかりました……」
「レオナルディ様はこちらの腕輪をお持ちください。同じ風龍のウロコを付与しておりますので、軌道修正の風魔法が通りやすくなるかと思います」
「ありがとうございます」
弓騎士とカークが神妙な顔でうなずく。
「見ただけではわからんからな、外で試してみるとしよう。鍛錬場を取ってある。グッドウィン殿、それでよろしいだろうか?」
「はい、ご協力をありがとうございます。それと、バルトローネ様、私につきましては『ヨナス』とお呼びください。これからお世話になりますし、こちらの隊でも同じ姓の方がいらっしゃると思いますので」
「わかった、ヨナス。私もグラートでかまわない。少々急なことだったが、納めてくれたことに礼を言う」
「もったいないお言葉です、グラート様」
「なに、グイードにも世話になっている。困りごとがあれば今後は直でかまわん」
ヨナスがグラートとにこやかに話し合うのを見て、ダリヤは素直に感心する。
自分が魔物討伐部隊棟に最初に来たときは、緊張の塊だった。
ヨナスもヴォルフと同じく、営業に向いているのかもしれない。あるいは、実家の商会で慣れたのだろう。
「ところで、スカルファロットの武具開発には、ヨナスの家からも人が出ているのか?」
「いえ、こちらはスカルファロット家の事業となりますので、実家とは一切関係がございません。何かございましたら、私か、スカルファロット家の方にお寄せください」
ヨナスの声が、少しだけ冷えた気がした。
・・・・・・・
全員で移動した先は、王城の鍛錬場の、奥まった場所だった。
魔物討伐部隊棟からも少し距離があり、踵のある靴で歩くのはちょっと大変だった。
「あちらが的です」
先に準備してくれていたらしい騎士が言う。
周囲を見れば、何人かの騎士や魔導師が待機していた。服装を見るかぎり、弓騎士、風魔法使いの魔導師らしい。きっと見学なのだろう。
そして、丸い的を見て遠い目になった。
比喩ではない、鍛錬場の端と端である。考えていたよりも距離があった。
ダリヤには、白い小さな的と、その横にある丸太がわかるくらいだ。
なお、なぜ丸太に金属板を貼ってあるのか、理解したくない。
「ダリヤ、これを使って」
ヴォルフが双眼鏡を貸してくれた。
ありがたく受け取って周りを見れば、グラートや魔導師達も双眼鏡を手にしていた。
だが、弓騎士達とカークは、全員そのまま的を見ている。
「風が出てきましたね」
「的が少し揺れてるな」
双眼鏡を持っていても見えない。一体、彼らは視力がいくつなのか――疑問がくっきり顔に出ていたのだろう、ヴォルフが教えてくれる。
「弓騎士は『遠見』の魔法を持っている人が多いんだ。人によっては、戦闘時だけ、魔導具のレンズを目に入れることもある」
「そうなんですか」
初めて聞いた。コンタクトレンズの拡大版だろうか。ちょっと実物を見てみたいところだ。
「まずは試し打ちを――」
弓騎士がそう言うと、黒の革手袋を手に、弓を引いた。いや、正確には、引こうとした。
震えた弦はきちんと張り切らず、そのまま戻される。
「……失礼、手が滑りました」
弓騎士は手袋をきつくはめ直し、再度弓を引いた。
きりきりと小さく音を立てて引かれた弦は、つがえられた矢と共に、ゆらりと魔力を立ち上らせた。
キュイン、魔物が鳴いたかと思える響きの後、呆気ない破裂音が続いた。
ダリヤにはまったく見えぬ速度で矢が飛んだらしい。
急いで双眼鏡を見れば、一番端にあった的が、土台ごと吹き飛んでいた。
「まさか、これほどとは……!」
感嘆の声をあげたのはグリゼルダだ。碧の目は消えた的を確かめるように見つめている。
ダリヤは乾いた笑いを浮かべつつ、己を振り返る。
素材考案中にふと思いつき、『風龍のウロコで風魔法を付与できたら効果が高そうです』とは言った。
だが、風龍のウロコは、なかなか入手できない貴重な素材である。
まさかヨナスが棚からすぐ出すとは思わないではないか。
唖然としているうちに、『ロセッティ殿も性質研究を手伝ってください』と言われ、なし崩しに渡された。
炎龍も風龍も、ロセッティ商会を立てるときの憧れの素材だった。
だが、どちらもヨナスから受け取るとちょっといろいろと心配になってしまう。
「この距離で攻撃できれば、魔物によってはかなり戦いが楽になるな……」
グラートのしみじみとした声に、ダリヤは我に返った。
「凄いけど、もう少し威力を落とさないと、素材も木っ端微塵になるね」
ヴォルフが自分の耳元でぼそりささやく。
やめてほしい、魔物を怪我なく倒せる方が大事だというのに、ちょっともったいないと思ってしまったではないか。
「カーク、準備はいいか?」
「はい!」
カークが右手を前に出し、弓騎士の横に立った。
弓騎士がミスリル線でつながれた二本の矢をずらしてつがえ、きりきりと弦を引き伸ばす。
かなり力がいるのだろう、わずかに弓が震えていた。
キュイン、という音が二つ重なり、矢は緑の軌跡を残して消える。
先程よりも速いのだろう、やはりダリヤには矢が見えない。
ただ、キンと甲高い音が、空気を裂いた。
「……もの凄いな」
最初にそう言ったのは見学していた弓騎士の一人だ。
次に手を叩き、声高く笑ったのも弓騎士である。
ダリヤは双眼鏡を眺めながら、ようやく異変に気がついた。
置かれていた丸太が、金属板ごとゆっくりと右にずれている。
矢はどこまで飛んだのか、丸太の後ろに落ちたのか、探すかぎり見えなかった。
「森大蛇ぐらいなら、すぐ終わりそうだ」
「むしろ魔物を撃った後、どこまで飛ぶか……魔物の背後からの追い込みは避けないと、隊員が真っ二つになる恐れがあるな」
ヴォルフの明るい声の後、グラートの不穏な言葉が続く。
だが、確かに魔物の後ろにいたらとても危なそうだ。弓に途中でブレーキはかけられない。
「問題は音か。独特で覚えられるかもしれん」
「退かせるのが目的であればそれがいいですが、殲滅討伐の時にはマイナスになりますね」
確かに独特な響きだった。
人里近くに魔物が住み処を作った場合は殲滅討伐になることもあると聞いている。
音で逃げられてはまずいだろう。
「もう少し威力を上げ、ミスリル線を伸ばせれば、クラーケンもいけるかもしれません。クラーケンは軟らかくて刃が滑りやすいと伺いますが、これならズレも少ないと思いますので」
「正直に申し上げて、そうなると我々が弓を引けるかどうかですね。身体強化をかけて、これでぎりぎりでしたので」
ヨナスの言葉に、弓を放った騎士がしぶい顔で答えた。
その弓騎士に、カークが笑顔で告げる。
「今ぐらいで射ってもらえれば、俺が練習して、もっと風魔法を乗せられると思います!」
「そうか、カークの方で威力をあげてもらうという手もあるな。俺達ももう少し筋力と身体強化を上げれば、案外いけるかもしれんぞ」
「魔弓でクラーケン討伐か……浪漫だな」
「ついに俺達の時代が……!」
「弓の方もまだまだ改良はできますし、風魔法強化の魔導具につきましても探してみますので。またどうぞご協力のほど――」
「こちらこそよろしく頼みます!」
ヨナスの言葉を折る勢いで、弓騎士達が盛り上がり始めている。
魔剣だけではなく、魔弓にも浪漫があるらしい。
隣のヴォルフは共感するものがあるのだろう、こくこくとうなずいている。
「ここまで遠距離攻撃ができると、赤鎧の出番が減るかもしれんな」
「いつか、隊で全員同じ色の鎧になる日がくるかもしれませんね」
隊長と副隊長の会話に、今度はダリヤが思いきりうなずいた。
ヴォルフが赤鎧を身につけなくてすむ日――ぜひそんな日がきてほしいものだ。
「ロセッティ、ヨナス、二人とも、可能なら来週頭の遠征訓練に同行してもらえないか? 馬車での日帰りだ。西街道の水場の点検だが、携帯温風器の試しと、疾風の魔弓に関して、森での取り回しも見たいのでな」
「はい、携帯温風器の稼働を確認したいので、ぜひご一緒させてください」
「喜んで同行させて頂きます」
「では、二人とも頼む。ああ、少し上流の川も点検するが、山際の岩場に鎧蟹がよくいる時期だ。殻は素材に、殻以外は現地で消費すればいいだろう」
グラートの意味ありげな言い方に疑問がわく。
鎧蟹の殻以外を現地で消費するということは、まさか――
「獲りたての鎧蟹なら、やはりあぶり蟹ですね!」
「俺は蟹鍋がいいなぁ」
「鎧蟹の焼き蟹味噌ってできますかね?」
騎士達の言葉は、どう聞いても遠征先の魔物に対するものではない。
困惑していると、グリゼルダが苦笑しつつ説明してくれた。
「春に入った新隊員が、半年を越えた祝いです。今年は王城で酒を飲むより、遠征先で鎧蟹をということになりまして。あくまで『遠征訓練』のついでですが」
「うらやましいですね。俺達の年は、部隊棟の会議室で赤ワインでしたから」
「それなりにいいワインだったけど、当時はまだ酒の味なんかわからないから、苦いばっかりで」
「俺の時は同期が半分も残らなくて、新人用のワインが余りまくったっけ……」
新人時代の思い出をなぞり、それぞれ、ちょっとだけ苦い表情をする。
グラートが、それを止めるように軽く咳をした。
「今年は脱落者がほとんどいない上、他から異動希望者があってな。遠征用コンロの追加注文を出したところだ」
「ありがとうございます……」
内容が内容だけに、なんと答えていいかわからない。
どうにか礼を言ったダリヤに、グラートが笑った。
「人間、いい仕事をさせるには、うまいものを食べさせなくてはな」